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『白鳥の涙』探偵事務所の事件帳

作者: Sissy

Juni Olsenへ

 父に渡された紙を握りしめ、少女は帽子を深く被り街の中を歩く。古い建物が立ち並ぶこのユグノーは、似たような設計の建物が多い。それゆえ、住所を何度確認してもどこにあるのか分かりづらいのだ。

 少女はまだ若く、幼さの残る可愛らしい顔立ちをしていた。肌は磁器のように白く、頬はうっすらと赤く染まっている。少し赤みがかった茶色の髪をハーフアップにし、青いリボンで留めている。髪と同じ色の大きくて丸い瞳には、好奇心と不安が入り混じっていた。

「お父様のメモには看板が出ているって書いてあるけど……看板なんて見当たらないわ……」

 少女は困り果ててその場に立ち止り、嘆息しながらもう一度紙を見直す。

 その時。

 少女の目の前を猫がゆっくりと通り過ぎて行く。上品な白い毛に海のような青い瞳。どことなく、不思議な雰囲気を持ったその猫に自然と目がいく。なぜか白い猫は少し進んでは後ろを振り返る。まるで少女についてこい、と言っているようだ。

 少女の足も自然と猫の後を追う。猫の後を追うと、薄暗い路地裏を通り人気のない街道に出た。

「こんなところあったのね……」

 人気の少ないそこは、ユグノーの街並みそのものだったが今まで見た風景と違っていた。

 細い道が続くと思えば、円状に開けた場所がある。そこには、見てきた風景にはなかった噴水があった。近くには木製の長椅子が置かれていた。きっと、住民たちはここを憩いの場所として使っているのだろう。

 ふと、我に返った少女は先ほどまで後を追っていた白い猫の姿を捜す。しかし、猫の姿はどこにもなく、少女は街を見渡した。

「古びた建物に……白鳥の看板……」

 父が書いたメモの言葉を口にしながら歩き始める。

 なぜか、少女の本能が告げていた。ここにある、と。不思議な感情に少女は心のどこかで首を傾げながらも、歩き始める。

 すると、古びた建物に隠れるようにして、壁につけられた白鳥の形をした看板が見えた。風に揺れながら、きぃきぃと甲高い音を奏でる。

「白鳥の……涙……」

 白鳥の形をした古い看板は、掠れた文字で『白鳥の涙』と書かれていた。風化しているせいで読みづらかったが、間違いない。父が言っていた場所はここだ。

 少女はもう一度確認すると扉を開け、階段を上がった。

 少し急な階段を上がると、目の前に木製の扉を見つける。扉には『白鳥の涙』と今度は見やすい文字で書かれていた。少女は扉に手をやりノックする。

「すみません」

 しかし、返答はない。何度もノックしたが返事は来なかった。しかし、このまま帰るわけにはいかないと少女はドアノブに手をやり、回した。鍵はかかっておらず、扉はゆっくりと開いた。

「失礼します……」

  遠慮がちに入るが、人の気配はしなかった。留守なのかと思ったその時だった。

「アンタって遠慮という言葉を知らないのか?」

「ひゃっ!?」

 いきなり頭上から聞こえた人の声に、少女は腰を抜かしてしまいその場に座り込んでしまう。

 上を見てみると、天井に手と足を必死に使ってへばりつく少年の姿があった。

「いやぁあああ!?」

「うわぁああああ」

 少女の悲鳴に驚いた少年は思わず手を離し、天井から落ちてしまった。

 大きく鈍い音がしたと思った時にはもう、少年は床に倒れていた。。

 少年はかなり幼い顔立ちをしており、金色の髪はぼさぼさで透き通る碧眼もどこかやつれているように見える。顔立ちが整っているのだから、清潔にしていればもっと良く見えるはずだ。

 うずくまっていた少年はきっ、と顔を上げると少女をにらみつける。

「おまえ……おまえの声でびっくりしただろう!!」

 涙目になりながら訴える少年の姿に、思わず少女は謝る。

「ところでぼくに何の用だよ? 勝手に入り込んで来るくらいなんだからちゃんとした理由があるんだろうな」

 少年の怪しむ目に、少女は姿勢をただしはっきりと答えた。

「私は、父に言われここで働くように言われました」

「父?」

「はい、私はシレネッタ・アンダーソンです。父のマクリルに言われここにやってきました」

 彼女の名前を聞いた少年は一瞬で納得する。

「ああ……あの親父の……」

 少年はシレネッタを睨みながら、二人掛けの椅子に座った。

「全く。久しぶりに人が来たから天井に逃げてやり過ごそうと思ったら、勝手に部屋に入るし。あのじじぃの娘だし……。しかもここで働くとか言っているし」

 彼は息継ぎもしないでまくしたてると、シレネッタに指を突き付け怒鳴った。

「帰れ! ここにはおまえの居場所なんてないんだ。さっさと帰りやがれ」

「でも……」

「でも、もへったくれもあるか! 誰を雇うか雇わないかを決めるのは、所長であるぼくだ。おまえやおまえの親父が勝手に決めていい事じゃない」

 どこからどう見ても少年にしか見えない彼が、この探偵事務所の所長? シレネッタは少年の姿を観察する。

「何だよ、ぼくが少年にしか見えないんだろう? 言っておくが、ぼくはおまえより十も上だぞ」

「まさか……28歳!?」

「そうだよ。自己紹介がいるか? この探偵事務所、白鳥の涙の所長エミール・ド・スワンだ」

 エミールと名乗る彼はどこからどう見ても十を越えたぐらいの少年にしか見えない。それが、シレネッタよりも年上でかつ、成人した男性だとは思いもしない。シレネッタも初め、彼もここで働く従業員だと思っていたほどだ。

「そういうわけで、所長命令だ。おまえは今日でクビ。帰れ」

 シネレッタを帰そうとするエミール。しかし、新たな客人が阻止した。

 シネレッタの腕を引っ張りながら、扉へ向かおうとするエミールだったが強めに開けられた扉につぶされる。

「あれ? エミールは?」

 低く魅力的な声がした。

 扉を開けたのはかなり身長が高い男性だった。海よりも濃い青色の短髪に、珍しい濃い紫の瞳。甘い顔立ちに、優しそうな微笑み。薄い唇は血色がよく、どことなく色気を感じる。若い男性らしさも、大人な一面も兼ね備えているような男性だ。見た目はかなりの好青年だ。

「ん? 先客がいたのか」

「あ、いえ。私は客ではありません」

 大丈夫だろうか、とシレネッタは壁に押しつぶされたエミールを見る。青年がようやく扉を閉めたことで、壁に埋まるようにしてエミールが姿を現した。

「おい、エミール。そんなところにいたのか。人見知りなのは分かるけど、しょっちゅう隠れられたら困る」

「ふざけんな、セドリック! ぼくは隠れているんじゃない、いつもおまえに潰されているんだよ!!」

「それはそうと事件のことなんだがな――」

「話を聞け!」

 セドリックと呼ばれた彼はまるっきりエミールの話を無視しながら会話を進める。何だかその様子がおかしく、シレネッタは思わず笑ってしまった。

 シレネッタが笑ったのに気付き、エミールは圧力をかける顔になる。

「おい、そこの女。何故、ぼくを見て笑っているんだ」

「あ、いえ。面白かったので……」

「そうやっておまえらいつもぼくを笑い者にしているんだろう。おまえもセドリックも、もう帰れ! ぼくは探偵を辞めたんだ」

 その言葉にシレネッタが反応した。

「探偵を辞めた? 私は父に言われ、探偵エミールの手伝いをするためにやって来たんです。探偵を辞めたとは、いったいどういうことです」

 シレネッタの疑問に答えたのは、エミールではなくセドリックだった。

「君はユグノーの人じゃないのか。この辺りに住んでいる人なら誰でも知っているんだが、昔色々あってエミールは探偵業を辞めたんだ。それからは人付き合いを避けているってわけ」

 父に言われてやって来たのはいいものの、肝心の探偵がその職から退いているとは予想もしていなかった。父にあそこまで意気込んできたため、今更帰るのも気が引ける。

「でも、俺はそういう事情を無視して彼に事件解決を手伝ってもらっている」

 にやっ、とセドリックは口の端を上げる。

「あなたは……」

「俺はユグノー警察のセドリック・マクレイアー。たまにエミールに手伝ってもらっているから、客といえば客かな」

「たまにじゃないだろう! おまえ、しょっちゅう事件持ち込んでいるだろう」

 セドリックはエミールを無視して、話を進め始めた。

「ある若い女性が亡くなった。上は自殺だとして話を進めているんだが、俺はどうも他殺の可能性もあるんじゃないかって睨んでいる。そこで、エミールの知恵を借りようと思って来たんだ」

 エミールは興味なさそうに、セドリックを見ると目線でシレネッタを指す。

「丁度いい。おまえ、謎解きしろ」

「えっ! 私ですか!? 無理です、出来ません」

「じゃ帰れ」

 容赦ないエミールにシレネッタは歯を食いしばる。ここで帰ったらこの人に負けたことになる。父の命令よりも、この人に負けたくないという気持ちが今は強かった。

「セドリックさん、お願いします!」

「お、おう。被害者はある女性の娘で5人兄弟の末っ子だ。母親は介護が必要らしく、被害者が母親を介護していたらしい。他の兄弟は、長男以外全員結婚して家庭を持っている。被害者は自宅で首を吊っており、様子をよく見に来る被害者の姉が第一発見者だ」

「なるほど」

 エミールは聞いていないのか、部屋の奥へ行き1人分のコーヒーを入れている。

 部屋中にコーヒーの香ばしい匂いが充満した。

「警察は家族に証言をもらったんだが……。長男曰く、被害者の母親は感情が高ぶると首を絞める癖があるそうだ。次男は2週間前、被害者に会ったようだが特に悩みもなさそうで元気な様子だった、と証言している。三男は母親の介護が疲れたのではないか。長女は自殺するような子じゃない。とそれぞれ言っているんだ」

 セドリックは服の内側からメモ帳を取り出すと、それを広げながら彼らの証言した内容を話した。

「さあ、貴方は誰が犯人だと思う?」

「え、ええっと……次男も長女も被害者が自殺する兆候はなかったと証言しているのに対して、三男だけが母親の介護を理由に挙げていますよね。つまり三男が犯人なんじゃないですか?」

 シレネッタは自分の考えを述べると、2人の反応をうかがった。セドリックは面白そうに眉をあげ、エミールは出来上がったコーヒーに息を吹きかけていた。

「着目の仕方はいい線いっているんじゃないか? なぁ、エミール」

「ふざけるな。そんな甘い推理するとはそいつの頭の中はお花畑なんだ」

「お花畑って……いくら何でも失礼じゃありませんか!?」

 確かに推理は甘かったかもしれないが、そこまで言われる筋合いはない。シレネッタは怒りを含んだ目で、きっとエミールを睨みつける。しかし、彼は湯気のたつコーヒーにしか目がいっていない。シレネッタのことなど、視界の端にも入り込んでいないようだ。

「エミールの推理はどうなんだ?」

「簡単だろ。長男が殺したんだ」

「えっ?」

 思わず声が出てしまった。慌ててシレネッタは口を押える。淑女たるもの、間抜けではしたない声をあげてはいけない。

「長男は、母親は感情が高ぶると首を絞める、と言っているんだろう。実際、母親にそういった癖があったとしても殺すのは不可能だろうな。なんたって介護を必要としている人間が殺人なんて犯せるわけがない。遺体は首を吊った状態で発見されたんだろう? それを聞いたら大抵の人は自殺だと思ってしまうわけさ。しかし兄弟の中で唯一、自殺と思っていないのも怪しい。それに誰かに責任を擦り付けようとしているのがバレバレだ」

 エミールの言葉を待っていたかのように、セドリックは満足そうに微笑みながら何度も頷く。

「さすが有名な探偵だ。正確かつ速いな」

「セドリック、おまえこれを解かせるのが目的じゃないだろう」

 てっきりこの事件を解決してもらうためにやって来ていたのだと、シレネッタは思っていた。

 ぽかん、と呆けた顔のままそこに立っていた。

「当たり前だろ」

「だが、ぼくは受けないからな」

「報酬は弾むぜ?」

「報酬をちらつかせてもいらん」

 2人は真剣な顔で言い合っている。完全に部外者になったシレネッタは、そそくさと2人から距離を取ろうとする。その時、エミールが美しい碧眼をこちらに向けた。

 シレネッタは何か嫌な予感がしながら、引きつった笑顔を浮かべる。

「あいつでいいだろう」

「ん? 彼女?」

「おまえ、ぼくのところで働きたいとか言っていただろう? 丁度いいじゃないか、セドリックの仕事をおまえがしたら?」

 エミールはそう言い、ぼさぼさの髪を耳にかけた。小さい右耳が現れる。耳たぶにはきらりと光る猫のピアスがつけられていた。

「むっ、無理です!! 推理とかしたことないし……」

「ん~、俺的には貴方も鍛えればなかなかいい探偵になるとは思うけど」

 セドリックが顎を手で擦りながら言う。その言葉が少し嬉しかった。

「とりあえず、明日セドリックにくっついて関係者から話を聞け」

 エミールはそう言うと、今度こそセドリックとシレネッタの2人を閉め出した。


      ■


「全く……エミールさんはどうしてあんなに傲慢なんですか」

「まぁまぁ。そのうち慣れていくよ」

 翌日、エミールに言われた通り、セドリックの後をついていきながら事件の関係者に話を訊くことになったシレネッタ。朝から言いたいことは山ほどあるが、わざわざ迎えに来てくれたセドリックに言うのも気が引ける。

「そういえば貴方はアンダーソン家の令嬢?」

「はい」

 不満たらたらのシレネッタの気分を変えようと、セドリックは気を使ってくれたのだろうか。

「アンダーソンといえば……ユニ・オルセンの子孫?」

「よくご存じですね」

「へえ、凄いな。あの有名作曲家の血筋とは……」

 ユニ・オルセンとは、およそ今から100年ほど前に活躍した作曲家である。楽器も歌も出来ない今までとは変わった女性作曲家だ。彼女が作った曲は革新的なものとされ、人気が高かった。今でも教科書に載っていたり、オーケストラでも演奏されたりするなどその人気は衰えない。

「でも、今は没落しかけた貴族の端くれですけどね」

「いやぁ、由緒正しい家柄じゃないか。平民の俺からしたら凄いけど。あ、敬語使った方がいいですか」

「いえ、お構いなく! セドリックさんは私より年上ですし、貴族といっても、階級は低いですし」

 そんな会話をセドリックとしながらシレネッタは、関係者が集められているという場所にやって来た。建物は古びてはいるが、装飾など繊細で豪奢なものだ。きっと昔の貴族の別邸か何かだったのだろう。気品が漂っている。

「ここは?」

「ああ、関係者から事情を聴くための施設だよ。一応、警察の所有物かな」

 セドリックは入口に立っている警護兵に、身分証を見せシレネッタのことを軽く説明していた。警護兵とのやり取りが終わると、セドリックは彼女を手招きし豪華な建物の内部へと案内する。

「今回の事件について、説明しておいた方がいいな。今回はコンスタン侯爵家当主が殺害されたんだ」

 まるで宮殿にいるかのような造りに目を奪われていると、いつの間にかセドリックが説明を始めようとしていた。慌てて鞄から紙を取り出すと急いでセドリックの言葉を書き記した。

「え、コンスタン侯爵……? それってかなり高貴なお方なのでは」

「そうだ。だから必ず犯人を捕まえなきゃいけない。だが、関係者の中に自分が犯人だと言い張る人物が2人いるんだ」

「え?」

 セドリックによると、コンスタン侯爵家の女当主ジュリエンヌ・コンスタンを殺害したと言い張るのが、娘のアナスタシア・コンスタン。そして、侯爵家専属の庭師であるクラウス・ハーヴィストの2人である。2人とも自分がやったと供述しているため、警察もどちらが本物の犯人なのか混乱してしまっているそうだ。

「まぁ、娘のアナスタシア様も庭師の少年も多分、お互いを庇っているんだろうな」

「お互いを庇って自分がやったと……。でもどうして庇う必要が……」

「さあ。それをエミールに解決してもらおうと思って」

 彼の後に続いてやってきた場所は、重厚な造りの大きな両開きの扉の前だった。

「この中にはアナスタシア様がいる。まず、彼女から話を訊くぞ」

「はい」

 セドリックは大きな扉を両腕で開けた。中に入ると、警察の所有物とは思えないほど豪華な調度品で揃えられていた。どれも一級品でそういった物に疎いシレネッタでも、気迫を感じるほどだ。

「はじめまして、コンスタン侯爵令嬢アナスタシア様。俺、いや私はユグノー警察巡査部長のセドリック・マクレイアーです。少しお話を伺っても?」

 豪華な造りの長椅子に座っていたのはまだ幼い少女だった。あどけない顔立ちだが真紅の瞳は気が強そうで勝気なイメージを抱かせる。輝くようなストロベリーブロンドの髪を結いあげていた。しっかりとたたずむその姿勢からは、由緒正しい侯爵家令嬢としての品格が感じられた。

「お話は警察の方から聞いていますわ。ですが、後ろの方は?」

「え、えっと……その……」

「彼女は探偵エミールの弟子でして。経験を積むために派遣されております」

「そう」

 突然、アナスタシアに話を振られ焦るシレネッタにセドリックは落ち着いた対応をした。心の中で彼に感謝しながら、シレネッタはセドリックと共に彼女から話を訊くことにした。

「アナスタシア様は、ご自身のお母様を手にかけたのは自分だと言い張っておりますよね。どうしてなのか、聞いても大丈夫ですか」

 あくまで優しく紳士的に接しているセドリックだが、その声音には優しさなど微塵もない。冷たく、事実だけ述べていた。

「他の警察の方にもお話した通りですわ。頭に血がのぼって思わず手にかけてしまいましたの」

 アナスタシアは燃えるような真紅の瞳を真っ直ぐにこちらへ向ける。その目を見ていると、嘘は言っているようには思えなかった。

「鈍器で頭を殴ってそのあと刺殺したと……本当ですか?」

「ええ」

 シレネッタは、セドリックとアナスタシアの話を聞きながら、一生懸命に書き記した。

「なぜ、かっとなったのですか」

「母親と言い合いをしていましたの。いつもより酷い喧嘩だったから……それで」

 ふいに彼女の表情が曇る。眉間にしわを寄せ、苦しそうな表情をした。

「もう、いいでしょう。お話することはありませんわ」

「分かりました、ありがとうございます」

 セドリックはそれだけ言うと、特に粘ることもなく部屋をさっさと出て行った。慌ててシレネッタは、彼の後を追う。部屋を出る前に、アナスタシアに一礼したが彼女は感情の見えない顔でシレネッタを見つめるだけだった。


「あの、どうしてあっさりと引き下がったんですか」

「相手はこの国でも有名な侯爵令嬢だろ。もし、彼女が犯人でなかったとして、俺たちがしつこく尋問したら後でどうなるか分からないからな。高貴貴族は例え犯人だったとしても、平民より扱いがいいんだよ」

「そんな……」

 この国は比較的、豊かで安定している方だ。しかし、それでも平民と貴族の間には大きな差が出ている。生活水準はもちろん、政治に参加する権利も平民にはない。

 シレネッタはどうにかしたいと思うものの、自分に出来ることはないと思っている。

「次は俺たちが粘れる相手だ」

「というと……」

「庭師への事情聴取だ」

 アナスタシアと同等、自分が犯人だと言い張る庭師の少年。彼は平民出身でもともと孤児だったのを、後継者に悩んでいた先代の侯爵お抱えの庭師が彼を養子にしたという。

 セドリックの後をついていくと、今度はアナスタシアがいた部屋とはまるっきり違う場所にきた。扉は木製で古く鍵も取れそうだ。

「昔、この屋敷にいた使用人の部屋だったらしい。今は平民専用になっているが」

 セドリックはそう言いながらノックもせず、扉を開け中に入った。

「はじめまして、貴方の話を聞かせてもらいに来た」

「はじめまして」

 部屋は狭く、どこか薄暗かった。1人用の小さな机に、椅子が1つあるだけで他には何もない。どこからか足音が聞こえているほど、壁が薄い。平民と貴族の差に改めてシレネッタは苦い思いをする。

 椅子に座って姿勢を正している少年と目が合う。麻色の短髪に灰色の瞳は理知的な輝きを持っている。顔にはそばかすがあり、それが活発な印象を与える。しかし、外見の雰囲気とは裏腹に大人びている。両手を交差させ、机上に乗せていた。何かで怪我をしたのだろう、指には包帯が巻かれていた。

「クラウス・ハーヴィストで間違いないな?」

「はい」

「どうして主人であるジュリエンヌ・コンスタンを殺害した?」

「ご主人様と僕は昔から折り合いが悪くて。ご主人様に冷たく当たられていました。それが限界で……」

 シレネッタは彼の話を訊いているうちにふと感じた。アナスタシアもこの庭師の少年も、どこか似ている。罪をおかしたのに異様なまでの冷静さ。そして真っ直ぐな瞳。こちら側の質問にきちんと答える姿勢。シレネッタはこういう場所に来たのは初めてだが、大抵自分は罰から逃れようとするものではないだろうか、と考えていた。予想とは違う2人の態度にシレネッタは戸惑う。

「どうやって殺害した?」

「後ろから刺しました」

「そうか。また何か聞くことがあるかもしれないが、今日は失礼する」

「ありがとうございました」

 少年は椅子から立ち上がり、セドリックとシレネッタが出ていくまでずっとお辞儀をしていた。

 部屋から出た後、セドリックはシレネッタを振り返る。

「おーい、そろそろ出てきたらどうなんだ?」

「え?」

 彼の目はシレネッタを映しているわけでもなく、どこか遠い方を向いていた。一体誰に話しかけているのだろう、と彼女が後ろを振り返ると角からバツの悪そうなエミールが出てきた。

「エミールさん!?」

「セドリック、おまえどこで気付いた?」

 エミールはシレネッタを無視してセドリックに話を振る。

 セドリックは意地悪な笑みを浮かべ、近づいてきたエミールの頭を撫でた。

「いくら貴方でも女の子1人で俺の後についてこさせて関係者から事情を聞かせるわけがないだろうな、と思って。それにさっき庭師の少年がいた部屋で足音がしていただろう? あれ、エミールだよな」

 てっきり壁が薄く近くを歩いていた人の足音だと思っていたが、まさかエミールの足音だったとは思いもしなかった。シレネッタは改めて驚いた顔でエミールを凝視する。

 シレネッタの視線に気づいたエミールは、少し頬を赤く染め上げそっぽを向いた。

「確かに素人のこいつを1人では行かせないさ。どうせ重要なこと聞いていないだろうし」

 てっきり自分の身を案じてついてきてくれていたのかと、期待していたがすぐにそうではなかったことにそれはそうだ、と言い聞かせる。こんな初対面でも辛辣な言葉を投げかけ、いきなり事情を聴いてこいと命令する男のことだ。シレネッタの心配などするわけがない。

「で、どこまで聞いていたんだ?」

 セドリックはエミールに聞く。

 エミールは先ほどの態度とは打って変わって、真剣な表情に切り替わる。

「侯爵令嬢と庭師の少年の話は聞いた。おまえに聞きたいことがある」

「何なりと」

「当主の遺体はどんなだった?」

 メモを取り出しそれを読みながら答えるセドリック。

「発見現場は当主の自室だ。そこにうつ伏せの状態で背中に短剣が突き刺さっていた。しかし、短剣は深くは刺さっていない。だが、侯爵令嬢が鈍器で殺害したとなれば証拠であるその鈍器もない。だから上は庭師が犯人ではないかと踏んでいる」

「そうか」

「明日、令嬢と庭師も連れて現場に向かうがエミールは?」

 セドリックはメモ用紙をしまうと、期待した眼差しでエミールを見つめた。セドリックとシレネッタの視線を受け、エミールは居づらそうな顔をする。しばらく唸った後、口を開いた。

「ヴォルフも連れていくぞ」

「了解した」

 エミールはセドリックの了承を得ると、そのままどこかへ歩いて行った。シレネッタは後を追う気にもならずそのまま彼が消えるまで、後ろ姿を見ていた。今日は家まで送るというセドリックの好意に甘え、シレネッタは帰路へとついた。


      ■


 早朝からエミールの事務所にやってきたシレネッタは、散らかった彼の部屋を片付けていた。昨晩、電話でおまえも来い、と言われてやってきたのだが肝心のエミールは客を応接するはずの椅子で寝ているし、一緒に現場に向かうはずのヴォルフという人物も来ていない。仕方なく、シレネッタは床に落ちた紙屑やゴミを拾い掃除を始めた。

「エミールさん、もう8時ですよ。起きてください」

 二人掛けの椅子に丸まって寝ているエミールから毛布をはがす。しかし、エミールは眉をひそめてもごもごと何か呟くだけで起きる気配はない。

 体を揺さぶってみるがそれでも起きる様子はない。困り果てたシレネッタに、男らしい声で誰かが話しかけた。

「水を思い切りかけてみたら? エミールはそのくらいしないと起きないわよ」

 一瞬、どう答えていいのか分からなかった。セドリックと似たような背丈の男性が、扉の前で立っている。プラチナブロンドの細くきめ細かい髪を短めのポニーテールにしているが、特に女性のように着飾ったりはしていない。薄水色の瞳は優しくシレネッタを見つめていた。端正な顔立ちをしているが、タレ目なところが愛嬌がある。

 どこからどう見ても色気の漂う男性だ。しかし口調がシレネッタを混乱させていた。

「え、ええっと……」

「あぁ、アンタ知らないのね。アタシはヴォルフよ。ヴォルフガング・フォン・バルヒェット。この近くにある『三月ウサギ』の所長なの。エミールとはずっと仲が良いのよ」

 口調は女性だが声質は紛れもない男だ。

「ヴォルフガングさん……。昨日、エミールさんが言っていた人ですね」

「そういえばアンタは?」

 ヴォルフはエミールをひょいっと担ぐと、水場へ向かっていった。蛇口をひねるとそのままエミールの頭を突っ込んだ。

「うあああああ」

 水の冷たさに驚いたのか、エミールが起きる。暴れるエミールを地面に降ろす。

「ヴォルフ……おまえ、ぼくに何の恨みがあるんだよ」

「恨みなんてないわよ、それよりさっさと支度して頂戴」

 傍から聞いていると、どこかの親子のような会話だ。

「あのヴォルフガングさん。三月ウサギっていうのは、探偵事務所ですか?」

「そうよ、これでも一応エリート探偵なのよ? 人間関係の事件を主に取り扱っているの」

「そうなんですか。私はここで働き始めたシレネッタ・アンダーソンです。これからよろしくお願いします」

 シレネッタの家名を聞いてヴォルフは驚く。

「あらまあ。結構なお嬢様なんじゃないの。探偵見習いかしら?」

「いえ、そういうわけでは。父に言われエミールさんの手伝いをすることになりまして」

 ヴォルフは綺麗な目を細めてシレネッタとエミールを交互に見る。

「なかなか良いところのお嬢様がこんなしがない探偵の手伝いなんて。さては、何か別のものが絡んでいるんじゃないの?」

「ヴォルフ……あのなぁ。ぼくが何でこんな小娘を相手にしなくちゃいけないんだよ。おまえ、それ推理じゃなくて妄想だろう。というか、しがないとか言うな」

「あら。そうとも限らないわよ。だってそうじゃない? 貴族の令嬢さんが何でわざわざ探偵のお手伝いなんかするのかしら? 裏で何か働いているとは思うでしょう」

 ヴォルフは楽しそうに話している。こういった話題は好きなようだ。

「馬鹿言うな。ぼくは出るところが出ている年上の女性が好きなんだ」

「わ、悪かったですね、ぺったんこで!!」

 顔を真っ赤にし、胸元を押えるシレネッタに、ヴォルフは声をあげて笑った。

「いいじゃない、いいじゃない。というか、アンタはさっさと支度しなさいよ」

 ヴォルフに言われ、エミールは用意を始めた。その間にシレネッタとヴォルフは他愛のない話で盛り上がっていた。はじめは女性言葉を話す変わったイケメンだと思っていたが、会話力に秀でており、彼と話していると笑いが絶えなかった。聞きづらい話題でも明るく話してくれるのだ。

 ヴォルフとシレネッタが盛り上がっていたころ、1人取り残され準備をしていたエミールもようやく出発できる状態になり、3人で現場へと向かった。



「今日は、彼はいないのかしら?」

「彼? あぁ、セドリックのことか?」

 ヴォルフが調達していたらしい馬車に乗り、シレネッタ達は現場へと向かう。御者は慣れた手つきで操っている。

 馬車の中は大人4人の広さだ。今回は3人のため、ヴォルフとエミールが隣同士で座っている。

「セドリックは今回いないらしい。代わりに別の警察が来るんだと」

「あら、残念ねぇ」

 シレネッタもヴォルフの意見に賛同した。今回、謎解きに巻き込まれてからというものセドリックが右も左も分からない自分を世話してくれたのだ。なんとなく彼に安心感を抱く。

「あ、着いたようですよ」

 エミールの事務所から数十分、馬車は大きな屋敷の門で止まる。

 鉄で出来たアーチ状の門は開いていて、左右にユグノー警察の紋章をつけた警護兵が立っている。

 エミールとヴォルフは堂々と中へ入っていく。ためらっているうちにシレネッタはおいて行かれそうになり、慌てて2人の後を追う。

 門から屋敷自体の入口にたどり着いたときだった。

「おい、お前らか?」

 お腹の突き出た中年の男性がシレネッタ達を止める。何事かと思い、シレネッタは体をこわばらせる。話しかけてきた彼は、ユグノー警察の人らしい。身なりのいい服装をしているが、しかしどうも好かない。

「全く……マクレイアーの小僧が助っ人を呼んだとか言うから本部からの応援かと思ったら……。お前ら泥棒猫じゃねぇか。悪いが帰ってくれねぇか? ここはお前らみたいな虫どもが来ていい場所じゃねぇんだ」

 口ぶりからすると、セドリックの上司らしい。しかし、探偵を毛嫌いする警察が多いとは聞いたことがあるがこれは許されない。探偵というだけで人間性を否定される理由にはならない。シレネッタは、沸々と湧き上がる怒りを抑えきれず偉そうな態度の中年男性に言い返した。

「どこのどなたか分かりませんが、エミールさんとヴォルフさんを虫けら扱いするのは止めてもらえませんか! 探偵だという理由で差別するのはおかしいと思いますが、それでも警察の方ですか?」

 シレネッタは怒りで目に涙を溜めながら抗議した。彼女の言葉に言われた本人も勿論、エミール達、周りの警察までもが唖然としていた。

「……この小娘が」

 中年男性はシレネッタの迫力に気がそがれたのか、少し声を抑えた。

 そこにヴォルフが楽しそうに拍手をしながらエミールとシレネッタの頭に手をやる。

「ドルマ警部。探偵が嫌いなのは分かるけど、場所を考えないとねぇ」

「ちっ」

「ヴォルフガングさん、知り合いなんですか?」

 偉そうな中年男性の名前を呼んでいたのだから、知り合いなのだろう。シレネッタは聞いてみた。

「うーん、知り合いっていうか何て言うか。結構、事件絡みのことでよく会うのよね」

「そうなんですか」

「彼はドルマ・ビルンバッハ警部よ」

 ヴォルフは明るい態度で彼を紹介する。しかし、ドルマ警部は無表情にシレネッタとエミールのことを見下しているだけだ。その態度がシレネッタをいらつかせる。

 どうも彼は自分以外の人間を見下しているようだ。馬鹿にしたような、軽蔑の目を向ける。彼とは打ち解けることは出来ないな、と思ったのだ。

「じゃあ、早速現場を見てみましょう」

 ヴォルフが屋敷の扉を開ける。そこでぴたりと動きを止め、ドルマの方を向く。

「ドルマ警部、案内お願いするわ」

「なぜわしが貴様らの手伝いをせんとならんのだ!?」

「やあねぇ、ここではチームじゃないの。それとも、アタシの言うこと聞けないのかしら」

「……」

 ヴォルフの威圧するような目と口調に、ドルマは無言でヴォルフ達の前を歩く。

「案内してくれるそうよ、ついていきましょう」

 2人を振り返ったヴォルフは楽しそうに笑っていた。若干、彼に恐怖を抱いたのは黙っておこうとシレネッタは思った。

「発見現場は、被害者の自室だ。自室はこっちだ」

 ドルマ警部は屋敷の中へ入ると右側にある赤い絨毯が敷かれた階段を上がる。

 屋敷の中はとても広く、豪奢な調度品ばかりだ。壁には絵画が飾られており、きっとどれも高値がつくものだろう。

 真っ直ぐ進んだところに1つだけ両開きの扉が現れる。そこが被害者であるコンスタン侯爵当主の自室だろう。

 ドルマ警部は無言で開けると、3人を部屋へ招き入れた。

「被害者は寝具の近くで倒れていた。背中には刃物が浅く突き立てられていた」

「へぇ、被害者は骨董品とか好きなのかしら?」

「ああ、海外から取り寄せた骨董品を集めてはこうして飾っていたらしい」

 ヴォルフの言葉通り、棚の上には一定の間隔でたくさんのつぼや食器が並べられていた。

 寝具の近くにある少し大きい棚には1つだけ、つぼが置かれている。

「犯人はやっぱりつぼか何かで殴ったんじゃないか」

 ふいに部屋を眺めていたエミールが言った。その言葉に若干、キレ気味にドルマ警部が噛みつく。

「貴様、だったら証拠であるつぼはどうして見当たらないんだよ!」

「そう怒るな。犯人が片付けたんだろう」

「何故そう言い切れる?」

 エミールは寝具の近くにあった棚へと向かう。そこに手を置くと、ドルマ警部を見た。

「他の棚には綺麗に並べてあるのに、どうしてここだけ1つだけなんだ?」

「……」

「おい、おっさん。関係者の話を詳しく聞かせてくれ」

 エミールの呼び方に、顔を真っ赤にして怒っていたドルマだったが我慢して説明し始めた。

「この侯爵家の使用人は少なく、執事、女中3人、容疑者の庭師、警備兵2人だ。執事は、午後2時に被害者の部屋にいたが、その後午後4時に娘を呼び出すように言われたらしい。その後は夕食の準備をするため、女中3人と厨房にいたと。午後5時15分に少年に当主が死んでいることを告げられ警察に連絡した、と」

 その執事曰く、被害者は毎日午後0時に起きる生活をしていたらしい。事件当日も、午後0時に起床し遅めの食事をとったと証言している。

 一方で娘の方は、午前10時に庭にいるところを女中の1人に目撃されている。被害者が起きた午後0時に、一緒に食事をしたあともう一度庭に行きその1時間後の午後3時に散歩に行くと言い、屋敷からはいなくなっていた。4時にはもう戻ってきており、執事に呼び出され被害者の部屋へ。被害者の部屋からは母娘の言い争う声が聞こえてきたという。

「そうか。おい、おまえメモしたか?」

「はい」

「おっさん、庭師の少年と侯爵令嬢を呼んでもらえるか? 丁度来ているんだろう」

 エミールはドルマにそう命令すると、何やら考え込んだ。口に手を当て何か呟きながら部屋の中をうろうろしている。ヴォルフは彼の姿をただ見ているだけだった。

 ドルマが渋々、部屋を出ていってから数分後容疑者である侯爵令嬢と庭師の少年がドルマに連れられてやって来た。まるで仲の良い兄妹のように体をぴたりとくっつけている。

 ヴォルフを見上げてみると、彼の瞳が2人の姿をじっと捉えていた。

「君たちがコンスタン侯爵令嬢と、侯爵家専属の庭師か?」

「貴方は? わたし達と歳が変わらないように見えますけど」

 アナスタシアの言葉にむっ、としたのかエミールはふてくされる。

「ぼくはあんたらより年上だ。十も上だぞ。って、そんなことはどうでもいい。事件当日のことで聞きたいことがある」

「どうぞ」

 アナスタシアに代わり、庭師の少年が答える。

「ん? あんたは何で指に包帯を巻いているんだ?」

 エミールに指摘された彼は隠すように手を重ねた。

「これは……恥ずかしい話、庭師の道具で怪我してしまって」

「ふうん、どうでもいいけど。侯爵令嬢、事件当日何をしていたか教えてもらっていいか」

 エミールの態度にアナスタシアは怒る。

「ちょっと、さっきから聞いていれば随分と無礼ですのね。わたしは侯爵家の令嬢ですのよ? 庶民の方にそんな物言いされるのは御免ですわ」

「は? ぼくも貴族だけど。何で貴族の小娘に様とか付けないとダメなんだよ」

「貴族ですって?」

 シレネッタも今初めて知ったことだ。アナスタシアと同じようなリアクションだ。いつも髪がぼさぼさで、やつれた表情でお風呂に入っているのか分からないエミールが貴族だったとは。信じられない。

「そうよ、お嬢様。エミールはいいところの坊ちゃんなの。だから何でも話してあげて頂戴」

「ですが……」

「それに言っておくけど、おまえより高位の貴族だから。これで文句ある?」

「……っ」

 面倒くさそうにエミールがアナスタシアを論破する。シレネッタにメモするように指示を出すと、彼女を座らせ質問をし始めた。

「事件当日のスケジュールを教えてもらおうか。一昨日のことだからちゃんと覚えているよな」

 事件が一昨日に起こったのも初めてエミールの口から聞いた。セドリックは優しそうな見た目をしておきながら、シレネッタ自身にはあまり情報を渡さないのだろうか。自分だけ知らないことがあったことに少しショックだった。

「朝は8時に起きて、自分の部屋で読書していましたわ。10時くらいにお庭へ行って紅茶を飲んで0時にお母様と食事をしましたの。14時に……確かもう一度庭に行ってクラウスからお花についてお話をして……確か、3時に散歩に。4時ごろに母に呼ばれてそこで喧嘩して……それから頭を殴って包丁で刺しました」

 淡々と言うアナスタシア。食い気味に隣で座っていた少年は自分がやった、と言う。

「じゃあ説明してもらおうか、事件の日のこと」

「はい。7時からずっと庭の手入れをしていました。0時になったら使用人のみなさんと昼食を取った後、まだ残っていた庭の手入れの続きをしました。3時に散歩に出かけ、5時ごろにご主人様に呼ばれて、そこで冷たく当たられたのでついカッとなり、後ろから刺しました。それから自分のやったことに気づいて、執事に報告しました」

 はっきりとした口調で答える少年を、不安そうな瞳で見つめるアナスタシア。少し様子がおかしい、とシレネッタはその時思った。

「庭師のあんたは、よく被害者に冷たく当たられていたのか?」

「はい」

 少年の言葉に信憑性があるのかエミールは、ドルマの方を見る。ドルマはゆっくりと頷いた。

「で、娘のあんたはよく喧嘩するのか?」

「ええ。よくしますわ」

 同じようにドルマ警部が頷いた。

 エミールは少し考えていたが、やがて立ち上がり2人を見た。

 その姿はどこか気品が溢れ、堂々としているように感じた。

「おい」

 ふいにシレネッタを呼びかけた。「今までのメモ全部取ったか?」

 頷くとそれを渡すように手を出される。シレネッタはメモを渡す。

 エミールはそれを見ると、声に出し読み始めた。


 被害者の状況

 自室の寝具付近でうつぶせの状態で、背中には刃物が刺されていた。刃物は浅く突き立てられていた。

 アナスタシア・コンスタン

 午前10時 庭でお茶

 午後0時 被害者と昼食

 午後2時 庭で庭師の少年と

 午後3時 散歩

 午後4時 被害者に呼び出される (鈍器で殴り包丁で刺す)



 クラウス・ハーヴィスト

 午前10時 庭の手入れ  (午前7時から)

 午後0時 使用人と昼食 (庭の手入れの続き)

 午後3時 散歩

 午後5時 被害者に呼び出される (冷たく当たられ後ろから刺す)

 午後5時15分 執事に報告



「まぁ! 丁寧で分かりやすいメモね」

 エミールから紙をひったくり、それを眺めていたヴォルフが褒める。嬉しくなり、シレネッタは照れた。

「いやぁ、まだまだですよ」

「ああ、まだまだだ」

 嬉しい気持ちを壊すかのように、エミールが愛想のないことを言う。シレネッタは、少しイラついた。

「あんたら、バレていないと思ったら大間違いだぜ」

「えっ」

 シレネッタと同じように目を大きく見開いて驚く2人。そしてお互いを見つめる。

「一般的に考えてみれば、庭師のあんたが犯人だと思うだろう。折り合いが悪かったのも動機になる。現場には令嬢の言う鈍器なんて無く被害者に突き刺さっていた刃物だけだからな」

 エミールは庭師の少年の顔をじっと見つめる。

「しかもあんたは、呼び出される前に散歩に行っている。それはお嬢様とじゃないか?」

 確かに少年は午後3時に散歩へ行っている。時系列を合わせると、アナスタシアもそうだ。2人でこっそり散歩に出かけていてもおかしくはない。

「えっと……つまり?」

 話が見えなくなり、シレネッタはエミールに説明を求める。しかし、答えたのは彼ではなく隣でじっと聞いていたヴォルフだった。

「アンタ達、付き合っているのよね? それも許されない身分違いの恋」

「そしてあんたら、2人でお互いを庇い合っている。殺したのは侯爵令嬢のあんただ」

 エミールはヴォルフの言葉に被せるようにして、アナスタシアに言い放つ。

「違います、僕がやったと言っているでしょう!? だって現場にはつぼがなかったんでしょう?」

「へえ、侯爵令嬢はつぼで殴ったわけだ。やんちゃなお嬢様なんだな」

「……っ」

 庭師の少年は歯を食いしばりながらエミールを睨みつける。拳を震わせているほどなのだから、きっとエミールを殴り倒したいのだろう。

「お二人が嫌なほど冷静な態度なのは、自分に怪しい目を向けるためでしょう?」

 それはシレネッタも違和感を覚えていたことだ。ヴォルフが言うと2人は苦しそうな表情になった。

「ぼくがなぜ、侯爵令嬢を疑っているかというと庭師のあんたなら深々と刃物だけで殺せるはずだ。少年っていっても、もう男だからな。でも、遺体は浅く突き刺さっていた。それにその指の包帯。令嬢が使った証拠を片付けていた時に破片で切ったんじゃないか? あと、自分で言っていたよな。つぼがなかった、って。それって犯人か共犯者だけが知ることじゃないか。あんたの証言は刃物で刺殺したんだろう? じゃあなぜ、つぼが使われたこと知っているんだ? なぜ、浅く致命傷にもならない傷をつけたんだ? 全部、自分のせいにするためだろう」

 エミールの何も言わせない圧力に、2人とも目に涙を浮かべただじっと堪えていた。

「これは、アタシの想像なのだけど……。2人が付き合っているから当主様は娘であるアンタと、その恋人であるアンタに冷たく当たったとか? 娘のアンタはきっと、そうね。別れなさい、とか言われたんじゃないかしら? あくまでアタシの妄想よ」

 エミールに代わって、ヴォルフが言うとアナスタシアが泣くまいと堪えていた涙を流した。

「白状しろよ、どっちにしろあんたら2人とも刑務所行きだけどな」

 シレネッタは心が痛かった。自分より若いこの男女が人を殺した事実もそうだが、叶わぬ恋に身を焦がしていることに。シレネッタも痛いほどその気持ちは理解できた。彼女自身も泡沫のような片想いに溺れているのだから。

「その……貴方の言う通りですわ。わたしがやりましたの。クラウスは……わたしを庇うために工作をしましたの」

 全てを白状したアナスタシアに、シレネッタが言い寄る。

「どうして……お母様を……」

 泣きそうになっているシレネッタの顔に、若干驚きながらアナスタシアは少し驚いたようだが、そっと微笑んだ。

「叶わぬ恋ほど燃えるものなのですわ。それは、人を悪魔にも変えてしまうほど毒でもあり、甘い幸せでもあるのです」

 どこか満足そうな彼女の表情に、ますますシレネッタの心が痛む。きっと、今までの重荷が降りてほっとしているのだろう。

「今だからこそ言うのですけど。確かに貴方の言う通り、わたしは母にクラウスと別れるよう何度も言われました。でも、わたしも社交界に出ればそのうち好きでもない方と結婚する運命。受け入れる前に、クラウスと思い出を作っておきたい、と言ったのです。しかし、母は結婚する前から異性を知っている女性は恥だ、と言って聞かなかったのですわ。あの日、クラウスのことを罵った母が許せず部屋にあったつぼで殴って……」

 告白するアナスタシアの肩を、クラウスが抱き寄せた。ドルマ警部も、エミールも、ヴォルフも、シレネッタも、ただ見守ることしか出来なかった。

「ドルマ警部。彼女が実行犯で彼が証拠隠蔽した共犯者よ」

「ああ」

 ドルマ警部は2人に立ち上がるように指示する。屋敷へと外に出て、警察が用意した馬車へと向かう。その間も2人は手を繋ぎ、離れることは無かった。

 そんな2人を見ているとシレネッタは我慢できなくなり、鼻水も垂らしながらドルマ警部の方へ向かった。

 いきなり自分の元にきた鼻水の垂れたシレネッタを見るなり、ドルマ警部は困惑した表情を隠さなかった。

「な、何だ……まだ言いたいことがあるのか……?」

「うっ、うっ……あの2人を独房でも……同じ部屋にしてあげてください……」

「はあ? そんなの無理に決まっているだろう!?」

 ふいにシレネッタの肩に手が置かれた。見上げてみると、涙で滲む視界にヴォルフが見えた。

「アタシからもお願いするわ。探偵ヴォルフではなく、ただのヴォルフとして」

「……貴様はいつもそうやって姑息な手を使う。一応、上に掛け合ってみるが無理だとしてもわしを恨むなよ」

「はいはい」

 ドルマは2人を馬車に乗せ、自分が御者台に乗り馬を走らせて消え去った。

 消えゆく馬車を見つめながら、シレネッタは号泣する。若いあの2人が自分で自分の未来を摘むくらい、恋していた。恐ろしいようで心のどこかで応援する気持ちもあった。

 なかなか泣き止まないシレネッタを心配したのか、エミールが下から顔を覗き込む。

「あんた、何でそんなに泣いているんだ? あんたには関係のない話だろ」

「……関係、なくてもっ、切ないんですっ……、どうして愛し合う2人が……貴族とか……そういったしきたりに……振り回されなきゃいけないんですか!!」

 シレネッタの言葉に、エミールとヴォルフが息を飲んだのが分かった。2人とも多分、驚いているのだろう。

「アンタって変わった女の子ねぇ」

 シレネッタが泣き止むまでヴォルフは、頭を撫でてくれていた。エミールは、どう声をかけていいのか分からないのか、シレネッタの周りをうろうろしていた。若干、鬱陶しい気持ちもあったが自分に興味がないのだと思っていたため、その気持ちが嬉しかった。



      ■


 ようやくシレネッタが泣き止み、3人で馬車に乗って事務所へと向かっていた頃。

 いきなり窓の外を見ていたエミールが、シレネッタの方を向いた。

「おい、おまえ」

「はい、何でしょう」

「ここで降りて買い出ししてこい。買うものは」

「ちょ、ちょっと待ってください、何ですかそれ!?」

 いきなりの用事にシレネッタは驚き、馬車の中で立ち上がってしまった。馬車の揺れのせいで、バランスを崩しそのまま真正面にいたヴォルフの胸元にすっぽりと収まってしまう。

「あらぁ、大胆なのねぇ」

「ご、ごめんなさい!」

 謝ってすぐ離れたが、頬を赤くしたエミールが怒った。

「おい、ヴォルフは女言葉だけど恋愛対象は女だからな?」

 エミールのせいで、ヴォルフに向ける顔をどうすればいいのだろう。シレネッタは困った。

「まあ、そんなことはどうでもいいけど。とりあえず、あんた。ベーコンと生卵とパン買ってきて。お金はほら、渡すから。はい、馬車降りて」

 エミールに渡された蛙の形の財布を握りしめたまま、シレネッタはそのまま馬車の外に放り出されてしまった。

「あ、言い忘れていたけど、明日から早朝にきて朝ごはん作るように――」

 馬車の窓から顔を出し、ついでのように言うエミール。その顔を呆然としたまま、シレネッタは見つめていた。

 馬車はそのまま走り去っていく。

「ちょっと……どういうことですかぁっ!?」

 叫んでももう、馬車には届かなかった。



      ■


「エミールも素直じゃないわよね。いわゆる、ツンデレってやつでしょう? うふふ、可愛いところあるじゃないの」

 シレネッタを放り出した後の馬車の中で、エミールをからかうヴォルフ。

「知るか。ぼくは、あいつはまだ使えるかなと思っただけだ」

「やだ、もう。さっき、アタシの胸に飛び込んだ時、顔真っ赤にしていたじゃない~。嫉妬でしょ、嫉妬~」

 意地の悪い笑みを浮かべるヴォルフの顔をエミールは殴る。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない?」

「ヴォルフだって、あいつのこと気に入っているだろう」

 突然、父の命令でやってきたという少女シレネッタ。まだ得体のしれない部分もあるが、今日のように人のために泣くことができ、悪く言われる自分たちを守ろうとしていた。エミールは、彼女のその部分を見てからというもの、少しだけ信頼してみようという気になっていた。

「人の為に動ける人は本当に優しいんだ、ってエルバ師匠が言っていたんだ。だからぼくは、彼の言葉にかけてみようと思う」

 窓の外を見てみると、赤い夕陽が街を染めていた。


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