私はここで生きていく。
家には、誰もいなかった。
この時間は、母親も父親もお仕事で”妹”は小学校に行っている。
私は、この家を出る準備をした。必要な荷物をまとめ、必要な書類なども探した。
”妹”の病院に必要なものなどが入っている大切な棚がある。
いつも、大切なものはそこにしまっている。
まとめて置いてあるだろうと探しても、私のものは一つも見つからなかった。
もう一つ棚があって、そこには誰も滅多に触れることはなかった。
埃さえも付いていた。
そこは、大切なものをしまう場所には到底思えなかった。
嫌な予感しかしなかった。開けてみた。
その嫌な予感は的中。施設での手続きの用紙が、少し破れた状態で入っていた。
そしてその下には、高校に通うための手続きの用紙が、空白のまま置かれていた。
その他も全て、私に関しての書類などがそこには入っていた。
もう、涙すら出なかった。一応置き手紙も書いた。
”今までありがとう。私はもう大丈夫。あと安心して。
施設の人に心配をかけたり、お母さんやお父さんにも迷惑をかけない
ように生きていくから。元気でね。
しずくちゃんが、元気になりますように。ひなた”
私は、部屋を綺麗に片付けて、家を後にした。
両親と過ごしたこの約10年間。辛いことばかりではなかった。
むしろ、幸せだったことの方が多かった。
施設の隅っこで、いつも独りぼっちでいた私。笑顔もない。
そんな私を暗闇から引っ張り出して、明るい世界を教えてくれたのが両親。
私の唯一の両親だった。
これからは、私が両親を幸せにする。
本当の、血の繋がったかけがえのない3人の家族。
大丈夫。もう辛くはない。
私には、新しい家族が待っている。
今度こそ血が繋がっていなくても、ちゃんと家族になるよ。
「おかえり」
「ただいま」
「ただいま〜ひなお姉ちゃん」
祥平くんと遼汰くんが帰ってきた。
「え、ひなたご飯作ってくれたの?」
「しょー・・ちゃんほど上手じゃないけど・・2人にはお礼がしたくて」
「お礼なんていいのに。でも、ありがとう。うまそー!」
「わーい!食べよ食べよ!」
「こら、りょーちゃん!手洗いうがいしてからでしょ!」
「しょーちゃんのけち!」
「けちじゃな〜い!」
「ふふ」
「あ、ひなた笑った」
2人の笑顔で、また笑顔になった。
3人で夕食の時間を楽しみ、またゲームをした。
「りょーちゃん、お風呂に入っておいで」
「あ、りょーちゃん、今日お姉ちゃんと一緒に入ろうよ」
「えー入る入る!ひなお姉ちゃんと入る!」
「お、りょーちゃんよかったね。行っておいで」
「しょーちゃんも入ろうよ。3人で入ったらもっと楽しいよ?」
遼汰くんの言葉に、私は一気に顔が赤くなっていくのがわかった。
「な、な、何言ってるのりょーちゃん!
兄ちゃんはいいから、2人で入っておいで」
心なしか、祥平くんの顔も少し赤くなっているように見えた。
「なんだ〜つまんないの〜。じゃあ、ひなお姉ちゃん
しょーちゃん置いて2人で入ってこよう」
「そ、そうだね」
私は、遼汰くんとお風呂に入った。まるで、本当の姉弟みたいだった。
これが、”きょうだい”なんだ。初めての実感だった。
あの家族の時にも、しずくちゃんという”妹”はいた。
でも、私にはただ一緒に住んでいる”年下の女の子”としか思えなかった。
「学校は楽しい?」
「楽しいよ。でも、家にいる方がもっと楽しい」
「そっかあ。お姉ちゃんを家族に迎えてくれて、ありがとう」
「ううん、運命だよ?」
「運命?」
「うん。ひなお姉ちゃんは、僕たちと家族になるために生まれてきたんだよ。
しょーちゃん言ってたもん。人には、生まれ持った運命があって
僕たちが巡り会ったのもその運命なんだって」
「運命かあ」
運命とは、人間の意思を超えて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。
私が生まれた時から両親がいないのも、施設で育ってあの両親に
引き取られたのも、”妹”ができて私の居場所がなくなったのも
自ら家を出て今の新しい家族ができたのも、全て生まれた時から
定められていた私の運命。
もしそうだとしたら、私があの家を出たことは間違っていなかったはずだ。
遼汰くんは、お風呂からあがるとすぐに眠りについた。
「はい」
祥平くんが、また温かいココアを淹れてくれた。
「ありがとう」
「りょーちゃん、ひなたが来てからすごく楽しそう」
「私を家族に迎えてくれて、本当にありがとう」
「ううん、運命だよ」
「ふふ」
「あれ、さすがにクサかった?」
「ううん。りょーちゃんも、さっき全く同じことを言ってたから」
「そっか」
「2人は本当に兄弟なんだね」
「まあね。りょーちゃん、そんなこと言ってたの?」
「しょーちゃんが教えてくれたって」
「りょーちゃん・・」
私もいつか、2人みたいに2人と本当の”きょうだい”になれるかな。
「これからもずっと一緒にいよう。
もうひなたは、悲しむような思いしなくていい」
「ありがとう。私ね、あの家を出たことは後悔してない。
でも、正直まだ探してくれるんじゃないかって期待してる自分もいる」
「うん」
「もし探してくれていたら、戻ってきてって言われたら
私あの家に戻っちゃうかもしれない」
「うん」
「・・最低だよね」
「そんなことないよ」
「どうして?せっかく2人は迎えてくれたのに、私だけがわがままで」
「そうなっても、俺とりょーちゃんは恨んだりなんかしないよ?
それがひなたの出した答えなら俺らはちゃんと見送るし
辛いことがあって逃げ出したくなったら、また俺らのところに
戻ってくればいい」
「・・どうしてそこまで優しくできるの?」
私は、涙が止まらなかった。
「だって、俺ら家族だろ?家族ってそういうもんじゃないのかな」
「しょーちゃん・・」
「まあ、俺前の家族の記憶なんてこれっぽっちもないから
本当のことなんてわからないけどね。はは」
祥平くんと遼汰くんと3人の家族になって、3ヶ月が過ぎようとしていた。
あの家を出てからも、それくらいの月日が経ったことになる。
少し期待していたあの思い。
”探してくれていたら”
あれから、何の音沙汰もなかった。
携帯は持っていないし、私が気付いていないのかもしれない。
きっと、必死になって2人で探してくれているのかもしれない。
そう思う時もあった。
でも、もう迷惑はかけないと決めたから。
もしかしたらこう思っているだけでも、2人にとっては
重荷なのかもしれない。大人にならなくちゃ。もう前に進まなくちゃ。
「ねえ、しょーちゃん。話があるの」
「あ、丁度良い。俺もあるんだ」
私たちは、テーブルを挟み向き合って座った。
「お先にどうぞ」
「うん。私ね?働こうと思うの。
ほら、しょーちゃんのお金だけじゃ大変でしょ?」
「そのことなんだけど、ひーちゃんはやっぱり高校に通った方が
いいと思うんだ」
「え・・?」
「だってまだ16歳でしょ?高校はちゃんと卒業した方がいい」
「え、でも・・」
「それでさ、この高校とかどうかな?」
「待って・・」
祥平くんは、高校のパンフレットを差し出してきた。
私は、あまりにも急なことにとてもついていけなかった。
「ここね?俺たちみたいに訳があって今まで通えてなかった
子とか親がいない子とか、そういう子たちも気軽に通える学校なんだって。
て言っても、普通の高校だよ。今日、行ってきたんだ」
「・・・」
「受験は一応しなきゃいけないみたいなんだけど、よっぽどのことが
ない限り落ちることはないって。だからさ、ひーちゃん受けてみようよ」
「・・しょーちゃんだって・・」
「え?」
「しょーちゃんだって、まだ17歳だよ」
「俺は・・ほら、りょーちゃんの面倒もあるし両立は難しいんだよ。
それに、高校は初めから通わないって決めてるから」
「・・そんなのずるい」
「ひーちゃん・・」
「しょーちゃんばっかずるい!私だって、りょーちゃんの面倒見るよ!
一緒に働きたいの!」
「ひーちゃんは、いつもりょーちゃんの面倒見てくれてるよ。
働くのは、高校を卒業してからだってできることだよ?」
「そうじゃない・・そうじゃない!」
わかっている。祥平くんは、私のために言ってくれている。
それなのに、恩を仇で返すように私は、わがままばかり。
でも、もう歯止めが効かなかった。
「ひーちゃん・・」
「私も働くの!今更、高校なんて通いたくない」
「でもさ、ひーちゃん」
「うるさい!しょーちゃんのわからずや!
働くったら働くの!寝る、おやすみ!」
私は、布団に潜り込んだ。ごめんなさい。
祥平くんだけに負担をかけたくなかった。わがままでごめんなさい。
私に呆れちゃったかな。もう、この家にもいられなくなるのかな。
私みたいな子、邪魔だよね。
少し経つと、祥平くんの近づいてくる足音が聞こえてきた。
「ひーちゃん、起きてる?」
「・・・」
「もう寝ちゃったか。ひーちゃん、ごめんね?
突然でびっくりさせちゃったよね。ひーちゃんの気持ちも聞かずに。
そりゃ怒るのも無理もない。また、落ち着いたらゆっくり話そう。
ひーちゃんの気持ち、聞かせてね?おやすみ」
そう呟いて、私の頭を優しく撫でた。
自分の不甲斐なさが情けない。
祥平くんとは一つしか歳が変わらないはずなのに、私なんかよりも
よっぽど大人だった。大人にならなくてはと思ったそばから、私はこれだ。
こんな子どもの私が、働けるわけがなかった。
次の日、私は一番に起きては朝食を作った。
「ひーちゃん、おはよ〜」
「あ、りょーちゃんおはよう」
「あれ〜しょーちゃんが一番遅いね。寝坊助だ〜!」
「はは。いつも早起きだし、しょーちゃん今日は久しぶりのお休みだから
もう少し寝かせてあげようよ」
「うん、そうだね」
私は、遼汰くんと朝食を済ませて学校まで送り届けた。
家に帰ってきたら、まだ祥平くんは寝ていた。
私は、昨日祥平くんが差し出してきたパンフレットを見た。
パンフレットを開くと、隙間がないほどに細かく文字が綴られていた。
「祥平くんの字だ・・」
受験のことや学費のこと、入学してからの受講内容や卒業した後の進路に
ついてなど、全てのことがそこには綴られていた。
祥平くんは、学校に行ってきたと言った。
毎日仕事で忙しいのにも関わらず、少しの空いた時間で行ったのだろう。
祥平くんは、ここまで全力で私のために尽くしてくれている。
だとしたら、私が祥平くんのためにできることは、ただ一つ。
「あれ、ごめん寝過ぎた!すぐ朝食作るね。あれ、りょーちゃんは?」
「しょーちゃん、おはよう。朝食は作ってあるよ。
りょーちゃんも、もう学校に行った」
「うわ、まじか・・本当にごめん・・」
「謝らないで。今日は、久しぶりのお休みなんでしょう?
そういう時はゆっくりしてて」
「ありがとう」
「あと、私受験するよ。この高校」
「え・・?」
「その代わり、お金とか困ったことがあったら何でも言ってほしい。
一人で抱え込まないで、私のことも頼ってほしい」
「ひーちゃん・・わかった」
「受験か〜中学生以来勉強してないから心配だな〜。はは」
「大丈夫。よっぽどのことがない限り落ちることはないって。
いざとなったら、俺が教えてあげよう!」
「え?しょーちゃんだって中学生以来勉強してないんじゃない?」
「・・バレた?」
「もう!」
「はは。あ、今日さ、休みだしこれからどっか行こっか」
「せっかくのお休みなのにいいの?」
「せっかくのお休みだからだよ」
「やった〜!行く行く!」
「なんか、デートみたいだね」
「はいはい、兄妹でしょ」
私たちは、本当の家族の記憶がない。
だから、小さい頃にみんなが家族で行くであろう場所に行くことにした。
まずは、遊園地。遊園地は、2人とも初めて行く。
その日は人が少なかったが、家族連れは何組かいた。
3人家族や4人家族。向こうには祖母や祖父を連れている家族もいた。
その光景は、2人にとってとても新鮮なものだった。
「何から乗る?」
「私って、ジェットコースター乗れるのかな」
「ああ、俺も。乗ってみる?」
「・・怖いな」
「大丈夫。俺も怖いから」
私たちは、家族連れの光景を見ることだけが初めてではなかった。
乗り物もそう。何が得意で何が不得意なのかも、想像すらできなかった。
いざ自分たちの順番が近づくと、私は緊張で手が震えてしまった。
それに気がついたのか、祥平くんが手を握ってくれた。
いつも思う。祥平くんの手は大きくて優しくて、とても温かい。
頭を撫でられたときも、すぐに安心できた。
約1分間のジェットコースターが終わりを告げた。
私は、意外と余裕だった。
「よ、余裕だったね・・おえ・・うん」
隣には、明らかに気持ちが悪そうで若干震えている祥平くんがいた。
「しょーちゃん、苦手だったでしょ」
「そんなこと・・おえ・・ないもん!」
「はは。しょーちゃん、だっさ」
「うるせえ。乗る前漏らしそうなくらい震えてたくせに」
「そんなことないもん・・でも、手繋いでくれてありがとう。嬉しかったよ」
「なんだよ・・急に」
「へへ。次、観覧車乗ろうよ」
「いいよ」
観覧車。景色がとても綺麗だった。
「あ、あそこ見て」
祥平くんが指している方を見る。
「ほら、あそこのカップルキスしてる」
「しょーちゃん・・!」
「だって、気になっちゃったんだもん」
「知らないけど、観覧車ってそういうカップルもいるんじゃない?」
「そっかあ。ひーちゃんしたことある?」
「え!なに急に・・ないよ。付き合ったこともないもん」
「俺もない。いつか、ひーちゃんにも大切な人ができるといいね」
「できるかな」
「できるよ。そしたら、全力で応援する」
「兄として?」
「うん、兄として」
私にも、いつか好きな人ができて、その人と結婚をして
子どもができて、新しい家族ができたりするのかな。
もしそうなったら、祥平くんと遼汰くんとは離れ離れになってしまうのかな。
いや、でもその前にもしかしたら祥平くんに好きな人ができて
その人と付き合って結婚をして、あの家から出て行ってしまうのかも。
そんなの耐えられるのだろうか。・・無理だと思った。
「私は、しょーちゃんにいつか大切な人ができたとしても
応援できないかも・・だって、そうなったらいつかその人と結婚して
あの家を出て行くことになるでしょ?寂しいな・・って」
ああ、また私はわがままなことを言ってしまった。
兄に大切な人ができたら、妹として応援するのが当たり前でしょ?
ほら、そう伝えなくちゃ。
「・・ひーちゃん、ずるいなあ」
そう言って、祥平くんは私の頬を両手で挟んできた。
「俺だって、ひーちゃんに大切な人ができたら寂しいよ?
嫉妬して、口聞かなくなっちゃうかも」
「しょーちゃん・・好き!大好き!」
私は、祥平くんに思い切り抱きついた。
「俺も好きだよ、ひーちゃんが大好き」
この世に、絶対という言葉はない。
でも、今だけその言葉を使えるのだとしたら、こう言いたい。
この先、2人以上に大切な人は絶対に現れない。
私が、あの家から出ることはこの先も絶対にない。
遊園地の後は、動物園。ありきたりなのかもしれないけれど
初めての場所ばかりで私にとってはとても幸せな時間だった。
祥平くんも、私と同じ気持ちだったらいいな。
「こんな風に、誰かと動物園に来られるなんて思ってもみなかった」
「私も・・」
「俺ら、本当に子どもらしいことなに一つとしてしてこなかったんだな」
「そうだね。でも、今が楽しければそれでいいんじゃないかなって思う。
辛い思いをしてきた分、これからは幸せになろうって」
「ひーちゃん・・」
「だって、これが運命なんでしょ?」
「運命か・・そうだね。俺たちの運命だ」
私たちは、たくさんの動物に癒された。
夕方近くなって、そろそろ遼汰くんを迎えに行く時間になった。
「今日は、2人で迎えに行けるね」
「うん、りょーちゃん喜ぶかな?あ、そうだ。
今度はりょーちゃんも連れて、3人でどこかに出かけようよ!家族3人で!」
「いいね!旅行とか行く?」
「んー旅行もいいけど、今日みたいなところがいい。
行こうと思えばいつでも行けるかもしれないんだけど。
それなのに、今日すっごく幸せだったんだ。
それに、私たち家族にはそれが一番合ってると思うんだ」
それからね、遼汰くんとこれから通う私の学費とか、全て祥平くんが
負担することになっちゃうでしょ?
本当は、3人で旅行に行けたらどんなに幸せなのだろうと思う。
でも、旅行なんてとても贅沢で、これ以上祥平くんには無理をさせたくない。
私も、早く高校を卒業して働く。その時は、私の給料で旅行へ行こう。
「りょーちゃん、おかえり!」
「ああ!しょーちゃんとひーちゃんだ!」
学校に着くと、向こうから友達と仲良さそうに歩いてくる遼汰くんの姿が見えた。
「遼汰くんのママとパパって若いね」
私と祥平くんは、同じタイミングで見合った。
私は、顔が熱くなった。
「違うよ。お兄ちゃんとお姉ちゃんだよ。僕だけの、たった3人の家族なんだ」
他の子は、母親や父親が迎えに来ている中、遼汰くんには私たち”きょうだい”。
それでも、遼汰くんは寂しそうな顔を一切しなかった。
私は、時々思うことがある。
遼汰くんは、私たちがいるから寂しくなんかないと言う。
今までも、そういう顔や素振りを見せたことはなかった。
しかし、本当は見たことがないのではなく、遼汰くんが私たちに
見せないようにしているだけなのかもしれないのだと。
必死に、私たちに心配をかけまいと我慢しているのかもしれないのだと。
もしそうなのだとしたら、私には何ができるのだろうか。
私たちは、遼汰くんを真ん中に3人で手を繋いで家に帰った。