3 いくさ戦後のあと後転落
「無傷でキカイを倒すなんて、さては英雄志望ですか?」
「そんなわけないだろう、痛いのが苦手なだけだ」
俺はルバァンガ他部下達と共に制圧された大きな壁の通路を歩いていた。
多大な抵抗を受けて損害を出していた連合部族同盟軍だが、ニンゲン達がたまたま混乱が起きて火力が弱まった隙を逃さず総攻撃、ついに陥落させたのであった。
現在は少数のしつこく抵抗している残党を掃除している。
とはいえ、ニンゲン達の多くは既に撤退していた。
本来ならば彼等は土地を奪われる事には非常に嫌なようで、防衛拠点を制圧しても至る所で大規模なゲリラ戦を仕掛け、完全に撤退しても多くの罠を必ず残したりと、執念深さは厄介だった。
そんな彼等があっさりと、完全に撤退したのはこれ以上の戦闘が無駄だと理解していたようだ。それでも少数の罠としつこく抵抗する残党もいる。
停戦の噂は本当のようだ。
「デモンド十人隊長、アウグス百人隊長がお呼びです。来てください」
青毛のコボルト族の雄が、残党掃除へ向かう途中だった俺とルバァンガ他部下達へ声を掛けた。
アウグス百人隊長が俺を呼ぶとは、何かあったか。
硝子張り建物を経由した側面攻撃の策はアウグス百人隊長が考案した作戦だ。少なくとも正面攻撃しか信じない伝統主義のリザード族の神官には出来ぬ芸当だ。
だからこそ、俺達が大きな壁に一番槍のように乗り込んだ事にリザード族の神官は目をつけるだろう。念の為にアウグス百人隊長と事を裏合わせする必要がある。
「ルバァンガ、先に行っててくれ。俺はアウグス百人隊長と会ってくる」
「了解しました、十人隊長。さっさと済ませて、こちらに戻ってくださいよ」
「ああ、分かったさ。では青毛のコボルトよ、道案内を頼んだ」
しばらくして青毛のコボルトと大きな壁の通路を歩き、やがて部屋の扉前に着いた。
「こちらで、アウグス百人隊長がお待ちしています」
俺は扉を開けて部屋に入る。そういえばニンゲンはいちいち部屋へ入るのに、ノックという扉を叩いてから入る謎の習慣があるのを思い出す。リザード族には関係もない事だ。
「要件は何でしょうか、アウグス百人隊長。………じゃないですね」
部屋は薄暗く、唯一の明かりは大きな硝子窓から差し込む光だけだ。制圧の際に抵抗が激しかったのか所々に銃痕や切り傷が床や壁に残る。
部屋の中心に位置する銃痕と刺し傷が目立つ長机の先に、リザード族の神官が佇んでいた。
「あなたも、アウグス百人隊長に用があるので?」
「いや、用があるのは君だよ。デモンド十人隊長」
背後の扉が閉じられた。ちらりと、後ろを見れば黄色の帯を身に着ける神官のリザード族の手下達が封鎖していた。
味方のはずなのに、退路が断たれたという気持ちを抱くのは間違いではないだろう。
「さて、デモンド十人隊長。幾つか伝えなければならない事がある」
黄色の布をなびかせてリザード族の神官は木製の杖の先を天井に向ける。
「残念だがアウグス百人隊長はここには来ない。なぜなら、君を呼び出したのは私だからだ」
リザード族の神官の目が刃のように細くなる。
「デモンド十人隊長。私はこの戦争を神聖なる儀式だと考えている、我々は堂々と戦い汗と血を流して、最後は我々がニンゲン共を討ち滅ぼし仇をとるのだと。ゆえに、連合部族同盟軍上層部が画策している停戦は例え噂だとしても受け入れがたいのだ」
牙を剥き出しに口を動かす。
「だが、もう既に事はほぼ終えているだろう。この戦闘も交渉を有利に進めるための点数稼ぎだ。口惜しい事だ、あのアウグス百人隊長は知っていて素知らぬ顔で戦に参加するのが腹立たしくて今すぐ絞め殺したいものなのだ。だが彼を殺すには遅すぎた、連合部族同盟軍は戦後に彼を英雄に仕立てるようだ。この戦争における功労者の一人として」
木製の杖の先が俺へ向けられた。
「だからこそ、代わりに君を殺す」
黄色の帯を身に着ける神官のリザード族の手下達が一斉に俺に長剣を向ける。
俺は両手を上げて、とぼけるように肩をすくめた。
分からないわけではない、話を延ばして時間稼ぎつつ、ここから脱出する方法を思いつくためだ。
「理解が出来ませんな。それと俺に何の関係があると?」
「私が無能に見えたと?。私の権限で閲覧した戦闘報告書において、アウグス百人隊長の勝ち戦には全て、君が参加している事は分かっているのだよ。君が彼の命令を聞いて多くの策を実行に移したのは、理解できる。だから、デモンド十人隊長。君は神聖なる贖罪として死にたまえ」
俺は一つ窓の方に下がると、リザード族の神官とその手下達は一つ前へ進んだ。
顔の汗を長い舌で舐める、危機を込めた薄塩の味だ。
「要は俺が神聖なる儀式だという戦争を汚し、あまつさえ怨敵であるニンゲン共との停戦を間接的に協力したから、神官様は殺せないアウグス百人隊長の代わりに俺を殺す。それは理解できた」
「それは喜ばしい。己の罪の重さに気付いたのは良きことだ、楽に殺してあげよう」
「連合部族同盟軍内において、仲間殺しは重罪では?」
「裏切り者の処分は合法だ。特に神に対しての偽りには、略式死刑だよ」
そうだろうな。連合部族同盟軍内におけるこのリザード族の神官は、赤い異端尋問官のような狂信者側の一派に属している。
たいていの狂信者側の一派は、疑いがある仲間やニンゲンに対しての拷問、残酷すぎるから禁止された火刑の実施、穢れを清めると称しての占領した町を焦土化したりと過激的だ。
過激でも残っている理由は、構成員の中に連合部族同盟軍内の一部上層部が支持しているため、排除ができないでいた。
彼等の行動指針はただ一つ、殺された神の仇討だ。
その矛先がまさか俺へ向けられるとは思わなかったがな。
リザード族の手下の一人が前へ出て長剣で斬りかかるのを、俺はすぐに長剣を振り上げて払う。
その隙を狙うように俺の左右両側から同時に二人のリザード族の手下が長剣で突いてくるのを、二つ後ろに下がり長剣で防ぎ弾く。
背後の窓をちらりと見やれば、そこは崖と遥かなる下にある激しく流れる川があった。
百年前の街に対する大規模破壊魔法によって硝子張り建物が倒壊、地下水道が衝撃で隆起し、長い年月を掛けて浸食と風化を繰り返してできた川だ。
ここから川までの高さは大きな壁どころか、唯一に原型を留めている硝子張り建物並の高さぐらいだ。川の流れは激しく、白い泡が多く湧き立ち、所々にある岩場が水飛沫により濡れている。
まさに背水の陣という状況だ。
円形の鉄盾を構えて、リザード族の手下の一人が突進してきた。
回避ができず、背後の窓に叩きつけられる、窓の硝子にひびが入った。すぐに押さえつける円形の鉄盾を蹴り押した。
「仲間殺しは重罪だ!。攻撃をやめねば、連合部族同盟軍の名の下に重い処罰が下るぞ」
「そやつの戯言を聞くな!。奴は神の裏切り者だ、神の名の下に執行の手を緩めるな」
必死の説得も、聞く耳を持たず。それどころか激しく攻め立てた。繰り出される剣先を凌ぎ、弾き、防ぐ。刃を交えるごとに火花が散り、剣戟の音が部屋に鳴り響く。
俺はこの状況に陥ってもなお、殺さないでいた。
狂信者一人を殺せば、狂信者側の一派全体を敵に回す事になる。
理想としては、異変に気付いた連合部族同盟軍の士官(アウグス百人隊長なら、なお良し)が駆けつけて来て、ただの喧嘩として片付けてくれればありがたいのだが。
一進一退で続くが、こちらからは攻められず数の差もあってか、少しずつ押されている。
それでも俺は、殺されるのは勘弁なので、必死に防ぐ。
そうしているうちに背中が遂に窓の硝子に着いた。
不味い、これ以上は危険だ。壁がある方へ移動しなければ。そう思った時には、既に遅かった。
目の前のリザード族の手下の一人が、こちらへ向けて長剣を高く上げて力強く振り下ろした。早い動きで避けるのは無理だと理解して、長剣で受け止める。
黒い刀身同士が接触して火花が散る、刀身を引きずるように鈍い音を出して押し付けていき、深く沈めるように力が込められていく。足の爪が傷ついた床を滑り押される。
窓の硝子に押し付けられ、小さなひびが大きくなり姿を表す。
俺は急いで足を深く押し込み、前へ出て気付く。
意識が足に集中し、迂闊に前へ出てしまった。
相手のリザード族の手下は好機と見たか、押さえていた長剣を突如引き離し、上体を晒す俺を蹴り押した。
窓の硝子は俺の巨体の衝突を抑えられず、ついに割れてしまう。
俺はゆっくりと空気と背中に刺さる硝子片を感じながら崖から落ちていき、一瞬で固い水面に叩きつけられて沈み込んだ。
「急いで、下流へ向かえ!。死体を確認するのだ!」
水の中に深く沈むまで、俺の異常な耳の良さは、崖上のリザード族の神官の声を拾っていた。