1 起床
おぼろげな朝日を眩しく感じて目が開く。
最近、いやずっと前から夢を見なくなった。ただ、真っ暗な情景に溺れて意識を失ったと思ったら、薄光に気づいて朝に鈍く起きる。そんな状態が続いていた。
最後に夢を見たのはいつだろうか。
初陣前の仮眠で見た、敵によって蜂の巣になる夢。
戦友が目の前で死んだその日に見た、色々な臓物を落としながら親友が剣を俺に降り下ろす夢。
過酷な戦を終えて町での宴で酒に酔って寝る時に見た、終戦と言われて切り捨てられる夢。
それとも目の前に俺を見つめる俺の腐敗した死体と老人の夢だろうか。
何処から夢を見なくなったのか覚えていない。
水分と栄養が良く含む藁を混ぜた泥のベットから立ち上がり、斜線の傷を幾つか付けた木の板を見て、今日が戦の日だと気付く。
一通りの身支度を済ませて、円盤型の盾と長剣を身に付けて扉を開けて外に出る。沼地の土は少し湿っているのか踏み込んだ足が少しだけ埋まる。
今日の天気は曇り空だ。
眩しい快晴よりは少し嬉しいが、できれば雨が降ってくれればもっと嬉しい。
乾燥した地に焼けつくような日光の元では士気が嫌でも下がる。
何故なら俺は、デモンドはリザード族だからだ。
ニンゲン達は俺達をよくトカゲもどきとか爬虫類とか言うが(連合部族同盟で仲間であるエルフやドワーフにも時々言われるけど)あれらとは体の作りが違うし、別に仲間でも同類でも無い、だから朝食としてワニを食べても共食いでは無い。鱗を器用に外して肉にかぶりつきながら、先に伝えておく。
「聞いたか。欧州への進撃が停滞してるって」
「ああ、ドワーフとエルフが敵の要塞線に手間取ってる話だろ?」
「停戦の噂、本当かね?」
「今頃になって停戦だと?。くだらん、どうせ噂だよ」
町を抜けて前線基地に着くまでの道のりで、話し声や噂話を盗み聞きながら歩く。
さっきの話で分かるだろうが、俺達はこの世界のニンゲンという種族相手と戦争をしている。
事の発端はもうだいぶ昔の話だから分からないが、昔々この世界とは別の世界(長老曰く俺達が元々いた世界だ、時々物資や人員を送ってくる)にニンゲン達はいたけど色々あって(理由はよく知らされていない)この世界に逃げ込んだらしい。
それから数百年色々あって別の世界の戦争が突如として舞い降りた神によって終結、平和が十年ぐらい続いた頃にこの世界にいるニンゲン達に平和を知らせると宣言した。
その頃の先祖達は引き止めたらしいが神が相手だから強く言えず、神を見送り。
そして神はこの世界で殺されてしまった。
ニンゲン達曰く事故だとか誤射だとか言ってるがそれで納得できれば戦争は無いだろう、別の世界は連合部族同盟を結成してこの世界に道を作り(魔法やら精霊とかの力で開けたとかで)侵攻した。
それからは押したり引いたり泥沼の一進一退が百年続くことになった。
前線基地へ続く道には二人のリザード族の雄がいた。
一人は白い布を身に纏い、しわが深い顔には泥と何かで混ぜてできた青と赤が顔の左半分上に長の証が塗られている、ここの土地のリザード族をまとめている族長のガガオウだった。
もう一人は泥と漆で塗られた金属の鎧を身に纏い腰に短剣と長剣を差していて、今までの傷が刻まれた顔に泥と何かで混ぜてできた赤が顔の左半分上に将の証が塗られていた、ここの土地のリザード族の戦を率いる軍団の中級士官の一人、百人隊長のアウグスだ。
「おお、デモンド。君の隊も参加するのかね?」
「はい、ガガオウ族長。ちょっと行って帰るだけです」
「デモンド、今回の戦には期待しているからな」
「もちろんです、アウグス百人隊長。それよりも停戦の噂は聞きましたか?」
「相手の返答によるよ。司祭殿が待っている、行きたまえ」
族長のガガオウと百人隊長のアウグスはデモンドがその場から去り、声が届かぬまで離れるのを見てから話をした。
「ガガオウ族長、私は彼が心配なのです」
「彼はこの程度の戦には死なんよ」
「私も彼がこんな停戦協定交渉を有利にするための戦では死にませんが、私は彼のその後が心配なのです。特に万が一の停戦協定が決定されそこから休戦条約ならまだしも講和条約が結ばれれば彼は……」
「アウグス百人隊長、君は平和を望んでいる。いや、正確にはこれ以上の無駄な戦はいらないと考えているだろう」
「……はい、我々としてはもう十分に務めは果たしました、これ以上の戦は祖国を枯らすようなものです。しかし彼は戦後に何をしたいのかというものが無いのです」
「戦後にはそのような者は多く出るだろう、それに彼はひそかにニンゲンの物を収集しているだろう」
「ですが、ガガオウ族長。彼は戦う事と読む事と見る事しかできないのです、そして彼のような面倒くさがりですが穏やかな性格をしている者は我々リザード族にとっては珍しいのです。そんな彼が戦後になって賊になるのではないのか心配なのです」
「では連合部族同盟軍に在籍すれば良い」
「残念ながら彼は名声はもとより戦には興味が無いのです、戦う事は上手なだけに勿体無い事で。おそらく、戦後になったら彼は軍召集の義務から切り離されるでしょう、戦う事しか知らぬ者が平和の世に生きれるとは思いません」
「……お主、彼を気に入ってるようだな」
「彼は少々面倒くさがりますが殿や先陣を拒否する事無く生きてやり遂げる優秀な兵士です、それに貴方も彼を気に入ってるでしょう」
「まぁな、彼には時々皆が嫌がる頼み事を面倒くさりながらもやってくれるからな。分からなくはない、だが彼が戦後に何をするも彼次第だ。我々がとやかく言う事では無い」
「そう……ですね」
まだ誰にも明かしていないが、デモンドはリザード族の中でもおそらく異常に耳が良いと思う。
なぜなら二人のリザード族の雄の話が一般的に声が届かぬまで離れた位置から聞こえるのだ。
何故なのかは分からない。試しに連合部族同盟のリザード族の派遣連絡研究官の友人、白いよろよろとした衣を着た眼鏡を掛けた雄エルフの友人に相談して見て貰ったが『専門外』という一言で終わった。
戦後か……。
ガガオウ族長とアウグス百人隊長が褒めてくれるのは少し嬉しいが、二人が心配する事については考えた事は無かった。
百年ぐらい戦争が続けば戦後なんて言葉は考える事は普通は無いと思う。
実際に俺は成体になっても戦後という言葉すら知らなかった。ニンゲンの領域地帯に攻めた時に誰かが置いていった本を拾って知ったが、その時は意味がわからず、すぐに忘れた。(なお読めないので雄エルフの友人に持って行き読んでくれたが、本のタイトルが『戦後は終わった』と書かれているその表紙以外は泥で汚れたため肝心の中身は読めなかった)
それが今になって思い出すのか、と考えながら木々とニンゲンの建物(元はクヤクショというらしい)に着く。泥と白布に木枝とリザードメイジ(青布を纏って身体が頑丈で敵に接近されても鉄製の杖で殴り殺しができるリザード、雄エルフの友人が『私が知っているメイジではない』と真顔で言われた)が掛けた隠密魔法で施され隠れている前線基地だ。
入口を守護する盾と長槍を持つ兵士に挨拶して、扉代わりの白布を退かして中に入る。
すでに大勢のリザード族の者達が鎧を着ていたり盾を磨いてたりしていた。リザードメイジが鉄製の杖の先を短剣で尖らせ、鳥のくちばしの形をした兜をかぶる者、おそらくニンゲンの兵士から奪ったボディアーマーを切って鎧の形にして着る者もいた。
「十人隊長、何しているのですか?。もうみんな準備を終えていますよ」
「すまない、沼の寝心地が良くてね」
「やれやれだ、さぁさぁ早く準備してください」
「わかったから急かさないでくれ、押すなって」
俺は気にせず、自らの装備を身に着けていく。
厚い皮を何かと混ぜた物と一緒に煮込んで作られた革製の鎧を身に纏い、余ったから使わないかと言われて貰った短剣を長剣と共に腰に差す。ふと長剣を持ち上げて、炭と硫黄が混ざった独特な黒い刀身に僅かに見える白い靄もやを見て、何となく満足した気分になってから戻した。それからニンゲンの兵士から奪った軍用ナイフ五本、廃墟で見つけて拾ったククリと呼ばれるナイフ五本(雄エルフの友人曰く『グルカ兵が来ているに違いない』)を背中に括り付けた。角兜は気分的にかぶらない。
さてこれで準備を終えた。