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悲劇のロックシンガー  作者: 多奈部ラヴィル
18/25

モンテカルロ

 俺は昨夜、月に、半分かけた月にクッションを自慢したのち、窓を閉め死んでいる人ごっこをコタツに下半身をいれたまま、やってみたのだ。その死んでいる人ごっこっていうのは神経の逆立ちを落ち着かせるような、そんな安定剤のような効果があるって知った。もしかしたら睡眠薬の効果もあるのかもしれない。そのまま寝てしまったのだから。朝起きてから、驚いた。俺はそれほど寝つきがいい方じゃないからだ。

 それとももしかしたら久しぶりのおしゃべりとか、面白いメンツで食事をしたり、そういうことは俺には久しぶりのことだったし、楽しかった。本当はリコちゃんに惚れてしまったと言ってもいい。けれどそう言ってはいけないし、そう思ってもいけないのだ。禁忌。それは禁忌だ。

 顔を洗い、昨日神戸屋で買っておいたクロワッサンをかじる。そしてそのクロワッサンを食べる今も昨日の楽しさの余韻は残っている。また、笑いながら四人で食事をしたい。けれどそれが必ず叶うと思えるようには、今の俺はできていない。去っていった女に対してはそれほどまでには弱くなかった。あいつは来週もまた来るだろうと確信できた。確信っていうのはどうやらメンタルが強くないとできないことらしい。それをさっき思い知った。

 クロワッサンを食べ終え、牛乳を飲んだグラスを洗っていると、携帯が鳴る。俺はそれだけでもうれしいのさ。リコちゃんだろう? 

 けれど携帯にでいている番号は03から始まっていなかった。080からはじまっている。けれど電話に出てみた。

「おはみ!」

やっぱりリコちゃんだった。

「お兄さん以外のね、わたしたち三人は集合中っていうわけ。朝ごはんだってすませたの。今日はね、赤いリップクリームを塗ってる。そしてね、いまからショッピングモールに行くの。それはね、わたしが着る服を買ってくれるんだって。タカシ君が。だからお兄さんも一緒に行かない? ショッピングモール」

「是非、行きたいな」

「でしょう? そう言うと思ってたんだ」

将来のティンカーベルはあくまで華やかだ。携帯から洩れるその声は賑やかで、色がついているみたいに鮮やかだ。目の前にしているわけでもないのに、声だけで俺の色彩に乏しい部屋をパッと賑やかし、鮮やかに変化させる。そう、リコちゃんは妖精だから、そんなことができるんだ。妖精は時にトラップを仕掛ける。今日リコちゃんが準備をして仕掛けたトラップは多分赤いリップクリームだ。

 そしてふと疑問が湧く。さっきの電話は携帯からだった。リコちゃんは携帯を持っているのだろうか? それとも買ったのだろうか? そう、俺は昨日一日、推理小説の一ページだって読んでいない。

 俺はその番号に電話をかけなおしてみた。

「はい、もしもし」

タカシ君の声だった。そうか。そういうことだよな。少し考えればわかることだ。

「この電話番号誰からなのかなって思ったんだよ」

「俺のです」

「じゃあ十一時に、ショッピングモールの駅前で待っていればいいんだよね」

「そうです。俺たちもう出ます」

「了解。なるべく早くいくよ」

 電話番号の交換という幸福な作業。それなのに俺はそこに隠れている不幸も見てしまう。その人はいつかの日に別離をするのだし、急に態度が豹変して、裏切ることだってある。俺はいつもそれを忘れない。つまり俺の弱さなんだろう。そういうことって。

トートバッグに「サクラシヌ」をなんとなく入れた。けれどその「なんとなく」にも無意識が働いているのだろう。それはもしかしたら、表紙がピンクだってことなのかもしれない。

 確かにリコちゃんの唇は赤い色がにじんでいた。どうしてかは分からないが、その赤さが、目元までうるんでみせる。

「なあ、リコちゃん、俺は化粧にそれほど関心もないし、詳しくもないけれど、今日は本当に唇に赤いリップクリームを塗っただけなの?」

「そうよ。赤いリップクリームだけ」

「不思議だな」

「何が?」

「いや、いいんだ」

俺が思ったのはなぜ赤いリップクリームを塗っただけで、そういう妖艶といってもいいような不思議な成長をリコちゃんが見せるのか不思議だっただけだ。将来のティンカーベルはまだ幼いはずだ。

とりあえず話し合おうということになり、それはただ俺とおじさんが、タバコを吸いたくてしょがなかったっていう密かな思いもあったのだが、そんなわけで喫茶店に入った。

 おじさんと俺はすぐにタバコを吸い始め、そしてタカシ君がアイスカフェラテから顔を上げて、どんな服にしましょうか? と切り出す。

「ワンピースがいいと思う」

おじさんが即答する。俺の頭の中はノープランだ。

「何色がいいでしょう?」

俺はすぐにこう答えた。

「ネイビー」

「もし気に入ったワンピースにネイビーがなかった場合」

「黒だな」

「コートは?」

「ブラウンかベージュだろう」

「じゃ、行きますか」

「ちょっと待ってくれ、もう一本だけタバコを吸わせてくれ」

リコちゃんが、それわたしも、と言って、俺のハイライトを口にくわえる。俺は火をつけてやり、リコちゃんはスーハ―スーハ―している。全くタバコを吸えていない。真剣なリコちゃんには悪いが俺たち残りの男性陣は大爆笑してしまった。リコちゃんも

「なによ、もう」

と言って怒りながら笑っている。俺はやっと気がついていた。こういう少しの楽しさや、笑うっていことの連鎖が幸福だということ。そして時には推理小説を根詰めて読まなければならい時期だってやってくる。そのとき一瞬連鎖は止まってしまったと勘違いするだろう。違う。俺の戻れる連鎖はすぐそこにあるし、また戻ってもかまわないのだ。昨日も会ったよねっていう風に再会を繰り返せたらどんなにいいだろう。それを俺が確かに手に入れたとき、俺は本当に幸福なんだ。もしかしたら戻るべき連鎖はどこかで止まったりなくなってしまうこともあるだろう。そんな時こそ推理小説を読むべきだ。そうして待つべきなんだ。そしてその連鎖が止まったり、なくなくなったりすることを知っているのは多分俺だけだ。

 

 俺たちはショッピングモールの中に入っていく。タカシ君が聞く。

「リコちゃん、身長何センチ?」

「今、156センチ」

タカシ君は俺たちをふりかえって、

「じゃあ、あれですよね。それって子供服じゃないですよね」

「もちろんそうだろうな」

おじさんも首肯し、

「身長だけじゃない。リコちゃんには少し大人になりかけの、少女が着るような服が似合うと思う」

と俺は言った。

ショッピングモール内をタカシ君が先頭に歩く。その後を俺たちがしゃべりながら追っていく。

「最近ね、店長に笑う練習っていうか、微笑む練習をしろって言われてたんだっけ」

おじさんが、

「できるようになったかい?」

と聞く。

「笑わなくていい。微笑まなくていい。そんなもの練習しなくていいんだ」

俺はこれは譲れないぞっていう風に断言する。

「お兄さんが、そう言ってもね、わたしも笑うとか微笑むとかって必要だって思う。だってあそこにあるのは女の人の裸と精子よ。あまりにも悲惨だわ。わたしくらいは笑う、微笑む、それができなきゃ、オーディエンスの半数以上が自殺しちゃうもん」

 タカシ君が

「ここ見ましょう」

と言ってお店に入っていく。タカシ君が目を奪われたのは、どうやら店先のマネキンが着ていた、白い、シンプルなIラインのニットのワンピースのようだった。

「白はダメだ」

俺は即座にそう言った。なぜだろうと自分に聞く。思い当たったのは白いニット帽をかぶった雪の精だった。このワンピースが似合うっていうタイプではないけれど、これは彼女にとっておきたいような気がして、その思いは俺の秘密となった。

「ネイビーがいいと思うよ」

「そうかなあ」

意見の一致を見ず、皆が口々にそうかなあ、そうかなあとつぶやきながら歩くのがおかしいらしくって、リコちゃんはにやにやしながら、俺たちを観察している。

「ここ見ましょう」

またタカシ君が言った。先頭を歩いているのには訳があるのだろう。

そこにあったのは白いシャツワンピースだった。

「でもこれじゃ、寒いだろう」

とおじさんが言う。

「そうだよ。これからの季節にも着るわけだから」

「でも俺、これ欲しいな」

「勝手に買えばいいだろう」

「じゃあ、勝手に買うよ」

と言って勝手にタカシ君はシャツのワンピースを買ってしまった。

 そして最後に見た店で男性陣の意見の一致をとうとうみた。

それはノースリーブのワンピースだった。おじさんは素朴な質問を店員に投げかけた。

「なんでこれが冬に売ってるんですか?」

店員はとても上手に微笑んで、こういったハイネックやヘンリーネックのニットをこの中に着るんです、と答える。なるほどと、そのニットの前に俺たちは集まった。リコちゃんは最近始めたらしい、口笛の練習の最中だ。タカシ君がまず、これでしょうと指さしたのは、暗い赤、鮮やかなボルドーのニットだった。この上からノースリーブで裾はミドル丈、ウエストの前面でリボンを結ぶそんなワンピースを着るのだ。それはシャカシャカした素材でできていて、店員は、こういう素材だから、スカートもミドルだけど、フレアに広がるんですと俺たちに説明している。どうやらリコちゃんの練習中の口笛はフールオンザヒルみたいだ。

試着を店員に勧められたリコちゃんは、なんだかうれしそうにしていて、口笛の練習を途中で止め、ワンピースとニット、ハイカットとヘンリーネックの二枚を大事そうに持って、試着室に入っていった。

俺たちはほぼ同時に、

「あっ」

と言った。現れたのは少し幼いのに妖艶なティンカーベル、そのものだった。店員も驚いたように、お似合いです。本当にお似合いですよ。と連呼するくらい、そのワンピースはリコちゃんに似合っていた。着ていた服をショッパーに入れてもらって店を出る。ショッパーを持った店員が誰にっていうわけでもなく、またお待ちしてますと俺たちを見送る。

 タカシ君は立ち止まり、バッグから例の「システム手帳」っていうやつを取り出して、服と書いてあるところに丸で囲む。「そうだな、次はタイツ」俺とおじさんはにやにや笑いが止まらない。どうやらフランフランで買った「システム手帳」に最初に書かれたのは、タカシ君が将来へ抱く稀有壮大な夢でもなく、勉強の予定でなく、童貞を捨てる記念日をどこかに想定した日付でもなくって、どうやらリコちゃんの買い物リストらしかった。タイツは靴下屋でグレーと黒を難なく買った。そしてタカシ君はシステム手帳を放っておいた。行く先々の店でアドリブで買った方がよさそうだと判断したみたいだ。タカシ君が先頭を歩くのを止め、リコちゃんの隣を歩く。

「リコちゃん、服気に入った?」

「うん。とても」

「本当に気に入った?」

「本当よ。とってもよ」

といったやり取りをしている。

「あーあ、これからもリコちゃんに惚れる奴はたくさんいるんだろうなあ」

とタカシ君は嘆く。俺はふきだしたいのをただ我慢している。

「ううん。わたしを好きになってくれる人はもう誰もいないの」

「どうして?」

「どうしてもよ。そしてそれは絶対に、なの」

「ふうん。よくわからないけど」

「秘密なの」

 二人のすぐ後ろを歩く俺は、リコちゃんも秘密を持ったんだなって気づく。秘密ごっこ。リコちゃん流に言えば。俺にも秘密があるんだ。リコちゃん。秘密の共有っていうのは押し入れの中でするものだ。そう、こそこそと、お互いの汗のにおいをかぎながら。

その後もちろんニセモノだが、一粒石のネックレスと皮細工のバッグ、これには賛否両論があって、ちょっとそのバッグはリコちゃんには少しオトナすぎるとおじさんが言い、俺もそう思っていたのだが、でもほら、とリコちゃんがバッグを持ってみると、とても似合っていて、

「ティンカーベルはいつもバッグを持ち歩かないからわからなかった。そうか、ティンカーベルのバッグってのはそうなのか」

と皆が納得して買ったもので、最後に買ったのはエナメルのレースアップの黒の靴だった。これは俺が一番に押した靴だ。エナメル、ひも、ローヒール。昔のリコちゃんだったら、勧めないかもしれないが、今のリコちゃんにはピッタリって思える。そう、朝のリコちゃんと今のリコちゃんはまるで違っていた。同じなのは顔だけだ。そう、顔は、その顔から受ける印象は、朝とまったく変わっていない。服のせいで少し大人っぽく見えてはいても、すっぴんに赤いリップクリームだけをつけた、不思議な幼さと儚さは相変わらずだ。もし本当にリコちゃんがストリッパーになるのなら、とても人気が出るだろう。でも俺はもう決めていた。

「あー、飯にしよう。リコちゃんの服は整った」

タカシ君がそう言ったときに、おじさんは口を開いた。

「コートは? これからの季節ワンピースだけじゃかわいそうだろう?」

「いいのよ。ご飯の後で、わたしだってお腹空いたもん」

 リコちゃんは「いいのよ。ご飯の後で」と言った。リコちゃんを見ていて思うことは、与えられる側にいつもいるっていうことだ。それは精神的なものではなくて、あくまでも物質的なものだ。ジュースもご飯も服にもお金を出さず、与えられると疑っていない。不憫だな、そう思った。

 またイタリアンの店に入った。俺たちが迷っていると、タカシ君が

「じゃあ、海鮮のグラタンでいいですか?」

と言っててきぱきとウエイトレスにオーダーしている。

「おじさんはビールでお兄さんは白のワインでいいでしょう? 僕たちはジンジャエールを飲みます」

飲み物が運ばれ、なんの曲だかわからないが、ゆっくりした曲が流れる店内で、ゆっくりと飲み物を飲む。おじさんだけがまあ、ビールっていう飲み物の特性もあって、一気に飲み終えると、

「ところでなんでタカシ君は家出なんてしてみたのかい? 家になにかトラブルでも起きたのかい?」

とタカシ君に聞く。

「理由って言っていいのかわからないんです。俺風呂から出たばかりだった。髪の毛は濡れていたんだ。そして学校の宿題の残りを終えたらドライヤーを使おうと思ってた。そしてその通りにしたんです。宿題を終えても少し湿っている髪をドライヤーで乾かした。そしてなにか飲もうと思った。多分その時に飲もうと思っていたのって、牛乳かポカリだったと思う。俺がキッチンの冷蔵庫まで行って、戸棚からマグカップを取り出した。そしてその牛乳かポカリを注いていた。そしたらオヤジがリビングのソファに座っていて、俺の方に振り向いて『おい、タカシ、そろそろ髪を切った方がいいじゃないか?』って言った。よくわからないんだけど、俺は別に髪をのばそうと思っていたわけじゃなかった。のばそうと思っていたら、それは父親のその言葉に反発して終わった気もする。でも俺は髪をのばしていなかった。それなのにオヤジの言葉に妙に反応してしまって、その日の夜、俺は登山で使った時のカラフルな寝袋を持って家を出た。そして公園でリコちゃんに会った。でも今もあまりオヤジとも口をきいてない。おふくろのオーケストラは今海外にいる。俺の行動って理不尽だなって思う。オヤジがかわいそうなのかもしれないとか、そういうことも思う。でもどうしてかはわからないけど、俺は変われないんだ。オヤジに対する言葉や態度が。それは俺がいけないんだって思ってる」

「そうなのかい? 若いっていうのは言葉や態度を変えるのが難しいのかい?」

おじさんが身を乗り出す。

「若いからっていう風にも断定はできない。俺の性格がそうさせてるのかもしれないしね」

「ふーん」

「それはお父さんとその息子っていう関係性からじゃないかな」

「うん。そうかもしれない」

「お父さんと娘っていう関係ならどうです?」

「ワンピースを買ってあげるといいですよ」

「ダメなんだ。それは。俺がワンピースを買って帰ったら、シャワー以上の無駄遣いよねって言われかねない」

「なるほど」

「俺はなんてバカなことばかりを言ってしまったんだろうと思う。でも言った方がどんなに悔やみ、後悔しても、言われた方にはその悔やんでいて後悔しているっていことは中々沁みとおっていかない。レインコートみたいなもんなんだ」

みな沈黙のままグラタンを食べる。俺は考えていた。つまり沈黙さえ恐れないような、そんなバラバラだった四人がそうやってグラタンを食べている。本当はどこにも接点がないような四人なんだ。流れるままに流された。そしてここについて、今沈黙のままみながグラタンを食べている。

 そしてみな食べ終わった。急に店のBGMが始まったような気がしたが、俺たちは黙っていた。俺は沈黙以上の親しさの表現をまだ知らない。今みなが沈黙に親しみ、寛いでいる。

「じゃあ、今日公園に泊るのって誰?」

「俺は泊る」

「俺もだ。盗聴器が仕掛けられている家なんて気持ち悪くて帰る気がしないよ」

「じゃあ、わたしも」

「寝袋はあった方がいいよ。一回家に帰ってとってきた方が賢明だ」

 それから午後はリコちゃんのアウター探しだった。様々な店に入り、口笛をふきつづけるリコちゃんを置いていくみたいに俺たちは先に進みアウターを見て回り、Aラインのブラウンと赤のチェックのそれほど丈は長くない、ピーコートを買った。すべてを取り替えたリコちゃんを誰がまぶしいと思わずにいられるのだろう。


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