逆心中
ことの始まりは一昨日の昼に突然都市の上空に現れた円板状の巨大な金属の塊であった。
一昔前なら驚天動地の大騒ぎになったであろうその円板も現代の人々には新たな種類の広告にしか見えなかったらしく、付近の住人が日光を遮る障害物として警察に連絡することによって、ようやくその不自然さが浮き彫りになった。
支えも無しにただ浮いているその円板には継ぎ目のようなものはなく、人々の注目を集め始めた。
同時に世界中の多くの都市で似たような円板が見つかっていることが分かり、円板の姿は様々なメディアを通じて拡散されていった。
半日も経てばワイドショーで専門家たちによる議論がなされ、海外からの侵略行為であるとか、宇宙からの使者であるとか予測が飛び交うようになり、1日経つ頃には周辺一帯からの観察が終わった。
結果、ただの円板に見えたその塊には別の角度から見れば頂点にアンテナのような棒が立っていることが分かると侵略行為である場合の違法性や、その装置の性能、各国政府の見解などの報道が中心となった。
そして今日、3日目にして詳しい調査のため、役人に選ばれた権威のある学者が円板に接触することとなった。
この決まり文句は普通民間が言うものらしいが、役人とは面倒なもので、今回、責任を負うためなどという理由で数人が現場への立会いを命じられている。
上空から紐に吊るされ円板に近づく学者を眺めながら張られたテントの下で椅子に腰掛け各種モニターや、メーターを監視するのが今の俺の仕事だ。
昨日の夜を徹して資料を読み込まされた俺からすればその円板は不思議なものではあるが、被害は陽の光を浴びられなくなった近隣の住まいのみであり、これほど大規模にして我々の手を煩わせる程のものではない。
メディアによる拡散がなければ些細なこととして片付けられたであろうこの仕事に従事する俺と同じ立場のものは皆同じことを思うだろう。
それ故に想定外が起こることへの警戒は全てにおいてかけていた。
油断は得てして砕かれるもので、学者を円板上まで運んだところで、スピーカーも何もないその円板から言葉が発せられたのだ。
「地球にお住いの全人類の方々ごきげんよう。こちらはムン星から訪れました使者でございます」
発されたと言っても音としてではなく頭の中に響くような声は、奇妙なことに発信元が円板であることは伝わってくる。
そして、周囲の混乱から、声の通り俺だけでなく他の人間にもこの声が伝わっていることが想像できる。
「我々は地球の皆様に未来を届けに参りました。未来、つまり時間。
この2日で皆様の言語と同時に体の構造を解析し、こちらの放送を届けさせていただいております」
円板に近づいた学者は異常事態に距離を取る判断を下したらしく、放送が始まった時から権威に反し滑稽に吊るされた状態の紐と共に回収され始めている。
「では、諸々の説明は抜きに、我々のお届けする未来についてお話ししましょう」
その言葉に役人としての俺の意識が反応し、宇宙との外交の手段や、担当に回転を始めた。
「我々は今から地球の共通時間にして100時間後、全地球人を不老不死にして差し上げます」
回転をはじめた直後に俺の思考は別の問題に持って行かれる。
「我々は永遠の時間を差し上げると言っているのです。
地球の地表全域に我々の星で作り出したナノマシンを散布いたしました。
これらが体内に侵入し、作動すると病死、毒死、圧死、溺死、感電死、窒息死、餓死、失血死、衰弱死、あらゆる死を、苦痛を永久的にあなた方から取り去ります」
声を聞き、状況を鑑みて確認したメーターは沈黙を保ち続けている。
空気中に含まれる異常物質を測るメーターに反応がない以上、円板から流れているという放送は嘘の可能性も大いに高い。
しかし、テロにしては手が込んでいる。
「しかしながらこれだけの情報では我々の放送を信じない方々も多いでしょう。
これから地球の共通時間にして50時間のお試し期間を設けさせていただきます。
それでは少しでも多くの方々が賢明な判断をなさることを心よりお祈り申し上げます」
最後の祝辞とも言える言葉とともに円板はその姿を、いや、存在を薄め始める。
同時に妙な雰囲気に包まれ、言葉を失っていた周囲が発音の方法を思い出したとでも言うように騒ぎ始めた。
これだけの異常時に上から連絡がないというのもおかしな話ではあるが、上層部とはいえ人間であり、この奇妙な手段によって伝えられる情報を整理する時間が必要なのだろう。
現に俺はこの話が長く続かない限りは連絡をするつもりはない。
「付け加えて申し上げます、ナノマシンはあなた方が発見及び解析、もしくは除去できるような作りにはなっておりません。
ですので、我々の届ける未来を望まれぬ方々は誠に申し訳なく思いますが、お試し期間終了から本サービス開始までの間、今から共通時間にして50時間後から100時間後の間に命を絶っていただきますようお願い致します。
繰り返し申し上げますが、本サービス開始後は皆様は永久の時間を手に入れることができます。それを望まれぬ方々は今から50時間後から100時間後の間に死んでいただけますようご協力お願い致します」
薄れゆく円板の存在とは対照的に大きな大きな波紋を作り出し、周囲に、いや、恐らく世界中にざわめきを残しながら円板はまるで最初から存在してなどなかったかのように虚空に溶けた。
その直後、強い風が吹き抜ける。
書類の数枚が飛ばされた先、円盤の方向では、風が紐につながれ引き上げられる学者を大きく揺らし、煽られた学者は冗談のようにするりと抜け落ちてしまった。
ムン星人とやらの言葉と科学力を信じるならば、円盤が存在していたはずの場所に突然空気が流れ込み気流が起こったのだろう。
円盤の頂点に等しい高さから落ちた学者は悲鳴をあげながらあれよあれよと地面に近づき、グシャリ、とおよそ人間が発するとは思えない音を立てて止まった。
俺は即座に対応し、モニターを学者の写る円盤の下方を写すものに切り替える。
そこにあるのは水風船をぶちまけたような赤い血溜まりであり、学者であったものだった。
突然のスプラッタに少し間を空けて野次馬の中を悲鳴が伝播していく。
しかし、悲鳴の波が俺の元まで届こうかというところでそれは唐突に、引きつったように収まった。
静かになった野次馬は後退りながら一方を見ている。
その方向、絶賛スプラッタ中の学者を写すはずのモニターを見てみれば……
「奴らは本物だ」
立ち上がり険しい顔で言葉を放つ、無傷の学者がいた。
〜〜〜
それからの2日、俺は激務に次ぐ激務となった。
役所には電話が殺到し、それらへの対応と各種専門家への原因究明の手続き、何より円板のメッセージとほぼ同時に国中の医療機関の病人、怪我人がが病の重さ、つまり先天性、後天性、身体部位の欠損など関係なしに完治したことへの対応に追われ、家に帰ることもままならなかった。
そして、そんな激務を続けても悲鳴をあげることのない体に感謝しそうになるたびにこれが事態の原因だと思い起こして首を振った。
未だ、学者たちの間では某国の陰謀だとか、世界滅亡だとか、地球侵略だとか変わりばえのしない議論がなされるが、結局、ムン星人とやらの目的はなんなのだろうか。
与えられた貴重な休み時間を使い考えるものの妙案は浮かばず、俺はこの50時間が過ぎれば減っていくであろう激務に相変わらず身を置くのであった。
一つのオフィスのもっと言えばある机の前で常に何かを成しながら得られる情報というのは極端に限られているようで、世間ではそれこそ世界の終わり、または始まりであるかのような大変な騒ぎになっていたらしい。
それもそのはずで、あらゆる病や怪我がなくなったことで人々はそれらから解放されるに足らず、老人たちも若返って元気を取り戻し、町には人があふれかえったらしい。
この事実を知ることができたのは俺が50時間、働き詰めたことで交代を認めてもらえたからだ。
休みなしに働ける便利な体に任せて、動き尽くしたおかげでとりあえずの休暇を認められたのである。
50時間が過ぎたところで全てが元に戻るかといえばそうではなく、メディアが報じる世界中の情報と総合して判断したところ、健康な状態になったものはそのままであるが、今は人は死ぬし、怪我や病気もするという状態らしい。
俺は数日ぶりに妻子の待つ家に帰り、汗を流したり、くつろいで、少し休んだところで、衝撃の言葉を妻より受けることとなる。
「あなた、死ぬ?それとも生きる?」
はじめは何を言っているのかわからず、問いかけ直しそうになったが、とうとう俺は気づくことになる。
「ムン星人の選択、か」
正直、自分の仕事に関係なかったために、仕事中には気を回すこともなかった話題。
そして今世界中を騒がせている大量自殺の波が思ったよりよっぽど自分の近くまで迫っていたことに気づく。
「そうよ。確かに死ぬことができなくなるの。昨日までの時間私は確かに痛みも疲れも感じなかったし、怪我もしなかったわ。
そんな状態がこれからもずっと続くのよ?私、怖いわ」
全生物に平等でなくても共通に設けられた死という機能。
確かにそれを失うことは確かに恐ろしいものかもしれない。
「お前の気持ちもよく分かるつもりだ。
巷では安楽死の薬も流通し始めたようだし、不安ではあるだろう」
少し間をおいて妻の目を見る。
俺の話を真摯な眼差しで聴く聡明な女性。
俺は結婚する時にしっかりと誓ったのだ。
「でもな、俺はお前を永遠に愛することを誓った身だ。
お前が死ぬというなら死ぬし、死なないならそれもまた然りだ。
そして、俺たちには息子たちがいるだろ?」
今も隣の部屋で無邪気に笑う幼い二人の息子達を思って言葉を紡ぐ。
「でも、あの子達だって……!」
確かに彼らの幸せを本当に考えた時、生死の意味を考えられない彼らの判断を仰ぐことが正しいのか、あるいは一思いに殺してやるのが正しいのかはわからない。
「これは俺たちの我がままになってしまうかもしれないが、子供達を殺すことなんてできるわけがないだろう?」
『殺す』という言葉で妻の瞳は揺れる。
自分すら愛する子供達に使うとは思わなかった言葉に動揺したのだろう。
「……そうね。時間もまだあるし、もう少しお互い考えましょう」
目を瞑り、顔を伏せながら発された言葉を聞いて俺は妻に自分の言葉が届いたと自惚れた。
〜〜〜
久しぶりの休暇に団欒と呼ぶに相応しい家族の時間は過ぎてゆき、豪華な外食でもしようかと出かけて行く。
「おいおい、ちょっと奮発しすぎてやいないか?」
「いいのよ。貴方も頑張っているのだし、子供達も楽しんでるわ」
家計が心配になるほどの食事に興奮したのは俺だけでなく、二人の息子もまた普段着ないような格好で食べる、見たことのない食事を楽しんでいた。
「私、これ以上ないくらい幸せだわ」
帰りの道中、すやすや眠る息子達を尻目に妻がつぶやく。
「何を言っているんだ、これからももっと幸せにしてやるさ。俺はそれを誓ったし、何より君を愛してるんだから」
妻を見ながら言う勇気のない俺には妻の表情は見えない。
「貴方と出会えて幸せだわ」
囁いた妻の声は満足そうで……
「俺も君と出会えて幸せだよ」
俺の感じていた満足感とは違うものだったに違いない。
翌朝、妻は死んだ。
寝床で二人の息子と手を繋ぎ三人揃って安らかな顔で死んでいた。
枕元に置いてあった遺書には死ぬことができない未来への恐怖や、この先の将来を考えた結果であること、息子達のことなど様々に書かれていたが、最も多く書いてあったのは俺と出会ってからどれだけ幸せであったかということだった。
裏切られたと思った。
しかし同時に嬉しく思った。
全身を貫く、冷たいほどに暖かく、痛いくらいに優しい感情に支配され、俺は家族を殺した薬の最後の一粒の入った瓶を持って外に飛び出した。
涙は出ない。
妻の残したこの薬の意味を、正確に理解できたからだ。
あとは自ら死に場所を選ぶだけ。
自然に足が向いた先は家族で何度か行った海岸であった。
海岸といってもゴツゴツした岩場や、崖もあるところでこの崖の下で遊んだ時には息子達も魚が見えると喜んでいた。
覗き見た海面に、俺は迷いなく飛び降りた。
朝の光を跳ね返す水面に近づきつつも、俺は意識を手放した。
〜〜〜
「地球の皆さんお久しぶりです。これより、あなた方も永遠を手に入れました。どうかよい人生をお送りされることをお待ちしております」
頭の中に無理やりに響く声に合わせて意識は覚醒していく。
ザバーン。
覚醒した意識ではじめに認識したのは波の音。
それは、死ぬ前に聞いていたものと同じ音で……
恐る恐る、ゆっくりと目を開ければ、ぐちゃぐちゃになった自らの体があった。
内臓は飛び出し、血だらけの体、四肢は皆あらぬ方向に曲がっている。
しかし、『足が治っていく』その事実が最も俺を恐怖させた。
ぐちゃぐちゃに折れているようにしか見えない自分の足が、まるでスライムか何かのようにグニャグニャと原型へと戻っていく。
「うわぁぁあ?!」
たまらず声を上げる俺は岩に寄っかかっているらしいことにいつの間にか動く腕と胴体で気がついた。
体の中が自らの意思を無視して戻っていく感覚。
しばらく、あるいは数瞬ののち、俺の体は完全に元に戻った。
失ったものの大きさと、拾った命の軽さを認識し、俺は手に握ったままの瓶に入った薬を飲んだ。
海の水よりも塩辛く、空虚な味がした。
〜〜〜
夢から覚めるように意識は浮上し、俺は惑星型宇宙船で目をさます。
過去を再現させるこの装置は何億年前の出来事や感情も完全に思い出させてくれる。
生まれてから死ねなかったあの時までの数十年間が俺の人生で唯一意味があった時間であると確実に言える。
俺はもう数え切れないほど行った過去を懐かしみながら、今日の仕事に取り掛かる。
俺は自分の住処であるカプセルから出て、小型宇宙船へと向かいながら今日の仕事の経緯を考える。
俺たちの住んでいた地球はとうの昔に生き物の住めない星へと変わり、地球のムン星人に不死にされた連中はこの惑星型宇宙船で旅を続けている。
生き物の住めない星でも死ぬことができず、あらゆる手段を使っても生を離さない身体を押し付けられた俺たちにはそうするしかなかったのだ。
旅、といっても直接の目的地がある訳ではないが、知的生命体のいる星を見つければそれを目指すことが当然となっている。
というのもムン星人が俺たちの体に残したナノマシンは解析が完了し、再現ができるようになったのだ。
解析が完了した時の人々の喜びようは忘れられない。
不老不死になってから一番の騒ぎだったに違いない。
人々の笑顔に反して、しかし沈痛な面持ちの学者が告げたのは、『除去不可能』という結果だった。
作ることはできても壊すことはできない。
そういうタチの悪いものをムン星人は植え付けて行ったらしい。
俺は小型宇宙船に乗り込むと、惑星一つ分のナノマシンを積み込み、その星へと向かう。
除去する方法がわからない俺たちがとった手段は、人海戦術であったのだ。
必要の無くなったためか、俺たちの生殖機能はかなり初期の段階で失われてしまったが、何もそれだけが解決方法を考える者を増やす手段ではない。
そう、宇宙には大量の知的生命体がいるのだ。
これから俺が向かう星もそういった生命体が生息する星の一つ。
彼らが悠久の時間を過ごす中で、ナノマシンの除去方法を見つけ出すことを祈りながら、俺はナノマシンをばら撒く準備を進める。
とりあえず、星中にばら撒いて、恩着せがましく言っておこう。
一応、死にたい奴には死ぬチャンスをあげようか。時間は、まあ50時間もあれば十分だろう。
あとは言語を解析して……
星新一のショートショートが大好きで、意識して書き始めたつもりが、最後の方の文体が自分のものになってしまいました。拙作を読んでいただきありがとうございました。