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悲劇のロックシンガー  作者: 多奈部ラヴィル
22/25

モンテカルロ

 俺は昼前マンションを出た。みな問題はクリアできたのだろうか。公園に向かう道の途中に大きな広場がある。夏には花火なんかもやるような広場だ。そこに軽ワゴンのクレープ屋が出ていた。俺はクレープとアイスコーヒーを買った。

 小さな公園に着き、ベンチに座った。クレープを食べながらアイスコーヒーを飲む。俺は待っていようと思った。待っても戻ってこないやつもいるかもしれない。でも俺は待つのだ。

 まずやってきたのはタカシ君だった。

「首尾はどう?」

「それが、俺にははじめっから、問題なんてないんです。感じることはできるけど、説明できないそんな問題ならもしかしたらあるかもしれない。でもそれは多分多くの人が感じるっていうもので、俺だけの固有の問題でもないっていう気もするんです。おふくろもオヤジも、欠点はもちろんあるけど、のんきないい人間なんです。俺が生まれてすぐ、おふくろはコンサートツアーがあったらしいんです。その間はベビーシッターを雇って、その間俺は粉ミルクで育ったから、戻ってきたおふくろの母乳を飲めなくなっていたそうです。そういう風に俺以外の物に、父親は事業や車や女、そして時計。おふくろはディオールのクリームとイヴサンローランのアイシャドウ、そして美容院とピアノ。その中でサバイバルするしかなかったんだ。俺は」

 

 おじさんがやってきた。とてもやつれていて、まるで海岸に打ち捨てられたタバコの吸いがらが入っているビールの缶みたいだった。

 「俺、危ない所でした。精神病院っていうね、張りぼての、大きな組織に捕まりそうになったんです。警備員という名の宇宙警備隊が俺を追いかけました。俺は撒いて逃げて、方向感覚だけでここまでたどり着いたんだ。だっておかしかったんだ。最初から。そんなはずはないのに、俺はウェルカムと迎えられ、いつもより品数が多い食卓を囲み、新しいパジャマとパンツが用意されていて、アカネは子供なのに、奇妙なほど胸が大きくて、そうかといえばアケミはしわが多くって。兄貴ぶったやつもそうだった。みんな大きな組織の一員で、俺をだまして家族の団欒まで用意したんだ。俺をだまして大きな組織の一員にして働かせようっていう魂胆なんだ。そこまでわかって気がついたことは、つまり俺が失業中で、だからその大きな組織は俺に狙いを定めたんだ」


 「あ、リコちゃん! どうしたんだ? パジャマじゃないか」

リコちゃんは笑って

「わたし逃げてきちゃった」

と言ったが、その胸にとてもさみしくとても悲しいっていう思いが心の中いっぱいを占めて脈打っているのがわかった。

 「今、とってもぐらぐらしてる。まるでわたしの身体の下半身が、上半身を支えきれないっていうみたいに。なんでかな?」

そう言ってまたリコちゃんは笑う。そういえばリコちゃんはいつでも笑っている気がする。フールオンザヒルを口笛で吹いていたって、その姿はとても楽しそうだった。笑っている。楽しそうにしている。どうしてそんな癖を身に着けたんだい? 笑っている。楽しそうにしている。そういう風にしていないと、大きな不幸に捕まってしまうとでも思っているのかい? 

「あのね、別に平気って顔をして、そして自分にも言い聞かせてきた。それがわたしのサバイバルで、そのサバイバルは逃げていただけだった。振り向いてもそういう道が続いていたし、後退はできなかった。だから逃げていた。そんなの平気、当たり前でしょ?

それなのに、そういう風に逃げるような気持ちを抱くようになったのは、タカシ君やおじさん、お兄さんと友達になってからだった。そしてね、世界で一番優しいのはストリッパーなの。本当よ。傷を見ても見ないふりをして、時に自分を犠牲にしてでも守ることもある。そしてこの上ないやさしさを傾けることができる。そういう人たち。その中にいるのは、知ってしまった後の今でもその優しさに戻りたいとも思う。そこはとても暗くて湿った、温かくて静かな場所。とても安心できる。そして誰かに男ができるとたいていのストリッパーはどうしてか『やめときなよ。妊娠させられるのが関の山だよ』って止める。そういうのがストリッパーとか私に沁みとおっている。男性はそういうものだ、そういう考え方はストリッパーには沁みとおっている」

「ごめんね、リコちゃん。俺勘違いしてたよ」

なぜかおじさんが突然謝る。けれど特にリコちゃんは不思議そうな顔をするわけでもない。

「あのね、モンテカルロに帰ったら舞台のバックルームで白いお尻を店長が自分のベルトを抜いて叩いてた。真っ白なお尻はそこだけ赤く染まる。そのベルトが、なにの皮でできているのかはわたしにもわからない。そしてね、わたしが着ていた服を店長の女のお古だろうって言う。そして部屋に帰ってお兄さんにもらった「サクラシヌ」を読んだ。涙がぽたってたれた。わたしはパジャマに着替えてしけった布団をかけて寝た。そう、わたしの布団はしけってる。廃墟に置きっぱなしにされた布団と同じくらいしけってる。そしてママの声で起こされた。ママはなんだか古臭い服を着た若い男性と一緒にいて、わたしの舞台を見にきてくれるお客さんなのってわたしに紹介して、こうしてこうするとね、男の人って気持ちがいいの、ってわたしに見せる。わたしはその時とっても重い氷みたいに動けないでいた。ママは口や手を使ってわたしのそばでそれを見せた。わたしはもう耐えられなかった。そしてママとは違うって言った。そういうのもういやだって言った。こういうのばっかり見ているのはもういやだって言った。そういう生き方じゃない生き方をするって言った。ママはストリッパーのやさしさとそのいごごちの良さを捨てられるのかと言った。わたしは答えなかったけれどこう思っていた。その優しさ、居心地の良さは否定はしない。けれど今わたしは勇気を出しそれを拒否するって。ママは更に続けて、そういう働き方を変えるとか、生きたかをかえるっていうことは、ママのお腹にもう一回戻って生き直さなければそれはできないのだと言った。お腹の中でその人の人生のだいたいは決まってしまうとも言っていた。それは決して変えることができないと。それって身体全体を浸しているような水のようなものだと。

 それが本当だとして、でもわたしはママのお腹に戻るなんてことはできないのだから、わたしを浸している水を全部抜いてしまって、新しい水をわたしにひたひたに浸すつもり。いつも冷たいって感じる、この公園の水道の水でもいいし、ジンジャエールでもいい。お兄さんやおじさん飲むお酒に浸されて何もなくてもおかしいっていうみたいに、そうやって笑い続けて生きていってもいい。とうとうモンテカルロが追ってくるわけじゃないけど、わたしはもう戻れなくなってしまった。ママの言葉やする行為を真似て生きていくつもりなんかもうない。ママはすぐに戻ってくるわよって言った。別に負けず嫌いっていうことでもないんだけど、でもその言葉通り、その予言通りに帰るのは絶対にいやだ。わたしはね、つまり将来の夢を見つけたっていうわけ。それってティンカーベルなの」

そう言ってリコちゃんはまた笑う。不憫だな、そう思う。そして目のふちが赤い。アイシャドウではない。それがやけに生々しく、リコちゃんの生を主張している。

「モンテカルロなんてさ、なくなってしまえばいいのにな」

独り言のようにリコちゃんは言う。

「俺の家もなくなっちまえばいいのに。比較がなければ必死にサバイバルする必要もなくなるもんな。なにもない。それって気持ちがいいんだろうな」

「俺もですよ。盗聴器が仕掛けられて、それが見つからない以上、家なんて世界から消えてしまえばいい」

「なにもない? 世界から消える?」

リコちゃんは妙に納得したような顔をしている。

そっか、そう言ってリコちゃんはブランコに乗っている。そして大きくブランコを揺らしながら、行ったり来たりして大声で言う。

「だいたいが、汚れているものとか、汚いものとか、ウソとか、ごまかしとか、ひねくれているもとか、顔色を窺うものとか、曲がったもので世界は構成されている。そんなのみんな消えちゃえばいいのにね」

「それは違うんだよ、リコちゃん。それらはね、人が生きるっていう、世界中の人のため息なんだ。俺たちはただ立っている葦じゃない。俺たちは考える葦なんだ」

  

 「リコちゃん、はいこれ、プレゼント」

「ミニワンピとムートンのベスト。今の季節にいいんじゃないかな?」

リコちゃんはショッパーから取り出したミニワンピとムートンのベストを見て、

「わー、すっごいかわいい!」

と言って、その場で着替えはじめた。下着姿になるのを厭わないらしい。ストリッパーの血。それはリコちゃんの透ける血管に確かに脈を打っているのだろう。そして着替えたリコちゃんをみな、驚いたように

「いいじゃん、いいじゃん、やっぱりかわいい!」

「お似合いですよ。リコちゃん」

とタカシ君とおじさんは褒めているが俺は黙っていた。すると

「お兄さん、似合ってないかな?」

とリコちゃんが俺に聞く。俺はイライラした。その時だけじゃない。ちょっと前からイライラは始まっていた。パジャマからワンピースに着替え、それを見せる。俺が誉めないと、「似合ってないかな?」と言って感想を求める。リコちゃんはストリッパーだ。そうストリップが不可能なストリッパー。それがリコちゃんだ。

「ところでさ、わたし今日から、家がなくなっちゃったからここで暮らそうと思って」

「それは俺もですよ。ニセモノに捕まって、大きな組織に取り込まれたくないですからね」

とおじさんが言い、

「そうだなあ、俺はどうしようかなあ。別にさ、帰ってもかまわないんだよなあ。俺の家っていうのは。だけど消えてしまってもいいような家に、帰りたいと思うわけでもないんだよなあ。オヤジは今日もあのデリヘルのお気に入りの女を呼ぶのかなあ」

とタカシ君も大きなため息をつく。

 「俺は帰るよ。マンションに。そこには誰もいないけど、推理小説ならいっぱいあるんだ。俺は俺のマンションが消えてなくなれとは思っていない。今晩も夕食の後、窓を開けて月を見て、推理小説を読むっていう日常に俺は帰れるから。ピンクのクッションで俺の部屋も案外華やいだんだ」

 俺は念のためと思って、寝袋を持ってきていた。それをリコちゃんに渡す。

「そっか、わたし今日は一人で寝るんだね。お兄さんと寝たかったな」

俺は一瞬リコちゃんの目を見てすぐに目線をそらした。


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