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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
一線の彼我
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五章


   五章


 大神殿の一室は、重い空気に包まれていた。

 長椅子にはリーファとロトが並んで座り、そばにはシンハと、フィアナとザフィールが集まっている。魔法学院長セレムは遺体の確認に向かっていて不在だ。ほかの客にはごく簡単に、花嫁が呪いをかけられたが無事に阻止したとだけ知らせてある。

 誰一人まだ着替えていないので、衣装だけはそのまま結婚式が開けそうであるにもかかわらず、空気は完全に葬式だった。

 どういう理由で誰がいつ『死の呪い』をかけたのか、その本人がどうなったか。セルノは簡潔に話し終えると、悲嘆を隠した無表情のまま、リーファとロトに頭を下げた。

「晴れがましい日を台無しにして、本当に申し訳ない」

「君の責任じゃないだろう」

 すかさずロトが否定する。呪詛に抗いながらさまよっていたせいで、明るく淡い黄色の衣装は裾が少し汚れているが、それ以外はどこも具合の悪そうなところはない。

 横に座っているリーファも、まだ少し冴えない顔色ながら援護しようとした。

「そうですよ。班長に何とか出来たとは思えません」

「言ってくれるじゃないか」

 口を滑らせたところへ容赦なく突っ込まれ、リーファは怯んだものの、居住まいを正して言葉を続けた。

「大方、ラウロを離れる前にきっぱりと別れを告げておくべきだった、とか考えているんでしょう? でも無駄ですよ。どうせ言ったとしても通じやしなかったでしょうから」

 妙に確信ありげに言い切ったリーファに、セルノが訝しむ目を向ける。

「慰めのつもりで強弁しているのなら、やめてくれ」

「そんなわけないでしょうが。……私が育った辺りにはね、班長、そのお嬢様みたいなのが珍しくなかったんですよ。まともじゃないから、皆からつまはじきにされて、最後に物乞いや盗人のところへ流れてくる。どういう風におかしいかはちょっとずつ違ってましたが、話が通じないってのはだいたい同じです。皆が言う『正しいこと』や『当たり前』が、どうしてそうなのか理解できない。盗みをやってる連中の大半は、それが『悪いこと』で見つかったら捕まる、ってのは理解してました。でも、なぜ悪いのか、なぜ捕まるのか、まるっきり分かってなくて捕まって吊されたのもいます」

 淡々と語られる内容に、まさに善悪の認識について議論したばかりのフィアナとザフィールが、複雑な顔を見合わせる。

 神が定めずとも、人は倫理によって善悪を判断できる。

 フィアナはそう言い切った己の考えを現実の例でもって否定され、唇を噛んでうつむいた。

 二人の様子には気付かず、リーファはセルノに向かって語りかけていた。

「そのお嬢様は、盗みや物乞いに頼らなくても生きていける財産があったわけだから、どうにか救いようがあったのかもしれません。でも班長、それは多分、一人だけが必死に頑張っても駄目だったと思います。……班長が謝るようなことは、何もありません」

 セルノはじっと黙ってリーファの話を聞いていたが、彼女が言葉を切ると、ややあって歪んだ苦笑を浮かべた。

「君に弁護される日が来ようとはな。落ちぶれたものだよ、情けない」

「別に弁護しちゃいませんよ。あなたに謝られると気色悪いんで、事実を述べたまでです」

 肩を竦めたリーファに、セルノは渋面をする。

「君は死にかけたんじゃなかったのか? 起きた途端に絶好調だな」

「あいにく、頑丈なのが取り柄なもので」

「優しさとかいたわりとかいった、女性らしい美徳はないのか」

「あるにはありますが、在庫が少ないので班長にまでは回せませんね」

 とぼけたリーファの言い草に、何人かが堪えかねて失笑し、場の空気が緩む。セルノはやれやれとため息をつくと、大袈裟に降参の仕草をした。

「そうか、なら仕方ない。せいぜい乏しい在庫を叔父上につぎ込んでやることだ」

 さらっと反撃されて、リーファとロトが揃って赤面する。もう結婚しようと言うのに初々しい二人を胡乱げに見やり、セルノは頭を振った。そして、気分を切り替えるようにうんと伸びをする。

「まったく、散々な一日だ。挙式直前で駄目になった結婚の話は昔から聞くが、こんな酷いのはそう無いだろうな」

「――あ」

 途端にリーファが頓狂な声を上げ、一同の視線を集める。彼女は曖昧な顔で、傍らに立つ国王陛下を見上げて言った。

「なあ、今から挙式って無理かな」

「はぁ!?」

 シンハのみならず、全員の口から正気を疑うような声が上がる。

「何を言い出すんだ、おまえは」

「だってさ、まだ日が暮れたわけでもないし、余計なところ全部すっ飛ばしたら要するに祭壇で『誓います』って言うだけだろ、一瞬じゃないか」

「あのな……」

 型破りで知られる脱走王でさえも、眉間を押さえて唸るしかない。余計なところ、って何だ。神官連中が聞いたら怒号の大合唱だ、そもそも結婚式ってのは重大厳粛なものなんじゃないのか、女の夢なんじゃないのか。

 言いたいことは諸々あったが、それを当のリーファが遮って続ける。

「せっかく用意してもらったご馳走が全部駄目になるなんて、もったいなさすぎて罰が当たるよ。食い物粗末にするぐらいなら、式次第すっ飛ばすぐらい神様も大目に見てくれるって! おまえだっていつも、神々なんていい加減なもんだ、とか言ってるじゃないか。招待客も今ならまだ全員居残ってるし、また日を改めて、って言ってたら日取りの調整からやり直しで、ロトの家族とか余計な旅費がかかるじゃないか。なあ?」

 同意してくれるよな、とばかりに横のロトへ話を振る。

 最初はロトも呆気にとられていたが、シンハに対する言葉を聞いている内、彼の方が先に説得されてしまったらしい。

 この非常識な花嫁の手綱を取ってくれ、と訴えてくる周囲のまなざしを無視して、ロトはふむと考えつつ口を開いた。

「ほかならぬ君自身がそう言うのなら、僕としては文句はないかな。姉さんには後々まで責められそうだけど……本音を言えば僕も、新たに休みを取るぐらいなら、このまま手っとり早く予定を消化してしまいたいんだ。今日の日取りを決めるのにも相当難航したし、あの苦労をもう一度するのは御免被りたいよ」

「だよな! よし、んじゃ神官さんに掛け合ってくる!」

 リーファは笑顔で言うなり、もう立ち上がる。シンハが天を仰ぎ、ため息をついた。

「おまえ達ときたら……ああ、まったく似合いの夫婦になるだろうよ。もう諦めた、いいからおまえは座ってろ。ついさっきまで死にかけていたくせに、花嫁衣装で走り回るんじゃない。俺が交渉してくる。ついでに料理の方もなんとかしてみよう」

 呆れて言いつつも最後には温かないつもの苦笑になって、彼はリーファの頭をくしゃりと一撫でしてから部屋を出ていった。それを見送り、フィアナがやれやれと頭を振る。

「陛下は姉さんに甘いんだから。でも……今から挙式は良いとしても、その衣装でするつもり?」

 今から挙式は良いのか、とセルノが無言で眉を上げたが、むろんフィアナは完全に無視してリーファだけを見ている。

「替えの花嫁衣裳なんてないし……神殿の衣装ならあるけど、でも折角の結婚式なのに」

 大抵の神殿には、ごく質素だが婚礼衣装が備えられている。どうしても自前で用意出来ない貧しい二人のため、または当日になって予想外の事故が生じた場合に間に合わせるためである。一般には、喜んで使われるものではない。

 だがリーファはけろりとして、「これでいいよ」と応じた。さすがに妙な顔をした一同に、彼女は一片の染みもない衣装の裾を、ちょっとつまんで見せた。

「確かにケチはついちまったけど……でもそれ以上に、これは皆が祝福してくれたものだからさ。おかげでオレも助かったんだし。ちゃんと、使命をまっとうさせてやらなきゃ勿体ないだろ」

「そうだね」ロトがふっと笑みをこぼした。「死の呪いに打ち勝った婚礼衣装で式を挙げたら、今後どんな困難があっても乗り越えていけそうだ」

 どこまでも前向きな会話に、フィアナはもう呆れるのを通り越して感嘆するしかなかった。

「ものは言いようよね……。まぁ、せいぜい末永くお幸せに、だわ」

 投げやりな祝福にも、二人はいちいち顔を赤くする。やってられなくなったフィアナはザフィールに向かって、お手上げの仕草をしたのだった。



 一組の新郎新婦が前人未到の最速挙式記録を打ち立てた、数日後。

「ぅはよーございます」

 明らかに意識して“いつも通り”を装ったリーファが、警備隊本部の正面扉を開けた。

 新妻のお出ましだ、とか何とか、冷やかしの言葉と意味深長な視線を浴びせられるものと予想し、彼女なりに緊張していたのだ。が、しかし、

「お早うさん」

「ぅーッス」

 中にいた隊員からは、いつもと同じ、適当な挨拶が返って来ただけ。リーファは肩透かしをくって拍子抜けしながらも、ホッと安堵して氏名札のところへ向かう。

 名札を表にして掛け直し、振り返って――初めて、誰も茶化す言葉をかけなかった理由に気が付いた。

「班長」

 いたんですか、との驚きが声に出る。セルノが無表情で立っていたのだ。事件のあらましは警備隊内部に知れており、それゆえ誰もが気遣って式の話題を出さなかったのだろう。

 どう声をかけたものかとリーファも途方に暮れ、その場に突っ立ったままもじもじする。

 と、セルノがわずかに目礼し、先に口を開いた。

「君に礼を言わなければと思ってな。……良い式に立ち合わせてもらった」

「…………」

 リーファは返答に詰まり、ちょっと頭を掻く。素知らぬふりをしながらも聞き耳を立てている他の隊員達にとっては意味不明だろうが、リーファには彼が何を言わんとしているのかが分かった。

 あの日、今から挙式をと決まって誰もがてんてこ舞いになった時、セルノは慌しさに紛れて立ち去ろうとした。それをリーファが目敏く見つけて引き止めたのだ。

 ――お辛いとは思いますが、帰らないでください。正直他人を祝福する気持ちになんかなれないでしょうけど、救えなかったものを悼むのは少しの間、後回しにして、あなたが救ったものを見てください――

 それ以上くどくは言わなかったが、彼女の意図は間違いなく伝わり、かつ狙い通りセルノの悲嘆を和らげたのだろう。

 彼が隠し立てもごまかしもせず教えてくれたから、リーファもロトも生きている。生きて、式を挙げて、皆と一緒に笑い、ご馳走も食べられる。もしセルノが、警備隊員として、人として守るべき一線に背いた行動を取っていたら、それらすべてが失われていたのだ。

 あっという間の式が済み、続く祝宴が果てる頃には、セルノの顔にも僅かな笑みの気配が戻ってきていた。

 今もやはり、セルノの被っている無表情の仮面の下に、絶望の影は感じられない。心が痛まないわけではないだろうが、それに囚われてはいないと察せられる。

 しばしリーファは相手を見つめてから、肩を竦めて答えた。

「班長に借りを作ったままだと、後々とんでもなく利子が膨らみそうですからね。あれしきでは足りないでしょうし、早いとこ返してしまいたいので何でも言って下さい」

「そうだな、今度靴磨きでもしてもらうか」

 セルノは皮肉っぽい口調で応じると、リーファの横を通って玄関へと向かう。擦れ違う一瞬をとらえ、リーファは素早く小声でささやいた。

「薄荷の香り、やめたんですか」

 本部に入ってすぐ彼がいることに気付かなかったのは、いつもの香りがしなかったからだ。

 恐らくはジェナとの思い出や、密かに交わした約束の証ゆえに、あの香水をつけていたのだろう。それをこうも早々に捨ててしまったのを見ると、余計な世話かも知れないが、少し不安になる。

 そんなリーファの気遣いを読み取り、セルノは苦い笑みを浮かべてささやき返した。

「救えなかったものに執着するのは未練がましいだけだからな」

 自嘲めいた、しかし強い意志の力が感じられる声とまなざし。どうやら心配無用だったかと、リーファは黙って頭を下げる。セルノはいささか乱暴に彼女の肩を叩くと、大股に歩いて正面扉を開けた。

 外から風が吹き込み、室内の書類を騒がせて、奥の窓から逃げていく。

(あれ?)

 微かに薄荷の香りがした気がして、リーファは扉の向こうに消える班長の後ろ姿に目を凝らした。

 振り返らずに歩いて行く背に、光に透ける影が寄り添っているように見えたのは、気のせいだろうか。

 確かめる間もなく扉が閉まり、風が途絶える。しばらくリーファは呆然と立ち尽くしていたが、ややあって小さく頭を振り、二階へ足を向けた。


 一段、一段と足を乗せながら、見知らぬ女に思いを馳せる。思い込みから誤った呪いをかけ、その報いを受けるはめになった女。

 そういう人は珍しくなかった、とセルノには言った。事実、幼い頃のリーファのまわりは、理不尽と不条理と、言葉の通じない大人たちで埋め尽くされていた。誰がまともで誰がそうでなかったかなど、今思い出そうとしても、もう分からない。そんな中で育った自分が、今こうして、“正しい”ものの側に立っている。

 まともな人間に囲まれて、生活にも困らず恵まれていたはずのジェナと、どこがどう違ってこんな結果になったのだろうか。

(オレは運が良かった、それだけなのか?)

 確かに幸運だったとは思う。シンハに出会い、女のくせに警備隊員などになろうとして、それが認められて。相変わらずディナル隊長は厭味や小言ばかりくれるし、ジェイムには、頭おかしいんじゃないの、としょっちゅう文句を言われるが、それでも仲間として受け入れられている。

 果ては、常識外れのこんな自分を愛してくれる人と結婚まで出来た。

 これが幸運でなくてなんだろうか。

 だが――幸運でなければ、どうにもならかったのだろうか?

 救いたかったと言ったセルノは、本当に何も出来なかったのだろうか。ただ間に合わなかっただけで、救う方法はあったのだろうか。

(どうにかする方法は、きっとあるんだ。今はまだ、分からなくても……きっと)

 ただ幸運にだけ頼らなくても、人がまっとうに暮らしていくための手立ては、きっと人の力でなんとか出来るはずだ。そう思わなければ救われない。

 リーファは顔を上げ、最後の一段を登りきって、自分の仕事場を改めてつくづくと見た。

(少しでも、出来る事をやるだけだ)

 うん、と彼女は力を込めてうなずく。うんざりするような雑事が多くても、何の成果も上げられていない気がしても、今この手で出来る事をやるしかない。

「よっし、今日も頑張るぞー! ぅはよー!」

「お早うございます、リーファさん」

「朝からうるさいな……」

 ――それが、誰かの明日を救うことになると信じて。



(終)

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