あの世からの使者
総合病院で働く人って、どんな人が向いていると思いますか?
きっと皆さんは、優しい白衣の天使じゃなきゃ出来ない仕事だと思っているのでしょうが……違うんです。
優しい要素……確かにそれも必要です。
ですが……もう1つ、必要な要素があったりするんですね。
それは……"気が強い"って事です。
どうして?なんで?みんな優しいじゃん?
……それはあなたが患者として病院に来ているからです。
僕に言わせれば……あなた達は"お客様"なんですよ。
お客様に向かって、パワハラする店員がいますか?
お客様に向かって、暴言を吐く店員がいますか?
……いませんよね。
世の中は蹴落とし合いが常だとよく言いますが……病院とて、それは例外ではありません。
女性と男性の意見の違い、仕事の力量の差から来る憎しみ合い……嫉妬……差別……。
どこもおんなじですね。
そんな職場、病院が多いもんだから、離職率はとても高いんですね。
ストレスでやめて行く者もいれば……最悪、自殺しちゃう看護師さんもいるわけです。
僕も、そんな職場の職員の一人でした。
毎日毎日ストレスストレスで……それはそれは大変な毎日でした。
……死にたいと思う時もありましたね。
そんな毎日が続いて……もう数年はたちましたかね。
そんな時でした……一生忘れない、忘れられない出来事を体験したんです。
その話をさせてください。
**********
とある病院に就職した僕は、初日は、それはもうやる気に満ち溢れていました。
長年の夢だった男性看護師。
人へ、地域への貢献。
僕は憧れの聖職者になれた。
そう思っていたんですが……何も知らないバカな人間だったと気付くのはそう遅くはありませんでした。
……総合病院の看護師の仕事って、とにかく忙しいんですよ。
入院患者様の下のお世話、患者様の家族への協力の要請、決まった時間に薬品投与、看護経過の書類作成……。
それだけで済めばまだいいんですが、僕が苦痛だったのは、ガールズトークでした。
女性の話って長いんですよね。
長い上に愚痴っぽいし、下品だし、男性へのセクハラもひどい。
……どうしてテレビって、セクハラ問題を女性を焦点にして放送するんですかね。
男性だって……傷ついているのに……理不尽ですよね……。
……ごめんなさい、話がそれてしまいました。
そんなこんなで、忙しい毎日を送り、分かってしまったんです。
これ、理想と現実のギャップだって。
看護師って、気が強くなければやれないって。
……そう気付いてから、僕はどんどん腐っていきました。
毎日の激務……。
効率を優先した、患者の意思など無視した仕事のやり方……。
無理な笑顔をばら撒き、必死に女性に尻尾を振る自分。
書類作成に追われ、残業続き……。
気が付けば、僕は1日必ず数回、"死にたい"と思うようになってしまったのです。
今思えばあれは……鬱病でしたね。
疲れてるだけ、自分はとても疲れてるだけ、とごまかしてやってきましたが……よく、生きていたものだと自分でも感心してしまいます。
そんな……ある日でした。
その日の僕は月に数回割り当てられる、夜勤という業務についていました。
夕方の16時から、次の日の朝9時までの17時間の勤務なんですが……これがまた大変なんですよね。
僕は自分の心をなんとかごまかして夜勤の業務をこなしていた訳ですが……巡回中……また、思ってしまったんですよね。
死にたい、もう嫌だって。
暗い病院の廊下、床を照らす懐中電灯の小さな寂しい光が、今の自分にそっくりだと思ってしまったんです。
そう思ってしまったら……つい……死にたいなと……思ってしまったんですね。
僕は廊下で一人、立ち止まってしまったんです。
その時でした。
『しけてんなぁ……しけてんなぁ……。』
そう聞こえたんですよね。
それは明らかに男性老人の声。
療養型の病棟もあったものですから、"また"徘徊している高齢の患者様が出てしまったのか。
そう思っていたのですが……まだ、それの方が良かったのです。
『ヒタ……ヒタ……ヒタ……。』
裸足の音と共に……病室から出てきたんですよね。
……ボロボロの……泥だらけの青白い足だけが……。
何が起きているか分かりませんでした。
その近くからは、まだ聞こえてるんです。
『しけてんなぁ……しけてんなぁ……。』って。
僕はその足が進む方向をただ、見ていました。
金縛りっていうんですかね。
固まってしまって、動けなかったんですよ。
その足はそのまま向かいの病室に入って行きました。
しばらくして……病室の中から不気味な笑い声と共に、嬉しそうな声が聞こえてきたんです。
……忘れもしませんよ、あんな声。
『……ひ……ひひ……みぃ~~つけだぁ。大当たり。』
……大当たりって……なんだろう?
確かに聞こえたんです。
見つけた、大当たり、と……。
その時でした。
『ピイーーーーー!!!!!!』
……ペースメーカの大きな音です。
そうです。心肺停止した時の音です。
ドラマや映画で見た事、聞いた事があるでしょう?
主人公……もしくは恋人や友人、家族等の登場人物が病院で亡くなるシーンで流れる……あの音ですよ。
僕はハッと我に帰り、その病室に入ると……末期がんで苦しんでいた患者様のペースメーカーが、心肺停止を知らせていたんですね。
僕はその患者様のベッドに備え付けてあるナースコールで同僚を直ぐ様呼び、当直のドクターを呼んでもらい、一生懸命、蘇生処置をしたのですが……その努力もむなしく、その患者様はお亡くなりになってしまいました……。
これは深夜3時頃のお話です。
僕は夜勤終了の時間を過ぎても、患者様の遺品、書類の整理、葬儀業者の手配に追われ、帰れずにいました。
あんまりこういう事は言っちゃいけないのですが……とても、疲弊していました。
そして……また、始まってしまったんですね。
『疲れた……どうして僕が夜勤の時に……死にたいなぁ。』
……つい、心の中で呟いてしまったんですね。
そしたら……その時を待っていたかのように……聞こえてきたんですよ……あの声が。
『……みぃ~~つけだぁ。大当たり。』
背筋につららを突っ込まれた感覚がしましたね。
反射的に振り返ると……いたんです。
僕の真後ろに……あの、ボロボロの足だけが。
『うわぁーーーー!!!!』
僕はナースステーションで、大声をあげてイスから転げ落ちてしまいました。
『◯◯君!どうしたの!?』
『あ……足が!足だけが……!!』
『……足……?足が痛いの?』
『足だけが……僕の後ろにいたんです!!』
『……ふざけないでよ!何もいないじゃない!』
『え……?』
それは嘘のように消え去っていました。
僕は……僕だけは息切れを起こし、さっきまで足がいた所を見ましたが……確かに、何もいなかったのです。
その日は……職場の看護師さん、職員さん達から心配されて、亡くなった患者様の書類、遺品の後始末は別の職員さんに任せてもらう事が出来、2日程の休暇を頂く事も出来ました。
家に帰り、シャワーを浴びると、倒れ込むようにベッドに横になりました。
昨日の晩、そして今朝。
僕が見たものはなんだったのだろうか。
疲れて幻覚を見ただけだったのだろうか。
そんな事を考えながら……眠りについたのですが、その日、妙な夢を見たのです。
僕が勤めている病院の霊安室、そこに僕は一人で立っているんですね。
霊安室のベッドの上には、顔に布をかけられたご遺体があったんです。
僕はそれが誰なのか、無性に気になってしまいまして……そのご遺体に近付いて、掛けられた布を取ろうとしたんです。
すると……あの声が聞こえてきたんです。
『熟れるのが楽しみだなぁ……。まだかなぁ……。
……ねぇ、君も楽しみだろぉ?◯◯君……。』
……◯◯とは僕の名前です。
僕は悲鳴をあげながら飛び起きました。
体は冷や汗でビショ濡れでした。
窓の外は綺麗な夕焼けで赤く染まっていたのをよく覚えております。
しばらくは息切れを起こしながら……その場でじっとしていたのですが、次第に時計に目がいき……気味が悪くなりました。
夕方の時刻……。
知ってますか?
霊が出やすい時間って、深夜2時から明け方にかけてだけではないんです。
"オウマガドキ"と言って、夕方もとても出やすいと言われてる時間帯なんです。
ヤツが僕に目をつけたのか……なぜ?どうして?
そんな疑問と恐怖に襲われながら、しばらく生活していたのですが……何も起こらなかったんですよね。
その時間は、あの日の出来事は夢だった、疲れていたんだと、自分を納得させるのに、充分な時間でした。
そして、その日から職員さんの態度は僕に優しくなったのです。
可もなく不可もなく、普通の看護師であったと自負している僕ですが……僕は"派閥"に所属するのを嫌い、仕事以外では職員さんと一緒にお話したり、出掛けたりなんて……一切してこなかったのです。
そのせいか……僕は半ば仲間外れにされていた訳なのですが……珍しい優しい態度に、僕は嬉しさを覚えてしまったのです。
ですが……それは長くは続きませんでした。
3日程たったとき、看護師さん達は再び僕に冷たくなっていったのです。
そりゃそうですよ。
どこの派閥にも属していないんですから。
また……いつもの日常が戻ってきたんですね。
そして……また……心身共に疲れていったんです。
そして……"あの日"の夜勤の申し送り時間の時に、僕は看護師長に呼び出されて、前日の書類のミスについて指摘されたんです。
まぁ……ミスと言っても、書類に誤字があっただけなんですがね。
それについての叱責が……長いこと長いこと……。
『……どうしてこんな簡単な事が出来ないの?』
『確認出来ない……そんなの子供と一緒よ。』
『病み上がりだからって……仕事に手を抜かないで頂戴。』
『…………鶏並みの知能指数なのかしらねぇ?』
……言い過ぎだと思いませんか?
ストレスがたまっているのは分かります。
ですが……だからといって人に当たるのは違うと思います。
……と、今ならこう思える訳ですが……当時の僕は違かったんですよね。
『僕の頑張りが足りないから……。』
『僕はなんてダメな人間なんだ……。』
『……鶏どころじゃない、虫けら以下かもしれない。僕の存在なんて……。』
……典型的な鬱病の思考パターンです。
僕は夜勤開始前から相当落ち込んでしまったんです。
それはもう憂鬱でした。
これから17時間も勤務するのに……どうしてこんな気分にならなくてはいけないのか……そうだ、全部自分のせいだ。
……そんな、マイナスな思考を抱きながら……夜勤は開始されました。
"それ"が……悪夢の始まりだと知らずにね。
そして……巡回の時間になりました。
夜中にナースコールがかかったものですから、僕は直ちに向かったんです。
その患者様は咳き込んで苦しんでいたので、すぐにタンが絡まったのだと分かりました。
その人は高齢で、タンを自分で排出出来ない体でした。
そういう時は……吸入気を使用して、タンを取り除くのですが……。
いえ、その時はうまくいったんです。
至っていつも通りでした。
何のミスもなく……終われるはずだったのですが……。
患者様の言葉が、今の僕の心を引き裂いてしまったのです。
『もっと早く来いよ。……この役立たず。死んでしまえ。』
認知症の患者様だったので……暴言は何も珍しくないのですが、当時の僕には……とどめの一撃でしたね。
僕は逃げるように……非常階段の踊り場に向かい、泣き叫びました。
『僕だって死にてえよ……!!』
僕は涙を流して泣いてしまいました。
そして、光が見えたんですよね。
非常口を示す、緑色の光で照らされた屋上へと続いていく階段が……希望の光に照らされているように見えたんです。
……そうです。
死のうと思ったんです。
……その時でした。
『……熟れたねぇ。素晴らしいよぉ……。』
あの……老人の声です。
僕の全身に寒気と鳥肌が総立ちになった瞬間でした。
下の階段から……あの足が……足だけが登って来るのが見えたんです。
『う……うわあーーーー!!!!』
僕は、恐怖で叫び声をあげながら、非常口の扉をあけ、元いた病棟に戻りました。
……光が見えるナースステーションへと向かい、その光を浴びる時には、安堵を覚えました。
ですが……何か……妙なんです。
『はぁ……!!はぁ……!!あの……!!』
『眠い……。早く終わらないかなぁ……。』
『そうねぇ。夜勤終わったら、お昼、一緒に行かない?』
誰も僕の事に気が付かないんです。
息を切らして必死に呼び掛けるんですが……誰も、僕に気付いてくれないんです。
まるで……僕が幽霊になったみたいにね……。
それでも僕は、必死に呼び掛けました。
肩を叩いたり、耳元で叫んだり……。
それでも何も変わりませんでしたがね。
すると……僕の耳元でまた声が聞こえたんです。
『……ムダムダ……。死のうよ……。足掻くの……やめようよ……。』
振り返ると、また……ボロボロの足だけがあります。
僕はまた、取り乱しました。
叫んで……泣いて……走って……。
真っ暗な病院の中を……逃げていたんですね。
そして……逃げている最中も……あの声は聞こえてきます。
そして……足音も。
忘れもしませんね。
あの足音……。
普通、走る時って、"タッタッタ"とか、リズミカルに聞こえて来るじゃないですか。
ですが、その足音は違うんですよね。
『ペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタペタ!!』
……断続的なんですよ。
絶え間なく、高速で動いているイメージですかね。
その姿を想像すると、寒気、鳥肌、絶望が襲って来ましたね。
僕は今までに無いくらい全力で走りました。
走って走って走って……ドアが開いている部屋を見つけましてね。
その病室に入るなり、内鍵を掛けて……ドアノブを押さえ込むようにして、しゃがみ込みました。
そして振り返った時……また、絶望が襲ってきたんですよね……。
その部屋……霊安室だったんですよ。
線香の臭い、葬儀に使う道具、全てが揃っていました。
よりによって……どうして……こんな薄気味悪い部屋に……。
そう……思っていた時です。
『ガチャアッ!!』
内鍵が勢いよく開いたんです。
僕はその音と同時に気絶しそうになったのですが、必死にこらえて、ドアノブを押さえつけました。
物凄い力で開けようとしてくるのが伝わって来ました。
僕は手汗をだくだくにかきながら、押さえつけましたね。
手の震えと手汗で滑るドアノブを必死に押さえつけ……それでも足りないものですから、僕は更に体と頭を使って押さえつけたんです。
……頭が余計でしたね。
耳をドアにつけたもんですから、聞こえちゃったんです。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……ひひひッ!!』
…………意識が飛びそうでした。
でも……不思議ですよね。
その時……僕は……こう叫んだんです。
『生きたい!!僕は生きたい!!死にたくない!!』
先程まで死にたいと願っていた男が、生きる事を懇願するなんて……不思議なものです。
それと、同時にドアノブを押す先程までの力と、声は止みました。
気配もしません。
恐る恐るドアを開けると……もう、誰も居ませんでした。
それを確認するなり、一気に体の力が抜けてしまいまして……その場に崩れ落ちてしまい、笑ってしまったんです。
『あはは……!生きてる!僕は生きてるぞぉ!!』
……あの時程生きている事に感謝した事はありません。
しばらくそこで、生きている事に感謝し、涙を流しながら笑っていました。
ですが……また、聞こえたんです。
『……不合格だ。……また会おう。』
……恐る恐る振り返ると、いましたね。
足が。
そして……"上半身も"いたんです。
その上半身は真っ黒で、顔だけ見えるっていうんですかね。
不思議な格好でした。
どす黒いオーラに包まれたその上半身は、天井近くに浮いていました。
その顔は…………どう、言い現していいか分かりません。
……この話を聞いてて、なんとなく想像してたでしょ?
もう……その顔だと思うんです。
あなたに見える……あなただけに想像出来る……"死神の顔"です……。
……僕の記憶はここまでです。
気が付いたら僕は、勤めている病院のベッドの上で寝ていて、点滴を射たれていましたから。
なんでも僕は、階段の踊り場で一人、倒れていた所を発見されたそうです。
非常に危険な状態で、心肺停止ギリギリだったそうですよ。
ストレス、自殺願望ってのはすごいですね。
体はどこも悪くないのに……精神が……強い死への想いが……心臓を停止させようとするんですから。
……あの日以来、僕はあの足を見たり、声を聞いたりする事はありません。
気持ちの持ちようも変わったんですよね。
出来る限り重く受け止めず、自分を許し、楽観的に生きるようになったんです。
すると……見える世界が違いましたね。
心に余裕も持てるし、何言われようがあまり気にしなくなりましたし……そのおかげですかね。
"あの声"も、"あの足"も、見ることは無くなりました。
仕事の効率も飛躍的にあがりましたし、なんか……安心しましたね。
でも……気になるんですよね。
……あの声は、"また会おう"って言ったんですよ。
僕は……また、あの頃の様に戻ってしまったら、今度こそ、連れていかれると確信しています。
僕は……死ぬまで、前向きに生きる事を決めました。
**********
……以上が、僕の話です。
怖かったですか?
怖かったのなら……安心しました……あはは……。
……え?なんで笑うのかって?
……笑いたいからに決まってるじゃないですか。
笑って生きましょうよ。
僕は笑って生きて行きたいし、死ぬときも、笑って死にたいです。
……だから……ね?
笑ってください。
分かりますよ。
あなたもですよね?
仕事で疲れてる、そんな顔をしてます。
週に数回は死にたい……そう思う時、ありますよね。
だから……笑ってください。
……余計なお世話だって?
ほっとけ?
あはは……僕は看護師ですよ?
大変な目にあってる人……放っておけませんよ。
だって……居るんですもん。
あなたの後ろに、ボロボロの足。
真上にその上半身がね。
あはは……嬉しそうに笑ってあなたを見てますよ。
『みぃ~~つけだぁ、大当たり。』……ですって。
笑いましょう。
……でなければ、死ぬのはあなたです。