06、 何が普通なのかわからない
ゲーマーとまでは言えないが、それなりにゲームをやってきた俺はなんとなくヤバいと思った。
俺の知識では元々の設定でもない限り、人形もとれる獣キャラの殆どは強いという法則がある。でも、アニマートではそれが普通なのだろうか……?予備知識が少ないため判断ができないが、直感的にこいつは強いと感じる。
「我が主、いかがなさいましたか?」
「いや……ここでは買い物している人の邪魔になるから場所を変えたいけど、まだアニマートに詳しくなくてさ。どこか話をするのにいい場所を知ってたりする?」
「存じております。それではその場所まで移動いたしましょう」
彼がそう言ったと思ったら、次の瞬間にはどこかの応接室にいた。本当に応接室なのかは分からないが、中世ヨーロッパの貴族の館の応接室っぽいなと思ったのだ。
「どうぞお掛けください」
「あ……はい。どうも」
「こちらの世界の食べ物では満たされないとのことですが、嗜好品としていかがでしょう?最高のものをご用意しておりますが」
「えっと、あなたに合わせます」
「我が主よ。自ら名乗ることを忘れるという愚行、大変失礼いたしました。私の名はマルコシアス。あなたではなくそうお呼びください」
……これは本当にヤバい。人形になれるだけでなく彼には名前があった。「マルコシアス」という名前の、天使かもしれないが見た目的には悪魔を俺は知らない。しかし、アニマートにしかいないオリジナルのキャラかもしれないが、とにかく個人名があるということがヤバい。
さっきスタッフだって言っていたじゃないか。ユニコーンは何体か確認されてるって、それは種族名であって個人名ではない。個人名があったのは守護天使のダニエル。それだってかなり珍しいし、初回の召喚ではありえないと言っていたではないか。
それ以前に、テンパり過ぎててうっかりしていたが瞬間移動は普通なのか?ここは一体誰の家なのかすらわかっていない。
「マルコシアスさん、ここはどこなんですか?」
「私のことは敬称など使わずにお呼びください。ここはお恥ずかしながら私の拙宅です。ここでしたら、時間や周りを気にせずに会話をすることが可能と判断しました」
「マルコシアスさ……の、お家?」
「はい。ご不便がないよう家令にも伝えておりますので、何でも仰せ付けください」
「はぁ……そうですか」
召喚獣って、それぞれの住んでる家から召喚されるの?いや、確かに何処かから召喚するわけだから、ここが召喚獣たちの街でそこで暮らしていてもおかしくない……のか?もう何が普通なのかわからない。
俺は深く追求することをやめた。アニマートの世界を楽しみながらお金を稼ごうというのが元々の目的であって、相棒が何者だろうといいではないか。
「じゃあ、元々話していたとおり、マルコシアスの能力を教えてもらってもいいかな?」
「はい。比較的火属性の魔法が得意ですが、応用が効きますので、戦闘において我が主のお力になれるでしょう。今は悪魔として日々過ごしておりますが、元々天界におりましたので回復魔法も微力ながら使用できます。僭越ながら30の軍団を従えておりますので、数が必要な場合も問題ないかと思われます。我が主の望みを叶えるために、私の力を躊躇いなくお使いください」
「……色々気になる言葉があったけど、何から聞けばいいのかな。とりあえず、マルコシアスは悪魔なんだね?」
「はい、その通りでございます」
マルコシアスは笑顔で答えてくれているけど、俺の頭はパニック状態で上手い言葉が出てこない。一番どうでも良さそうなことを確認してしまうくらい、他の情報が濃すぎる。
魔法が使えるのはいい。回復魔法も使えるのは助かるが、元々天界にいたってことは堕天使ってことか?それよりも、何十の軍団を持ってるって言っていた?一体マルコシアスとは何者なんだ?
能力を聞いて、こんなにたくさん出てくるのは普通……なはずない。これが初回の召喚で出でてくる中での普通なら、それこそ10年も経っているんだからサタンとかが出ていてもおかしくないだろう。
不安になってきた。不安だけでなく恐怖もあるが、これだけは聞いておかないといけない。
「マルコシアス。君はこのアニマートでどれくらい強いんだ?」
「はい。現段階で私より強いものの気配は感じられませんので、全てのものを我が主のものにできるかと思います」
……終わった。これは普通じゃないなんてレベルじゃない。最強レベルのキャラを最初から手に入れてしまうのは、パワーバランスがどうとかスタッフが言っていたからあってはならないはずだ。
俺は、非現実の世界を楽しみたいという意味で『思いもよらない体験ができる相棒が欲しい』と願ったわけで、アニマートの世界観を壊すような体験がしたかったわけじゃない。
次々起こるありえない今の現状から逃避したくなり、昔のことを思い出してしまった。
◆ ◇ ◆ ◇
三姉弟の真ん中として生まれた俺は、時に厳しくも優しい両親の元、毎日楽しく過ごしていた。姉弟仲もその時から良かったと思う。
うちはお盆と正月の年に2回、父方の大ばあちゃんの家に親戚中が集まるのが決まりである。そうなったのは昔のアニメ映画の影響だと聞いたが、それでわかる通り、父方の親戚は結構思いつきで行動する人が多い。
その決まりができてからは、夕方くらいまでにみんな集まって、大人たちは大広間で酒盛りをし、子どもはみんなで遊ぶのが恒例だ。中学あたりからはどちらのグループでもいいが、一人になるのは許されない。ゲームもみんなでできるものをする。たった1日のことだからかみんなそれを守っていた。
小学4年の夏、その時の我が家は親戚のほとんどが集まっているときに大ばあちゃんの家についた。すでに子どもたちが庭で遊んでいたので、そこに俺達三姉弟も混ざった。
みんなはこれから隠れんぼをするとのことで、俺は隠れる側になった。隠れる場所は大ばあちゃんの敷地内とのことで、家の中で隠れる場所を探していたところ、偶然聞いてしまったのだ。大人たちの会話の中で「兄弟の真ん中は変わってるやつが多い」という言葉を。
どんな会話の中で出たのかも、誰が言ったのかもわからない。ただ、自分も三姉弟の真ん中だからその言葉を拾ってしまったのだろう。そのまま廊下で固まっていた俺は、案の定すぐに見つかってしまったのだが、そこまで気にならなかった。それほどその言葉が引っかかってしまったのだ。
それからは何をやっていても「変わってるって思われてるかも」という気持ちが抜けなかった。今まで楽しく遊んでいた友達とも、不安が抜けず今までどうやって遊んでいたのかわからなくなったりした。
勉強面はそこまで成績が落ちることはなかったのだが、それでも周りの目が気になって仕方なかった。父親が医者だということも知られているので「頭の良さは血筋もあるよね」という言葉を聞いたときは、父親に恥じないようにもっと努力しないといけないという思いと、まだまだこれじゃ努力したと思われないのだと感じた。
俺のその状態に、両親よりも先に姉が気づいた。いや、もしかしたら家族みんな気づいていたのかもしれないけど、行動を起こしたのは姉だった。
それは小学校生活最後の年に入ろうかという頃で、姉は俺に何があったのかを聞いたわけではなかった。ただ「これからもずっとそうやって生活するの?」と問いかけてきたのだ。
その言葉は、俺が学校からの帰り道に捨て犬を見つけ、一緒に帰っていた友達に「海人の家は大きいし、一軒家なんだから飼えるんじゃない?」と言われてそのまま連れて帰ったときに言われた。犬アレルギーもなく苦手にしている家族もいなかったから、友達に言われるがまま連れて帰ったが、俺自身が最初から飼いたくて連れてきたわけではなかった。
その時に「周りの言葉を気にしすぎていた」ということに気付かされた。
「変わっていると思われたくない」というところから、人の言葉や評価に怯えて生活していたのだと自覚した。それではダメだと思えたのだから、本当に姉には感謝している。
でも、せっかく拾って持ち帰った犬に罪はないので飼うことにしようと思い、両親から許可をもらった。それから約7年、その時の犬は「太陽」という名前で今でも我が家で可愛がられている。
俺の話に戻るが、気づいたところですぐに行動は変えられないのはわかっている。ちょうどあと1年で中学に上がるタイミングだったのもあった俺は、それまでに人の言葉を気にしすぎないようにしていこうと心に決めた。
気にしないようにするにはどうしようかと思ったときに、色んな人と会話をしてみようと思った。家族や友達、その保護者に先生や近所の人。周りにはいろんな年代のいろんな考えを持つ人がいる。その人達と出来るだけたくさん会話をして学んだことはたくさんあった。
とはいえ、簡単に変われるなら苦労しない。俺の中ではそれでも変わってきているかなと思っていたが、違ったらしい。母親から「そんなに無理して普通にこだわらなくてもいいんじゃない?」なんて言われたことでそれを自覚した。なんでも、前までは人と距離を取っていたのに、その距離を詰めて会話をしているのを見て俺が無理をしていると思ったようだ。更にそれは、今までの距離感と合わせてプラスマイナス0になるようにしていると思われたのだろう。
「変わっていると思われたくない」から「普通にこだわる」という風に見られてしまった自分。これは良いことなのか良くないことなのかすら判断つかない。
でもその時、俺の横で聞いていた姉が「周りから『変わってるね』って言われても『普通だね』って言われても、どっちでもいいじゃん。それが海人のなりたい自分なんでしょ?」と話しかけてきた。
人の言葉を気にしすぎないようにと思っていても、やっぱり気になってしまうのは変えられないのかもしれない。でも、母親の言葉も姉の言葉も、それこそ昔の親戚の言葉も「確定事項」ではなく「見解」だったのだ。確実にそうだと言われたわけでもないし、そういうことが多いというだけのことに囚われすぎていたようだ。
今より子どもで知識も乏しい頃より、少しだけ大人になった俺はようやくそれを理解できた気がする。
そして、それから俺は「人からどう思われているか」ではなく「これから自分はどうありたいか」と考えるようになった。結果、まずは色んな経験をして、今まで以上にいろんな人と意見を言い合うことが必要と考えた。そうすれば視野が広がると思ったのだ。
中学へ進学してからは勉強だけでなく部活へ入ったり、知識を増やすために予定のない時は図書館へ行き、多種多様な本を読んで多くのことを学んだ。塾もいいがネットを見ると、色んな人が色んな方法で視聴者に伝えているのだ。その方法は様々で、俺は自分がいいなと思うものは取り入れていこうと沢山の動画を見た。
また「どうありたいか」と考えるだけでなく「どうすべきか」という、起こってしまったことや将来のために自分がすべきことまで考えられるようになりたいと思った。
そうとなれば、またいろんな選択肢を増やすべく辞書や参考書だけではなく、映画や漫画・ゲームなどサブカルチャーの方が、選択肢から選ぶという点で見ると勉強になることがあった。
しかし、根っこは変わらなかったようで、その行動の先はほとんどが「一般的に」とか「平穏な生活」というところに行き着くことが多かった気がする。
でも、それが悪いことだなんて思わない。特別な何かより、今ある普通の生活を維持できればいいのだと俺は思うのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
そんなことを思い出したことで、多少冷静になることができた。そして、重要なことを思い出すことができて良かった。
今、俺はアニマートで平穏な生活を送るためにこれからどうすべきかを考えないといけないのだ。