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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
花泥棒と色事師
55/66

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リーファ22歳、夏の話。今回は明るめの内容です。ほんのり大人向けユーモア込。

なお、本編中に登場する植物名と薬効は、作中の世界・時代における通説であり、必ずしも現実の当該植物について正確な情報を記述したものではありません。予めご了承下さい。


     1


 朝も早くから日差しが厳しい。

「あっちぃ……」

 リーファは目蔭を差してうめき、顔をしかめた。

 今年もまた、蒸し暑い夏が近付いている。この国に来てすでに六年が過ぎ、さすがにいくらか慣れはしたが、さりとて歓迎したい相手ではない。

「まぁ、来るなっつーわけにもいかねーしな。ちょっとでも涼しいうちに行くか」

 ひとりごちて、リーファは城館を出ると門の方へ歩いていく。

 と、通り道にある礼拝堂の前で、思いがけない人物を見つけた。

「マリーシェラさん」

 なんでここに、と訝りつつ、おはようございます、と挨拶する。手に一本の草を持った王妃は、ふんわり笑って会釈を返した。

 本来、身分からいえばリーファはもっと恭しく接するべきだが、当のマリーシェラがそれを断固として拒んだのだ。

 シンハにとって、リーファとロトが家族よりも大切な存在であるのは分かっている。後から割り込めるとは思っていないが、それでも仲間外れにするのはやめて欲しい。

 そう言い張り、一歩も退かなかった。優しげな顔をして、意外と手強い。

「どうしたんですか?」

「これのこと、神官様に尋ねようと思って」

 リーファの問いに、王妃は手にした草をちょっと揺らす。青紫色の星形をした愛らしい花がいくつかついていた。

 そこへ礼拝堂から、キュクス神官が現れた。王妃に一礼し、「ルリヂシャですな」と端的に名を告げる。マリーシェラも、ええ、とうなずいた。

「賢者様の薬草園にあったんです。葉をサラダにすると美味しいのですよね、少し摘みましょうか、と陛下に申し上げたら、なぜだか苦笑されてしまって……」

「へえ、これ、食べられるんですか」

 リーファは興味津々と横から覗き込んだ。花を鑑賞するだけで充分に価値があるが、食用にもなるとはすばらしい。

 食い意地を見せたリーファに、マリーシェラも笑って答えた。

「ええ。爽やかな風味なのだけれど、元気が出るといって、城の皆……特に兵士たちがよく食べていたわ。私も時々、花をワインに浮かべて飲んだの。気分が明るくなるから」

 そこまで言い、彼女は神官に向き直った。

「だから私、これはありふれたもので、この城でも食卓に上がるものだと思ったのですけれど。辺境でしか食べられないものでした? 神官様は何かご存じでしょうか」

 困惑気味に首を傾げた田舎育ちの王妃に対し、神官は無表情のまましばし沈黙した。そして、平坦ながらも奇妙な響きを含む声で告げる。

「……これは、人に活力を与える効果がございます」

「ええ」

 それは私も知っています、と言いたげに、王妃は相槌を打った。横で聞いているリーファも目をぱちくりさせる。

 神官はひとつ咳払いして、ですから、と続けた。

「つまり、男が自信をつけるために摂る類のものです」

「……」

「…………」

 間の抜けた空気が漂い、次いで気まずさがそれに取って代わる。ようやく意味を理解したマリーシェラが、みるみるうちに赤くなった。

「あ……わ、私、そんな……ああ、なんてこと」

 狼狽のあまり、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む。消え入りそうな声が、恥ずかしい、と嘆いた。

 神官は取り落とされたルリヂシャを拾い、ふむと観察する。

「必ずしも、そうした目的で食されるとは限りません。おっしゃる通り、辺境のように荒事の多い土地では、兵が活力を保つために好んで食べることもありましょう。あまりお気になさいますな。陛下もご理解くださるでしょう」

「やめて!」

 マリーシェラは羞恥で死にそうな悲鳴を上げると、がばっと立ち上がるなり、館へ逃げ帰っていった。

 あーあ、とリーファは苦笑いでそれを見送る。夫婦仲が良いのは結構だが、朝からあてられてはかなわない。

 リーファはやれやれと頭を振り、薬草に注意を向けた。

「きれいな花だけど、食べられるし、薬効もあるってわけですか。ただ飾っとくだけのものじゃないんですね」

「薬草だからとて、花がみすぼらしいとは限りません。美しい花が毒を持つことも、ままあります」

「ああ……そうですね」

 いくつかの毒草を思い浮かべ、リーファはうなずいた。草木の薬効に詳しいわけではないが、猛毒で有名ないくつかは知っている。

 そうした薬草毒草の取り扱いについては、一般的に神殿を頼るものと認識されているが、無関係の『薬師』『治療師』もいる。今は魔法学院の医薬部がそれぞれの知識体系をまとめ、呪術魔術と切り離し、きちんと整理しようと奮戦中だ。しかし成果が出るのは何十年も先だろう。

 当面、警備隊員として出来るのは、代表的な毒草を覚えておき、そこらの庭先に生えていたら引っこ抜くぐらいである。

 リーファはキュクス神官に「お邪魔しました」と一礼し、門を出て街へ降りていった。



 四番隊二班の受け持ち範囲には、大劇場がある。実質的には劇場の警備や揉め事の仲裁が、業務のほとんどを占めると言って良い。

 そんなわけでリーファも本日、班長セルノと共に大劇場を巡回中であった。

 折しも新作初演が間近とあって、劇場は準備に大わらわだ。大道具の設置や、舞台装置の改造、動作確認、それにロビーの飾り付けも。

 二人が入るのを止める者はいなかったが、さすがに少々迷惑そうな視線がちくちく刺さる。

「なんというか、嵐の真っ最中って感じですね。部外者がうろうろしてたら、邪魔なんじゃありませんか」

 リーファは言い、直後、飾り付けの布を抱えた女に突き飛ばされそうになって、慌てて飛び退いた。セルノは連れや周囲からの控えめな抗議を無視して、相変わらずの気取った態度でそこらを歩き回り、豪華に活けられた花の香りを嗅いでみたりする。

 リーファはげんなりしつつ、それでも異状はないかと周囲に目を配っていた。

 と、その視界の隅で、忙しく走り回っていた女が一人、びくっと竦んで持っていた布を取り落とした。

 どうしたのか、と振り向くと同時に、

「キャァー!!」

 甲高い悲鳴が女の口からほとばしった。セルノもさっと表情を変え、素早く反応する。二人が駆けつけると、女はロビーの中央を飾るひときわ豪勢な花の前で、腰を抜かしていた。

「どうした!?」

 セルノが女の傍らに膝をつく。女は青ざめ、震える手で花を指さした。なんだなんだと居合わせた者も寄って来る。

 リーファが花器を見ると、縁に何やらちょろりと細いものが垂れている。覗き込んでみると、活けられた草花の間に黒っぽい物が横たわっていた。

「ありゃ……」

 正体は大きなネズミの死骸である。垂れていたのはその尻尾だ。念のためにぐるりと花器のまわりを調べてみたが、悲鳴を上げる理由は他に見あたらない。

 このネズミがここで足を滑らせて溺れたとは考えられないから、誰かが死骸を投げ込んだのだろう。

「嫌がらせか」

 唸ったリーファの後ろから、小柄な老人がひょいと花器を覗いて嘆いた。

「こりゃひどい。初演日でなくて幸いだったと言うべきかね」

「あ、座長」

 リーファが振り向いて会釈すると、大劇場を取り仕切る座長にして大御所俳優、ミュートス=ロータが芝居がかった一礼を返した。

「公演が始まってからではなく、今この時に、ということは、劇の内容に対する抗議ではない。忌々しいが内部の揉め事でしょうな。まったく、心得がなっとらん」

 座長はしかめ面で言い、雑用係を呼びつけて、死骸を片付けるように命じた。それから思い出したようにリーファを振り向く。

「まさかこのネズミも、死因を調べるからよこせ、とは言わんでしょうな?」

「言いませんよ」

 リーファは苦笑で応じ、次いで小首を傾げた。

「というか、慣れてるみたいですね、座長。こういう嫌がらせはよくあるんですか」

「舞台の世界は華やかですが、そのぶん裏では醜く浅ましい争いが繰り広げられとるんですよ、お嬢さん。内々で片付けられるのがほとんどですがの……しかし、これは何とも無粋な」

 座長は唸って首を振り、誰かを探してロビーを見回した。壁際で小さな花の配置を指示している中年男を見つけ、座長は声を張り上げた。

「おおい、ホルト! 来てくれ!」

 さすがに役者だけあって、老体に似合わず声はよく通る。すぐに男が走ってきた。

「どうしました、座長」

「誰かがここにネズミの死骸を突っ込みよった」

「えっ……」

 端的に告げられて、男は大きな花器を振り向き、困り顔になる。座長も難しそうにうむとうなずいた。

「すまんが、全部取り替えてもらわねばなるまい。水を換えても花の傷みが早かろうし、第一、晴れの初演にケチがついては験が悪いでな」

「ええ……それは、そうですが。しかし、そうなりますと代金が」

 遠慮がちにホルトが言う。どうやら花屋の主人らしい。ロビーの主役ともいえる花だけに、相当な金がかかっているのだろう。座長も渋い顔だ。

「あの」リーファはちょっと手を挙げて提案した。「被害届けを出してもらえたら、犯人を探して弁償させられますよ」

 警備隊員はあくまで犯人を捕らえるだけで、実際に賠償金支払いを命じるのは裁判所だが、こうした簡単な器物損壊の場合はほとんど即決である。被害者の方にも負担がかからない。

 だが座長は、むぅ、と唸ったきりどうするとも言わない。花屋の方が気を利かせて話を進めた。

「とにかく、ひとまずこの花は取り替えます。余裕をみて仕入れておいたから、そっくり同じとはいかなくても、ちゃんとしたものを用意できるでしょう」

「すまんな、頼めるか」

「任せてください。さて……ドナ! ドナはいるか?」

 呼ばれて、ちょうど奥から出てきた誰かがはいと返事する。小走りにやって来たのは、おそらく三十代だろうが、肉感的な雰囲気をもった女だった。

 座長が恭しくお辞儀し、ドナの手を取って甲に口づけを落とす。彼女の方は慣れているのか、軽く苦笑しただけで特に嫌がるそぶりは見せなかった。

「どうなさったんですか、何か騒がしかったですけど」

「すみませんな、奥さん。丹精こめて活けてくれた花だが、無粋な輩のせいで台無しになってしまいましてな。もう一度、新しく活けてもらえんだろうか」

「台無し、って」

 さすがにドナは目を丸くし、そこでやっと警備隊員がいるのに気付いてぎょっとなった。セルノが安心させるように微笑んで答える。

「台無しと言っても、ネズミの死骸を投げ込まれただけです。花瓶ごとひっくり返されたとかいう派手なことではありませんよ」

 言われてドナが花器を見た隙に、彼はひそっと花屋にささやいた。

「どうせ過去にも色々あったんでしょう。この奥さんじゃ、痴情のもつれがない方がおかしい」

「はぁ、まあ」

 花屋も小声で答え、かいてもいない汗を拭うふりをする。リーファはひとり苦虫を噛み潰した。

 ドナ自身がどんな女かは分からないが、セルノの失敬な決めつけも、客観的にもっともだと納得出来てしまう。それほど彼女は、妙に色気があった。

 あからさまに男に媚びる態度ではない。化粧も控えめだし、仕事の邪魔にならないよう髪はひっつめ、服もいたって簡素。

 にもかかわらず、豊かな体型のせいか、ぽってりした唇のせいなのか、どうにも蠱惑的な魅力があるのだ。意図的に醸しているのなら、いざこざの種を蒔いている自覚もあるだろうし、それが芽吹いて足に絡みついても対処は出来よう。だが無自覚なのだとしたら、本人の責任ではないとしても始末が悪い。

 リーファは少しばかり妬ましさを感じてしまい、おっといかん、と意識を切り替えた。そんな事に気を取られている場合ではない。

「あなたがこの花を活けたんですか?」

 リーファが問うと、ドナは花器から花を抜きながら、はい、と答えた。横からホルトが言葉を添える。

「ドナはうちの店でも一番、腕が確かでしてね。いつも、はっとするような取り合わせで見事な飾り方をするんです。真似しようと思って出来るものじゃないんで、こういう大事な場では中心になる花を任せることが多いんですよ」

「なるほど」

 リーファはうなずいて、解体途中の花を眺めた。あいにく審美眼がないもので、他とどう違うのかよく分からないが、店長が言うからには売れっ子なのだろう。

 そしてそれが、容姿に加えて妬みを買うというわけだ。

 当のドナが、ばらした草花を床にまとめながら、残念そうに言った。

「あの、店長。やっぱりこれ、捨てなければいけませんか」

「ああ、捨てないと駄目だ。一見きれいだが、なにしろネズミの死骸だからな。ひょっとしたら嫌らしい細工をされているかもしれないし、安全のためにも焼き捨てるのが一番だろう」

「……そうですよね」

 ドナが切なげにため息をつく。リーファも、まだ瑞々しい草花の小山を眺めて「もったいないですね」と惜しんだ。

 いかにも豪華な大輪の花ばかりでなく、小さく地味な花や風変わりな葉、枝物も使われている。ルリヂシャもまじっていたので、リーファは失笑しかけて、危ういところで堪えた。

「どうかしました?」

 気付いたドナに尋ねられ、リーファがごまかす言葉を慌てて探したその時、

「ちょっと、離しなさいよ、何すんのよ!」

「とぼけんじゃないわよ、見たんだからね! あんたがやったんでしょ、このブス!」

「何よそれ、人に濡れ衣きせようとして、あんたがやったんじゃないの!?」

 金切り声の罵り合いが始まり、皆がぎょっとなってそちらを振り向いた。

 壁際で、花屋の従業員が数人もめている。

「大体あんた、前から事あるごとにドナの悪口ばっかり言ってさ」

「見苦しいのよ、ブスのやっかみは」

「あんたがエプロンに隠してネズミをあそこまで持って行くの、見たんだからね!」

 二人がかりで、一人を責め立てる。犯人呼ばわりされたのは、確かに美人とは言い難い女だった。反抗的な膨れ面をしているのでなおさらだ。

 リーファはセルノと目配せを交わすと、そちらへゆっくり近づいた。

「穏やかじゃないなぁ、ちょっと落ち着きなよ。あんた、見た、って言うけど、彼女がエプロンに隠してたんなら、それがネズミだってどうして分かったんだい?」

 言葉の穴を突かれ、攻撃していた若い娘はぐっと詰まった。が、それもわずかな間のこと。すぐに彼女はより激しく言い募った。

「だって見たもの! こいつがきょろきょろしながらあの花に近付いて、こそこそ何かやってたんだから! 大体、花を台無しにするような馬鹿、こいつしかいないわよ! いつもいつも、誰かがちょっとでもドナを褒めたら十倍ぐらいケチつけてくさして貶して、本っ当、みっともない!!」

「うるさいね!」女も怒鳴り返す。「あんたらこそ、馬鹿面さらしてへらへらあの年増にひっつき回って、気色悪いのよ! 尻軽のくせに外面だけ取り繕ってるのが分からないのかしらね! 大した腕でもないくせに、男に色目使って贔屓されてさ。それをあんたらみたいな馬鹿が持ち上げるから、ババアのくせに調子づくんじゃないの!」

「おいおい……」

「それがブスのやっかみだってのよ! ドナがどれだけ苦労してるか知りもしないで! あんたと違ってね、ドナはちゃんと色々勉強してんのよ! ありきたりの花だけじゃなくて変わった材料を選べるのも、それを活かせるのも、全部努力の結果なんだから! 何もしないで男に声かけられるのを待ってるあんたが、敵う訳ないのよ馬鹿!!」

「なっ……あ、あたしだって、あたしだって努力してるわよ! あいつなんかよりよっぽど頑張って真面目に長年勤めてるんだから! 馬鹿にするんじゃないわよ!!」

 顔を真っ赤にしての応酬が、掴み合い引っ掻き合いになだれ込む。慌ててリーファとセルノが引き離しにかかったが、女といえども無茶苦茶に暴れる大人を押さえ込むのは容易でない。

「あーもぉー!! ちょっと頭を冷やせ、じゃないとそこの花瓶に突っ込むぞ!」

 犯人扱いされた女の両腕を辛うじて背中に回し、リーファは半分やけくそに叫ぶ。

 そこへ不意に、座長が割り込んできた。

「奥さん、確かアリアさんだったかな」

 飄然と一礼し、座長はリーファが取り押さえた女の顔を覗き見る。名前を覚えられていた女は驚き、目をしばたたきながら「ええ」と答えた。

 座長はにこやかに、ひとつ深くうなずく。

「あんたが活けた花も悪くはないが、率直に言って、中央を飾る性質のものじゃあない。何と言うかな、遊び心が足りんのだよ」

「っ……」

 思いもよらず個人的な指導をされ、女、アリアは声を詰まらせた。まさか座長ほどの人物が、どの花を誰が活けたかまで把握しているとは思っていなかったのだろう。

 相対する座長の態度はあくまでも穏やかだ。

「大劇場を預かるこのわしが、肝心の花ではなく、それを活ける手しか見ておらんと思うたかね? 確かにドナは、旦那がおらなんだらわしが口説きたいぐらいだがね」

 おどけて言いつつも、目は笑っていない。アリアの向かいで、セルノに取り押さえられた娘が勝ち誇ったように鼻を鳴らし、小さな声で「そら見なさい」と嘲笑した。途端に座長が、厳しい顔をそちらへ向けた。

「お嬢さん、あんたは人を言い負かす前に、自分の腕を磨かんといかんな。他人が何をやっているかばかりに気を取られておっては、まともな仕事は出来んぞ」

 ぴしゃりと言われて、娘が顔を歪める。だが座長はとりなす言葉のひとつもかけず、アリアに目を戻した。

「さて、それで……あんたがやったのかね?」

 静かに問いかけられ、アリアが唇をわななかせる。見開かれた目に、みるみる涙が盛り上がった。

「……だ、って……っ」

 ひきつったかすれ声が嗚咽に飲まれる。

「あ、あたし、だって……っ、精一杯、やってるのに……っっ! いつも、いつも、ドナばっかり」

 ずるい、どうして、と繰り言を続けるアリアに、座長は深いため息をついた。

「アリア。自分の努力がいっこう認められんのに、大して苦労してもいなさそうな者が褒めそやされ引き立てられ脚光を浴びる、その悔しさは、この世界に身を置く者として痛いほどよく分かる。ああ、分かるとも。しかしな、それで相手の作品を台無しにするなど、同じ道を志す資格を自らなげうつも同然じゃぞ?」

「うっ……ぅぅ」

「それにな、ドナもあんたに見えないところで、相応の苦労をしとる。そうでなければ、一度得た名声をずっと保ち続けることは出来ん。まぐれや色仕掛けで得たものがいつまでも輝けるほど、この世界は甘くない。あんたも分かっとるだろう」

 厳しく優しく諭されても、アリアは子供のようにいやいやと首を振るばかり。リーファが手を離すと、彼女はその場に泣き崩れた。

 愁嘆場につきあわされたリーファは、なんともややこしい顔で、むせぶ女の背中を見下ろす。

「……まぁ、そういう事で……座長、どうします? 詰め所に連れて行って調書を取って、書類を裁判所に回せば十日もかからずに花の代金を取り立てられますが」

「お嬢さんは実務的ですのぅ」

 おやおやと座長が苦笑した。リーファは肩をすくめ、ロビーの中央でいたたまれない顔をしているドナを一瞥した。

「私には花の良し悪しは分かりませんからね。花の出来がどうだろうと、どっちに才能があろうとなかろうと、関係ありません。嫌がらせで商品を駄目にしたのなら器物損壊で罪になる、それだけの話です」

「そうですなぁ」

 座長は曖昧な顔でつぶやき、困ったようにアリアを見やった。と、二人の会話を聞いていたのか、彼女は嫉妬と憎悪に歪んだ顔を上げ、ドナを睨んで呪いの言葉を吐き出した。

「あいつの花なんか、売春宿に飾ればいい! その方がよっぽど似合いだよ!」

 黒い毒霧が声と共に広がるのが、目に見えそうなほどだ。座長は顔をしかめて決断を下した。

「どうやら、自分がした事の意味も分かっておらんようだ。お嬢さん、手数をかけて済まんが、彼女を詰所へ連れて行ってくだされ」

「了解。さ、もう元気が出たようだから立って歩きなよ」

 リーファは軽く敬礼してから、アリアの腕を取って立たせる。つい今しがたまで泣いていた女は、もはや悪鬼の形相になっていた。

「この色惚けのクソ爺! どうせあんたも、あの女に骨抜きにされてんだろ、芸だのなんだの偉そうに御託をぶっても、頭の中じゃあの女を抱くことしか考えてないくせに!」

 あーあ、やらかした。

 断ち切られた“クビ”の冥福を祈りつつ、リーファは天を仰ぐと、セルノと二人がかりでなんとかアリアを詰所へ引きずって行ったのだった。


※ルリヂシャ…ボリジの別名。現実にも古くからハーブとして利用されています。


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