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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
45/66

後日談 (4)

 結婚、というのは当人同士だけの問題でなく、家族や職場など周囲を巻き込むものである。

 そう頭では理解していたつもりだったが、“つもり”に過ぎなかったとリーファが思い知ったのは、二人だけの婚約から一ヶ月ほど過ぎた日のことだった。

「こちらに女性の警備隊員がいらっしゃるって聞いたんですけど」

 薄荷の香りが漂う四番隊二班の詰所に、一人の女が訪ねて来た。旅行者だろうか、大きな鞄を肩に提げている。ちょうど在室していたリーファは、拾得物届を整理する手を止め、はい、と立ち上がった。

「私ですが、何かご用ですか」

 当たり障りの無い穏便かつ事務的な態度で答えつつ、女の前に進み出る。なんとなく、見覚えがある顔のような気がした。

 金髪と碧い目、年齢は三十代に入るか入らないか。服装や鞄の雰囲気からして既婚のようだ。既婚か未婚かを区別する決まりがあるわけではないが、デザインや装飾の性質でそれとなく分かる。

 女はあけすけな好奇のまなざしでリーファをじろじろ眺めてから、妙に親しげな口調で応じた。

「そう、あなたがあの、リーファ=イーラ」

「はい」

「弟の結婚相手ですってね」

「……はい?」

 思わず奇怪な声を上げたリーファに、女は眉を上げ、あらあら、とばかりの寛容な笑みを見せた――年少者の失敗を大目に見る大人さながらに。

「初めまして、アンナ=シャイロよ。ロトの姉で、あなたの姉にもなるってこと。よろしくね」

「あっ……は、初めまして!」

 慌ててリーファは姿勢を正し、さっと頭を下げる。アンナは鷹揚にうなずいた。

 二呼吸してから背筋を伸ばしたリーファは、未来の義姉を相手にどんな態度をとれば良いのか分からず、曖昧な声音で探るように問いかけた。

「あの、こちらに来られるとは聞いていなかったもので……城の方に知らせは?」

「知らせずに来たの」

 答えたアンナはなぜか得意気に見える。

「あの子、もう何年も帰ってこなくて年始の挨拶を寄越すだけで、それも決まりきった型通りの文章で、とりあえず生きてるらしいってことしか分からないぐらいだったのに、いきなり手紙を寄越したと思ったら結婚するだなんて! 突然すぎるわよ、だからこっちも連絡せずに来てやったわ」

「……、はぁ」

 リーファは絶句しかけて、ぎりぎり相槌だけは打った。来てやったは結構だが、何年も年始の挨拶しか送れないほどの激務であるということは、門前払いされる可能性もあるのだと予想しなかったのだろうか。

「王都に来るのは久しぶりだけど、相変わらず広くて凄い人だし、歩くのも疲れるわぁ。中央広場で警備隊の本部を見かけたから、もしかしてあなたがいるかしら、って覗いてみたら、こっちだって言うし。もうクタクタよ」

「あ、ええと、どうぞ」

 慌ててリーファは来客用の椅子を勧める。あらどうも、とアンナは応じて平然と腰掛けた。

「あなたはいつもここで仕事をしているの?」

 いつも、と言うか、今も、なんですが。

 そう言い返しかけたリーファがぐっと声を飲み込む間にも、アンナはしゃべり続ける。

「大変でしょう、女が警備隊なんて。まあ、それもあと少しの間だからいいけど」

「――は?」

 堪える間もなく、不穏に尖った声が漏れた。リーファは急いで表情を取り繕ったが、こちらを見上げたアンナは、ロトによく似た碧い目を丸くしていた。

「結婚するんでしょう? それとも実は弟の勘違いだったりする?」

「あの……どうも誤解があるようですね。私は仕事を辞めるつもりはありませんし、ロトもそれは当然として認めています」

「は!?」

 今度はアンナが素っ頓狂な声を上げた。

「ちょっと、無理よ! あなた、警備隊で働きながらどうやって家族の世話をするの? ほかの仕事ならともかく、家事と掛け持ち出来るものじゃないでしょう、いずれ子供も生まれるのに!」

 彼女の言い分は至極もっともではあった。むしろ世間一般では常識である。リーファもその点に関しては、ロトと少しずつ話し合いを続けていた。家事はともかく、いずれは子を産み育てることになるだろう、それは果たして可能なのか、ということを。

 最初から伴侶に主婦の役割を求めていないロトが相手なら話し合いにもなるが、この義姉は聞く耳を持ってくれるだろうか。

 リーファは説得の言葉に迷って沈黙する。その隙にアンナが畳みかけようと口を開いたが、ありがたいことに班長の咳払いが割り込んだ。

「あー、失礼。お話し中に恐縮ですが、ここは警備隊詰所であり、かつ彼女も勤務中です」

 白々しい声にアンナはややムッとした風情で振り向き、次いで、何か不吉な予感をおぼえたように眉をひそめた。本能的な怯えと警戒を含んだまなざしを浴びせられても、薄荷班長ことセルノは、あくまで仕事中の態度を崩さずにっこり微笑む。

「というわけで、私もお久しぶりの挨拶をしたいところですが、それは仕事が終わるまで待って頂けますかね、アンナ」

「――!! ま、まさか、……セルノ!?」

 裏返った声で叫び、アンナは蒼白になって椅子を蹴倒しつつ立ち上がった。おっと、とセルノが椅子を救出しようと一歩踏み出す。途端、

「ひッ」

 弾かれたようにアンナは飛びのき、詰所の扉に体当たりせんばかりの勢いでへばりついた。一方セルノは悠然と椅子を起こし、さて、と勿体ぶってリーファを見る。

「こちらのご婦人は王城への道をお忘れになったようだから、ご案内して差し上げるように」

「えっ。あ、はい。……いいんですか?」

「何が。もちろん仕事だろう、ご案内が済んだら速やかに戻って来たまえ。あまり長引くようなら半休にするぞ。ああ、だがもし城で何か揉めて戻れないのであれば、使霊を寄越したまえ。班長として、それなりの対応はするからな」

 すらすらと述べつつ、セルノはあくまでも爽やかに胡散臭い笑顔を崩さない。リーファはちょっと目をしばたき、ふきだしかけたのを苦笑でごまかして、了解、と敬礼した。

 義姉の相手がウンザリならすぐ戻れ、平気であるならそのまま城に直帰で良し。もしも絡まれて難儀するなら援護に行ってやる――と、そういう意味だ。

 リーファの表情で言外の意図が伝わったと確認し、セルノは大仰にうなずいて見せた。

「ではアンナ、また後ほど改めてご挨拶に伺いますよ」

「け、結構よ! あなたに用はないから!」

 アンナは震え声で拒絶し、リーファを待たずに通りへ飛び出した。


 城への道すがら、リーファはあえてセルノの事を話題にし、自分達の問題から気をそらせることに成功した。どうやら子供時代にさんざんからかわれ――というかいじめられたのが、よほど堪えているらしい。

 一度水を向けると、後はひたすら延々と、セルノがどんな悪童であったかを喋り続けてくれた。

 しばしの後、リーファが城の客間でまだ怒涛の恨みつらみを拝聴していると、ほとんど走るような早足の靴音が廊下を近付いてきた。

「姉さん!」

 靴音の主、ロトは部屋に入るなり、焦りと苛立ち、それに辟易とがまじった声を上げた。

「来るなら前もって知らせてくれないと、こっちにも都合があるんだから」

「何言ってるのよ、年始の挨拶しか寄越さないあなたにお伺いを立ててちゃ、結局、初顔合わせが挙式当日、なんてことになるのがオチでしょ。まーそれにしても老けたわね」

 しれっと言い返され、ついでに手ひどい感想まで付け足されて、ロトはがくりとうなだれる。アンナは朗らかに笑った。

「嘘よ、すっかり立派な秘書官様になっちゃってるから、びっくりしただけ。死ぬほど忙しいみたいだ、って父さんも母さんも心配してたわよ? たまにはもうちょっとマシな手紙を送りなさい、あたしの方にはなくても構わないから」

「ああ……ごめん、それは反省してる。でも姉さん」

「そりゃね、お城住まいだから食事とか身の回りの事は誰かがやってくれるんでしょうけど……、って、ああそうよ!! ちょっと、さっき聞いたけど、リーファに仕事続けさせるって本気なの!?」

「――え」

 ロトが返答に詰まり、何があったのかとリーファに目で問いかける。話題が戻ってきてしまい、リーファはしかめっ面で眉間を押さえた。その間もアンナはぷりぷりしながら一方的に責め立てている。

「何を考えてるのあなた、女の子にそんなきつい仕事をさせて、養えないわけじゃないんでしょう? ちゃんと守ってあげなきゃ駄目じゃないの!」

 根本的なところで齟齬がある。

 リーファとロトは顔を見合わせ、ほとほと困り果ててしまった。ロトは何とかため息を堪え、往年の苦労を思い出しつつ説得の言葉を紡ぐ。

「そういう問題じゃないんだよ。彼女の仕事は収入が第一の目的なんじゃなくて、とても意義のある大切なものなんだ。家庭のために辞めさせるわけには」

「ちょっと何よそれ、主婦を馬鹿にしてるの!? 家庭を守ることに意義はないし、大切でもないって言いたいの!? 誰のおかげで無事にそこまで育ったと思ってるのよ!」

「姉さんのおかげじゃないのは確かだね」

 ロトはついうっかり昔の良くない癖を出してしまい、ハッとなって口をつぐむ。が、遅かった。アンナは顔を真っ赤にしてぶるぶる震えている。

「ロト!! ……っ、この」

 アンナが手を振り上げたところで、思わぬ仲裁の声が入った。

「派手にやってるな」

 苦笑まじりのその声に、途端にアンナは身を竦ませ、顔色を変えて戸口を振り返った。リーファはホッと息をつき、ロトは眉をひそめて頭を下げる。

「申し訳ありません、私事で仕事を抜けさせて頂いたばかりか、陛下のお時間まで……」

「構わん、この件は単なる個人の問題に留まらないからな」

 シンハは鷹揚に答え、三人に歩み寄る。アンナはすっかり恐縮し、後ずさって両膝をついていた。初めて間近で国王に接し、すっかり威圧されてしまったらしい。

「アンナ」

 名前を呼ばれ、びくっ、と肩がわなないた。床に額がつきそうなほど頭を下げた彼女に、シンハは苦笑をこぼす。立て、とも、顔を上げろ、とも命じなかった。ここまで怯えてしまった初対面の相手に、それを言っても無駄だと分かっているのだ。

「リーファは有能な警備隊員であり、既に王都の歴史に残るほどの実績がある。今後もさらに治安維持と改善にその能力を役立てることが期待されている逸材だ。誰と結婚することになったとしても、退職させるという選択肢はない。そういうわけだから、家庭生活については城でも警備隊でも、仕事に支障が出ないようあらゆる面で協力する。弟の生活を心配するのは姉として当然だろうが、こちらで問題のないよう取り計らうから、あれこれ思い悩む必要はない」

「も……勿体ない、ことで、ございます」

 アンナは消え入りそうな声で、かろうじてそう答えた。シンハはそれを確かめると、励ますようにリーファの背中をぽんと叩き、ロトには同情的な苦笑を見せてから、あっさり部屋から出て行った。

 やれやれ助かった、とばかり、リーファとロトが同時に息をついて肩の力を抜く。アンナは恐る恐る顔を上げてシンハがいないのを確かめてから、惨めな表情で立ち上がってスカートの裾をはたいた。

「そう、あなたはもうすっかり、お城の人になったのよね。あたしが何を言ったって無駄ってわけ」

 つぶやきは負け惜しみ以外の何物でもなかったが、ロトは思いやりを込めて姉の肩をさすった。

「そんなことないよ。……心配してくれてありがとう」

「…………」

 アンナは拗ねたようにむっつり黙っていたが、ややあって大きなため息をつき、気を取り直して顔を上げた。

「まあいいわ。それより、婚礼衣装はもう用意してるの? あたしのを使ったらどうかと思って、持ってきたんだけど」

 調子を取り戻した途端にまた厄介な発言をされ、ロトはぎょっとなる。

「も、持ってきた、って」

「ほらこれ、当たり前だけど一回使ったきりだし、ちょっと直せば着られるでしょ? そりゃお城の結婚式に相応しいかって言ったら地味かも知れないけど、レースを足せばいい話だし」

「ちょ、ちょっと待って姉さん、気持ちはありがたいけど、ドレスは流石に」

「遠慮しないで。そうそう、小物もちゃんと取ってあるのよ。手袋でしょ、コサージュもあるし」

「聞いてくれよ! ドレスはもう仕立てを頼んであるから!」

 ロトが悲鳴を上げた時には、アンナの鞄から出てきた一式がテーブルに広げられていた。

「えぇ? そうなの? 勿体ないじゃない、そんなの」

「姉さんと彼女じゃ体型が違いすぎるよ!」

「なっ……失礼ね、あたしだって結婚した時はこんなおばさん体型じゃなかったわよ! 子供産んだら変わっちゃうのよ、仕方ないでしょ!」

「身長を見れば無理だって分かるだろ!? 大体、何の連絡もなしにいきなりこんなもの持って来られたって」

「こんなものとは何よ!」

 ぎゃいぎゃい続く姉弟の口論に、ドレスを着る当のリーファは一言も挟む余地が無く、ただ呆然と立ち尽くすばかりであった。


 しばらくかかってどうにかロトが説得し、ドレスを片付けさせることに成功した時には、女中が冷め切った茶を取り替えに来ていた。

 ロトは疲れきった風情でソファに沈み込み、げんなりしつつ紅茶を飲む。アンナは不満げではあったがまるで堪えた様子もなく、けろりとしていた。ロトの横に座って茶の相伴に与っているリーファは、どうにも身の置き所がなく縮こまっている。

「そういえば」

 アンナが切り出した途端、二人は揃ってぎくりとした。今度は何だ、と身構えたロトに、アンナは意地の悪い喜びを湛えてにんまり笑う。

「ねえ、何て言って求婚したのよ? ほらほら、白状しなさい」

 予想外の方向から攻撃され、ロトが赤面する。リーファもつられて頬を染めたものの、あれ、と気付いて困惑顔になった。記憶を辿り、首を傾げて隣のロトを見る。

「……されたっけ?」

 思わず確認してしまったリーファに、ロトがうなだれ、両手で顔を覆った。

「え、あ、ごめん、オレよく覚えてなくって! えっと、……あれがそう、なのかな?」

 僕らはどうする? ――それらしい言葉といえば、これだけだ。

 今更ながら思い返して赤くなったリーファに、ロトは小声で「ごめん」とつぶやく。

 そんな二人の様子を見て、アンナは呆れ返った。

「ロトぉ? まさか、ちゃんとしてないとか言うんじゃないでしょうね? そういうのは大事なのよ、一生ものの思い出よ? 親の取り決めた許婚とかいうんならともかく、仮にも恋愛結婚なら、一番大事な言葉でしょう! っとにもう……昔から肝心なところで駄目なんだから」

 一方的に決め付けられて、ロトがムッとする。リーファは慌てて仲裁に入った。また激しい応酬が始まってはたまらない。

「あの、いや、ちゃんとされました! 普通一般のとは違うかも知れませんが、誠意を込めたのを、きっちりしっかりと!」

 勢い任せに言ってから、恥ずかしくなってしまう。リーファは疑わしげなアンナから目をそらし、複雑な顔のロトに向かって笑いかけた。

「ああいうのがロトらしくっていいよ。大袈裟な言葉より、よっぽど納得出来る」

「……それなら良かった」

 照れまじりにロトが苦笑し、リーファも羞恥をごまかすようにうなずく。

 流石にもう、アンナも余計な口は挟まなかった。独り言めかして「いいわねー」などとつぶやいてはくれたが。



(終)


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