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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
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三章


 見るべきものを一通り確認して、リーファが事務室に戻ると、カナンが席を立ったところだった。

「お、リー、ちょうど良かった。しばらくはどの店員も抜けられそうにないから、今のうちに昼飯を食いに行こう。詰所で調べをまとめてから、夕方にまた出直すことになった」

「了解。こっちも一旦、整理したかったんだ」

 リーファはうなずき、管理人夫婦に手数を詫びてから、カナンと連れ立って外に出た。

「何か分かったかい?」

「今のところは、たいした収穫はないな。誰も犯人を見ていないし、争った物音も聞いてない。発見者のユネアって店員から話を聞けたら、少しは進展するだろう」

「ああ、ジャムの」

「??」

 不審顔になったカナンに、リーファは先刻聞いた話を伝える。カナンは渋面になった。

「そんな話、俺にはしてくれなかったぞ」

「警備隊員に話すようなことじゃない、と思ったからだろ。オレは一応、女の子から見たらお仲間だからさ。くだらない世間話にも加わらせてくれるわけだよ」

「何が重要で何が不必要か、勝手に決められちゃ困るんだけどなぁ」

 やれやれ、とカナンがため息をつく。リーファは苦笑しながら、肩をぽんと叩いて慰めた。

「しょうがないさ。本当にどうでもいい話を延々と続けられたら、こっちだって仕事に差し支えるんだし」

 それもそうだな、とカナンは気を取り直し、うんと伸びをする。二人は屋台で串焼き肉とパンを買い、詰所に戻ってそれを食べながら、情報のまとめにとりかかった。

「おまえの方はどうだった? 現場を見て何か気付かなかったか」

「不自然、かな」

「……つまり?」

「あんたが、しっくり来ない、ってったような意味だよ。今までの例から考えると、椅子に座って一服していたのを背後から襲われたんだろうけど、犯人が目隠しに失敗して、振り向いたレジーナはそいつの顔を見てしまった。だから、正面から切りつけられて腕や手に傷を受け、倒れて、止めを刺された……って成り行きが考えられる」

「だろうな。そのわりに、悲鳴や物音を誰も聞いてないのが妙なんだが。それだけ手間取ったんなら乱闘になった筈だろ」

 カナンが首を傾げつつパンを頬張る。リーファは肉のなくなった串を指でいじりながら、「音だけじゃない」と応じた。

「部屋の痕跡も、静か過ぎるんだ。椅子が倒れてたぐらいで、机の位置も動いてないし、血しぶきが飛んでない。あれだけ何回も切りつけられたのなら、机とか椅子とか、離れた場所の床や壁にも、血がつくと思うんだ。犯人は、こう……」

 と、リーファは串に水をつけて振り上げた。滴がかかり、わっ、とカナンが顔をしかめる。リーファは目顔で詫びてから説明を続けた。

「ナイフを振り回したわけだろ。最初の一撃はともかく、その後はナイフにも血が付いてるから、動けば動くほど、血が飛び散る」

「なるほど」

 カナンはしかめ面で顔を拭い、じとっと串を睨んだ。

「そう言われたら確かに、おかしいな。俺が見た時もそんな血痕はなかった。そのままにしておくように管理人には言ったから、まさか拭き取ったりはしていないだろうし」

「お茶とビスケットは片付けられてたけどな」

「なに?」

「空っぽのカップと小皿があるだけだったよ。行儀良く並んでね」

 リーファが肩を竦め、カナンは天を仰いで呻いた。生ものだけに、現実問題としていつまでもそのままにはしておけないが、しかし一日ぐらい待ってくれても良かっただろうに。

「あんたが見た時は、どうだったんだい?」

「カップが倒れて、紅茶の染みが机に広がっていたな。こぼれた量は少なかったようだ。あと、たっぷりジャムのついたビスケットが、かじりかけで皿に残ってた。かけらが机にちらばってたっけな」

 記憶を辿りながらカナンは答え、ふと不思議そうにつぶやいた。

「ジャムが好きなら、なんで貰わなかったんだろう?」

「ユネアって子が嫌いだったからじゃないのかい。それか、自分用にそのジャムがあったから、余分のは要らないってったのか。まあ何にしても、至福のひと時が暗転したってのは間違いないみたいだな」

 気の毒に、とリーファは頭を振った。カナンは苦笑をこぼし、他に何か気付いたか、と問うた。

「うーん、色々なんか引っかかるような気はするんだけど、今は何とも言えないなぁ。オレはこれまでの事件については報告書を読んだだけで、現場には行ってないから。この目で見てたら、どこがどうおかしいのか分かったかも知れねーけど」

「ああ、そうだなぁ。今まではこんな、街区をいくつもまたぐような連続事件はなかったから。こういう場合にどうするか決めておかないと、また解決が遅れたら市民の皆様にどやされる」

 はあ、とため息。どうやら彼も、警備隊は何やってるの、と地域住民に責められたようだ。リーファは同情的にうなずいた。

「とりあえず、オレは一度本部に行ってレジーナの遺体を見てくる。時間があれば過去の調書も、もっぺん見直してくるよ。オレが戻るまで待たなくても、都合でメータ商会に向かってくれて構わないから」

「了解」

 ぞんざいな敬礼を交わし、リーファは詰所を後にした。


 本部のドアを開けると、微かに薄荷の香りが漂ってきた。

 セルノの所在が知れて便利やら鬱陶しいやら微妙なところだが、

(まあ、臭いのよりは、薄荷の方がましか)

 リーファは一人肩を竦めて敷居をまたいだ。普段の本部は、悪臭芬々とまでは言わないものの、慣れない部外者の鼻には、あまり優しくない。

 山のような書類から立ち上る、羊皮紙とインクの匂い。出入りする隊員はしょっちゅう怪我をしたり汚れたりしているし、迷子がお漏らしすることもあるし、そんなこんなで。

「ラーシュ班長は?」

 室内にいたジェイムに聞くと、取調べ中、と素っ気ない返事。リーファは、そっか、とうなずいて氷室へ降りるべく余分の上着を羽織った。赤毛君については、後で聞くとしよう。

 冷え切った地下室にある明かりは、地上すれすれの場所に細長く穿たれた窓から差し込む光だけ。リーファはランプに火を入れる代わりに、光の使霊を呼び出した。

「ユエ」

 名前を呼ばれて、窓の近くに光がすうっと集まり、球を成す。どうやら外で勝手に陽光を補充していたらしい。リーファが手招きすると、ふわふわと漂いながら近寄ってきた。

 熱もなく、揺らぎもしない便利な魔法の明かりを頼りに、リーファはシーツのかけられている寝台に向かった。

 そっとめくると、赤毛の女の顔が現れる。左のこめかみから口元にかけて、大きな傷口がばっくり開いていた。リーファは習慣的に手を合わせてから、シーツを全部剥いだ。

 遺体は裸だった。殺人や不審な死に方の場合、警備隊が検死を行うのは当然のこととして定着しているが、そのやり方については、やはりまだ反発が根強い。

 ごく特殊な場合を除いて解剖まではされないが、こんな風に若い娘が何一つ隠すことのできない状態にされ、赤の他人が隅々まで調べるのだ。しかも通常の検死は、見落としのないよう明るい戸外で行われる。むろん野次馬は追い払うが、どこから覗き見されるか分からない。となれば、顰蹙も罵倒も、人として当然の反応だろう。

「可哀想に」

 ぽつりとつぶやきが漏れた。

 死者が名家や裕福な商家の一員であったり、非常に親密な家族友人がいたりすると、検死がままならないこともある。だが、幸か不幸か、ここに運び込まれる遺体は、そうした庇護を受けられないものが大半だ。身寄りがいない、貧しくて立場が弱い、警備隊に遠慮して何も言えない、そんな人々。

 リーファはそっと丁寧に、レジーナの腕を取った。報告書に書かれていた通りの切り傷が確認できる。

「……?」

 実際の傷口を見ると、奇妙な違和感にとらわれた。何かがおかしい、と首を捻りながら、リーファは細かいところまで調べていった。

 爪の間には何も挟まっていない。取っ組み合いになっていたら、相手を引っかいた時の血がついていたりするが、きれいなものだ。レジーナは犯人に触れることはなかったのだろう。

 髪の毛は、今回はそっくり残っていた。一連の事件では、量や部位にばらつきはあるが、必ず髪が切られていたのに、それがない。

(ということは、手口をよく知らない誰かが偽装したか、あるいは単に今回は時間がなかったのか、だな。発見時の状況を聞けば、その辺がはっきりするだろう)

 頭の中で、確認事項をひとつ追加しておく。

 結局、報告書に付け足す発見はないまま、リーファは遺体を元通りにして氷室を出た。

 地上に戻ると、薄荷の香りがはっきりと分かった。セルノがそこらの椅子に勝手に座り、朝に特大ポット一杯用意された紅茶を、渋い顔で飲んでいる。

「班長、赤毛君は何かしゃべりましたか」

「意味のあることは、ほとんど何も」

 セルノは憂鬱げに答え、頭を振った。

「三歳児でもまだ、あいつよりは筋の通った会話が出来るぞ」

「そんなに手強いんですか」

「隙がない。嘘やごまかしを言わずに、無関係のたわごとを並べて、こっちを疲れさせてくれるよ。なぜあの下宿屋にいたのかを訊けば、赤毛の女はふしだらだ、とかいう自説を延々と語ってくれる。妙なこだわりの強さを感じるから、あいつが犯人だろうとは思うんだが」

 セルノはため息をついて、ああそうだ、と顔を上げてリーファを見た。

「ひとつだけ成果があったな。赤毛君の名前は、シーファスというそうだ」

 半日かけてそれだけだよ、とげんなり呻く。そろそろ交代しないか、などと言い出されない内に、リーファは急いで本部から逃げ出した。


 しばしの後、リーファはカナンと連れ立って、ふたたびメータ商会を訪れていた。

「お疲れのところ申し訳ありません、あなたがレジーナさんを発見した時の状況を、もう一度お話し願えませんか」

 並んで座った二人の警備隊員の向かいで、落ち着いた印象の女が一人、はい、とうなずいた。店員の中では古参に入る、ユネアだ。

「昨日、私が仕事を終えてこちらに戻って来ましたら、物音が聞こえました。騒々しいというほどではなかったのですが、何かが落ちたか倒れたような音でしたので、気になって見に行ってみたんです。どこで物音がしたのかと探していたら、あの人が倒れているのが見えて」

「部屋のドアは開いていた、ということですか」

 カナンが確認する。ユネアは記憶を辿るように視線を宙にやり、考えながら答えた。

「はっきり覚えていないんです、ごめんなさい。もしかしたら、隙間が開いているのに気付いて無意識に中を覗いたのかも。鍵がかかっていなかったのは、確かです」

「レジーナさんの部屋に行くまで、誰かとすれ違いませんでしたか。室内には人がいましたか?」

「誰ともすれ違ってはいません。……室内には、どうだったか……あの人に気を取られたので、はっきりとは。言われてみれば、誰か窓から出て行くのを見たような気もしますけど」

 ユネアの答えは慎重だった。確かにこうだった、と断言するのを避けている。

 動転していたから記憶が曖昧なのかな、とリーファは彼女を観察しながら考えた。横でカナンが質問を続ける。

「あの窓は、人がくぐり抜けるには、かなり小さいように見えますが」

「だったら、見間違いかも知れません。でも、窓から逃げられなくはないと思いますよ」

 ユネアはちらっと背後を見やり、管理人室に続く扉が閉まっているのを確認してから小声で付け足した。

「たまに、夜中にこっそり出て行く人がいますから。壁に張り出しがあって、ぐるっと伝って行けるみたいです」

 つまり男子棟まで、ということだろう。リーファとカナンは呆れ顔を見合わせたが、感想を述べるのは差し控えた。

 リーファはこほんと咳払いしてから、代わって質問を出した。

「あなたは、レジーナさんとはどんな関係でしたか。あなたから見て、彼女が怪しい人物につけ狙われていたというような心当たりは?」

「ありません」ユネアは首を振った。「特に親しくもありませんでしたし。それに私、あの人には嫌われていましたから」

 自分で言って、苦笑する。その表情に含まれる棘に気付き、リーファは小首を傾げた。

「あなたも相手を嫌っていた?」

「いいえ、そんなことは。私はなるべく、打ち解けようと努力していたんですけど。余計なお世話だったんでしょうね」

 ユネアは笑って、軽い口調で答えた。だが声音に濁った色が混じるのはごまかせていない。本当に嫌っていなかったのなら、自分を正当化する言い訳は必要ないはずだ。リーファはそう判断したが、表面上はユネアの言い分で納得したふりをした。

「お裾分けを断られたと聞きました。素っ気ない人だったようですね」

「誰がそんなことまで……いえ、ええ、そうですね。愛想の良い性質ではありませんでした。皆と一緒にいるよりは、一人で気ままに行動している方が多かったですし。だから、あの人が仕事以外でどんな人と関っていたか、知っている人はいないと思いますよ」

「そのようですね」

 実際、今までに話を聞いた店員の中には、レジーナと親しかった、と言う者は一人もいない。顔も名前も知っているし、多少の会話もするが、友人ではない――そんな関係ばかり。

 メモをとっていたカナンがふと顔を上げ、思い出したように問うた。

「ユネアさん、窓から逃げていったという人影がどんな風だったか、思い出せる特徴はありませんか。気のせいかも知れないにしても、もしその人物を見たら、判別できませんかね」

「え……それは、ちょっと……」

 ユネアは目をそらし、言葉を濁す。見たかどうかも曖昧なのに、それがどんな人物だったかと言われても困るだろう。リーファはカナンが何を考えたか察し、待て待て、と止めた。

「いや、それはあり得ないって。その時間にはあいつ、留置所だったんだから」

「あぁそうだった。なんだかごっちゃになって」

 カナンは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。赤毛君ことシーファスをユネアに会わせて、逃げた人影と似ていないか確認しようとしたのだろう。だが同一人物のはずがないのだ。リーファは苦笑気味にとりなした。

「分からなくもないけどな。よく似た事件が続いてるわけだし」

 と、二人のやりとりを聞いていたユネアが、「どういうことですか」と口を挟んできた。

「もしかして、犯人がもう捕まったとか?」

 単なる好奇心を超えた熱心さが、表情にあらわれている。適当にごまかしたとしても、食い下がられそうだ。どのみち、連続強盗犯逮捕の知らせは、既に警備隊の外に広まりつつあるので隠し通せまいが。

 しまったな、とリーファはため息をついてから答えた。

「まだ確定したわけではないんですが。赤毛の女性を狙った一連の事件の犯人と思われる人物を、昨日の昼に捕らえました」

「でも、それじゃ……こっちの事件は」

「そうなんですよ。我々も困っています。あなたが見たかも知れないというその人影が、こちらで身柄を押さえた人物と関係があるのか、ないのか。とにかく捕らえないことには確かめようがありませんので」

 リーファは感情や思惑を一切隠して、淡々と事務的に言った。部外者に余計な情報を与えるべきではない。その上で、じっとユネアを見つめる。彼女は反応を観察されていると気付いたらしく、こわばった無表情で、黙ったままうつむいた。リーファは微かに眉を上げた。

(なるほど。嘘をついているのか、後ろめたいことがあるみたいだな。かえって露骨にばれてるよ、お嬢さん)

 とは言え、その隠し事が事件に関係あるとは限らない。ここで強引に突っ込んだ質問をすれば、反感を買って捜査がやりにくくなるだろう。押しの一手よりも、たまには引く方が上手く行く。リーファはカナンに目配せしながら訊いた。

「ほかに確認する事、あったっけ?」

「今のところは、これぐらいかな」

 カナンも察した風にうなずき、ユネアに笑みを見せた。

「お時間を割いて頂いて、ありがとうございました。何か思い出したら、いつでも警備隊までお知らせください。後日また質問に伺うかもしれませんが、なにとぞご協力お願いします」

 どうぞ、もう結構です、と手振りで退出を促す。ユネアはぺこりと会釈すると、なんとなく警戒している風情のまま、席を立った。彼女がドアに手をかけたところで、

「そうだ、ついでにお聞きしますが」

 カナンがいきなり呼び止めた。ユネアがぎくりと竦んで振り返る。迎撃態勢の顔つきで。

 しかしカナンは無頓着に、おどけた口調で続けた。

「ご実家から送ってきたっていうジャム、余ってたりなんかは、……しませんね、やっぱり」

 言葉の途中でユネアの変な顔に気付き、照れ臭そうに頭を掻く。いいです、すみません、とごまかし笑いで手を振ったカナンに、ユネアは気抜けした苦笑をこぼして、部屋から出て行った。

 足音が廊下を遠ざかってから、リーファはこそっと小声で問うた。

「で、何を聞き出そうとしたんだい、先輩。まさか本気でジャムが欲しかっただけ、とか言わねーよな?」

「半分ぐらい本気だけどな。無花果のジャム、好きなんだよ」

「……ちょっと季節的に早いんじゃないかい」

「そうだな、これからか。おい待てどこへ行く、先輩を無視するな」

 慌ててカナンが立ち上がる。先に部屋を出かけていたリーファは、戸口で振り返って呆れ顔をした。

「台所。ジャムが気になるんだろ、瓶を確認しに行くんだよ」

「それならそうと言えよ。まったく」

 態度のでかい後輩だ、とぼやくカナンを放って、リーファはさっさと歩き出した。


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