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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
一線の彼我
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四章


   四章


 貴族の邸宅が並ぶ一番街も、シャーディン河に近い方へ丘を下ると、建物の構えはこぢんまりとしてくる。規模や華やかさでは商業区の大店にも見劣りするほどだ。

 一番街に建っているというだけが階級の証であるその界隈は、貴族と言うのも憚られるような弱小の家が、必要やむを得ず維持できるぎりぎりの規模の屋敷ばかり。

 そんな一軒の門前に、セルノは一人で立っていた。

 ゆっくりと深呼吸し、唇を引き結んで呼び鈴を鳴らす。取次ぎに出た執事は胡乱げな目をしたが、セルノが名乗ると顔色を変えた。

「王都警備隊のセルノ=ラーシュだ。お嬢様に呼ばれている」

「しょ、少々お待ちを……」

「いいや、待てない」

 慌てて引っ込もうとする執事を鋭く制し、セルノは門扉を押し開けた。形ばかりの芝生とわずかな階段をほとんどひとまたぎにし、執事が止めるべきか否か躊躇している隙に玄関をくぐる。おろおろしながらついて来た執事を振り返ると、彼は短く確認した。

「二階だな?」

「右手奥の部屋で……あの、ですが」

「君の責任は問われない。心配無用だ」

 言い捨てて、セルノは階段に足をかける。ふと振り返ると、執事は不安げに手を揉み絞りながらも、諦めの面持ちで立ち尽くしていた。彼が今日ここに現れるから通すようにと、事前に聞かされていたのだろう。

 やはり、呪いをかけたのは彼女で間違いない。

 確信したセルノは憂鬱の吐息をこぼし、一段一段ゆっくりと登っていく。

 教えられた部屋の扉をコツコツと叩く。

「だぁれ?」

 妙に幼い声は、引き波のように過去へ連れ戻そうとする力があった。セルノは唇を噛んでそれに抗う。

 もう、自分はあの時の無垢で無力な子供ではないのだ。そしてまた、無知で無責任でもない。

「セルノです、ジェナお嬢様」

 意を決して告げた声は、しかし、微かに震えていた。わずかな静寂の後、扉が開く。

 セルノを迎えたのは、記憶にあるのと同じ――歳をとってはいるものの本質的には何も変わっていない、恐ろしいほど無邪気な満面の笑み。

「来てくれたのね」

 興奮に目をきらめかせ、ジェナは扉を大きく開けてセルノを中へ誘った。セルノは哀切を隠した微笑を浮かべ、促されるままに歩を進める。

「あなたのために用意したのよ。ほら、こっちに来て座って」

 嬉しそうに、小卓に載せたささやかな茶菓子を示し、椅子をすすめる。恋人を迎えて舞い上がる若い娘そのものだ。装いも髪型も、十代の初々しい少女のよう。微かに甘い薄荷の香りを振り撒いて、意味もなくそわそわと動き回っている。子リスのように、一時もじっとしていない。

 だが体型は明らかに、若い盛りを過ぎていた。近くで見ると化粧気のない肌はかさつき、目尻に小さな皺があるのが分かる。

「久しぶりですね」

 セルノがしんみりと挨拶すると、ジェナは子供のように拗ねた顔をした。

「本当に久しぶりすぎるわ。あなたなら、絶対に会いに来てくれると思っていたのに。……ああでも、ちゃんとつけてくれているのね。同じ香り」

「ええ」

 うなずいたはずみに目が潤む。セルノはそれを隠そうと顔を背けた。ジェナは優しく微笑み、そっと手を伸ばしてセルノの頬に指先で触れる。

「心配しないで。もう大丈夫。全部お父様やお母様の差し金だったんでしょう? 分かってるわ、あなたは……あなただけは、いつも私に優しかった。私のために何でもしてくれた。もう誰にも邪魔させないわ」

 そこまで言い、ジェナは両手を腰に当てて憤慨した。

「本当にひどい人たち! 引き離しただけじゃ足りなくて、無理やり結婚させようとするなんて。ねえ、セルノ、花嫁は苦しんだかしら? たっぷり苦しんだ? あなたを奪おうとしたんだもの、当然の報いよね」

「……ジェナ」

 絞り出すように名を呼び、セルノは片手で目を覆う。涙が引くまでは一呼吸しかかからなかった。彼は冷静な警備隊員の仮面を被り、見知らぬ他人に接するがごとく告げた。

「あなたは間違えたんですよ」

「なんですって?」

 途端にジェナは顔色を変えた。甘ったるい恋情も愛情も喜びも、すべて一瞬で消し飛ぶ。眦を吊り上げ、彼女はいきなり菓子皿をつかんでセルノに投げつけた。

「どうして! あなただけは言わないはずじゃないの!!」

 金切り声でわめき、地団駄を踏む。やけに透明な水色の双眸から、瞬く間に涙が溢れ出した。

「大っ嫌い!! 皆して、私のことをおかしいだの間違ってるだのって! 何がどう間違ってるって言うの、分からない、知らないわよ!! ひどい! 何を言っても何をしても、全部全部、いつだって、何もかも私が悪い私がおかしい私が間違ってるって!!」

「私は結婚しませんよ、ジェナ」

 暴れるジェナから距離を置いたまま、セルノは静かに言った。だがジェナは鎮まらない。髪をかきむしり、手当たり次第に物を投げつけながら叫ぶ。

「嘘つき! 嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!! 警備隊のラーシュさんの結婚式って聞いたわ、ちゃんと確かめたんだから! 馬鹿にしないで!!」

「私は結婚しません。結婚するのは、私の叔父です」

 もう一度、セルノが静かに繰り返した――その時、異変が現れた。

 泣きながら暴れていたジェナが、いきなり棒立ちになる。

「――え?」

 ぽつん、と。小さな黒い染みが、手の甲に浮かんでいた。

「あなたが死の呪いをかけた花嫁の方が、警備隊員だったんですよ」

「嘘よ……だって、そんな」

 わななく唇が血の気を失い、青紫になっていく。

 がくんと膝が抜けてくずおれたジェナを、セルノは素早く抱きとめた。

 世間の情報に疎い彼女は、女の警備隊員などいないという古い常識にとらわれ、元々思い込みが激しいのもあって勘違いしたのだろう。

 その間違いを説明してやることはできる。だが残された時間をそんな事のために使うのは惜しい。

 セルノは見る見る黒い染みに覆われていくジェナの頬にそっと手を添え、額に口付けを落とした。

「信じて下さい。今でもあなたを愛しています」

「……じゃあ、もう、どこにも行かないわね?」

 ふっ、とジェナの目に落ち着いた理性が宿る。セルノが深くうなずくのを確かめると、その口元は幸福そうにほころんだ。

「良かった。もう……ひとりに、しな……で……」

 声がかすれ、途切れる。

 力を失った手が、ぱたり、と床に落ちた直後、全身を覆っていた黒い染みが生き物のように震え、翼を広げて舞い上がった。天井を通り抜け、そのまま空へと吸い込まれて消える。

 まるで何事も無く眠りについたかに見えるジェナを抱いたまま、セルノは長い間、じっとうずくまっていた。



 遺体を部屋に残してセルノが階下へ降りると、彼女の両親が待っていた。長年の苦労が二人の顔に険しい皺を刻み、彼が覚えているよりも随分と老け込んだように見えた。

 セルノが形ばかりでも挨拶しようと口を開くより早く、父親が問いかけてきた。

「死んだか」

「……っ」

 思わず罵倒しそうになり、セルノは奥歯をかみしめて堪える。そうだった、昔からこの夫妻はこうだった。奇行を繰り返す娘にもはや愛情のひとかけらもないかのように、とかく面倒を起こさぬよう、騒ぎが小さく済むようにと、そればかりに腐心している親だったではないか。

 だからこそ彼はジェナを救いたいと願った。それにあの頃のジェナは、人を呪い殺すほど極端ではなく、優しさも垣間見えていたのだ。悪化したのはこの二人のせいだと思わずにはおれない。

 それでもセルノは怒りを堪え、あくまで警備隊員としての態度を保って応じた。

「そう訊ねられたということは、お嬢さんが何をしたか、どんな結果を招くか、ご承知だったわけですか。よもや共犯ということはないでしょうね」

 冷ややかな鋭い追及に、父親が怯む。その後ろから母親が陰にこもった声で応じた。

「相変わらずあなたは、あの子を“可哀想なお姫様”扱いするのね。何とでもお言いなさい、所詮他人のあなたには何も分からないし、今さらどうしようもないのですから」

「だったらあなた方は、何を分かっていて、何をしたと言うんだ! 昔から彼女はあなた方の無理解と押し付けに苦しんでいた、それでもまだ昔はああまで酷くはなかった!」

 激情を抑えかねてセルノが怒鳴ると、誘発されたように父親がわめき返した。

「それが分かっておらんと言うのだ! 無理解と押し付け? 馬鹿も休み休み言え、娘のことは嫌になるほど理解していたとも、ああ、絶望するほどにな! 自分の娘が猿より頭が悪くて、どうやってもまともな貴族の娘らしくならない、それどころかまともな人間らしいふるまいも出来ん、そう理解した時の絶望が貴様に分かるか!」

 顔を真っ赤に上気させ、彼は階段の手すりに拳を叩きつける。セルノは顔をしかめた。かつてジェナは、父親の怒声と、直接ぶたれはしないが物を叩いたり投げたりするのがとても怖い、と言っていた。それをこの父親は何も分かっていないのだ。

 セルノのまなざしに非難を読みとり、父親は負けじとばかりさらに声を張り上げる。

「どうやっても駄目だった。優しく諭しても厳しく叱っても、甘い菓子で釣っても、何度繰り返し言い聞かせても、まるで通じない。かと言って放置すればどんどん酷くなる!……平気で人の物を取る、次から次ヘと嘘をつく、奇矯な格好をしてみっともない振る舞いをする。あまりの情けなさに涙が出るほどだ」

 言いながら実際に彼は目を潤ませていた。母親がため息をついて、その先を続ける。

「それでも、私たちの娘です。私たちが生きている間は、変な振る舞いをしようと、人様に迷惑をかけようと、土地やお金のことを何も分からず分かろうとさえしなくとも、私たちが守ってやれます。……ですが、このままではどうなりますか。あんな娘を他家に嫁がせるわけには参りません。ましてや貴族でもなく裕福でもない者と共に、生活を築いてゆけるはずもありません」

 そこまで言い、彼女は不意に身震いした。ひときわ深く暗い息をつき、ゆっくりと、ごく微かな声でささやく。

「……どうか、私たちよりも先に死んでくれ、と……親にあるまじき願いを抱かねばならない私たちの苦しみが、あなたにほんのわずかでも分かりますか」

 そうまで言われては、さすがにセルノも反論は出来なかった。しばし沈黙し、やりきれない思いで問いかける。

「だから、見逃したんですか。ジェナが花嫁衣装に針を刺し、呪いをかけるのを、ただ黙って見ていたんですか」

「君は私たちをなんだと思っているのかね」父親が顔をこすって呻く。「我が子のみならず、見知らぬ花嫁の命までも平気で見捨てる外道だとでも? 知るわけがないだろう、呪いのことなど……今日の朝まで知らなかった。あの子が、来客があると言い出さなければ、今も知らないままだったろう」

「私たちに知られては台無しにされる、また追い返されると思ったらしく、ぎりぎりまで黙っていましたから。実際、その通りですけれどね」

 母親が言い添え、自嘲に歪んだ微苦笑を閃かせる。

 セルノは二人の疲れ果てた姿をつくづくと眺め、頭を下げた。

「では後刻、魔法学院の者を調査に来させます。確かに呪詛返しによって亡くなったと判れば、埋葬の手続きに移っていただいてかまいません。それまでは遺体を動かさないでください」

 分かった、と低い声が応じたのを確かめると、彼は一度だけ階上を振り仰ぎ、あとは辞去の挨拶もなく屋敷を出ていった。


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