お題企画SS『壁』『恋情』
同じく、企画SSから王都ネタ2本。
警備隊の同僚ジェイムとヘレナを扱ったものです。
【壁】
時々、こいつの顔を壁に叩きつけてグチャグチャに潰してやりたくなる。
物騒なことを考えながら、警備隊の似顔絵書き担当者は同僚の女隊員を睨みつけた。
「邪魔なんだけど」
出せる限り一番冷たい声をため息に乗せて浴びせてやっても、敵は怯まなかった。
「うぉっと、ごめん。つい」
横から屈みこんで彼の手元を食い入るように見つめていたリーファが、慌てて背筋を伸ばす。ジェイムはそれをさらにシッシッと手で追ってから、作業の続きに戻った。広場の掲示板に貼り出す身元不明の遺体情報で、所持品のスケッチである。顔や身体的特徴は、先に氷室で写生済み。
細かい部分を正確に写し取ることに集中していたジェイムは、しばらくしてまた覗き込まれていることに気付き、鬱陶しげに舌打ちした。腕に顔が触れそうなほど近付かれたのでは、邪魔でしょうがない。うっかり当たってインクが変なところに落ちたら台無しだ。
「暇なのか?」
棘々しい、どころか刃物のような台詞を投げつけてやる。
リーファはびっくりしたように少し身を引いたが、相変わらず視線はスケッチに釘付けだ。
「すごいよなぁ。本当に本物そっくりなんだもんなぁ」
いまさら改めて感嘆されても、ジェイムとしては全く嬉しくない。当たり前のことだ。
「そっくりじゃなかったら意味ないだろ」
「いやまぁ、そうだけどさ。でも、見たまんま描こうとしてもなかなか出来ることじゃないだろ」
リーファは話し相手の不機嫌な顔など目に入っていない風情で、横にあった別の似顔絵を一枚取り上げてつくづくと眺める。ジェイムは嫌な予感がして顔をしかめた。
(言うな。言うなよ)
強く念じたものの、しかし届かず、彼女は予想通りの言葉を投げかけてくれた。
「なんで警備隊員になったんだ? 絵描きになっても食ってけそうだと思うけどなぁ」
「…………」
ジェイムはぎゅっと目を瞑り、拳を握り締めた。危うくペンをへし折りかけ、叩きつけるようにして置く。どうにか絞り出した声は、生木が裂ける音に近かった。
「手引書に図版を山ほどつけてやったのは誰だっけね」
「あ、それは感謝してるよ、もう心の底から! ジェイムが警備隊にいてくれて本当に良かったと思ってる。あんた抜きで仕事するなんて考えられないよ。だからすげえありがたくてさ、……その、余計になんかこう、申し訳ないっていうか」
「回さなくて良い気を回して、回すべきところに回ってないよな、いつもいつも。本当に邪魔だからどっか行ってくれないか」
一語一語、強く念を押すようにして唸る。流石にリーファも萎れた顔になり、大人しく絵を置いて、ごめん、と退散した。
苛立ちの元がいなくなっても、すぐには気分が切り替わらず、ジェイムは身じろぎしないまま険しい目で描きかけのスケッチを睨みつけていた。
――どうして絵描きにならなかったのか。
今までにも、彼の絵を見た隊員たちが何人も、賞賛と共に無造作に寄越してくれた残酷な問いかけ。それに対して彼はいつも、あんたに関係ない、と素っ気なく返すに留めてきた。
だがリーファにだけは、同じ問いをされたくなかった。
「ムカつく……っっ」
ぎりっと歯を食いしばり、喉の奥でうめく。頭の芯がじんじん痺れて熱くなり、世界の物音が遠ざかっていく。
「だ……っ、じゃ、ない……っっ」
心の叫びが、抑えきれずに唇からこぼれ落ちた。
誰もが、壁を越えられるわけじゃない。
両手でこめかみを押さえ、目を瞑ってうつむく。普段は意識の底に沈めて見えないふりをしている、苦い記憶や屈辱の黒い澱が、波立ちゆらめいて立ち昇る。
生まれ育った集合住宅の狭く汚い部屋。息子に画才があると気付いて、なんとか伸ばそうとしてくれた母のやつれた顔。弟子入り先を探して王都中を歩き回った毎日。だが、伝手も縁故も金もない貧乏人に、開かれる扉はなかった。
独学でなんとかしようにも画材費を捻出できず、ようやく描き上げたものを画家の工房へ持ち込んでも一笑に付された。
見たままをただ描き写しただけの落書きなど、芸術とは呼べない、と。
(努力と才能で道が開けるなんて、まやかしだ)
現実にはいたるところに壁があり、それを越えられずに人はやむなく別の道を選ぶ。あるいは壁の前で座り込み、それ以上進めないまま一生を終える。
そういうものだ、自分が格別不運だったわけではない。
ジェイムも世間一般の大勢と同じように、諦め、妥協し、現実を受け入れた。結果として今、警備隊で自分の技術が役に立っているのだから、悪くはない道だったはずだ。
それに実際こうなってみると、自分が得意とするのは写生であって芸術ではないのだと、実感するようにもなってきた。捨てた道への負け惜しみではなく、一種の悟りとして。
――なのに。なぜ今になって、壁を越えた特別な存在が目の前に現れるのだ。
彼よりもずっと低い位置から出発したのだろうに、たまさか差し伸べられた手を取り、とてつもなく厚く高い壁をよじ登って越えた者。あまつさえそこで立ち止まりもせず、さらに先へと、広く明るい道を意気揚々と歩む者が。
神々の残酷さを呪い、彼は深いため息をついた。両手でこめかみを揉み、静かに息を整える。
(やめろ、嫉妬なんて見苦しい。ますます惨めになるだけだ)
自分に言い聞かせて目を開けた、ちょうどその時、ふわりと甘い香気が漂ってきた。
顔を上げると、数歩離れた場所にリーファが立っていた。手には湯気の立つマグカップと、屋台で買ってきたと思しき揚げ菓子の包み。
「…………」
無言でじとっと睨みつけてやると、リーファは曖昧な苦笑を浮かべて歩み寄り、机上の安全圏に差し入れを置いた。
「賄賂」
へへっ、と言い訳するように笑った彼女と、置かれた茶菓子とを交互に見比べて、ジェイムは諦めの心境で頭を振った。
「やれやれ……本当に、その顔を生乾きの漆喰壁に突っ込んでやりたくなるね」
「ひでえ!? ってか怖いだろそれ、あとが!!」
「どうせ警備隊の歴史に色々やらかした記録が山ほど残るんだ、記念に顔拓のひとつぐらい、そこらの壁に作ればいい」
「そんな部屋で仕事すんの嫌だろ! どうせやるならあんたも道連れにするからな、初代の顔ぶれってことで!」
「遠慮する。僕は無名の隊員でいい」
「何言ってんだよ」
応じたリーファは、心底呆れたという顔をしていた。その口が恥ずかしい賛辞を繰り出す前に、ジェイムは素早く先制する。
「お世辞は要らないよ。賄賂で充分」
「……うぐ」
言葉を封じられたリーファがうめき、不満げに顔をしかめたが、むろんジェイムは取り合わなかった。おしゃべり終了の合図に菓子を一本取り、端をかじる。
これで充分。
声に出さないつぶやきが、口の中で甘い欠片と一緒にほどけて消えた。
(終)
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【恋情】
昼休み、人気のない部屋に並んだ机の上をそよ風が通り、ひらりと一枚の紙を飛ばした。ジェイムとヘレナに休憩を取らせて一人留守番をしていたリーファは、慌ててそれを拾いに行く。
「っとっと……」
元あった場所に戻そうとヘレナの机に向かいつつ、リーファは何気なくそれを裏返した。質の悪い屑紙だからメモ程度のものだろうが、一応本当に彼女のものかどうか確認しようと思ったのだ。
実際、それは走り書きのようなものだった。が、連ねられた言葉を辿った目が、まん丸に見開かれる。
雑踏に 君を見つけ あたたかな花がひらく
微笑みは 雲間から射す光
「うわ……」
見てはいけないものを見てしまった。
そんな気分でリーファは目を逸らし、困り顔になった。走り書きの、文節の羅列。だがこれは明らかに恋心を詠んだ詩だろう。色恋沙汰に疎いリーファでも、その程度はわかる。
見なかったふりで机に戻しておこうと思ったものの、気付くとまた目が文字を追っていた。
ひびく声 いくたびも くりかえし胸に
たわいのない言葉 たまさかのまなざし
ひとつひとつが うち寄せる波 いつまでも
書きながら悩んでいたのだろうか、インクが滴り落ちた小さな染みがある。横線で消して別の言葉に書き換えているところもあった。
だがいつの間にかリーファはそうした推敲の跡を意識の外に追いやっていた。
この空の下に あなたがいるだけでいい
生きて 笑って それだけで
一行一行、文字はリーファの中で人の姿へと変わっていく。波紋のように広がる温かな思慕を伴って。
どうか 恋情などと 名をつけないで
わたしだけの想い これは
途切れた最後の行を追った目から、涙が一滴こぼれた。
「……名をつけないで、か」
口の中でほとんど声に出さずつぶやき、指で涙を拭って目をしばたたく。ほっ、と小さく息をついたと同時に、静かな足音が階段を上がってきた。そして、
「只今戻り……、あ!」
ヘレナが珍しくも頓狂な声を上げて立ち竦んだ。リーファも慌てて紙を机に伏せ、今更遅いが取り繕う。
「ご、ごめん! いや、見てない、見てないよ! 誰の字かなってそれだけ!」
「…………」
絶句したまま、ヘレナはあっという間に耳まで真っ赤になる。こんな一面があったのか、とリーファは驚きのまなざしで見つめた。
気まずい沈黙の中、ヘレナは恥辱を堪えるように唇を噛み、急ぎ足で机に駆け寄ると紙を取り上げた。
「すみません。あの、これは、休憩時間に……」
紙を握り締めてうつむいたまま、ぼそぼそと小声で謝る。慌ててリーファは首を振った。
「分かってるよ、あんたがサボってるなんて考えてないから! っていうか、オレの方こそごめん、あの、つまりそのえーと」
詫びても余計にいたたまれない空気になるばかりだ。リーファは困って頭を掻いた。ヘレナも動揺を鎮める為か、両手を胸に当てて石のように固まっていたが、ややあって顔の赤みが引くと不安そうにリーファを窺いながら言った。
「どうか、あの……内密に」
「え? あ、うん、もちろん誰にも言わないよ。えっと……それ、手紙の下書きとか……?」
リーファは確約した後で、恐る恐る質問を付け足す。途端にヘレナは驚いたように目をみはり、
「まさか!」
何故そうなる、とばかりの声音で否定した。リーファがぽかんとすると、ヘレナも誤解に気付いた様子で肩の力を抜いて、ごく微かに苦笑の気配を漂わせた。
「違います。これは……あの、ただの……空想というか。昔から、時々詩を書いているんです。手紙じゃありません」
「そうなのかい? オレは結構じーんと来たけどなぁ。空想だなんて全然分からなかったよ」
リーファは安心したせいで気が緩み、見てないと言い訳したことも忘れて正直な感想を述べる。ヘレナは何か言いたそうな顔をしたものの、その点は指摘せず、下書きの紙をきちんと折って自分の鞄にしまいこんだ。
「ありがとうございます。きっとそれは、リーファさんに思い当たる節がおありだからでしょう」
「うっ」
さらりと一撃加えられ、リーファは声を詰まらせ赤面した。
その日の夕暮れ、リーファは城に帰る道々、無意識に詩の言葉を反芻していた。
(恋情などと名を付けないで)
繰り返しながら、いつものように国王の執務室に向かう。そこに彼がいると思うだけで、口元がほころび、足取りが軽くなる。
(わたしだけの想い)
その喜びを味わいながら、踊るように扉をくぐって。
「よっ、ただいま!」
振り返った笑顔と、温かい声とが迎える。確かに自分の想いが受け止められている証。
リーファは満面の笑みでそちらへ駆け寄っていった。
これは 恋よりもずっと うつくしいもの
(終)
※最後の『彼』がどちらなのか両方なのか、その辺は秘密ということで。