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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
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五章



「へえ、なるほどな」

 ロトの仮説を聞いて、カナンも納得の声を上げた。

「それはあり得る。どこで睡眠薬なんか手に入れるんだ、って疑問もあるが……ジャムがなくなってるのは事実だし、犯人と何らかの接点があるだろう。薬を入れたことを知られないように持ち去った、ってことかも知れないな」

「睡眠薬なら神殿の薬師に頼めば、分けて貰えるんじゃないのかい? 眠れないんだって言えば、さ」

 薬品類は基本的に、神殿付の薬師が保管・販売している。免許制度がないので、都市では神殿とは無関係の個人も薬師や治療師の看板を出しているが、むろんインチキも混じっている。その点、神殿付なら安心だ。

「薬はともかくとしても」とリーファは続けた。「血痕が少ない理由はそれで分かるよ。最初に気絶させたのかも知れないけど、何にしても、乱闘にはならなかったんだ。爪がきれいだったし、切り傷のほかに打撲傷のひとつもなかったことも、それで説明がつく。傷のつき方も何となく不自然に思えたんだけど、向かい合って立ったままつけられた傷とは違うからじゃないかな」

 カナンはふむと相槌を打ってから、嫌そうに顔をしかめた。

「もし薬を仕込んだんだとしたら、やっぱり内部の人間が怪しいってことになっちまうな」

「あー……うん。確かに。外から侵入して瓶に薬を入れられなくもないけど、中で暮らしてる人間が一番簡単だからなぁ。あのジャムはレジーナしか食べない、ってことも、住人しか知らないし。誰が食ってもいいってんなら別だけど、この犯人は明確な狙いを持ってたはずだし」

 それが“赤毛の女”なのか、レジーナという個人なのかは、まだ分からないが。

「しばらく動きを見張る必要があるな」

 カナンがつぶやき、リーファもうなずいた。宿舎の中の人間を疑うなら、一番怪しいのはやはりユネアだ。喧嘩したという話がなくとも、第一発見者はまず疑われることになる。致し方ない。

 あとはレジーナに男がいた可能性もあるし、ユネア以外にもレジーナに強い反感を持っていた店員は少なくないので、そちらも考慮しなければならない。レジーナの所持品があまりにも質素なので、よそで後ろ暗いことに金をつぎ込んでいたという疑いも捨てきれない。

 何にしても、宿舎に出入りする人間を見張れば、手がかりがつかめるはずだ。

 というわけで、カナンとリーファは手分けして張り込むことになった。

 一人が周辺の住人に目撃情報を尋ね歩き、もう一人が宿舎を見張るのだ。最初に聞き込みを引き受けたカナンは、リーファを残して去る前に、ふと笑みをこぼして言った。

「やっぱり、おまえと組むとやりやすくていいな」

 思いがけず褒められたリーファは、照れ隠しに苦笑を作って応じる。

「おだてたって、何も出ねーぞ」

「いや、そういう意味じゃなく」

 カナンは否定したが、その顔に浮かぶ笑みは複雑な色をまじえていた。あれ、と怪訝に思ったリーファが首を傾げると、彼はごまかすように手を振って、その場を離れた。

「……何かあったのかな」

 狭い路地に一人残り、リーファは腕組みしてつぶやく。

 軽いやりとりだったはずの会話が、妙に意味深長なものに変わった気がした。素朴な褒め言葉に対する、照れ隠しの皮肉。いつもなら、そういう意味じゃない、などという弁解は必要ないはずだ。なんだ残念、とでも受け流すか、おまえより高給取りなんだぞ、とでもやり返せば、笑っておしまいになる場面だったのに。

(班長になって、あいつも今までなかった苦労をしてるのかな)

 部下になった昔の仲間との間に亀裂が入ったとか、妬まれたとか。

 リーファは宿舎に目をやり、警備隊もあそこと似たようなものだからな、と考えた。

 毎年の採用や退職、異動はあるものの、警備隊も基本的には閉ざされた組織だ。実際に仕事に当たるのは班単位で、人間関係が大きく影響する。人は誰かを一度嫌いになれば、その評価を改めることは滅多にない。だからこそ、ユネアの言ではないが、「お互い気持ちよく」過ごすための処世術が必要になるのだ。

 今のところリーファは、そうした厄介な事態の当事者にはならずに済んでいる。幸か不幸か、たった一人の女隊員であるから、自然とまわりが半歩遠慮するためだ。

 関りが浅ければ、嫌い合っても深刻なことにはならない。深くなればなるほど、悪感情はもつれ、よじれて膨れ上がり、人を巻き込んで窒息させてしまう。

(今度、無花果のジャムを見つけたら買っといてやろう)

 そんな結論で考え事に終止符を打ち、リーファは見張りに専念した。

 とは言え、気合を入れて見張れば成果が出るというものでもない。外部の人間が出入りすることもなく、店員がこそこそ怪しい動きを見せることもなく、結局その日は手ぶらで帰ることになった。カナンの方も収穫なしである。

 帰り際に本部に寄ると、薄荷の香りはしなかった。代わりに残されていたのは、無愛想なジェイムの口を通した伝言だけ。

「あの赤毛君が、蜘蛛の呪いだ、蜘蛛に対する天罰だ、とか演説してくれたもんだから、もう一度六番隊を通じて確認を取らなきゃならない――ってさ」

「天罰?」

 リーファが胡散臭げに聞き返すと、ジェイムは肩を竦めて、自分の仕事を続けながら答えた。

「僕に訊かれても知らないよ。気になるんなら、本人に訊きに行けば?」

「……いや、遠慮しとく」

 あのセルノが辟易するような御仁である。自分が行って、わずかでも成果を手に入れられるとは思えない。リーファは速やかに撤退した。


 翌日もまた、忍耐を要する一日だった。今度はリーファが聞き込みに回ったが、ユネアが見たかもしれない人影については、ほかに一切目撃証言が得られなかった。となると、やはり見間違いか記憶違いだったと考えるしかないだろう。

(ユネアに見られそうになったから、慌てて逃げたせいで髪を切り損ねた……って説が、成り立たなくなるな)

 リーファは憂鬱に考えながら、近隣の路上の花売りや掃除夫をつかまえては、メータ商会から出てくる人物を見なかったか、不審な物音や悲鳴を聞かなかったか、質問を続けた。

 空振り続きでうんざりしたリーファは、頃合を見てカナンと交代すべく、路地に戻った。

「そっちはどうだい」

「動きなし。そっちは?」

「収穫なし。そう簡単にいかないって分かってても、毎度これは疲れるよなぁ」

 リーファは苦笑で応じ、何気なく宿舎を見やる。そろそろ昼時なので、交代で休憩を取る店員たちが、まばらに行き来していた。その中から一人が離れ、皆とは違う方へ歩き出す。

「やべっ」

 見付かる、とリーファは慌てて路地に体を潜りこませた。宿舎の出入り口を見張れる場所はそこしかなかったから仕方ないのだが、路地と言えるほどの隙間も充分にないので、狭くてかなわない。

「ユネアだ」

 リーファがささやき、カナンも後ろから妙に遠慮がちに様子を窺う。店員仲間に手を振って、ユネアが一人で裏門へと歩いていた。

「外へ食事に出るのか?」

 カナンが不審げにつぶやく。リーファは小さく首を振った。

「いや、何か私用を片付けるんだろ。昼飯なら、ほかの店員も誘って一緒に行くと思うよ」

 一人で気ままに行動していたレジーナと違い、他の店員との関係に気配りをするユネアなら、自分ひとりだけ外食するということはないだろう。

「そういうもんなのか」

 カナンが複雑な声で応じた。女の集団行動はよく分からん、とでも言いたげだ。リーファは苦笑をこぼしたが、ユネアが門から出てきたので、急いで後ずさって身を隠した。

「いてっ」

 足を踏まれたカナンが呻く。リーファは振り向かずに「ごめん」と短く詫びて、ユネアの足音に聞き耳を立てる。じっと身じろぎもせずにいると、自分の息遣いが耳障りになってきた。

 ――自分の?

 いや、違う。通りに全神経を集中させていたリーファは、不意に気付いてぎくりとした。

 耳元で繰り返される息遣いは、カナンのものだった。無理やり狭い路地に入り込んだせいで、すっかり密着していたのだ。

「リー、おまえ少し……」

 カナンが苛立ちと熱のこもった声でささやく。

「自分が女だってこと、自覚しろよ」

 言いながら彼は身じろぎしたが、離れるのが目的ではなかった。リーファは背後から腰を抱かれる格好になり、背中を這い上がる不快感に顔をゆがめた。

「この馬鹿! 仕事中に変なこと考えんな!」

 怒鳴りたいのを堪えてささやきで叱咤し、狭い隙間で肘を動かして相手を押しのける。だがカナンはリーファをきつく抱きしめて離さない。より強く体を押し付けてくる。

「無防備にもほどがあるだろ、こんな狭い場所に……男と二人きりで、なんて」

「だから仕事中だっつってんだろボケ! 大体、あんたオレのこと女扱いする方が難しいとか、失敬なことぬかしやがったくせに……っつか、こんなことしてる場合じゃねえ! ユネアが行っちまうだろが!」

 流石にカナンも正気に返ったらしい。力が緩み、リーファは急いで建物の陰から顔を出して左右を見渡す。幸い、まだユネアの後姿が見えていた。

 カナンがどうするかなど確認もせず、リーファはユネアを追って走り出した。見付からないように足音を忍ばせ、時折物陰に隠れながら尾行を続ける。ややあって、ユネアは一軒の小さな店に入った。薬店だ。

 あまり長く待つ必要はなく、じきユネアが手提げ籠に何かを入れながら出てきた。リーファはちょうど巡回中だったような風情を装い、さりげなく近付いて、おや、と声をかけた。

「ユネアさん? どうしたんですか、こんな所で」

 いかにも偶然らしく言い、今初めて気付いたように看板を見上げて眉をひそめる。

「どこか具合でも?」

 小声で気遣ったリーファに、ユネアは「いいえ」と笑って首を振った。

「店で使うものを買いに来ただけです。そちらは巡回ですか」

「ええまあ、聞き込みがてら、この辺りを。どうですか、その後」

 何か思い出したことは、と、ついでのように尋ねる。リーファはユネアの顔に目を当てたまま、視界の端で、彼女の指が手提げの紐をしきりにいじっているのを捉えていた。

「お役に立ちそうなことは、何も。ごめんなさい」

 ユネアは申し訳なさそうに頭を下げ、急いでいると言いたげに歩き出す。慌ててリーファは道を譲った。

「こちらこそ、呼び止めてすみませんでした」

 失礼、と詫びてユネアを行かせる。後ろ姿が雑踏に消えるのを待ってから、リーファは薬店に入り、彼女が何を買ったのかを確かめた。

 店から出てくると、外にカナンが立っていた。羞恥と怒りと罪悪感がごっちゃになって、どうしたら良いのか分からないような顔をしている。リーファは小首を傾げて問いかけた。

「頭、冷えたかい」

「あれはっ……、おまえが」

 言いかけて、カナンは小さく罵声を吐き捨てる。リーファは冷ややかな怒りを抱いて、目を瞑ってゆっくりひとつ呼吸した。そして、カナンの鼻を噛みちぎれそうなほどまで近付き、鋭くささやく。

「あんたがオレをどう見ようと勝手だ。犯したけりゃ、それでも構わねえぞ? きゃあとか悲鳴上げて恥ずかしがる、普通のお嬢さんとは違うんだからな」

「――っ」

 カナンが息を飲む。リーファは忌まわしい過去の記憶を相手の顔に重ね、蔑みと嫌悪を、これ以上ないほど視線に込めて睨み付けた。

「だけど、仕事は仕事だ。邪魔するようなら、オレはあんたを隊長に突き出して処分してもらう。むしろ逆にオレが警備隊から叩き出されるかもしれねーけどな」

「…………すまなかった」

 長い沈黙の後、ようやくカナンはそう言って、大きく息を吐いた。そして、一気に疲労に押しつぶされたように、両手で顔をこする。

「悪い、本当にすまん。どうかしてた。ああくそっ」

 ひとしきりあれこれ罵詈雑言をつぶやいてから、彼は情けない表情でリーファを見つめた。

「詫びに昼飯を奢らせてくれるか?」

 いつもの、先輩隊員の声だった。リーファは一歩離れてじろじろカナンを眺め回し、それから尊大な笑みを浮かべてうなずいた。

「しょーがねえ、勘弁してやらぁ」

 偉そうに許したリーファに、しかしもちろん、カナンは何も言い返せなかった。


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