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悲劇のロックシンガー  作者: 多奈部ラヴィル
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モンテカルロ

 俺は寝袋を畳んでハラコのボストンバッグに詰めると、表参道に向かった。オープンカフェでフレンチトーストを食べる。俺のおふくろが唯一できる料理がこのフレンチトーストなんだ。そのフレンチトーストはおふくろのより甘かった。どうしてかっていうとおふくろは卵液に砂糖を入れず、その代わりできあがったフレンチトーストにメープルシロップをかけるんだ。このフレンチトーストは卵液に砂糖も入っているし、おまけにメープルシロップまでかかっている。どちらかにしてほしいもんだ。オーダーした時気づくべきだった。「メープルシロップはかけないでください」。

 平日の昼間だ。そんなに人はいない。外人が多いなと思う。俺は表参道から神宮前まで歩こうと思っていた。歩くだけじゃない。まだまだほしかった。リコちゃんに似合いそうな服。サイズはわかった。XSだ。リコちゃんは華奢だからな。

 夕べなんであんなことをリコちゃんにしてしまったんだろう。俺のこと、嫌いになったろっていう言葉に、笑顔でううん。そんなことないよって言ってくれたけど、あれは本心かなって思った瞬間に、いや、リコちゃんはもし俺のことを嫌いだったら、「嫌い」って言うなって思った。

 別にその出来事を挽回しようと服を見ているわけじゃない。そんなに卑怯な俺でもないし、それほど卑屈でもないつもりだ。でもお兄さんならわかってくれると思う。好きな女にどうしても弱くなってしまう俺。自分の回顧ばかりしてしまう俺。あの時こうすればよかったとか、こう言えばよかったとか、妙に後悔が多い俺。男一般がそうなのかなあ。

 そんなことばかり考えながら歩いていたら、もう神宮前だ。まだ服一着買っていない。少し早足で歩く。ローズバッドでバラの花柄のミニワンピとそれに合いそうなムートンのベストを買った。

 ちょっと前までの俺はこうじゃなかった。散歩ついでに、あ、あれいいなっていう感じで服を買うことができた。それなのに、最近の俺は「歩く」と「買い物をする」が別々になってしまった。しながら、ができない。今の俺だって、つま先ばかりを見ながら地下鉄の駅を目指している。

 家に帰るとオヤジが寝室に閉じこもっているみたいだった。またあれかよと思うが、同じ男として、それを否定しきれるわけでもない。うちはコックだけは雇っている。どうしてかというとおふくろがピアニスト故、包丁が持てないからだ。料理ってやつはどうしても包丁を内包する。俺はダイニングテーブルに置かれた冷めたステーキと冷めたポテトを食べはじめた。冷めたステーキは油が固まっているし、ポテトだってくにゃりと曲がる。俺はステーキにもポテトにもたっぷりケチャップをかけて食べた。その方が少しはおいしくなるんだ。

ポーチの外で車が止まるお音がする。やっぱりな、と思う。入ってきたのはゴムみたいな素材でできた、短くてパンツの端が見えそうなほど上の方までスリットの入ったスカートを着た女だった。オヤジはなぜかは知らないが、この女がお気に入りのようで、よくこの女を呼んでいる。そしておふくろが帰れば「ベイビー、おかえり」と迎える。まだ当分おふくろはヨーロッパだから、またこの女と会うこともあるかもしれない。そんなことを考えながらケチャップだらけのポテトをジブリを見ながら食べていたら、その女が、俺のそばまで来てポテトをつまみ、口に入れて、あんまりおいしくないね。でもケチャップかけて正解よ。ちょっといい子にしててね、坊や。大人になったらわたしを指名してね。わたし、上手なんだから。そう言って、手を服で拭いて、寝室に入っていった。

 なんとなくあーあ、っていう気分になる。俺はまだジブリを見てはポテトを口に運ぶ。ケチャップは正解だそうだ。あーあ。俺はチャンネルを変え、ニュースにした。そしてソファに横になる。あの女に従って、俺も手を服で拭く。俺の問題っていうのはなんだっけ?今そんな気分だ。オヤジとの和解だっけ? それなら簡単だ。あの女を玄関まで見送るオヤジに、「楽しんだかい?」とでも言えば事足りるような気がしている。テレビでは放火魔のニュースをやっている。偶然俺が見たのは俺の高校のそばの家が放火されたっていうニュースだった。

 女が出てきた。オヤジは女の上着をかけてやるような仕草をしながら寝室から出てきた。玄関でキスをして、女が、また楽しみましょうね、と言うともちろんさと言ってオヤジも上機嫌だ。俺が寝そべっているソファの方に来るオヤジに俺は座りなおした。そしてオヤジに「楽しめたかい?」と聞くと、「とてもエキサイトしたよ」と言ってまずいポテトを口に入れている。

「お前はいつもポテトにケチャップをかけ過ぎだよ」

という言葉に

「あの女が、ケチャップをかけて正解よって言ってたぜ」

と言うとなんだかうれしそうに冷たいポテトを食べている。

「俺は貧乏な育ちだったから、お母さんが買ってくるマックのポテトはごちそうだった」

何回も聞いた話だ。オヤジも年を取ったのだろうか。

俺は不思議な気がしていた。隣でポテトを食べながらニュースを見ているこのオヤジとの和解が俺の問題だったような気がするのだ。けれど今和解も何も初めから問題やトラブルなんてなかったような気がしてしょうがない。じゃあ、俺はミストサウナにでも今日は入って、早めに寝てしまって、明日早くに起きようかななんて考えた。

 ミストサウナから出てきた素っ裸の俺に、オヤジが元気そうなコックだな。使い道は見つかったかいと聞くので、正直に

「しょんべんだけさ」

と短く答えて部屋に入った。そしてベッドにどさっと横になって考えてみる。だいたいそもそもダブルベッドである必要がないんだ。それは俺の孤独を際立たせるだけだ。忙しい親。いつも俺以外の何かにかかずらわっているっていう親。おれはめったにホッとするとか安心するっていうことがない。でも最近は四人でいるとなにか安心する。けどそういう風に育った俺は、いつも全身の皮膚を敏感にさせ、急いでばかりいる人間に育てた。なにもかもあった。でもそれだけは欲しくても手にいれられなかったし、欲しいと意識できるような年になったらもうそれは許されることじゃなかった。俺はディープパープルをかけた。布団をかぶって泣いた。




 俺が家に帰るとアケミが出迎えてくれたが、俺は盗聴器を恐れている。

「お帰りなさい、あなた」

と言いかけたアケミにしっ唇に人差し指を立て黙らせる。おれは小さな声でアケミの耳元に、「ノートとボールペンはどこだ?」

 と聞くとアケミも小さな声で、

「ありますよ」

と俺の耳元で囁く。

ノートの一ページ目は切り取られていた。そしてボールペンを持って

(今日からは会話は筆談になる)

と書いた。

アカネが階段を降りてきて、

「あ、お父さん」

と言うので俺とアケミは一緒に

「しっ」

と唇にまた人差し指を立てる。

そしてアカネにもその

(今日からは会話は筆談になる)

と書いた個所を見せると、アカネは大きくうなずいてみせた。

 しかしおかしいのだ。アケミは妙にしわが多い。法令線もばっちりある。俺が数日いなかっただけでこんなに老けるのはおかしいと思う。そしてそれはアカネもだ。なにやら胸が大きすぎる気がする。アカネはまだ子供だ。こんなに胸が大きくていいはずがないのだ。

 夕方になり食事がダイニングテーブルに並べられる。いつもはこんなに品数がなかった。どうして今日はこんなにおかずがあるんだ? アケミは決しててきぱきと料理ができるっていうタイプじゃないし、もともと料理は苦手だ。レトルトの夕食だって平気で並べるようなタイプだ。死んだ俺のおふくろも、そういうアケミに少し言いたいことがあるような顔をしていたが、言わないまま死んだ。アカネはノートとボールペンを引き寄せ何かを書いている。

(今日、家庭科で習った料理、この炒め物、作ってみたの。おいしいかな)        

それはエリンギとかシイタケとかブナシメジなんかの少しニンニクの風味がする醤油味の炒め物だった。俺は大きく箸でとって、口に入れ、咀嚼し飲み込むと、

(とてもおいしい)

とノートに書いた。

やはりアケミはおかしい。どうしてこう急に老けたのだろう。まだ四七だ。いや、もう四七と言った方がいいのだろうか? そしてアカネの胸をじろじろ見ずにはいられない。なぜ子供のアカネがこんなに大きなおっぱいなんだ? おかしい。

(お風呂、入れといたわ。ゆっくり入ってリラックスして)

ご丁寧に新しいパジャマやパンツまで用意してある。俺は逆らうのもなにかなと、従順に風呂に入る。俺はアカネの後に風呂に入るのは少しいやなのだ。アカネはバスタブをシャボンのような泡の風呂にしてみたり、バラの香りが風呂場に立ち込めていたりする。俺はまっさらな風呂の方が好きだ。今まっさらなお湯に浸かっているが、やはり今日のアケミもアカネもおかしな気がする。あれほど非難めいた目で見られ、ののしられ、泣かれ、背を向けられたというのに、帰ってみればウェルカムっていう風だ。なにか芝居がかっている。芝居? もしかしたら芝居の中に俺はいるんじゃないだろうか? アケミもアカネもニセモノの可能性だってある。アケミはあんなに老けちゃいない。アカネはあんなにおっぱいが育っているはずがない。芝居だ。おそらく。俺をどうしようというのだろう? 盗聴器の次はニセモノのアケミやアカネを用意する。確かにアケミとアカネにそっくりな人間ではあるが、そこまでするのは必ず、大きな組織に違いない。ここはどう俺は振るまうべきだろう? 大きな組織に単独で立ち向かうのは危険だ。今晩は素直にアケミやアカネに接して、俺は何にも気づいていないっていう感じでふるまおう。

 俺はダブルベッドでアケミを横に眠った。俺は気づいていた。アケミは寝ているふりをしているが、本当は俺を見張っている。俺が今立ち上がったら、きっと大きな組織に連絡をするだろう。もしかしたらテレパシーかもしれなかった。テレパシーを使って連絡をするのだろう。

 翌朝、俺が起きるころには、アケミもアカネもパジャマではなかったし、メイクもしていた。

(お父さん、おはようございます)

(お父さん、おはよう)

二人がノートに書く。考えてみると昨日からなにかばかばかしい。別に筆談じゃなくてもいいような内容ばかりをノートにみなで書いている気がする。

 リコちゃんを傷つけるようだが、俺の誇りはただ単に、アケミもアカネもストリッパーじゃないっていうことだ。俺がそういう家庭を作った。

 チャイムが押される。俺は身構えた。何者かがやってきたのだ。賑やかにその客は現れた。兄貴だった。

(兄貴、すまないが、筆談で頼む)

(了解した)

(兄貴も老けたな。俺もなんだろうな)

(俺は最近髪が心配だよ)

俺たちは笑いあった。笑い声くらい盗聴されようとかまわない。

(今日はお前たち一家をドライブに連れてってやろうと思ってやってきたんだ。職も失って腐ってるかなって思ってね)

(心配は無用だ。すぐに職なんて見つかるさ)

兄貴の車はビッグホーンだ。俺とは少し趣味が違う。でもいい車だ。

 当たり前のように、アカネが助手席に乗った。

「お父さん、もうしゃべっていい?」

「もちろんさ。兄貴の車までは盗聴器をしかけていないだろう」

でも俺は少し心配になってきた。相手はかなり大きな組織らしい。一挙手一投足にも気を配らなくてはいけない。アカネはなにがなんだかわからない英語の曲をかける。

「助手席に座ってればね、こうして好きな曲もかけられるから」

そう言ってじっと動かず曲を聴いているらしい。

 アケミはビッグホーンの車の揺れがいやなのか、俺の腕にしがみついている。こんなに近くにアケミを見るのも久しぶりだ。やっぱりしわが多すぎるような気がしてしょうがない。そしてビッグホーンが入っていったのは、なぜか精神病院だった。

「おい、兄貴、なんで精神病院に寄るんだ?」

「っていうのはさ、俺の嫁のお母さんがぼけて入院してるんだ。ドライブついでに少し見舞おうかなって思ったんだ。お母さんだって、成長したアカネの姿を見れば喜ぶかもしれないって思ってね」

 俺にはなにもかもわかった。ここは精神病院なんかじゃない。宇宙船だ。そしてアケミとアカネだけじゃない。兄貴だってニセモノだ。どうりで兄貴は老けすぎている。髪だって多すぎる方だった。

俺はゆっくり入っていく車から飛び降りた。アケミと兄貴が窓を急いで開け、

「警備員さん!」

と叫んだ。その警備員とやらは俺を捕まえるつもりらしい。俺を追いかけるように走っている。俺はただまっすぐ走っていたが、生垣の裏にとっさに隠れた。警備員という宇宙警備隊は、まっすぐ走っていった。それを見届けた俺は、角を曲がって走った。

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