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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
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二章



 連続強盗犯を捕らえ、祝杯を挙げて皆で酔っ払った翌日。ちょっとばかり痛む頭を抱えて出勤したリーファを待っていたのは、本格的な頭痛のタネだった。

「ぅはよーござ……あれ?」

 本部のドアを開けて挨拶しかけ、中に漂う不穏な空気に言葉を飲み込む。隊長席では不機嫌な熊、もといディナルが爪を研ぎつつ待ち構え、そばで馴染みの先輩が困り果てた顔をしていた。さらに、渋面のセルノまでがいる。

 厄介な事態が持ち上がったことは一目瞭然だった。リーファはそっと扉を閉めて、壁の出勤札をひっくり返すと、あえて無言で待ち続ける三人の前に、おずおずと進み出た。

「何かあったんですか」

「最初にひとつ確認するが」セルノが切り出した。「君と私があの若者を逮捕したのは、確かに昨日の、真っ昼間だったな? 正午の鐘が鳴って間もない頃だった。記憶違いでも、祝杯のせいで日付が飛んだわけでもないな?」

「?? はい、確かに昨日の正午過ぎです」

 リーファが答えると、入隊試験以来の付き合いである先輩隊員にして現二番隊三班班長、カナン=スーザがため息をついた。

「うちの区内で、昨日の夕方、強盗殺人が発生した。被害者は赤毛の女で、壁には蜘蛛のしるしがあったんだ」

「――え」

「留置所のあの若い奴は」とディナル。「昨日からずっと、俺は悪くない何も知らん、とそればかり叫んどる」

「…………」

 頭痛がひどくなってきた。リーファはこめかみを押さえ、奥歯で苦虫を噛み潰す。

「順番が合わない」

 唸りが漏れた。二番街では、これまでの犯行に見られた規則に反する。

 彼女の言いたいことを理解し、カナンがうなずく。だがディナルは両手を机に叩きつけ、椅子が倒れそうな勢いで立ち上がった。

「先走りよって、この馬鹿が! 何が順番だ、規則性だ! 現に事件が起こっとるだろうが! 勝手に作った理屈にとらわれて捜査をおろそかにするから、こういうことになる!」

 壁を震わす怒声を張り上げて吼え、もう一度机を叩く。荒い鼻息が鎮まるまで数呼吸かけてから、彼はドスンと腰を下ろした。ふーっ、と、深いため息ひとつ。

「……だが、奴が嘘をついている可能性もある。悪人どもは本当のことなどひとつも言わんからな。それに、一連の事件は有名になりすぎた。誰かが真似をしてもおかしくない。というわけだから、おまえはしばらくカナンについて二番隊で捜査に加われ」

「分かりました」

 リーファはいささか驚きながらも、余計なことは言わずに敬礼する。セルノが肩を竦めた。

「あの赤毛君の取り調べは、私がやっておく。何か分かれば、お互い情報を交換するとしよう」

「お願いします」

 頭を下げたリーファに、セルノは気障な微笑を浮かべて応じた。

「ああ、任せてくれ。万一無実だった場合に訴えられないよう、手加減せざるを得ないが、君の方が頑張って事件を解明してくれたら、私も存分に彼をいじめられる。頼むぞ」

 ちなみにこれは、警備隊内でよく言われる冗談である。現実には、身分や財力のない一般市民が、警備隊に嫌な思いをさせられたからと言って、裁判に訴えたことはない。まず勝ち目がないからだし、実際問題として、警備隊が萎縮して軽犯罪がはびこるよりは、ちょっとぐらいの迷惑は我慢するほうがマシ、と認識されているからだ。

 もっとも、冗談であっても上司の口から出た日には、笑うべきか否か困るのが部下というものなのだが。

「……了解」

 苦笑いで敬礼し、リーファはカナンと連れ立って本部を後にした。

 広場に出ると、爽やかな風が頬を撫でた。蒸し暑い夏を耐え忍んできた身には、ことさら嬉しい涼風だ。リーファは深呼吸して気分を切り替えると、さて、とカナンに向き直った。

「では、スーザ班長。事件の概要をお聞かせ願えますか?」

「やめてくれ、厭味にしか聞こえないぞ」

 カナンは苦笑すると、彼女の腕を軽くはたいた。途端にリーファはにんまりする。

「厭味ですから」

「おまえな……さんざん世話してやった恩を忘れたか、薄情者。今の班長がよっぽど好きなんだな」

「ぎゃっ」

 見事にやり返されて、リーファは大袈裟な悲鳴を上げる。二人は一緒になってちょっと笑うと、ゆっくり歩き出した。

「――で、昨日の夕方だって?」

「ああ。メータ商会は知ってるよな、あそこの住み込み従業員が殺されたんだ。遺体は俺が一通り検死して、氷室に運んでおいた。詰所で調書を見てから、不審な点があれば後で確認してくれ」

「不審な点があった、みたいだね。その口調からすると」

「まあな」カナンは肩を竦めた。「予断は避けて欲しいから、分かっている事実だけ話すぞ。被害者の名前はレジーナ。メータ商会は使用人専用の下宿を持っているんだが、そこに住んでいた。自分の部屋で死んでいて、手や顔に切り傷が複数あったが、致命傷は恐らく首の傷だ。凶器は部屋にあった果物ナイフで、床に放置されていた。盗まれたものはまだはっきりしない。本人が何を持っていたか、死んでしまった今では分からないからな」

「蜘蛛の模様は?」

「壁についてた。化粧箱に荒らされた跡があったから、首飾りとかその類があったのなら、それが目当てだったのかもな。昨日は午後まで仕事に出ていたことが確認されている。終わってすぐに部屋に帰って、一服していたところをやられたみたいだな。食べかけのビスケットとジャムが残っていたから」

「うぁ……仕事の後の一休みなんて、至福の時間じゃねーか。よりによってそんなところを狙わなくてもいいだろうに、ひでえな」

 リーファは呻き、頭を振った。城に帰って国王陛下お手製の茶菓子にありつけた時の喜びを思い出し、あれをぶち壊されたら死んでも死にきれない、などと嘆息する。横でカナンが苦笑した。

「ほかの状況ならいいってもんでもないだろう。住人への聞き込みはまだ、詳しくは出来てないんだ。今日、現場まで一緒に来てくれ」

「了解」

 とはいえ、まずは調書の確認だ。詰所に着くと、カナンが班員から報告を受けたり、あれこれ指示を出したりしている間に、リーファは渡された書類数枚に目を通した。

 書かれていたのは、道すがらカナンが話してくれた内容がほぼすべてだった。すっかり定着した検死報告書は、本部のジェイムが作成した人体図を版画で刷ったものだ。傷の位置などのほかに、カナンの筆跡であれこれ書き込んである。

 リーファはそれをじっくり眺め、ふむ、と首を傾げた。

(不審な点、ってのはこれか)

 傷のついている場所が、今までの被害者とは明らかに違っているのだ。

 ほとんどの場合は手か腕に浅い切り傷だけだった。殴打された例もあるが、出血するほどの負傷はない。殺された二人は加えて腹か背中を一突きされている。

 だがこの被害者の傷は、両腕に合計四箇所。さらに顔にまで切りつけられていた。

(なんか不自然だな)

 リーファは報告書を睨み、後で自分の目で遺体を確認しよう、と決めた。

 そこへカナンが戻ってきて、肩越しに報告書を覗き込んだ。

「どうだ、感想は」

「妙だね。確かに」

「やっぱりそう思うか。俺もなんだか、現場を見た時に妙な感じがしたんだ。倒れていたのが赤毛の女だったし、詰所への第一報も例の強盗だってことだったから、ぱっと見てそう思い込んだんだが……色々調べている内に、どうもしっくり来ない気がして」

 カナンは唸り、首をひねった。

「おまえみたいに観察力があれば、どこがどうおかしいのか、具体的に言えるんだろうけどな。ただ俺の勘だと、これは一連の事件とは関係ないか、あるいは同じ犯人だとしても特別な場合だと思う」

「おだてて上手く使おうってハラかい、先輩。ご期待にそえるかどうか分かんねーぞ。あんただって、ちゃんと“おかしい”って気付いてるじゃないか。多分その理由は……この傷の多さじゃないか?」

「ああ、うん。顔までだからな。俺も今までの分の調書は読んだけど、顔を切られた被害者はいないだろ。だから性質が違うと思ったんだよ」

 そこまで言って、カナンはうーんと考えてから、自信なさげに続けた。

「あやふやな表現で嫌なんだが……なんかこう、ほかの現場とは感情が違う、とでも言うかな」

「分かる気がするよ。この事件だけ、被害者に対する強い感情が残されているようだ、ってんだろ。オレも同感」

 リーファはうなずいて立ち上がり、行こう、と促した。

 二番街は基本的に商業区で、卸問屋と大店が密集している。小売店の方が多い区画もあるが、カナンの三班が受け持つのは、中央広場から大通りを一筋奥に入った辺りで、大店が並んでいる。メータ商会は北方からの輸入品を扱っており、サラシア王国産のものなら何でもここに行けば揃うと言われているほどだ。

 リーファがここを訪れるのはほぼ二年ぶりだが、店は相変わらず賑わっていた。残念なことに、野次馬も含めて、であったが。

 店員たちも落ち着きがなく、興味本位の冷やかし客をさばくのに疲れた顔をしている。二人は彼らを煩わせないように、裏手に回って従業員用の出入り口からお邪魔した。出迎えたのは、忙しいだろうに番頭だった。

「警備隊の方ですね、ご苦労様です。主人も速やかな解決を求めております、出来る限りの協力を致しますので、なんなりとお申し付けください」

 少々寂しくなっている頭頂を見せてお辞儀しつつ、番頭はちらりとリーファに視線を投げた。二年前を覚えているリーファは、微かに苦笑を浮かべて目礼する。あの時は随分と胡散臭げに、そっけない対応をされたものだ。だがリーファが何も言わなかったので、番頭も畏まって無表情を維持した。

 カナンがこほんと咳払いし、微妙な空気をごまかす。

「昨日と同じく、現場を見せてもらいます。その後で、発見者を含めて従業員から話を聞きますので、仕事の手が空いている人から順に宿舎の事務室に来るよう、話しておいて下さい」

「畏まりました。従業員、全員でございますか?」

「ええ、一応全員から話を聞きます。亡くなったレジーナさんについて、わずかでも情報が必要ですので」

「承知いたしました」

 番頭は再び一礼して、では、と店内に戻っていく。カナンが歩き出したので、リーファも後に続いた。


 使用人の宿舎は簡素な三階建で、商店部分とは離れているものの、同じ敷地内に建てられていた。出入り口のすぐそばには事務室と管理人室とがあり、中年の夫婦が出迎えてくれた。事務室は管理人夫婦の仕事場であり、同時に、宿舎への訪問者の相手をする部屋でもある。保安と風紀の問題上、それより奥に入って良いのは、住人だけと決められているのだ。

「ということは、たとえ身内が訪ねてきても、部屋に招いたり泊めたりするのは許されていないわけですか」

 リーファが問うと、夫婦はちょっと顔を見合わせて声を低めた。

「決まりでは、そうなっております。ですが流石に、私どもに見張られながらでは、内輪の話も出来ませんでしょう。泊めるのはいけませんが、部屋でしばらく話をするぐらいは、見逃しております。とは言いましても、昨日はそうした来客もありませんでした。この建物にいたのは、住み込みの使用人と私ども二人だけです」

「こっそり忍び込まれていたのなら、分かりませんが……」

 夫の説明に、妻が不安げに言い添えて、膝の上で手をもみ絞った。視線が泳いでいるのは、殺人鬼が知らぬ間に入り込んだのではという恐怖ゆえか、自分たちの管理責任を問われることへの不安ゆえだろうか。

 カナンが聴取をしている間、リーファは現場の部屋を見せてもらうことにした。

 鍵を渡され、部屋の位置を教わって事務室を出る。玄関を中心に左右で男女の部屋が分けられているが、それでも余計な面倒事を避けるため、個室に鍵がついているというのだ。

「さすが、大店は違うねぇ」

 鍵を指でくるくる回しながら、リーファはひとりごちた。並んだ部屋の扉には名札が出ているので、どこに誰がいるかはすぐ分かる。錠前もごく単純なもので、リーファなら何の準備をせずとも針金一本で開けられる程度だが、それでも、こうして鍵があるというだけで随分と違うのだろう。

 教えられた部屋を開けると、独特の異臭がむっと鼻をついた。血の匂いとはまた別の、死臭だ。

「……ふむ?」

 戸口に立って腕組みし、入る前にじっくりと観察する。

 ひとつきりの小さな窓から入る光が、質素な部屋を白々と照らしていた。

 血痕はあまり目立たなかった。床に数箇所の染みがあり、正面の漆喰壁に親指大の蜘蛛が描かれている。血が乾いた今では、単なる汚れと見間違えそうだ。

 室内の家具は、ベッドと衣装箪笥、書き物机と椅子がそれぞれひとつずつあるだけだ。どれも最低限用を成す程度の大きさしかない。衣装箪笥の上には化粧箱があって、カナンが言った通り、蓋が開け放しになっていた。椅子は倒れたままにされている。

 リーファはゆっくり中に入り、ひとつひとつ気になるところを確かめていった。

 机の上には小皿とカップ。ビスケットで一服していたという話だったが、そのものは誰かがもう片付けたらしく、どちらも空だ。床の染みは、倒れた後で流れた血の痕だろう。ほぼ一箇所にまとまっている。

「……?」

 はて、と気付いてリーファは首を傾げた。

 椅子に座っていた状態から、襲われて抵抗して、ここらに倒れた。とすれば、

「もうちょっと何かある筈なんだけどな……」

 つぶやきながら、床にしゃがんで目当ての痕跡を探す。見付からない。眉を寄せ、立ち上がって今度は壁に向かい合う。

 蜘蛛のしるしは、リーファの肩ぐらいの高さに描かれていた。あの赤毛の若者が犯人だとすれば、似たような位置に描くだろう。だが彼は昨日の夕方、既に留置所にいた。

 どうにも腑に落ちない。今度は化粧箱を漁ってみた。使いさしの紅と白粉、櫛と手鏡。どれもあまり良い品物ではない。給金が少ないのか、別のことに金を使っていたのだろうか。装飾品は見当たらなかったが、最初から入っていなかったのだとしても不思議には思われなかった。

「うーん」

 リーファは一人唸って、首を捻る。それからふと人の気配に気付いて振り返ると、戸口の外に数人の使用人がたむろしていた。どうやら、休憩時間に戻ってきたらしい。リーファは軽く会釈して、そちらへ歩み寄った。

「お騒がせしてすみません。皆さんはもう、事務室で聴取を?」

「はい」

 一人が答え、後ろにいた二人が顔を見合わせて、あんまり話すことなかったし、すぐ済んだよね、と、言い交わす。それが返事のつもりなのだろう。

「皆さんは、亡くなったレジーナさんのお友達ですか」

 リーファは小首を傾げて問いかけた。単なる野次馬なら散った散った、と声ににじませて。

 案の定、三人は居心地悪そうに首を竦めたが、おとなしく退散する気配は見せなかった。

「友達ってわけじゃないですけど」

「あの人、付き合い悪かったし」

「事務室の人にも、恨んでそうな人に心当たりは、って聞かれて。ありませんって答えたけど、嫌いっていうだけなら皆そうだったんじゃないかしら」

 ねー、とうなずきあう三人。殺人があったばかりというのに、図太いというか、無頓着というか。リーファは内心呆れたのを隠し、噂好きの彼女らに迎合するふりをした。

「嫌な人だったんですか」

「イヤっていうかぁ……」

「偉そうだったよね。なんか、アタシはアンタたちとは違うのよ、みたいな」

「人の気持ちとか全然、考えてないの。なんであんな人が、店員なんかになったのか不思議なぐらい」

「言えてる。だってこの間も、ねぇ……」

 そうよね、あれはどうかと思ったわ、などとうなずき合う三人に、リーファは興味を引かれて身を乗り出した。

「何かあったんですか?」

「大した事じゃないけど」

「実家からジャムを色々送ってきたから、って、ユネアさんが皆にわけてくれたの。でもあの人、あたしは要らないわ、って見向きもしないで、感じ悪かった」

「ユネアさんは大人だから、遠慮しないで、って逆に気を遣ったりしたのよ。なのにあの人、余計なもの押し付けないでよ、とか言ってさぁ。コドモか、ってーのよ、ねぇ。ほかに言いようがあるでしょうに」

「なんかもう、いつでもそんな感じ。まあ、だからって殺されるほどとは思わないけど……」

「よそでヤバい人を怒らせたんだとしても、不思議じゃないよねー」

 夢中でわいわい話すうちに、声が大きくなっていたようだ。階下から管理人の叱声が飛んできた。

「あんたたち! いつまでおしゃべりしてるの、さっさと仕事に戻りなさい!」

 きゃっ、ヤバい、と三人は飛び上がり、挨拶もそこそこにバタバタと逃げ去っていく。リーファは苦笑しながらそれを見送り、改めて無人の室内に向き直った。

「付き合いの悪い、嫌な人、ね」

 ひとりごち、その当人が倒れていたのであろう辺りを見つめる。

 ――それでも、一人で死にたくはなかっただろうに。


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