後日談 (1)
色々危険なので、噴き出しても突っ伏しても良い環境でご覧下さい。
飲み物は安全圏に退避。OK?
「よ、お疲れー」
いつもの声と共に、リーファが国王の執務室にやって来る。ロトとぎくしゃくしていた頃はしばらく途絶えていたが、最近はすっかり元通りだ。
「あのさ、ロト、今日ちょっと司法学院の人と話したんだけど……」
気安く秘書官に話しかけるリーファの姿を、シンハは安堵と羨望のいりまじる目で見やる。この感情は何だろうか、と彼は自問した。
「それで、ロトに訊こうと思ったんだ。あ、ロトがいたのって、ここの学院だよな?」
マリーシェラに出会い、久しぶりに恋する気分を味わったため、リーファに対する想いが全くの別物だとはっきりした。だから、彼女がロトと仲良くしていようと、部屋に入るなりロトに歩み寄ってしまい、こっちには簡単な挨拶ひとつしか寄越さなかったことも、嫉妬するには当たらない。……筈だ。多分。
「……へえ、そうなのか。じゃ、ロトがいた頃ってさ、学院では……」
実際、リーファが明るい表情で嬉しそうにロトと話していると、こっちも何やら胸が温かくなる。良かった、と感じる、その思いは紛れもなく本物なのだが……
「あ、やっぱりロトもそれは気になってたんだ。あはは、ロトらしいや」
――が、しかし。
「おいリー」
とうとう我慢できなくなって、シンハは話の途切れた隙に割り込んだ。おや、と思い出したような顔で振り返られたのがまた癪に障る。
「おまえ、二人称代名詞をド忘れしたのか? さっきから名前ばかり連呼して、聞いてるこっちが恥ずかしいぞ」
苦虫を噛み潰しつつ指摘してやると、途端にリーファは言葉に詰まり、ウッと顔を赤くした。ロトもわずかに赤面したが、こちらは訝る表情になって小首を傾げた。
「そういえば、前は普通に『あんた』って言ってたのに、最近そう呼ばれていない気がするね。どうかしたのかい?」
「う……いやその、えぇと……ほら、なんかこう、いつまでも『あんた』って呼ぶのはさ、ぞんざいだし、よそよそしい感じ、かなぁ、って思って」
リーファは赤くなったまま、らしくもなくうつむいて、両手の人差し指をもじもじ擦り合わせる。
シンハは思わず「何を今更」と呆れ、ロトも小さく失笑した。言葉遣いが荒っぽいのはいつものことだし、今になって仕事中のような物言いで接されたら、その方がよほど他人行儀だ。
「仮にも国王を『おまえ』呼ばわりする奴が、何を気にしてるんだ」
「僕は今まで通りで構わないけど?」
二人がそれぞれ優しい微苦笑で言う。が、リーファは口の前で指をにじにじさせたまま、さらに赤くなっていく。
「でもさ、その、やっぱりそろそろ、ちゃんと呼ばなきゃ、いけないかなと……ほら、あの、」
どんどん小声になっていくので、自然、シンハとロトは身を乗り出すようにして耳をそばだてた。室内に満ちた緊張と沈黙の上に、リーファの消え入るような声だけが、点々と足跡を残す。
「あ、……あな、…………あな、た、って」
ちらっ。上目遣いに様子を窺うリーファ。
「――っっ!」
直後、えもいわれぬ奇声が男二人の口から漏れた。緊張の破れたリーファは、耳まで真っ赤になって両腕をぶんぶん振り回した。ロトがよろけ、机に手を突こうとして失敗し、床まで沈み込む。
「ほらあぁぁぁ!! 変だろ、おかしいだろっっ!? だから呼ぶに呼べなくてっっ、仕方ないから名前ばっかり……うわあぁぁぁん笑うなあぁぁぁぁ!!!」
「わ、笑ってない、笑ってないからっっ」
ぽこぽこ背中を殴られつつ、ロトはうずくまって必死に耐えている。シンハは片手で口元を隠したまま明後日の方を向いて、感情の波を無理やり鎮めるべく努力した。
ああもう全く、こいつときたら。
ほとんど凶暴なまでの愛しさがこみ上げて、なりふり構わず抱きしめてしまいたくなる。どうにか堪えて崩れた顔面を修復し、シンハは特大のため息をついた。途端にリーファが振り向いて、きっ、と潤んだ目で睨みつけた。
「っっ、ちきしょう、ばかでっかいため息つきやがって、どうせオレには似合わねーよぅっ」
半分泣きそうになりながら唇を噛む。シンハはとびきり苦い笑いを作り、やれやれと頭を振った。
「馬鹿。今のは破壊力がありすぎだ。ロトの自制心に感謝しろ」
「……へ?」
きょとんとなったリーファが何も分かっていなさそうなので、シンハはまだ立ち直れないロトを一瞥し、わざとらしい真顔で彼女を手招きした。用心しつつも素直に寄ってきたところを、ひょいと抱えて膝の上に座らせる。そして、
「うわ! 何すんだ、ばかやろっ」
三つ編みがほどけるぐらい勢い良く、くしゃくしゃに頭を撫で回してやった。どさくさ紛れに、額に口付けをひとつ。
「もういいから、おまえは名前を呼んでおけ。さっきみたいなのは、寝室に入ってからにしろ」
「は? ……って、なっ、な、何考えてんだこの助平!!」
張り手が頭に飛んできた。避けられるのだがシンハは敢えて受け、リーファがつむじ風のように逃げ去るのを見送る。
「あ、ちょっ……リー!」
ロトが呼び止めようとしたが、完全に手遅れである。ややあって立ち直った彼は、恨めしげに主君を睨んでため息をついた。
「次に会う時、どんな顔をすればいいんですか……」
「俺が知るか」
シンハは意地悪く笑い、上機嫌で次の書類にとりかかったのだった。
ひどい王様ですね!(笑)
実際リーは『想いの証』本編中で一度もロトを「あんた」と呼んでいません。
(うっかり見落としがあれば別ですが…。そして今後どう呼ばせるか悩み中)