隠世の存在
生きとし生けるもの。
彼らが暮らす世界は、大きく分けて二つの空間が存在する。
ひとつは。
人間が暮らす陽の世界──“現世”。
その言葉通り、“人間” という種族が生き、死んでいく世界。
そして、もうひとつは。
「人間って、本当短い生命だね」
「比べるべき対象を間違ってますよ、人間は陽の世界の住人です。陰の世界に暮らす私達とは比べ物にならなくて当然でしょう」
人ならざるものが暮らす陰の世界──“隠世”。
こちらは、“人間ではない” ものが生きる世界。
同時に、人間には “認知できない” 世界だ。
妖、悪魔、そして神。
その他諸々、人間とは異なる種族の者が暮らしている。
ここは隠世のひとつ、天界。
「ボクやキミは不死だけど、陰の世界には人間と同じように有限な生命を持つ種族だっている。悪魔とか、妖とか。でも彼らと比べても十分の一……いや、二十分の一も生きれない」
「人間を普通とするならば、私達は異常ですからね」
「ボクたちが普通なら、人間が異常になるじゃん」
同い年くらいに見える二人の青年は、とある建物の一室、執務室のような場所で、方形の机を挟んで対話している。
一人はアンティーク調の椅子に座り、退屈そうに机に肘をついている。
そしてもう一人は、一冊の古書を片手で胸に抱き、立ちながら話を聞いていた。
恐らく座っている方が、この建物の持ち主なのだろう。
「“骨と肉” 。この二択を迫られたとき、人間は “肉” を選んだ。愚かだなぁ」
「ああ、その言い伝えは有名ですよね、本当かどうか知りませんが」
「あらゆる記憶を管理してるキミなら知ってるはずでしょ? レター」
自身の目の前に立つ、礼儀正しそうな青年を、彼はそう呼んだ。
〈記憶ノ館〉の管理人・レター。
彼はその肩書通り、〈記憶の館〉に収められている記憶を管理する立場にある。
〈記憶ノ館〉には、陰の世界で暮らす、生きとし生けるもの全ての記憶が集まっている。
〈記憶ノ書〉という名の図書として保管されており、〈記憶ノ館〉は図書館、管理人のレターは司書、と例えることができるだろう。
ブラウン色のスーツを見につけたレターは、その服に映える銀の髪を揺らしながら、首を横に振った。
「管理する立場にあるからこそ、容易に記憶を見ることは許されないのです。余程の理由がない限りは。ですから、私の持ち得る知識はあくまでも “知識” であり、“事実” であると断定できるのは僅かですよ」
「ふーん」
「それに、その言い伝えに関しては、クロノス、あなたの方が色んなことをご存知なのではないですか?」
執務室に響く、時が刻まれる音。
幾重にも重なる秒針の音は、慣れていない者が聞けば気が狂うのではないかというような、機械仕掛けのメロディーを奏でている。
それが、この建物が彼──時の神・クロノスのものであることを物語っていた。
時の神・クロノス。
この建物は〈時間ノ館〉と呼ばれており、そこに入ることができるのは特定の人物のみである。
彼はとある事情によって、この館から出ることが許されない。
つまり、この〈時間ノ館〉は、クロノスの鳥籠としての役目を持っている。
二人が居る室内はそれなりの広さがあるが、そう感じるのはクロノスが座っている椅子と執務机以外にはモノというモノが置かれていないせいだろう。
そんな室内に、唯一たくさんあるモノ。
それが “時計” 。
「“不死と死” 、あるいは “長命と短命” という対なるものを例えた言い伝えは、時間にまつわることでもあるからね」
掛け時計や置き時計。
それらには、時を刻むという役割がある。
しかし、その中に1つだけ、動いていない時計があった。
クロノスから見て左手、方形の机の隣にある、地球儀のような形をした特殊な時計。
球状の上半分が透明なガラスで覆われており、その中で時計の針が動きを止めていた。
彼はその時計を、優しく撫でるように触れる。
「陰と陽、世界を問わず、生きとし生けるものは体内に時計を宿す。
植物だって、国だって、生きている。
万物はそれぞれ固有の時間を生きてるんだ。
でも、その時計が止まってしまえば……それは、 “死” だ」
目を細めて、どこか寂しそうに語るクロノスは、その特殊な時計に、何か特別な思入れがあるようだった。
そんな彼を、レターは優しく微笑んで見ている。
「その誰しもが持つ内なる時計が、貴方には視えるのですよね」
「ん、まあね、こっちの眼の力を使うことになるけど」
クロノスは眼帯で隠されている右眼を、上から優しく触れる。
そして突如、不気味に嗤った。
「ボクのこの眼に見られた奴は、皆狂っちゃうんだよ。面白いよね」
沈黙が訪れる。
機械仕掛けの歯車が、秒針を動かす音だけが響く。
程無くして、レターが小さくため息をついた。
「貴方は相変わらず素直じゃないですね、外に出たいのならそう言えばいいのに」
「はぁ!? ボクそんな子供じゃないし!! 別に此処から出れなくても全然構わないし!?」
「落ち着いてください、そういうところが子供っぽい……いえ、何でもないです。
それより、日々を退屈そうに過ごしている貴方に、面白そうな話があるんですが」
「話をそらすな」
むすっと不貞腐れるクロノスを余所に、レターは抱えていた古書を開く。
予め栞を挟んでいたようで、特定の頁を開くと、そこに指を走らせた。
「貴方は “ワリカタ” という存在を聞いたことがありますか?」
「ワリカタぁ?」
聞き慣れない言葉だったらしく、クロノスは訝しげな顔をする。
「はい、ワリカタ、です。
モノなのか人なのかどうかも分からない謎の存在で、分かっているのは “ワリカタ” という名前であること、そしてそれは “特定の言葉と意味を知らない存在” であること。
情報はそれだけですね」
「はぁ……?」
突如切り出された意味の分からない話題に、クロノスの顔が更に歪む。
「そのワリカタが、何だって言うの?」
「特定の言葉と意味を知らない……その特定の言葉というのが、先程話題になった “生死” や “生命の長さ” の言い伝えに関する言葉なのですよ。言い伝えの総称、とでも言いますか」
「ああ、それってもしかして──」
クロノスの後半の言葉はかき消された。
室内にあった時計たちの、時刻を告げるメロディーによって。
生きとし生けるもの。
彼らの身体には、大きく分けて二つのモノを宿している。
ひとつは。
己の時間を刻むモノ──時計。
その時計が動く限り、人間も人ならざるものも、万物は息をし続ける。
そして、もうひとつは──図書。
「仰る通りです。その言葉を、ワリカタは知りません」
レターの返答を聞いたクロノスは、チラリと周囲の時計を見遣る。
時計の長針と短針がそれぞれⅩⅡとⅢを指しているのを見て、この子たちもボクと同じことを答えたみたいだね、と何処か嬉しそうに呟いた。
「でもなんでその言葉なの?」
「さあ、その理由も謎のままです」
「なにそれ、謎すぎてつまんない」
図書──己の記憶を刻むモノ。
時計が動いている限り、その図書には生きた証が文字として綴られる。
「で……そのワリカタが、なんだっていうのさ」
「いや、特に深い意味はないのです。ただ、もしワリカタが陰の世界の住人なのだとしたら、〈記憶の書〉がある筈なのですが、ワリカタという名前のものはない……んですよね」
「〈記憶の書〉が存在しない?」
どこか困ったような顔で言うレターを、不思議そうな顔で見つめながら、クロノスは言う。
「存在しないのなら、人間界の住人だってことじゃないの?」
「だとすると、ワリカタは人間だということになりますね。或いは、どこにも存在しない、ただの噂か」
前述したように、〈記憶ノ書〉は “陰の世界の住人のもののみ” 存在するものである。
それが存在しない場合は、人間界に住む、即ち人間であるか。
どこにも存在しない、ただの噂であるか。
──そして、もう1つの可能性。
「“ワリカタ” という名前は偽名である。……ってことも、なくはないよね」
「……確かに。その可能性は考えませんでしたが……有り得ますね」
「だとしたら本当の名前は何? って話だけど、今の所特に被害は無さそうだし、放っといてもいいんじゃない?」
「それがどうやら、ワリカタは人間界に紛れ込んでいるようですよ」
そんな彼の言葉に、クロノスは一瞬動きを止めた。
そしてこれまでにない、真剣な顔になる。
「……キミの目的は最初からそれだったんだね、僕たちのこの会話を、人間に提供すること」
なんのことでしょうか、とでも言うように、わざととぼけてみせるレターの様子を見る限り、どうやら図星らしい。
クロノスは小さくため息をつく。
「文字でのやり取りは、唯一人間と直接関われるやり方、だもんね」
「今の人間界では、メールやSNSという様々なところで文字を使ったやり取りが行われていて、やり取りする “相手の顔が見えない” ことが当たり前になっているみたいですよ」
「人間のやり方に合わせなきゃいけないのが面倒だよね、ボクたちなら魔法で簡単に情報を送れるのに」
「それは仕方のないことです。陰の世界の住人が陽の世界に関わる時は、影響を与えない、同時に陰の世界の痕跡を残さない、というのが大前提ですし、あくまでも “人間から人間へと情報交換されている” ことにするわけですからね」
「そういう意味では、人間界も成長したね。情報を紛れ込ませるなら、ボクたちにとっては都合のいい状況になったみたいだし」
「ですね、これほど都合のいいことはないでしょう」
どこか楽しそうに微笑むレター。
人間にとって本当に恐ろしいのは、殺傷力のある悪魔や妖の類などではなく、殺傷力はなくても陰から手を差し伸べている彼なのだろう。
彼の微笑みを見たクロノスはそう思った。
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神話や民話、伝承、逸話。
そんな言葉で表されるもの。
それらの真偽は確かめようのないものであるが、その物語の中には確かに時間が流れている。
同時に、ここに記したお話も、何が本当で何が嘘なのか。
どう捉えるかはあなた次第。
けれど、ひとつだけ、伝えておきたいことがあるとすれば。
神話や民話などの類のものがあるからこそ、現在があるということ。
それらの内容が真実か否かは、問題ではなく、記録として存在することが重要なのである。
だから私は、敬意を表する。
それらを作り上げてくれた、陰の世界の住民に。