3. 差し引き決算
翌日。
ロトの部屋に、フィアナが怒りの火花をまき散らしながらやって来た。その剣幕に、看病していたリーファは思わずたじろいだ。
「は、犯人、見付かったのか」
「見付かったわ。もう二度と誰にも見付けられないかもしれないけど!!」
恐ろしい発言に、リーファの顔がひきつる。知らせを受けて駆けつけたシンハが、「殺しちゃいないだろうな」と言いながら扉を閉めた。あまり不穏な言葉が城内を独り歩きしては困る。
「殺してやるほどの奴らでもありません」
フィアナは鼻を鳴らし、肩から鞄を下ろした。聖水の瓶や数本の小枝など、魔術道具を取り出して小卓に並べ、ふうっと大きくひとつ息を吐く。
「ご迷惑をおかけしました、ロトさん」
深々と頭を下げたフィアナに、ロトは小首を傾げた。やや消耗してはいるが、昨日よりはましな顔色に戻っている。
「君が謝ることはないよ」
「いいえ、私にも原因の一端があるんです。あの馬鹿ども……」
語尾に殺気が漂い、伏せた顔が悪鬼の如く歪むのがその場の全員に“見え”た。が、姿勢を正したフィアナは、平静な表情を保っていた。少なくとも、上辺だけは。
凍りついているリーファとロトに代わり、シンハが問うた。
「理由はなんだったんだ?」
「私のことが気に入らなかったんですよ」
「はァ?」
思わずリーファは頓狂な声を上げる。フィアナは忌々しげに首を振って、口にするのも嫌そうに説明した。
「女の私がいつまでも学院に居残って、学院長のお気に入りで、様々な実験に携わっているのが気に食わなかったんですって! さっさと結婚して家庭に引っ込めばいいのにと思っていたところへ、噂が耳に入ったのよ。私が、仲良しの姉さんを『お手本』にしているんだろう、ってね」
「あー……」
リーファは曖昧な声を漏らした。彼女の心情を察し、フィアナがうなずく。
「ええ、もちろん、私は姉さんを尊敬してるわ。でも私が魔術にのめりこんでいるのは、姉さんとは関係ない。なのに、勝手に全部姉さんのせいだと決め付けたのよ、あいつら馬鹿だから。しかも姉さん、警備隊では当てにされてるし、街の人にも概ね好かれてるし、その上、陛下や学院長とも親しいでしょう。私よりも生意気な女だってことで、先に片付けることにしたのよ。愚劣な小者が」
ふたたび毒の瘴気が噴き出る。リーファはのけぞってそれをかわし、恐る恐る問うた。
「片付けるったって、こんな嫌がらせで?」
答えたフィアナの声は、霜が降りそうなほど底冷えしていた。
「試練の儀式は不運を受けるかわりに、ひとつの本望を叶える。目的を外したら儀式が成立しないから、あいつら、そこへ『結婚』を埋め込んだの」
「って言うと??」
凍気にやられて思考が働かず、リーファはぽかんと聞き返す。後ろで、シンハがため息をついた。
「なるほど。リーが結婚するまで不運が続くように仕込んだのか」
「ええー!?」
「そういうことです。結婚したらさすがに警備隊は続けられないだろう、目障りなのが消える、『お手本』にならって私も引っ込めば万々歳、だとか。本人が目標にしていないことを実現させるのに、どれほどの運を積み立てなければならないか、考えもしなかったんでしょうね」
フィアナはシンハにうなずき、深刻なまなざしをリーファに向けた。
「下手をしたら姉さんが半死半生になっているところよ」
「……ちょっと待て、なんかその言い方は引っかかる。オレが一生結婚しないと決め付けてねーか」
「そうじゃないけど。さもなければ、望んでもいないのにうっかり誰かと結婚していたかも知れないわ。無理やり積み立てさせられた“運”の作用でね」
うっかりって、とリーファは複雑な顔をする。ベッドでロトが、庇って良かった本当に良かった、と自分を褒めているのには気付かない。
と、シンハが微妙に面白そうな顔をして余計なことを言った。
「そういう事なら、ロトの場合は解かなくてもいいんじゃないか?」
「なっ……!」
ロトが息を飲むのと、
「何言ってんだ馬鹿!」
リーファが怒鳴るのが同時だった。おどけて首を竦めたシンハに、リーファはロトの様子を見もしないまま憤慨する。
「おまえ、そんなにロトを不幸な目に遭わせたいのか!? ロトがいなきゃ仕事が進まなくて困るくせに、面白がってる場合かよ!!」
げふん、とシンハが空気にむせた。笑っては悪い、笑い事ではない、だが笑いを堪えるのが難しい。ことに、真剣そのもののリーファの肩越しに、撃沈されたロトの姿が見えた日には。
「おまえ……自分の時には、なんか引っかかる、とか言ったくせに……ロトなら良いのか」
「はぁ? って、あ! いや、そういう意味じゃなくて!!」
リーファは一拍置いて失言に気付き、慌ててロトに向き直る。
「ごめんロト、いやあの、別にあんたをけなすつもりじゃないんだ、でもあのほら、そうだ、たとえちょっこしでもさっ、不幸はやっぱ駄目だろ! あんたのことだから、あと一回転ぶぐらいで済むかもしんねーけど済まないかもだし、あああだからごめんって! ホントごめんってば!! この通り!」
言い訳するほどにロトが沈没していくので、リーファはしまいにベッド際で土下座までするはめになった。
とうとう堪えきれなくなったシンハが笑い出し、渋面のフィアナを手振りで促す。
「フィアナ、早く解いてやってくれ。気の毒で見てられん」
「その割には、楽しそうでいらっしゃいますけど。はぁ……まぁ私も、このまま勢いで結婚されたりしたら癪ですから、もちろん術は解かせて貰います」
今なにか不穏な一言が挟まったぞ、とシンハが目をしばたたく。フィアナは何食わぬ顔でリーファの腕を取って立たせた。
「大丈夫よ姉さん、すぐに取り消せるから。ちょっと離れていてくれる?」
「う、うん。頼むよ」
リーファが恐縮しながら、ちょこちょこ小走りにシンハの横まで逃げて来る。自己嫌悪でうなだれた彼女の頭を、シンハはいつものようにぽんと撫でてやった。
ほどなく無事に解除がすむと、壁際まで退避していたシンハが戻ってきて、ロトの額に手を当てた。もうすっかり熱も下がっているし、魔術的な気配がてのひらにチリチリすることもない。
「やれやれ、これで一安心だな」
「お世話をかけました」
ロトは頭を下げ、ふと思い出して不安げな顔をした。
「そうだ、近衛兵の徽章ですが……」
「ああ、そうだったな。フィアナ、セレムは何かいい方法を考えついたか?」
昨日頼んでおいたんだが、と言いかけたシンハが、ぎょっとして声を飲み込む。フィアナが邪悪な喜びを満面に湛えて笑ったのだ。
「それでしたら、ご心配なく。諸悪の根源どもに探させているところです。烏に持ち去られた物なら、鳥の目で探すのが一番早いかと。見つけるまで赦さないと言い渡してありますから、死ぬ気で探すでしょう。早く見付かると良いですわね、うふふふふふ」
では皆様ごきげんよう。
魔女の笑みを残してフィアナが去ると、残された三人は一様にひきつった顔を見合わせた。
「人間を鳥に変えちまうとか、出来るのかな。二度と誰にも見付けられないかも、って言ったのはそーゆー意味だとか」
「流石にそれは無理だと思うが……」
リーファとシンハがつぶやくと、ロトが疲れたように顔をこすった。
「鳥や獣の視覚や嗅覚を“借りる”魔術なら、聞いたことがあります。それじゃありませんか。街中の鳥という鳥の目を次々に借りていけば、そのうち鍵が視界に入るでしょう。その間、本人達がどういう状態になるのかは……あまり、考えたくありませんね」
「……何にしても怖ぇよ」
「敵に回さないよう気をつけんとな」
リーファが身震いし、シンハも苦笑いで首を振る。次いで、二人は揃って目を見開いた。ロトが起き上がって、早くも着替えようとしているのだ。
「何やってんだよ、今日一日ぐらい寝てたらいいだろ!」
「無茶をするな。術は解けたが、熱が下がったばかりなんだぞ」
二人が口々に止めたが、ロトは聞かない。阻止しようとするリーファと、制服の引っ張り合いになってしまった。と、そこへシンハが近付き、一言リーファに耳打ちする。
「え? そんなの効くかぁ?」
顔をしかめた隙に手が緩み、制服がロトの手に渡る。だが彼が袖を通すより早く、シンハに急かされたリーファが、ずいと身を乗り出した。
実力行使で取り上げるつもりか、と、ロトはしっかり制服をつかむ。だがリーファが伸ばした両手は、彼の肩に置かれた。
「何を……」
「大人しく寝てろ。でないと押し倒すぞ」
「っっ!! げほっ、げほごほごほっ!!」
効果てきめん。ロトは真っ赤になって咳き込み、リーファはしてやったりと素早く制服を奪う。シンハがそれを受け取って、遠く離れた長椅子に投げた。リーファは楽しげにシンハと手を叩き合ってから、白々しく気遣うふりをする。
「わー、大変だ、ひどい咳じゃないか。やっぱり寝てなきゃ駄目だよ」
「顔が真っ赤だぞ、熱がぶり返したんじゃないか」
調子に乗ってシンハまでが追い討ちをかけた。ロトは喉をぜいぜい鳴らしながら、怒りに歯噛みして唸る。
「陛下……っ、よくも、」
「いいから寝てろ。起きて来ても仕事はさせんぞ」
本気で恨まれそうなので、シンハはからかうのを止めて、指でちょいとロトの額を突いた。ロトは堪えきれず、ぐらっと揺れて枕に頭を沈める。そら見ろ、とシンハは眉を上げた。
「おまえがいないと困るのは確かだが、二、三日の休みもやれないほど能無しばかりじゃない」
「そういう、つもりでは」
「頼むから、調子の悪い時ぐらい休んでくれ」
「…………」
真面目にいたわられたのでは、抗えない。ロトは深いため息をつくと、諦めて毛布を引っ張り上げた。
「分かりました、今日は大人しくしています。その代わり、明日の状況次第では……」
「覚悟しておくさ」
シンハは苦笑すると、少し眠れ、と言い置いて、リーファと共に部屋を出た。
廊下を歩きながら、リーファはやれやれとため息をつく。
「いつの間にオレ、見ず知らずの奴に恨まれるほど有名人になったのかな」
「自覚がないのか」シンハが少し呆れた。「まぁ無理もないか、おまえはいつでも、自分なりに誠実に生きようとしているだけだからな。それが少しずつ評価されてきたんだ」
「え、いや、そんな大したことはしてねーけど」
赤くなったリーファに、シンハは温かな微笑を向けた。ぽんと頭をひとつ撫でた、その仕草から、百の言葉よりも雄弁に愛情と励ましが伝わる。だが彼が口にしたのは、別のことだった。
「ロトの夕食だが、おまえが届けてやってくれ」
「いいのか? 特製病人食でも作ろうとか、考えてたんじゃねーのか」
「そうしたいところだが、明日になって今度は俺がぶちのめされたら困る。せいぜい大人しくしてるさ」
シンハはおどけて肩を竦め、ついでのように言い足した。だから俺の分も、ロトにうんと優しくしてやってくれ、と。
そんなわけで、翌日のロトは上機嫌だった。たまには寝込むのも悪くないですね、などと、シンハに向かって照れくさそうに言ったほどだ。
「少し心苦いですが、世話を焼いて貰えるし、陛下は真面目に仕事をして下さるし」
「しょっちゅうは勘弁してくれよ」
「分かってます、気をつけますよ。……なんだかんだで結局、積み立てた不運も差し引き相殺したか、むしろ得をした気がしますね」
「そうか?」
二回も転んで噴水に落ちて徽章をなくして熱を出して寝込んだのに?
シンハは疑わしげに眉を上げ、次いでふとからかう表情になった。
「よっぽどリーの看病が嬉しかったようだな」
「やはり陛下の差し金でしたか。食事を運んできてくれただけでなく、ハイあーん、までさせられそうになったのは、正直参りましたよ」
「……具体的な指示までは出してないぞ」
「汗をかいただろうから寝間着を取り替えようかとか、体を拭こうかとか」
「…………」
「おかげ様でまた熱が出るかと」
「嬉しくなかったか?」
「自発的なんだったら、素直に喜びますよ。でも、あなたの言いつけを果たそうとして、何でもいいから世話しようとしているのが見え見えでしたから」
ロトはため息をついてから、ややぶっきらぼうに、独り言めかして付け足した。
「それでも、感謝はしますけど」
彼の複雑な表情を眺め、シンハはちょっと苦笑した。
「まあ、今はそれで我慢してくれ。あいつだって、そのうち気付くだろうさ」
「? 何にです」
ロトが聞き返す。だがシンハは教えなかった。好意を持たない相手の世話など、頼まれたからとて、そうかいがいしくは出来ないものだ――という、簡単な事実を。
不思議そうに首を傾げるロトを、シンハは意地悪く突き放してやった。
「自分で考えろ。俺は知らん」
(終)