Innocent Karma
秋。雲がゆっくりと空を流れ、辺りは紅葉が見事に咲き乱れ、鮮やかな紅色に染まっている。そんな嘘のように綺麗な景色の中に、一つだけ灰色が混ざっていた。
墓だ。人目に全く付かない並木の奥に、ぽつんと墓が建てられていた。大きくもなく小さくもない。つい最近のものなのか、或いは手入れが行き届いているのか、墓石は新品のような光沢を保っている。
ザァァ……。
そよ風が吹き、紅葉の木が心地よい音を奏でた。紅色の木が立ち並ぶ中に、自然の演奏を静かに聞いている少女がいた。
日除けの帽子を被り、そよ風に長い髪を靡かせている少女は、墓に近い木に寄り掛かり、肩に紅葉が落ちるのも気にせず、ただ墓を見つめている。年の頃は十七、八歳といったところだろうか。輪郭にはまだ幼さを残しているが、何処か大人びた感じがする。
それは恐らく、墓を見つめる彼女の表情が、年に見合わぬ大人の雰囲気を醸し出しているからだ。
「……ここにいたのか」
少女は無表情で、目線だけを話しかけてきた男に向ける。薄い反応だった。感情と言うものが丸ごと欠落しているかのように。
しかし、男は別段腹を立てる事も、動揺する事もなかった。彼女のことをよく知っている。少女がこの様になった理由も、どうすれば歳相応の少女に『戻れる』のかも……。
男はフリージャーナリスト。記者として有名になるためのタネを探していたところ、少女と出会った。
病院はタネを見つけやすい。何の根拠も無い発想で病棟をうろついていた時、医師と言い争いをしている子供がいた。それが彼女だ。
ついてると思った。言い合いの内容によっては、記者として一気に株を上げるチャンスとなる。意地汚い考えであることは承知している。だが、男に綺麗事を言っている余裕はなかった。
男はまもなく二十五歳。今はアルバイトをしながらの生活を送っているが、いつまでも売れない記者をやっているわけにはいかない。
安定した収入を得るには、やはり正社員として働くのがいい。公務員の方がそう言う意味では安全なのだが、どうも気が進まなかった。
就職先の目星はつけてある。今年中に特別なタネを仕入れることができなければ、記者を諦め、就職のために動き出そうと決めている。
夢も目標も、命がなくては実現できないのだから。
男は二人の会話に耳を傾けた。言い争っていると言うよりは、女の子が一方的に憤慨していて、医師は困惑しているだけのようだ。
「どういうことなんですか!病院は病人を診るところでしょう!?それが受け入れ拒否なんて……」
えらい剣幕だな。最近の女の子は気が強いねぇ…………オヤジか俺は。
こいつは今をときめく必殺病人たらい回しだな。結構でかい病院だ。ベッドがありませんなんてことはないだろうし……さては、患者側が何か面倒なもん抱えてやがるな。
「ですから、別の病院に紹介状を書くと……」
「そんなこと言って、またどこかに回されるだけでしょう!」
正論だ。この辺りにここよりも設備の整った病院はない。またたらい回しにされるのがオチだ。
ん?看護師が走ってるな。あいつを止めにきたのか。
「久田さま、お連れの方が……!」
どうやら俺の予想はハズレらしい。女の子は最後まで話を聞かずに、血相変えて飛んでいきやがった。
連れてきた患者……相当深刻らしいな。
追いかけようとも思ったが、どうにもその気になれなかった。この場にとどまり、どうなるかを観察する事にしよう。
すぐに手術が行われたそうだが、開始の時点で既に息を引き取っており、医師達はなす術がなかったらしい。
……儚いもんだな。
数日後、何となく彼女のその後が気になり、看護師に話を聞いてみたところ、あの子はこの病院を訴える意志をみせていると言う。
これは面白い。そう思った俺は、彼女の家を調べ、電話をかけた。突然押しかけると警察沙汰にされる恐れがある。取材の前にはこうしてアポを取るのが常識だ。
電話に出たのは母親だった。俺はその時、初めて亡くなったのがあの子の彼氏だと言う事を知った。
母親の話によると、彼氏をなくした事で彼女は心身が衰弱しており、できれば外に出したくないし、あまり他人と接触させたくない、とのこと。
とてもじゃないが取材は無理そうだ。取り敢えず、取材の場所と時間だけでも伝えてもらうよう頼み込んだ。これで来てくれなけりゃ仕様がない。諦めて就職に備えるしかないな。
取材の場所はとあるレストランだった。騒がしいところを避けてもよかったが、俺は暗い雰囲気が苦手だ。お互いが明るく話せるようになってから本題に入りたいと思ったんだ。
約束の時間が過ぎて十分……こりゃ来そうにないな。そう思って目の前を飲んだ。もちろん、飲んだら帰るつもりだった。
けど、そうはいかなくなった。一気に飲み干してカップを置くと、カメラが無くなっている事に気付いた。
何てこった。今日は厄日か……。さて、どこにいったかな?
「へぇ〜、いかつい形。正にプロのカメラって感じね」
声がしたのは後ろからだった。振り返ると、麦藁帽子を被った女の子が俺のカメラをいじっている。
俺はカメラの奪還をしばらく忘れた。この声、髪の長さ、色……全て見覚えのあるものだった。
「初めまして、上樹さん。自己紹介は……」
「要らねぇよ。桃ちゃん」
あの時の子だ。久田桃。恋人の草野灰翔を亡くし、たらい回しにしようとした病院を訴えた女の子。俺の取材相手だ。
「さすが記者さんですね」
「別に大した事じゃないさ。よく来てくれたね」
正直予想外だった。てっきり……。
「来ないと思ってました?」
おいおい、超能力者かこいつは。
まぁ、母親の話を聞いていれば嫌でもそう思うさ。今にもあと追ってしまいそう……そんな言い草だったからな。桃は俺のビックリ顔がツボにはまったのか、クスクス笑っている。とても心身衰弱状態には見えないが……。
「ごめんなさい。お母さん心配性だから、平気だって言っても聞かなくて」
「いや、いいんだ。良いお母さんだよ。大切にな」
はあ……?と桃は首を傾げる。そう、とても良い母だ。
娘の恋を子供の淡い恋と断定する事なく、この子の受けた心の傷を本人よりも適切にとらえている。
平気なわけがない。彼女にとって草野灰翔は……クサい言い方だが……運命の相手だったんだ。そうでなきゃ、裁判を起こしてまで彼の死を弔おうとはしないだろう。彼女の愛が、本物であった証拠だ。
子供のことをよく理解している。今どき珍しいんじゃないか、そういうしっかりした親。
「さぁ、本題に入ろうか。ここに来たと言う事は、取材を受けてくれるんだな?」
「はい」
迷いのない、はっきりとした返事だった。どうやら彼女は、俺が思った以上の大物らしい。
仲良くやっていけそうだ。
「そうか。上樹亮介だ。改めてよろしくな、桃ちゃん」
俺の言葉に桃は笑顔で応えた。
見せたいところがある。そう言った桃は、俺を近くの墓地へと連れて来た。墓だらけで、夜になると何か出そうだ。まぁ、墓地なんだから当然だがな。
桃は他のものには目もくれず、一直線に端の方にある墓を目指した。草野灰翔の墓だ。
「……私、彼と約束をしたんです」
驚いた事に、彼女は自分から彼の死に際について話始めた。俺が記者であることを知った上での、最も適切な行動だった。
こっちが聞かなきゃ何も語ってくれない奴は多い。そうなると俺はこれから質問をしますから、答えてくださいね〜というような、演らせ空気全開で取材しなくてはならない。
そんなやり方じゃ真実は伝わらない。ありのままに話してもらって初めて、取材映像やボイスレコーダーはリアルを得るんだ。どっかのしょうもない演らせ番組みたいになっちまったら、真実は偽りと思われてしまう。
難しいんだ。報道ってのは。
「ここを……見てくれますか」
桃は墓石の真ん中を指差した。
よく見ると変わった墓だった。十字の窪みがあり、その半分にアクセサリーのようなものがはめ込まれている。元々十字だったものを、半分にしたようにも見える。
「これは彼が生前大切にしていたものです。半分はこの墓に……もう半分を私が持っています」
俺に見えるよう、桃は自分がつけているネックレスを持ち上げた。確かに、十字の半分だった。
「なるほど。だがどうしてそんなことを?」
高校生がやるにしては、手が込みすぎているような気がする。十字を半分にしていると言うのも不自然だ。
彼の形見だと言うなら、桃が大切に持っているか、彼と一緒に火葬するか、どっちかにすればよかった。だが、どちらでもなく、大切であるはずの形見を真っ二つにした。これにはいかなる意味があるのか?
墓に両方が入るスペースが用意されているのも気になる。まるで後からはめるつもりであるかのように……。
「灰翔君が言ってたんです。ボクが死んだら、こうしてくれって。そしていつか私が、彼を吹っ切れる時が来たら、その時は私の持っている半分を墓にはめてくれって」
はぁ〜……随分と用意周到なガキだ。きっと、自分の死で彼女を縛りたくなかったんだろうな。自分のことを忘れて、新しい恋を見つけられるように……。
皮肉な話だ。何で世の中、まともな奴ばっかりが早死するんだろうな。
「でも今はまだ無理です。病院側との裁判が決着するまで、私は……」
「彼のことを忘れる覚悟ができない……か?」
桃は俯いたまま僅かに、しかし確実に頷いた。
要するに、彼女にとって今回の裁判は、草野灰翔の無念を晴らすだけでなく、自分が新たな一歩を踏み出せるかどうかの勝負でもあるわけだ。
純粋だな……。見事なまでに。
「よおぉっし!」
何か俄然やる気が出て来たぜ。絶対にこの勝負、こいつに勝たしてやる。
「じゃあ一丁、気合入れねぇとな、な?」
「……はい!」
「…………で、どうするの?」
「だから、それを相談に来てんだって」
数時間後、俺は草野灰翔が死んだところとは別の総合病院を訪れていた。
知り合いの医者に、この一件をどう見るか、診察ついでに聞くためだ。
「……難しいと思う」
それがこいつ、如月綾。
ここで脳外科医をやっている女医だ。腕は確かで、この病院では二大医師と呼ばれる凄腕の一人。
何でも専門分野である脳外科以外の手術を軽々しくこなしてしまうそうで、医療の世界じゃ名が知れ渡っているらしい。かく言う俺も本来は精神科が担当するはずなのに、彼女が主治医となっている。
おかげで心の病も今ではすっかり癒えた。彼女には感謝している。
「……今回の場合、たらい回しにされ『かけた』だけで、実際にはなってない」
「まぁ、そうなる前に患者が死んじまったからな」
冷静に考えればそうだ。草野灰翔は最初に訪れた病院で死んだ。たらい回しされる前にこの世を去ったんだ。
そうなれば、その後たらい回しにされただろうと言う予測しかできない。あの病院が無理でも、ここに運び込まれていたら受け入れられたかもしれない。
もう少しあいつの彼氏が粘ってくれてたらなぁ……。
「調べればその時受け入れ可能だったかを知る事はできるけど、病院側が明確に受け入れ拒否をしていたことが証明できなければ、勝訴は無理ね」
はっきり言ってくれるぜ。まぁ、こいつらしいと言ってしまえばそれまでだが。
久田桃と医者が言い争いをしていた時は俺もそこにいた。証言台に立つ事はできるだろうが、果たして効果があるかな……。
「随分必死ね」
「……悪いかよ?」
別に……。そう言いながらも、如月は何か言いたそうな顔をしている。
いや、言いたい事は分かってるんだ。ただ、それだけの理由で躍起になってるんだと思われたくない……それだけだ。
「あぁそうだよ。確かに彼女の境遇は俺に似てるさ。そして如月、お前にもな」
昔の俺達に何があったかは、状況的に言うまでもないだろう。要は桃と同じってことだ。
「……一人忘れてる」
「あ?誰の事……」
ガアァンッ!
誰の事だと問う前に、診察室の扉が勢いよく開き、言葉を繋げる事が出来なくなった。
まるでトラックが衝突したかのような音だ。並大抵の腕力じゃここまででかい音は鳴らない。
「如月先生、急患です!」
途端に如月の表情が険しくなった。仕事モードに切り替わったと言うべきか。
「……弥生ちゃん、患者の容体は?」
「クモ膜下出血です。急がないと……」
看護師が焦った様子で如月に報告している。こりゃ俺の事なんざ目に入ってねぇな。
……つうか、さっきここの扉を開けたのもこいつか?可愛い見掛けなよらずなんつー腕力だ。
名前は……花咲か。如月に懐いているようだが、あんまり関わらない方が良さそうだ。
「……浮気」
「上樹だ!俺のことはいい。行ってやれ」
多忙だなこいつも。俺が来た時も、手術の直後だって言ってたし……。天才には天才なりの苦労があるってことか。
――……?
「天才と言えば、もう一人の二大医師は何やってるんだ?」
聞いた話じゃ、そいつも専門外の手術ができるらしい。如月ではなく、そいつに話がいってもおかしくはないはずだ。
「……彼は今、昔の私と同じ」
……!なるほど、読めた。
そいつが桃と似た境遇にあるもう一人の人間ってわけだ。
そりゃしばらくメスを握ろうとは思えないだろうな。如月もそうだった。
「……行ってくる」
「あぁ。次は、お前らの取材をしに来るよ」
有名な記者になれたらね。そう言って如月は診察室を出ていった。
大変だな、そいつも。類は友を呼ぶと言うが、こんなに恋人に先立たれる奴ばっかじゃなくてもいいのにな。
確か、睦月修太……だったっけ。直接会ったことはないが、同情するよ。
……桃やそいつは、残酷な宿命から立ち直れるかな……?
裁判が有利に進む材料を探している内に、初公判の日がきた。今は紅葉の木が立ち並ぶ墓地で、桃が草野灰翔の墓を見つめている。
「……桃ちゃん、そろそろ」
「あ、待ってください」
桃が墓の前にかがみこむ。まもなく公判が始まる時間だってのに……。
「! お、おい」
何をしているのかと思ったら、こいつネックレスを外してやがる。どう言うつもりだ?これから勝負が始まるんだぞ。
止める間もなく、桃は半分の十字架を、墓の窪みにはめてしまった。
「……わかったんです」
立ち上がり、振り向いた桃の顔を見て驚いた。
俺の取材を受け入れてからの桃は、言葉こそはっきりしているものの、どこか目が曇っていた。それは多分、今回裁判を経て本当に、自分が草野灰翔を吹っ切る覚悟を決められるか……彼に依存し続けてしまいのではないか……そういう迷いだった。
しかし、今は違う。俺が初めて彼女を見た時の、特ダネを求めて病院を彷徨っていた時に見た、医師と言い争いをしている時の彼女と同じ、一片の曇りもない、高校生らしい若々しい目だった。
「吹っ切るって言うのは、忘れる事とは意味が違うんですよね」
「…………」
「大きな悩みを抱えて、大きな希望を抱えて、過去に囚われずに走り続ける……きっと灰翔君も、それを望んでいたんだと思います」
参ったねこりゃ。どうやら彼女は、俺や如月とは違うらしい。
俺達は確かに立ち直った。だが、どのようにして立ち直ったのか。何をどう考えて過去の闇から逃れたのか、明確には分からなかった。いつまでもヘコんじゃいられない。そう思えた理由が分からなかったんだ。
それが今になって、高校生に気付かされることになるとはな……。
そう、俺達は無意識に理解してたんだ。俺は俺の、如月は如月の愛した人が、俺達に何を望んでいたのかを。
「まったく……やっぱりお前、大物だよ」
「え……?」
俺達が何年かかっても気付かなかった謎を、高々数週間の間に解いちまうとは……恐れ入ったぜ。
「ほら、しゃんとしな。これから大勝負が始まるんだろ!」
背を叩いて笑った俺に、桃は応えた。
いつもの彼女らしく。
「はい!」
如月に報告してやらないとな。でもすぐには教えてやらねぇ。
自慢してやる。俺の方が先に気付いたって。そして高らかに、その答えを叫んでやる。俺達は気付いたって……。
如月の恋人や、静香……お前に聞こえるように。
腹の底から……な。