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《連作短編集》世界中の恋が全部叶えばいいのに  作者: 西乃狐
第1話「あなたとわたし」
6/12

(5) 望/Nozomi

 玉葱を買うだけなら商店街よりもスーパーの方が少しだけ近い。けれど外出自粛を言われる中、堂々と用事があって出かけるのだし、少しくらいは気分転換に足を延ばしてもいいよね。

 自分にそんな言い訳をしながら、久しぶりに商店街の方の八百屋さんに行ってみることにした。


 行ってきまあすと声を掛けかけて、口をつぐんだ。

 ママが言いそうな台詞くらいすぐに思い当たる。


――あなた、そんな恰好で行くつもり?


 立ち止まって自分を見下ろす。何着かある中でも古い方のジャージ姿だ。

 靴を履きながら、昨夜ゆうべは何をしていたんだっけと考える。

 何だか霞がかかったかのように記憶が曖昧だ。二日酔いというのはこんな感じなのだろうかと想像する。

 確か遅くまでスマホで動画を見たりラジオを聴いたりしながら、うとうととしていた。そろそろ夜が白み始めて来そうな頃になってやっとお風呂に入って、この格好に着替えた。そのまま昼過ぎまで寝て起きて、朝昼兼用のごはんを食べて、また部屋でぐだぐだ過ごした。その間ずっと同じジャージのまんまだ。

 高校の体育祭で作ったクラスTはちょっと恥ずかしいけど、ジャージの上着の前を閉じてしまえば見えることもない。髪が少しぼさぼさなのは気になったので、ちょとだけ整えたけど、どうせマスクもするし、誰に会うわけでもない。


――玉葱買いに行くだけだし、大丈夫。


 自分にそう念押しをするかのように言い聞かせ、サンダルを引っ掛けて商店街へとやって来た。

 都心の繁華街ではほとんどのお店が休業になっていて人通りもまばらだと、連日テレビが伝えている。

 その反動というのだろうか。地域の商店街やスーパーなどでは、いつも以上に買い物客が増えているところもあるのだとか。最近の報道のターゲットはそっちの方に軸足を移した感がある。

 

 商店街の入り口に立ってみると、思ったよりも人通りは少ない。意外と休業している店が多いみたいだった。

 途中の本屋さんは営業中だった。書店は休業要請の対象から外れたとテレビで言っていたような気がするけれど、書籍の発行延期や雑誌の発行中止などは相次いでいるとも聞く。

 ドラッグストアはもちろん営業していて、店頭に「マスクの入荷はありません」という大きな貼り紙がしてあった。


 幼い頃は近所のスーパーがまだなかったから、ママに連れられてよくこの商店街に買い物に来た。商店街の八百屋さんは二軒あって、ママはいつも同じ店を利用していた。扱っているモノがいいとか値段が安いとかいうわけではなく、単に家から近いというだけのことだろうと思う。


 八百屋さんにお客さんは三人いた。みんな年配のおばさまで、お店の人も含めて全員がマスクをしている。

 三玉ずつ籠に盛られた玉葱が並んでいるコーナーには「淡路島産 早生わせ」と書かれた札が立っていた。それをひと盛り買うことにする。

 ずっしりと重い、立派な玉葱。さすが淡路島。生のままサラダにするときっと美味しいはず。


 お金の受け渡しが、手から手へではなくなっていた。差し出されたトレイに五百円玉を置く。お釣りもトレイに載せられた硬貨を自分で拾うようにして受け取る。

 こういった習慣はウイルスが収まったあとにはどうなるんだろう。

 以前のようにまた手渡しに戻るのか。

 それとも今のやり方がデフォルトになるのか。

 はたまたこんなお店もキャッシュレス決済になるのかな。

 新型肺炎ウイルスのせいで意識せずにやっていたことまで意識せざるを得なくなって、日常だったものが日常じゃなくなっていく。

 ゾンビになんかならなくても、やっぱりウイルスは怖い。


 ともかく、これでミッションコンプリートだ。

 真っ直ぐ帰ったところで特にやることもないけれど、不要不急で商店街をうろつくのも気が引ける。

 それに何だか胸騒ぎがする。

 ここにいちゃいけないような……。


――帰ろう。


 商店街を引き返す。

 入れ違いにやってくる買い物客はやはりまばら。そして例外なくマスクをしている。

 そんな人たちの向こうから一人、走って来る男の子の姿が見えた。


――どくん!


 心臓が跳ねた。

 急いでいるという走り方ではない。落ち着いた走り方とでもいうのだろうか。などと考えてから、ジョギングという言葉に思い至った。

 そんな簡単な結論に遠回りをするほど、動揺していた。

 走りながらもマスクはつけている。

 まだそれなりに距離もある。

 それでも、わたしには分かった。

 間違いない。 


――のぞむくんだ。


 またどくんと心臓が大きく鳴った。

 それは、中学一年の春、彼の手首に包帯を巻いてあげたときから、数え切れないほど感じてきたトキメキだった。

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