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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
一線の彼我
49/66

序・一章

リーファが22歳の春、結婚式の話。

※メンタルが弱っている人にとっては地雷かもしれない内容を含みます。

 不安のある方は五章の後のオマケだけ読んで和んで下さい。


 暖かな風が李の花を揺らし、木々の新芽を優しく撫でていく。

 鳥たちが連れ合いを求めてさえずり、人の心も浮き立つ。そんな春らしさに加え、今年の王都はいつになく華やいでいた。というのも、長年独身で周囲をやきもきさせていた国王が、ようやく結婚したからだ。

 大神殿での儀式そのものは新郎新婦とごく近しい親族だけで執り行われるが、その後のお披露目、そして城を開放しての祝宴となると、もう都中がお祭り騒ぎである。

 国内外から招待客や見物人が押し寄せた。貴族の位を持つ者は末端の名ばかり貴族まで、大商人は言うまでもなく、ちょっと裕福な層は職の種別を問わず。そしてもちろん、彼らを目当てに一稼ぎしようとする者も。

 伝統的に王族が親しみを持たれているお国柄もあり、集まった人々は皆、笑顔で寿ことほいでいた。

 とは言え、幸福を見せ付けられて微塵も嫉妬せぬ者ばかりではない。

 国王本人を妬むほど身の程知らずではなくとも、その王の近くにいる者が次に結婚すると聞けば、捌け口を見付けた薄暗い感情がそこへと向かうものだ。噂する声にも小さな棘が生える。

 国王陛下の次は、あの秘書官も結婚するそうだ……相手は警備隊員とか……あれは陛下の愛人だったのではないのか……結婚するから不要になったのを払い下げたのか……云々。

 町の住民であれば、当人達を直接に見知り、あるいは間接的であってもかなり近いところで聞き知っている。だが他所から集まった人々が得ているのは、又聞きの又聞きや断片的な情報だけだ。一片の事実を憶測で膨らませ、やっかみで味をつけて、互いに交換し合う。

 そうして、霞のように薄く悪意を含んだ噂が、無責任に広められていく。

 それは少しばかり不快であるにせよ、誰の毒にもならないはずだった。

 ――普通ならば。



   一章



 若芽色の絹が光をちらちらと反射する。きらびやかでありながら上品で柔らかく、慎ましい。

 リーファは膝の上で指を組み、改めて不思議な色合いに感嘆した。

 花嫁のための特別な衣装。それを自分が纏っていることが、まだ信じられない。これから待っている式を思うと、緊張と恥ずかしさで暴れだしそうになる。

「あ、ちょっと、動かないで」

 うっかり身じろぎした途端、頭を押さえつけられた。髪を結い上げられているのだ。結婚式を専門にしている女神官は手際良くも容赦ない。と、そこへ、

「入るぞ」

 短く一言かけただけで、一人の男が扉を開けた。神官が咎める声を上げる。

「シンハ様! 式の前に花嫁の部屋に入るなんて」

「細かいことは気にするな。独身ならともかく既婚者なんだし、どうせ神々だっていい加減なもんだ。というか……ロトがいるかと思ったんだがな」

 悪びれずに言い、シンハは首を傾げた。リーファも、頭を動かせないまま目をしばたたく。

「控え室にいないのか?」

「ああ、だから待ちきれずにこっちに来ているのかと思ったんだが……よく考えたら、あいつに限ってそれはなかったな」

 言葉尻でシンハは皮肉っぽく笑う。リーファも失笑し、花婿の名誉のために慌てて真顔になった。

「こっちには来てないよ。何か相談事かい?」

「大したことじゃない。……ん、何だリーおまえ」

 シンハは軽くいなしてから、ふと不審げに眉を寄せた。何だと言われてリーファの方こそ怪訝な顔になる。シンハはため息をつき、彼女の胸元に手を伸ばした。

「式の前から汚すなよ、まったく」

 呆れ口調で言いながら、食べこぼしでもしたような位置にある黒い何かを払おうとした――刹那、

「ッ!?」

 ジュッ、と焦げる音とともに黒煙が一筋。シンハは火傷したように手を引き、一瞬で顔色を変えた。

「脱げ! 今すぐ、全部!」

 とんでもない命令に神官がぎょっとなり、驚きと抗議の声を上げようとする。だが開かれた口から飛び出したのは、恐怖の叫びだった。

 ドレスが、みるみる黒く染まってゆく。

「何だよこれ!?」

 リーファは早くもなりふり構わず脱ぎ捨てようとしていたが、袖口にも裾にも、不吉な黒い染みが次々と雨垂れのように生じていた。その広がりにつれて瞬く間に力が失われ、体が動かなくなっていく。手がだらんと落ち、上体が傾いで椅子から落ちかける。

「危ない!」

 シンハがそれを抱きとめた途端、触れた場所すべてから火花が散った。あまりの痛みにリーファが悲鳴を上げる。シンハは力任せにドレスを引き裂こうとしたが、どういうわけかびくともしない。異臭と煙が立ちこめるばかり。

「くそっ、よりによって大神殿の中で! 何をやってるんだ神々は!」

 悪罵したシンハを罰するかのように、ひときわ激しい火花が弾ける。だがそれを最後に反応は消えた。

「……リー? 返事をしろ、おい!」

 シンハが蒼白になってリーファを揺する。黒いまだら模様のドレスに包まれた体はぐったりとして動かない。だがかろうじて瞼が震え、薄く目が開いた。

「怒鳴るなよ……」

 かすれた細い声で抗議され、シンハは深い安堵の息をついた。

 一安心した直後、彼は別のことを思い出してぎくりとした。魂が抜けたようなリーファの頬をそっと撫でて長椅子に横たえると、恐怖にうろたえるばかりの神官を振り返った。

「すぐに魔法学院長を呼べ。それから、誰でもいいから手分けして花婿を捜すように言うんだ。セレムが来たら俺も捜索に向かう。急げ!」

 厳しい口調で命じられ、神官はカクカク首を縦に振って、転げるように駆けだした。

 悲鳴のような呼びかけと、乱れた足音が遠ざかる。その間もリーファは、横たわって茫然と天井を見上げたまま身じろぎひとつしない。

 じきに魔法学院長セレムと共に義従妹のフィアナが駆けつけた時には、リーファの意識は深く暗い眠りの底に落ちていた。



 昏々と眠る花嫁の体を、淡い光が取り巻く。

 ドレスを台無しにしている黒い染みから、すうっと細い糸のように影が立ち昇り、空中に模様を描き出すのを、二人の魔術師がじっと険しい目で見つめていた。

「……どうだ、何か分かるか」

 壁際からシンハが、待ちきれない様子で回答を急かす。セレムは片手を挙げてそれを制し、フィアナと共に尚しばし宙に踊る黒い筋を追いかけた。

 二人とも、招待客だったために盛装している。フィアナも普段は着ることのない明るい色合いのドレスを纏っているが、今その表情には暗く厳しい怒りだけがあった。

 シンハの横では異国の司祭ザフィールも、心配そうに様子を見つめている。

 しばらく種々の方法により忌まわしい術の解析が進められたが、ややあって出来る事はすべてやり尽くされた。セレムとフィアナは空中の軌跡を消し、道具を片付け、沈鬱な表情で振り返る。

「間違いありません。『死の呪い』です」

 セレムが告げた言葉に、シンハがぎゅっと唇を引き結んだ。セレムは考えを整理するように目を伏せ、説明を続ける。

「ただし、幸いなことに婚礼衣装に込められた数多くの祝福と、神殿を取り巻く結界の力、それに加えて発動直後に陛下が触れられたおかげで、呪詛は今のところ凍結されています。発動はしてしまいましたが、神殿内に留まる限り進行することはないでしょう」

「ロトが行方不明なのと関係はあるのか?」

「あります。条件付けになっているようですね。『花嫁を死に至らしめ、花婿を我が元に』……まず間違いなく、呪いをかけたのは女性です」

 答えを聞いてシンハは眉間を押さえた。

 これが普通の男であれば、結婚前に女性関係は清算しておけ、と文句を言うところなのだが、何しろ四年越しの片思いを貫いたロトである。女性側からの一方的な横恋慕でしかありえない。ということは、ロトの身辺を洗っても手がかりを得られる見込みは薄くなる。彼自身が接触していた女性とは限らないのだから。

「厄介な……」

 呻いたシンハの横から、ザフィールが遠慮がちに質問した。

「ちょと知りたいでスが、呪いは誰でもかけられますか? カリーアでは、『悪魔』の力を借りるのには色々と、儀式や『供犠』……ええと、お供え?……が必要で、やり方は秘密に伝えられていますが」

 学院長は問いに答える代わりに、フィアナに視線を向けた。彼女は小さくうなずき、求められた答えを返す。

「断言は出来ませんが、儀式に則った呪いではないと推測されます。恐らく個人による我流の呪いでしょう。――司祭様、東方の呪いは大きく二種類あります。ひとつは司祭様がおっしゃったような、特定の手順によって行われるもの。これは魔術に分類されるわざです。くらき神々に関する知識と古代語を用い、陣を描き、代償を払うことで、狙う相手にわざわいをもたらすもの。正しい方法を知っている人間は限られていますし、実際に行える者となればごくわずかでしょう。ですが、もうひとつ……個人が我流でかける呪いも存在するのです。こちらの神々は、良くも悪くも人の声を聞き届けられるので」

「そのようですね」

 ザフィールは感慨をこめて同意した。

 国境である“竜の背骨”を越えて東に進むほど、人ならぬもののしるしが増えて、最初は衝撃を受け、困惑したものだ。

 東方の神々は実によく人の世に関わる。祈りや願い事は何らかの反応を得られることが多いし、ささやかな加護持ちは珍しくもない。シンハほどの強力な加護持ちはさすがに稀だし畏怖されるが、人々が日常的に接する程度の加護は、背が高い低いとかいった程度のことと同列に捉えられているのだ。

 ――願い事をする時は用心しろ、叶ってしまうかもしれないから。

 西方でも同様の言い回しはあるが、東方では単なる諺ではなく、いっそ現実的なまでの警句となる。ザフィールは薄ら寒さを感じて身震いした。

「では……誰でも、人を呪い殺すことが出来るのですか。誰がやったかも分からない、と」

 それに答えたのは学院長だった。

「幸いなことに、誰でもというわけではありません。神々に声の届きやすい人が強く願い祈り、何がしかの犠牲を払わなければ、いくら呪っても実際の効果はありません。一時の激情で呪詛の言葉を口にした程度では、何の影響もないのが普通です。しかし今回は明らかに呪いが発動し、かつ防がれてしまった。呪いは成就しなければ、相手に及ぼそうとした災いが返って来ますからね。犯人は今頃、もう死んでいるかもしれません」

 さらりと告げられた内容に、ザフィールは顔をこわばらせる。彼の恐れには構わず、フィアナが唸った。

「ロトさんが見付からない以上、まだ呪いは有効だし犯人も生きているでしょう。簡単に死なれてたまるものですか、くだらない嫉妬の代償は生きて払わせてやります」

「とにかく犯人を突き止めるのが先決だな」

 危険な空気を払うように、シンハが実際的な言葉を発した。

「呪いの主が分かれば、ロトもそこへ向かっているということだ。ディナルが招待客の中の警備隊員に聞き込みを指示していたから、この周辺での目撃情報はすぐ集まるはずだが……セレム、呪いの元を辿れないか? せめていつかけられたのかが分かれば、絞り込めるんだが」

「残念ながら、呪いそのものはこの衣装に直接かけられていますから、元を辿る事は出来ません。花嫁の衣装は仕立て屋にある間に、多くの手に触れられますからね」

「……刺繍か」

 衣服の仕立ては、段階ごと、部分ごとに専門の職人が手がけているから、ドレスや礼服といった複雑なものになれば、それだけ関る人は増える。それでも普通ならば触れた人間を特定することは可能だが、花嫁衣裳は少し事情が違う。

 形がほぼ仕上がってお針子が刺繍を施す間、衣装は店に飾られ、訪れた女性が祝福を込めて一針二針、刺繍を手伝う慣習があるのだ。祝福すれば見返りに、未婚者は幸せな結婚が出来るし、既婚者は夫婦の絆が強まる、と言われている。

 だから、誰でも触れることが出来るのだ。触れて、祝福ではなく呪いを刺すことが。

 シンハは苦い顔で壁際から離れた。

「見込みは薄いが、店に聞き込みに行ってくる。もしかしたら、刺繍をした客の中に様子がおかしい者がいたことを、誰かが覚えているかもしれん」

「お願いします」

 フィアナが短い一言に強い願いを託す。他の時ならば、国王自らが動かずとも良いとたしなめるであろうセレムも、今は黙って目礼した。もはや魂の一部と言っても良い二人が危険に晒されているのに、指示だけ出して座っていられようはずがない。

「リーを頼む」

 シンハは言い置くと、眠り続ける彼女に一瞥を投げてから急ぎ足に出て行った。



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