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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
一線の彼我
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三章


   三章


「なんというかまぁ、制服というのは大事だね」

 苦笑と共に髪をかきあげると、薄荷の香りがふわりと漂う。招待客ゆえの盛装でも、気障ったらしさは平常通りだ。薄荷班長ことセルノの横で、同じく招待客だったカナンは助けを求めるように周囲を見回した。

「こんな格好で聞き込みなんて出来たものじゃないな。一度帰宅して、着替えてくれば良かった」

 二人は共に、ロトの行方と不審者の目撃情報を集めて、大神殿近辺をうろうろしていた。

 これまでに得られた情報からして、ロトが外へ行った事は確かだった。控え室から出てきたところは、何人かが見ている。その時は、緊張した花婿がじっとしていられずその辺を歩きに行くのだろうと、誰も不審には思わなかったらしい。微笑ましく見守っているだけで、声もかけなかった。

 だがその後しばらくして神殿の裏門から出て行った時は、上の空で周囲が見えていないような様子だったという。門ですれ違った神官が、さすがに慌てて呼び止めたのだが、振り向きもしないでふらふら歩いて行ってしまったとか。

 いいのかあれは、と件の神官が式の関係者をつかまえて問い質そうとした時には、既に花嫁の部屋で騒ぎが起きていたのだ。

「婚礼衣装なんか着てたら目立つはずなんだけどな」

 カナンは顔をしかめて通りを見渡した。残念ながらほとんど人通りが無い。いくら目立つ格好でも、目撃者がいなければ無意味だ。

「お、あそこに誰か……えぅっ」

 人影を見つけてそちらへ向かいかけたカナンは、奇声を上げてたたらを踏んだ。何事かと振り向いたセルノの目に、国王陛下が急ぎ足にやってくるのが映る。

 逃げ腰になっているカナンを一瞥し、セルノはやれやれとため息をついて一歩前に出た。大事な身内を害されて怒り激甚なる国王陛下に、まだ見付かっていません、と報告するのが怖いのは分かる。だが何も言わずに逃げたら、後が怖いでは済まない。

 しっかりしてくれよ、と同僚を頼りなく思いながらも、彼は平静を装ってシンハを待ち受けた。これまで直接言葉を交わした事はないものの、リーファやロトの話を聞けばこの国王陛下が無闇に八つ当たりする人柄ではないと察せられる。案の定、シンハは声の届く距離まで来るなり問いを寄越したが、声に荒っぽさはなかった。

「そっちはどうだ、収穫があったか」

 これならディナルの癇癪の方がよほど始末に負えないというものだ。セルノは気圧される感覚を味わいながらも、ぐっと腹に力を込めて姿勢を正した。

「神官が一人、外に出て行く花婿を目にしています。呼び止めたが反応せず、そのまま歩いて行ってしまったとか。その先については残念ながら、目撃情報がありません」

「そうか」

 シンハは短く応じて、難しそうに少し考えてからセルノを手招きした。

「やはり仕立て屋に聞くのが近道のようだな。同行を頼む、俺ではまともな答えを聞きだせないかも知れん。もう一人は引き続き目撃情報を集めてくれ」

「畏まりました」

 セルノは警備隊員らしい敬礼を返し、連れを振り向く。

「そういう仰せだから、後は頼んだぞ、カナン」

「うっ、ぁ、はい!」

 名を呼ばれてカナンが慌てて敬礼する。シンハが探るような目をしてから、ああと思い出して言った。

「リーの奴が入隊以来、色々と世話になったそうだな。今回もまた面倒をかけてすまんが、よろしく頼む」

 言葉の陰にごく小さな棘が潜んでいたが、当のカナンは緊張しきって冷や汗をかいており、微妙な響きに気付く余裕など全く無い。シンハは眉をちょっと上げてから、セルノを促してさっさと歩き出した。セルノは気の毒な同僚に一瞥を残し、急ぎ足についていく。

「我々の噂も、お耳に届けられているようですね」

「まあな。おまえはセルノ=ラーシュだろう。薄荷の香りをさせている警備隊員なんぞ、他にいるとは思えん」

「ごもっともです」

 セルノは畏れ入ったふりで首を竦める。シンハは礼を失さない程度の距離を空けてついて来る薄荷班長を肩越しに見やり、皮肉な微笑を浮かべた。

「無理に堅苦しくしなくていいぞ。昔の悪童ぶりはロトから聞いているし、リーの奴から散々愚痴も聞かされているからな」

「参りました」セルノはお手上げの仕草をした。「では私も、リーファから散々聞かされている規格外の脱走国王と相対しているつもりで話します。ご命令に従って随行しておりますが、神殿の方では何が分かったのか、そろそろお聞かせ願えませんか」

 おどけたセルノの言い草に、シンハは一瞬だけ苦笑いしたものの、すぐに真顔になって答えた。

「婚礼衣装に呪いがかけられていた。恐らく、仕立て屋で祝福の刺繍を受け付けている間に、何者かが呪いを込めて刺したんだろう。花嫁を死に至らしめ、花婿を我が元へ――そういう内容だったらしい。ロトも罪な事をする」

 ため息と共に付け足した一言は、むろん彼には何の罪科も無いことが前提の、軽い皮肉だ。事態は深刻ではあるが、気を張り詰めすぎないための安全弁。セルノは敏感にそれを察し、肩を竦めた。

「叔父上は昔から女性受けが良い人でしたからね。しかしそういう呪いなのでは、犯人の特定は難しそうですよ。物陰からじっと見ていただけの女性でも、片思いが高じて極端な行動に走る可能性はあります」

 話しながら、セルノは脳裏にひとつの面影がよぎるのを自覚した。ほのかに甘く懐かしい、けれど挫折と敗北の苦味を伴った記憶。

 前を行くシンハはそれに気付かず、考えながら言葉を続けた。

「今日の結婚式はかなり噂になっていたようだから、そういう女がいたとすれば、耳をふさぎたくとも否応なく聞こえただろう。秘書官と警備隊員という珍しい取り合わせだし、二人とも俺の式でそれなりに目立つ場所にいたからな」

「そのようですね」

 セルノは相槌を打ち、顔を上げて行く手を見る。職人街に入っており、忙しく働く人々が国王陛下の姿に慌てふためいて道を空けようと逃げ惑っていた。普段着ならいつものお忍びかというところだが、何しろ今は略礼装。困惑と驚きに誰もが目を丸くして、何事かという視線をちらちら向けてくる。

 シンハは構わず歩き続け、仕立て屋に着くと店員の取次ぎを待たず奥へと踏み込んだ。従うセルノは内心首を竦める。自分が周囲を威圧すると分かっているのなら、もうすこし穏やかに振舞えば良いものを、そんな余裕もないということか。

 警備隊員の中にも似たような強引横柄さで突き進む者は少なくないが、こちらは反感を山ほど買い込むのに対し、シンハはただ畏れ入られるだけなのだから、権力と加護の有無は随分な違いである。

「店主! 邪魔をしてすまんが急を要する。店の者を全員集めてくれ、ああ、全員だ」

 言葉だけは依頼の形だが、質問も抗議も一切受け付けない声音。店主は驚きつつも余程のことだろうと察し、たまたま居合わせた不運な客は別室で待たせるか後日の約束を取り付け、すぐに店員を呼び集めた。職人も針子も不安げな顔を見合わせ、ひそひそと微かなささやきを交わしている。

 シンハは一同を見回し、まずは仕事を中断させたことを詫びた。

「忙しい最中に手を止めさせてすまん。だが人命に関ることだ。この店で仕立てられた婚礼衣装に呪いがかけられていたせいで、花嫁が死にかかっている」

 場がどよめく。店主が真っ青になって倒れかけたのを、セルノが慌てて支えた。

 騒ぎが大きくなるより一呼吸早く、シンハがわずかな手振りで皆の動揺を鎮めた。否、むしろ封じたと言う方が正しいかも知れない。誰もが見えない何かに押されたように頭を垂れ、口をつぐむ。

「この中の誰かが仕込んだ可能性もあるが、むしろ“祝福の刺繍”に紛れての仕業だろう。だからこそ、全員を呼び集めた。今日使われるはずだったあの衣装が店にあった期間中、祝福を施した客に不審な者がいなかったか、妙な出来事はなかったか、何かわずかでも思い出せる事があるなら教えて欲しい」

 シンハの言葉に応じる声はない。予想された成り行きに彼はため息をつくと、セルノを目顔で促し、自分は店主を連れて別室に退いた。

 後を任されたセルノは軽く咳払いし、部屋に残る重苦しい威圧感を払うように手を叩いて、皆の顔を上げさせた。

「では皆さん、そういうわけですから、この場で少し記憶を辿ってみて貰えますか。あの衣装に触れた客に、普通と変わった様子はなかったか。誰かが店員の目を盗んで触れたような気配はなかったか。花嫁や花婿についてあれこれ訊いてくる客はいませんでしたか?」

 ざわつきながら、あるいは宙に目をさまよわせ、あるいは互いに覚束ない記憶を確認し合っては首を傾げる。しばらくそのまま、何の反応もなかった。

 やはり無駄足か。セルノは聞き込みが空振りに終わるお馴染みの失望感を舌の奥で味わいながら、何気ない態度で皆の間をぶらついた。盛装した人物が前に突っ立って返事を待っているより、少し姿を紛らせた方が記憶を掘り返しやすいかもしれない、と思ったのだ。

 そうして一人の針子の近くまで来た時、思わぬ形で効果が現れた。

「――っ!」

 不意に彼女は息を飲み、まるで悲鳴を堪えるかのように、両手を口に当てて竦んだのだ。セルノが反射的に身構えながら振り返ると、針子もビクッと怯えて後ずさる。不穏な空気に近くの者が一度にざっと逃げ出し、二人のまわりにぽかりと無人の空間がひらけた。

 いきなり告発の場に投げ落とされたように、針子は青ざめてわななき、逃げ場を探して目を左右に走らせる。セルノは警戒しつつも予断はせず、あくまで穏やかな口調を保って話しかけた。

「何か思い出したことがありましたか? 何でも良いんです、些細なことでも不確かなことでも構いません。聞かせて下さい。話せばあなたの身に危険が及ぶというのであれば、警備隊でしっかり保護しますから」

「あ……あ、たし、あたしの、せいじゃな……」

「大丈夫、落ち着いて。呪いというのは非常に強い意志を必要とします、何かの間違いで掛かってしまったりはしませんよ。そのような心当たりが?」

 辛抱強くなだめるセルノの前に、針子は堪えきれなくなった様子でよろめいた。すがりつける支えを探したが、生憎近くには椅子も机もない。彼女は諦めたように、両手で口を覆ったままゆっくり深呼吸して、それからようやく話し出した。

「一人……変な、お客さんがいたんです。警備隊の人の結婚式で使われるドレスはこれか、って確かめてきて……なんとなく、ちょっと変な人だなとは思ったんですけど、だから関わりたくなくて、自分の仕事をしながら……はいそうですよ、って。そ、それで、当然ですけど、その人も刺繍したんだと思います。ちらっと見ただけなんで、はっきりとは……でも、その人、すごく……怖くて」

「怖かった? あなたを脅したりしたんですか」

「いいえ、違います。その……刺繍した後、針を横の針山に戻したとき、こう……笑ったんです。なんていうか……すごく、嫌な感じに。良い家のお嬢様らしい身なりだったのに、その瞬間だけ、化け物になったみたいで。あ、あたし、怖くなって。それで、多分その人が刺したんだろうって辺りの糸を、ちょっとだけほどいて、刺し直しました。良くないことが起こりませんように、良いお式になりますように、ってお祈りしながら、その辺りをいっぱい刺繍しておいたんです。なのに」

 間違っていたのだろうか。見過ごしてしまった自分の責任になるのだろうか。

 そんな恐怖が全身から噴き出すのが目に見えるようだ。

 セルノはひとまず「ふむ」とうなずいてから、出来るだけ相手を刺激しないよう、ただでさえ曖昧な記憶をさらに混乱させないように、静かに問いかけた。

「そのお嬢様は具体的にどんな人だったか、覚えていませんか。髪の色とか、服装とか。話し方の特徴とか」

「わ、わかり、ません。すみません、覚えてないんです。あの、とにかく変な人で……どこがどう、っていうんじゃないんですけど。ただ、ひとつだけ」

 針子はおどおどと目をさまよわせながら、言い訳するように忙しなく言葉を連ねていたが、そこで不意に声を飲み込んだ。ごくりと喉を鳴らし、半歩後ずさって逃げの体勢を取りながら言ったことには。

「これ……薄荷の香り、ですよね。その人が店に来た時も、この香りがしました。女性なのに薄荷の香りなんて珍しいから、印象的で」

「――!」

 予想外の言葉に、セルノは愕然と棒立ちになった。次いで相手の肩をつかんで揺さぶりたい衝動に襲われ、危ういところで自制する。ぎゅっと目を瞑って眉間を揉むと、彼は奥歯で挽くようにして唸った。

「……その、良い家のお嬢様に見えた客は、赤っぽい金髪でしたか? 上等の服を着ているようでいて、独特の取り合わせをしていたりは?」

「あっ!――はい、はい、そうです。そう言いたかったんです! 折角上等の生地みたいなのに、安っぽい縁飾りをしてたりして。手袋も服と合ってなかったし。どこか普通と違う雰囲気だったのは、そのせいです、きっと」

 針子が勢い込んでうなずく。セルノは眉間を押さえたまま、もはや声もなくうなだれた。ご協力感謝します、とのお定まりの言葉さえ、胸に浮かびもしなかった。


 シンハが店主と共に待つ部屋へ現れたセルノは、半死人の態だった。何があったかと不審な顔をしたシンハに向かい、彼はうつろな声で確かめる。

「陛下。呪いは……必ず成就されるのでしたね。標的か、呪った本人か、どちらかの身に、必ず」

 迂遠な物言いにシンハは眉を寄せたものの、「ああ」と短く答えた。

 実際にはフィアナが司祭に説明したように、それがもし“正当な”手法によってかけられた魔術としての呪詛であれば、防がれても術者自身に跳ね返るわけではない。それだけでなく、常識外れの強力な加護を授けられたシンハは体感的に知っている――神々の力によって成されるものである限り、呪詛であれ何であれ、どこかに抜け道はあるものだと。

 だが一般的には、『呪いは必ず成就されるもの』なのだ。そうでなくては困る。失敗すれば必ず己が身に返るという危険があるからこそ、軽々な行いが抑止されるのだから。

 シンハが敢えて黙っていることを察せられる由も無く、セルノは沈鬱な表情でゆっくりひとつ深呼吸し、両手で顔をこすった。

「……何をしても無駄か」

 諦めのつぶやきが微かにこぼれる。どういう意味かとシンハが聞き返すより早く、セルノは頭を振り、警備隊員らしく引き締まった表情に戻って姿勢を正した。

「陛下、呪いをかけたのが誰か、判った――と思います。店員が目撃した“様子のおかしな女性”の特徴が、私の知人と一致しました」

「それは確かなのか」

「まだ断言は出来ません。ですが彼女なら今、王都にいてもおかしくはないし、死の呪いをかけることもやりかねない」

 セルノは慎重にも断定を避けたが、一方で弁護も一切しなかった。

「居所は知っています。彼女の家と大神殿とを結ぶ道を探せば、ロトは見つかるでしょう。ですから陛下、彼を神殿に連れ戻して呪いの成就を阻止してください。……彼女が報いを受けたか否かは、私が確かめます。どうか、それ以上の処罰はご容赦を」

 深く頭を下げたセルノに、シンハはしかめっ面で唸った。

「処罰をどうするかなど、事実が判明してから決めることだ。本当におまえの知人が犯人で、ロトを保護出来たら、その後で呪詛をかけた本人だけの責任なのか否かを調べる」

 かろうじて平静な返事をしながらも、逸る心を抑えきれず、足は扉へ向かっている。店主から何も収穫が得られなかった今、セルノの“心当たり”が唯一有力な手がかりだ。

「場所を言え。急ぐぞ」

 短く命じたシンハに、セルノも必要最小限の説明だけで答えた。


※セルノの“知人”については『黙す人々』八章(1)を参照。

(http://ncode.syosetu.com/n9861ba/32/)

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