表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悲劇のロックシンガー  作者: 多奈部ラヴィル
13/25

モンテカルロ

翌朝一〇時に公園に集合ということになった。おじさんもタカシ君もこの公園に泊るらしい。わたしはモンテカルロに帰って、わたしの部屋に布団を敷き、掛布団もかけて横になった。

 今日、何回キスしたかな? 数えてみればよかった。タカシ君はわたしにべろ出してと言って、わたしがべーってするとタカシ君の口はわたしのべーっを引っ張るように吸った。最後の方はもうお酒なんて飲んだことないけど、そういう風に「気持ちのままに」っていう風にキスを繰り返した。その時のタカシ君っていうのは犬や猫なんかじゃない、もっと大きくてもっと臭い動物、そういうもののようだった。わたしはそんな獰猛で獣臭い動物に襲われていたみたいだった。そしてそれを快感と呼ぶのかどうかっていうことは、まだわたしにはわからなかった。

 一〇時過ぎに公園についた。二人はカップ焼きそばを食べている途中だった。まだ飯盒にはお湯が残っていたから、わたしはタカシ君の影響で最近飲むようになったコーヒーを、ミルクもお砂糖もたっぷり入れて作って飲んでいた。おじさんが突然カップ焼きそばを食べる手を止め、

「フランフランで何を買いたいんだい?」

「フクロウのマグカップか、キラキラしててかわいいもの」

と答えた。そしてタカシ君が

「これ」

と言ってわたしに渡したのは、ゴールドのポシェットみたいになっているお財布だった。マークジェイコブスだ。そうタカシ君が付け加える。

「ふうん。マークジェイコブス」

「そう、マークジェイコブス。そこに十万入ってる」

「おいおい、君はお家の金を盗んだのかい?」

「大丈夫なんです。俺がいくらお金を盗んだところで、俺がお金を盗んだことを認めたがらず、認めたところで、誰に言うわけでもない。俺のオヤジは事業をやってて、おふくろはオーケストラでピアノを弾いてる。見栄っ張りなんだ」

「それは君の親が特別見栄っ張りだってわけじゃないんだ。親っていうのは子供を持つとどうしたって弱くなっちまう。どの親だって君の親と変わらない」

 わたしはコーヒーのマグカップから顔を上げて二人の顔を交互に見た。

「あっ、リコちゃんメイクしてる!」

タカシ君が気がついた。今日、りょうさんに無理して早起きしてもらって、メイクをしてもらったのだ。アイシャドウはボルドーだった。そしてチークとリップはピンク。りょうさんはわたしのメイクの完成を見て、やだ、リコってばやらしい、と言った。幼い子供が発情してるような顔をしてる。タカシ君は

「なんだか幼くてはかなげなのに、妙に色っぽいな。なんでだろう」

それはね、わたしにさかりがついたからなんだって。りょうさんはそう言ってたよ。

タカシ君とおじさんと電車に乗る。一駅だけだけれど三人とも座った。おじさんはまた衝動に突き動かされたのか、またもう古くなってしまった新聞を顔の前で広げている。車窓から見える風景。どうっていうこともない風景なんだろう。マンションが立ち並んでいたり、ドラッグストアが見えたり。太い道路や川を渡ったり。それらすべてが今わたしにとって新しかった。それらにはきっと一つひとつ意味があるのだろう。たとえばマンションは住む人がいるっていう意味であるとか。わたしには今その意味がわからないものもいっぱいある。でもそれでもいいのだと思う。本当の意味を知るのは本当の大人になってからでも構わないのかもしれない。その時タカシ君やおじさんはそばにいてくれるのだろうか? 少しセンチメンタルになる。でも今日のフランフランを楽しんで、昨夜の押し入れの中で大人に隠れてするような遊びを思い出せばいい。生きるっていうのはそういうことなのかな? 初めて抱いた疑問だった。今までは生きているっていうことが当たり前だった。そんなことを意識するのだっておかしいような気がした。ただわたしは今、とっても生きている。それは感じることができた。とてもとても生きている。けれど舞台で裸になることもそれは生きているのだろうけど、その時わたしが「とても生きている」っていう状態なのかは自信がない。

 今思うのは、生きることへの情熱だ。生きたいと思う。そういう衝動を抱えているのも生きているという確かな姿だ。そして気づいてもいる。その情熱の出所は昨夜の何回ものキスだ。大人には見られたくない、そんな姿だ。秘密。むしろセックスよりも秘密にしたい何かに思えた。もしセックスをしたのならば、店長にばれるのを恐れながらも、ちょうさんに報告しただろう。りそうだわたしは秘密を持ってしまった。

 店の前でなんとなく三人散り散りになった。わたしはめまいがするようにくらくらした。本当はしゃがみ込んでしまいたかった。

 それほどにフランフランの店内はキラキラしたものがいっぱいで、センスのいいかわいいものがいっぱいで、洗面器だって、うちのとは違ってとてもセンスが良くて、クッションも鮮やかで………。圧倒されていたのだ。圧倒されて何を買えばいいのかさえ分からない。もう一回ゆっくりと店内を回った。けれど何もかごに入れられずにいる。少しひらめいたのは、りょうさんに今日のメイクのお礼にルームシューズを買おうかなっていうことだった。ルームシューズを探して店内を歩いていたら、ピカピカのピンク色に輝く、豚の貯金箱を持って眺めているお兄さんがいる。豚は濃いピンク色の羽のマフラーをしていた。わたしはお兄さんの手元をじっと眺めていた。

 やっとお兄さんはわたしの熱い視線に気がついたらしく、

「君、これ欲しいの?」

と聞くので

「うん。欲しい」

「どうしてこれがいいのかな?」

「ピンクが好きなのと、豚が可愛いのと、マフラーもピンクだから」

「ピンクって女の子ってたいてい好きなのかな」

「わかんない。だってわたし女の子の友達なんていないもん。でもね、わたしはピンクが好き。デビューの時の衣装だってピンクにしてもらうつもりだもん。それってね、ピンクの羽とピンクのスパンコールがついてるやつなんだけど」

「デビューって?」

「わたしストリップ小屋の舞台で生まれたんだ。だから当然ストリッパーになるわけ」

「どうしてそんなに従順に生きられるの? 俺は君から学びたいよ」

「昨日もわたし従順にたくさんのキスを繰り返したばかり」

「モテるんでしょ。だって君っていうのは妙に儚いのに色気があるよね」

わたしはパンダの絵がかいてあるトートバッグから、小さなピンクのポーチを取り出し、中の口紅を見せた。

「忘れてた。なにか飲んだり食べたりしたら、この口紅を塗るのよってりょうさんに渡されてたんだ。さっき、ココアを飲んだんだっけ」

そしてまたトートバッグの中から小さな鏡を取り出し、ピンクの口紅をつけた。この鏡もりょうさんに借りたものだ。

「お兄さんにピンクの豚は譲るよ」

「どうして?」

「多分お兄さんにとって必要なものなんでしょう?」

「でも豚じゃなくても俺はいいんだ。ピンクのマフラーだって必要ない。ただね、ピンク色のものが欲しかっただけなんだ」

「じゃあさ、とりあえず、このピンクの豚はわたしのかごに入れといて、ほかのピンクの物探そうよ」

案外ピンクの物って少なかった。フランフランっていうのはピンクイコールかわいいっていう単純な計算はしないようだ。引き算と割り算、分母と分子、割合も知っているわたしはそう計算してみる。

「お兄さん、ピンクの物を探すついでにね、鏡も探してほしいの。持って歩けるやつね」

 わたしと店内を練り歩くことをお兄さんんは楽しんでいるみたいだ。今口笛なんて吹いている。その口笛はそうは真似できないほど、上手なものだった。

「ねえ、お兄さん、フールオンザヒルっていう曲知ってる?」

「知ってるよ」

「その口笛吹いてほしいな。好きな曲なんだ」

お兄さんはフールオンザヒルの口笛を吹き始めた。わたしはそれに集中するけれど、ピンクと鏡を忘れるわけでもない。

 その時奇跡が起きた。店内に流れるBGMが止まってしまったのだ。店内に散らばるスタッフは上の方を眺めながら手を止めて、レジのあたりの人たちはなにかバタバタしている。お兄さんはわたしを振り向いて笑って、フールオンザヒルをはじめから口笛を吹きだした。

 店内の誰もがそのお兄さんの口笛に心を奪われている。カップルの女性の方が、男性に

「これなんていう曲?」

と聞いている。男性の方は、

「俺にもわからない。でもいい曲だよな」

と囁いている。徐々にお兄さんとわたしの周りに人が集まりだす。お兄さんはそんなことどうでもいいっていう風に口笛を吹き続ける。

 お兄さんの口笛のフールオンザヒルが終ったら、拍手が起こった。お兄さんはどうという風でもなく、どうも、と言っただけだった。そして観客からアンコールの声が上がった。

「じゃあ、次はどの曲にしようか?」

お兄さんが聞く。

「イマジンにしようよ」

その時またBGMが元通りに始まった。観客はちりぢりに散っていく。

「名前を聞いてもいいかな?」

「わたしリコっていうの」

「かわいい名前だね。リコちゃん、今の観客を見ただろう?」

「うん」

「オーディエンスっていうのはね、結局そういうものに過ぎないんだ。俺は信じてないよ。今、オーディエンスっていうものをね」

「そういうの少しわかるような気もする。少しね。多分わたしのオーディエンスっていうのはひいきにしてくれる人っていうか、」

「コアなファンだろ」

「そうそう、通ってくれるようなコアなファン以外はわたしがおっぱい見せておまんこみせて、まな板ショーを見て、オナニーできればいいっていうファン。でもね、しょうがないの。ストリップって芸術じゃないし、ストリップの本質もそこらへんにきっとあるんだろうし」

「あ! これ、これがいいよ!」

それは斜めに向かい合うフクロウの絵が描かれたピンク色のクッションだった。

「これ、お揃いで買わない?」

「リコちゃんが買うのなら俺も買おうかな」

「だってね、死んでる人ごっこができるよ。このね、ピンクのフクロウに頭を乗っけるのね、そして頭はだんだん沈んでいく。そうしてね、自分は死んでるんだってイメージするの。どこから死んでいくんだろう? なんて考えながらね。心臓は止まったみたいだ、足の先かな、頭のてっぺんからかな、わたしの細胞が死んでいくのはって想像するのが、死んでる人ごっこ」

するとお兄さんは大きな声で笑いだして、

「それ、面白い。俺もやってみるよ」

「決まった? 本当にそれでいいの?」

「うん。本当にこれでいい。リコちゃんとおそろいなら絶対的にいい」

「じゃあ、お会計ごっこに行こうよ」

「お会計ごっこ?」

「なんだ、つまんないの。レジでピッとやってもらうのがお会計ごっこなの。わかってないなあ」

二人で笑った。そしてわたしは携帯用の鏡と、りょうさんへのプレゼント、ボアのルームシューズをかごに入れた。お会計するとき、お兄さんはろくに財布を眺めもせずに一万円出した。そしてお釣りをポケットにしまう。わたしはそうなんだっていう感じでそれを見る。

わたしの番がくると、わたしは一万円札が、確かに一枚だって、確認してレジのお姉さんに渡した。

「これギフト?」

「ううん。わたしが使うの。死んでる人ごっこにね」

お釣りもきちんと財布にしまった。

「ねえ、お兄さん、この財布ってどこのブランドだか知ってる?」

「マークジェイコブスだよね」

「へー、知ってるもんなんだね。マークジェイコブス」

「リコちゃんはこれからどこかへ行くの? 食事でもしない?」

店の前にはフランフランの袋を下げたタカシ君と、何も持たないで立っているおじさんがいた。わたしは駆け寄って、お兄さんと一緒に食事をしてもいいかと尋ね、もちろんという二人の言葉に、わたしはお兄さんの所へ駆け戻って、

「あの二人と一緒なの。お兄さんも一緒にご飯食べよう」

「いいのかな」

「もちろんよ」

「リコちゃんはなんの精なの?」

「まだよくわからない。もっとお姉さんになればわかるときがくるのかもしれない」

「そうか」

おじさんとお兄さんは、なんだか、「大人同士の挨拶」っていうのを繰り広げているので、わたしは睨むように

「そんなのどうでもいいじゃない」

と言ってやったら、おじさんもお兄さんも、我に帰るっていう感じで笑っていた。その一方でタカシ君は

「ふーん」

っていう風だ。まるで背の高い痩せた女性みたいだ。。

 四人でピザを食べた。庭にあるテーブルで木漏れ日の作る影をテーブルに写しながら食べる。タカシ君はまだ背の高い痩せた女性のままだ。ピザを食べアイスカフェラテを飲むとき以外は口を開かない。そしてやっと開いたかと思うと

「なあ、おじさん、俺たちもあのピンクのクッション買わないか? あの二人はおそろいなんだから、つまり俺たちだって買うべきだろう?」

「なんだ、やきもちかよ」

お兄さんが笑って言う。

「つまりはそういうことだよ」

そう言ってやっとタカシ君が笑った。そこにいたのは成長過程のまだ幼いひまわりに過ぎなかった。タカシ君はちょっと待ってて、と言ってフランフランに向かったみたいだ。

「なあ、ストリッパーになるのなんて、止めとけよ。まな板ショーで処女を失うなんて悲惨な気がする」

「悲惨? どうして悲惨なの?」

わたしは妙にイライラしした。だいたい初めてなのだ。ストリッパーにしかなれないわたしにストリッパーになるのを止める人間が。

「わたしは出生届けさえ出されてない、この世には本当はいない人間よ。何才かだってよくわからない。一三才っていうことになっているけどほんとは一〇才かもしれないし、一五歳なのかもしれない。そんな人間がストリッパーの小屋で働く以外に何ができるっていうの? 部屋に引きこもって、夜だけ散歩していればいいのならもちろんそれを選ぶ。でもね、わたしの部屋はね、ストリップ小屋にあるの。その中にわたしの部屋はあるのよ? それなのに、そいういうことから抜け出す方法なんてありえないじゃない」

「でも俺はやめてほしいんだ。そういうの。反対することにそれは腹が立つだろう。その気持ちはわかるんだ。でもね、きっと他の生き方だってある」

「じゃあ、お兄さん、お兄さんの部屋にわたしをかくまってくれる? そういう気持ちになれる?」

「ああ、構わない」

「俺がかくまう」

見るとピンクのクッションを二つ持ったタカシ君が立っていた。

「お兄さん、それは俺が先に言いたかったことだ。おそろいのクッションをもっているだけで嫉妬してしまう俺なんだ。俺だってリコちゃんのこの先についてやめとけよ、そう言いたかったんだ。でも言えなかった。俺はリコちゃんに責任をとれる年っていうわけじゃないし、リコちゃんの諦めや運命への従順さは圧倒的だった。そこには絶対に覆せないっていう身体がすっぽりと沼の中に入っているようなリコちゃんがいた。それを引き抜く力を俺は持っていないと思ってた。でもお兄さんがリコちゃんをかくまうと言うなら、俺がかくまう。俺はね、昨日何回もリコちゃんとキスをした。途中から何もわからなくなっていったんだ。生臭い獣みたいに、中毒にかかったように夢中でキスをした。それにお兄さんの知らないことはまだある。リコちゃんのすっぴんさ。リコちゃんはメイクなんてしなくても、とってもきれいでかわいいんだ」

「タカシ君、君本当にリコちゃんのことが好きだってこと、よく分かったよ。そうさ、古今東西、男が女性を好きになると、その女性は必ずきれいでかわいい。そして優しいんだ」

「そうだ。リコちゃんは俺にとても優しい」

そう言ったタカシ君が妙におかしくて、みんなで一緒に笑いだしてしまうと、タカシ君も照れながら笑った。ほら、ひまわり。ひまわりは照れながら自分の席につき、猛然とピザを食べ始めた。これも照れているという一形態。

「みんなで何買ったか見せ合おうよ」

とわたしが言った。

おじさんは何も買っていなくて、お兄さんはみんなでおそろいのクッションのみ、タカシ君は

「システム手帳。かっこいいだろ。これに俺のこれからを書いていくんだ。俺ってそういう歳だって思うんだ」

大人二人がくすくす笑う。

「なんだよう」

タカシ君も半分笑っている。

「あとは、アルバムなんだ。最近心境の変化を感じた俺はこのアルバムを買わずにはいられなかったね」

それぞれが手に取って、そのアルバムをしげしげと見る。ピンクだ。わたしの好きな。マグネットで閉められるようになっている。おじさんが、

「その心境の変化っていうのとこれが、」

と言いかけたら

「よく聞いてくれた。おじさん。俺はね、最近になってやっと思うんだ。つまり将来何をするべきかっていうこと。なにで身を立てるのかっていうこと。それをね、俺はつまり、写真に託したいと思う」

「写真家に?」

「そう」

お兄さんがタカシ君に言う。

「タカシ君、君は必ず写真家になれる。別に君のその才を知っているわけじゃないけど俺はそう思う。君がどれだけ情熱を注ぎこめるか、どれだけそれにかかわっていられるか、それが大きければ大きいほど、写真家になれる確率ってのは高まるんだ。頑張ってほしい」

おじさんもお兄さんもわたしも、口々に頑張ってね、頑張れよと言っているとタカシ君は泣く寸前のような顔をしたままストローでアイスカフェラテを飲んだ。おや? ひまわり恥かしいみたいだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ