七章 想いの証 (1)
国王の執務室は常になく緊張した空気に満ちていた。何か、機密ではないが大事な話をしているところらしく、いつもは開放されている扉が半分閉ざされている。
成果を報告しようと勇んでやって来たリーファは、『出来ればあまり邪魔するな』との意思表示を見て困惑し、ノックしかけた手を宙で止めた。
マリーシェラに関ることだから、大事な話、だとは思うのだが。しかし。
悩んでいると、シンハが気付いて顔を上げ、表情を少し緩めた。
「帰ったか。ああ、入って構わんぞ」
軽く手招きされ、リーファは心持ち小さくなりつつ敷居をまたぐ。厳しい面持ちでシンハと相対していたロトも、振り返って笑みを広げた。単なる挨拶のための愛想笑いでない、温かくて嬉しそうな笑みだ。
そんな表情で「お帰り」などと言われてしまったものだから、リーファは途端に真っ赤になって立ち竦み、しどろもどろに返事する。
「おっ、……オカエリ?」
いや違った、『ただいま』だ、と自分で気付いた時には、シンハが盛大に噴き出していた。ロトも目を丸くして、つられたように赤面する。そのまま二人でもじもじしていると、堪えきれなくなったシンハが机上の何かを取って、リーファの頭に投げつけた。
「あだっ」
「面白い見世物だが、今度から他所でやれ。話が進まん」
「わざとじゃねーよ! 嫌な突っ込み入れやがってまったく……なんだこれ」
側頭部を直撃した小さな代物を拾い上げ、リーファは顔をしかめる。ごく薄い金属で作られた、軽い筒だ。目をしばたきつつ、リーファは机に歩み寄ってシンハの手にそれを落とす。好奇心が勝り、投げ返してやる気が失せた。
シンハは一瞬目元にからかうような気配を浮かべたが、すぐ真面目な顔になって答えた。
「街道警備隊からの連絡だ。中部の都市を真似て伝書鳩を訓練させていたんだが、上手く行かなくてな。先にセレムが便利な使霊と契約したから、各所に配備しておいたんだ。今回それが初めて役に立った」
説明しながら視線で示したのは、窓際にとまっている鳥である。リーファもそちらに目をやり、なるほどと納得した。街でもよく見かける鳩の類と似た印象を与える姿だが、細かいところは明らかに違う。逃げるでも、餌を探してうろつくでもなく、じっと動かずリーファを見つめ返している辺りも不自然だ。
「街道警備隊の連絡、って……もしかして、乗合馬車の件か?」
リーファがシンハに向き直って問うと、彼は「ああ」とうなずいた。
「本当にアリオが一枚噛んでいるなら、モラーファから来る神官長の無事もおぼつかん。この前城を抜け出した時、街道を少し西へ行って、各所の警備隊に乗合馬車の警戒を頼んでおいたんだ」
「ただの気晴らしじゃなかったのか」
「もちろん気晴らしだぞ。警備隊に寄ったのはついでだ」
しれっと応じたシンハに、リーファは呆れて頭を振る。ロトも渋い顔で口を挟んだ。
「そういう事は私に相談して下されば、ご自分で行かれるまでもないんですけどね」
「城を出てから思いついたんだ。戻ってあれこれ相談していたら二度手間だろうが。ともかく……モラーファの神官長が近々こっちにくる予定だと説明して、遅滞なく進めるように計えと命じておいた。馬車が不自然に宿場に長逗留したり、神官が『病気』になっていたりしたら、保護してこっちへ連れて来い、とな」
次第にシンハの口調が辛辣になる。その意味を察したリーファもまた、険しい表情になった。
「当たり、だったわけか」
「ああ。明日、当人を城まで連れて来ると連絡があった。馬車の方は警備隊の詰所に拘留してあるそうだ。御者が言うにはアリオ=ヴェーゼの指示でやった事で、意図も意味も知らんとさ」
言ってシンハが、通信筒を机にカツンと立てて置く。ロトが沈鬱に後を引き継いだ。
「神官長を保護したらモルフィス侯爵家に踏み込む、その段取りを打ち合わせていたところだったんだよ。こうなったらもう、アリオ=ヴェーゼも白を切るのは無理だろう。ただ、夫人の身の安全が心配でね」
「あ、それなら今日、確認した!」
勢い込んでリーファが言う。驚いた二人に、彼女は得意満面で作戦の内容と成果を話して聞かせた。確かにマリーシェラ本人が応対に出たこと、手荒な扱いを受けている様子は見られなかったこと、そして紙片を渡したが合図は無かったことを。
話すうちに、聞いている二人の表情が和らいでいく。ロトは微笑で天を仰いで神々に感謝の言葉をつぶやき、シンハは片手で口元を覆って安堵の吐息を隠した。
「……で、ひっくるめて考えるに、多分マリーシェラさんには、命に関るほどの危険はないんじゃないかな。馬車で神官長さんを足止めしてたってことは、遺言状が届くのを遅らせておいて、その間にマリーシェラさんに何かさせようとしてるんだと思う」
結果をふまえてリーファが考察すると、ロトも同意見だとうなずいた。
「恐らく、相続放棄を迫っているんだろうね。遺言状に何が書かれていてもいいように……。もしマリーシェラ殿が死亡していた場合のことまで指定されていたら、それも無効になるから、死なせるわけにはいかないだろうな。そこまで考えていれば、だけど」
「殺してまで、ってのはないと思うよ。もしちらっと考えたとしても、ジェイム達が行って、怪しかったら貴族だろうと調べ上げて突き出すぞ、って脅しをかけたわけだから」
そこまで言い、リーファはちらりとシンハに意味ありげな目を向けた。相変わらず片手で表情をごまかしているのを見て取り、なんだよ、と苦虫を噛み潰しつつ攻撃の手を加える。
「愛しの姫君の無事が分かったんだから素直に喜べよ、張り合いねーなぁ」
「っ!? 何を……っ」
途端にシンハがうろたえた。言葉に詰まり、珍しくも赤面する。その反応に、リーファの方が驚いてしまった。
「あれっ。もしかしてまさか、気付かれてないと思ってたのか?」
「何をだ! 俺はただ、……~~~っっ」
反射的に言い返しかけたものの、シンハは唸って頭を抱えてしまう。リーファはぽかんとそれを眺めるしかなかった。
「ありゃー……」
しまった。そうと分かっていればもっと色々からかってやったのに。
不埒な事を考えつつ、リーファはロトと顔を見合わせる。シンハは机にほとんど突っ伏しそうになりながら、情けない声で呻いた。
「そんなに露骨だったか……?」
声音には単なる羞恥以外に、わずかながら恐れが含まれている。傍から見て誘いをかけているのが明らかだったとしたら、園遊会の時点で貴族の間に噂が立ち、まだレウスが存命であった内から不倫関係にあった、などと中傷されかねない。それを危惧したのだろう。
察したリーファは慌てて補足説明した。
「いや、あからさまに口説いたり誘ったりはしてなかったけどさ。最初の頃は特に、侯爵に頼まれたから気にかけてるのかな、って感じだったし」
その言葉にシンハは一旦ほっとしたものの、
「でも見てたら分かるよ。園遊会の後でマリーシェラさんが城に来た時、おまえ、すげえ嬉しそうだったもん」
油断したところへ止めを刺されて、今度こそ完全に突っ伏した。
「お、沈没した」
他人事なら随分と余裕があるもので、リーファはおどけて言いつつ、黒髪のつむじを指で突っつく。しばらく反応がなかったが、ややあって伏せた顔の下から恨めしげな声が這い出した。
「リー……覚えてろよ……」
「うぉっと、怖っ。ごめん、悪かったっ。でもおまえだってさんざんオレの事からかったんだから、これでおあいこだろ」
「図太いおまえの神経を、繊細な俺のと一緒にするな」
「なんだとぉ!? 鈍牛で南瓜頭のくせにっ! そんなに繊細だってんなら机にめり込むぐらい沈没しやがれ!!」
「誰が牛だ、調子に乗るな、このっ」
頭をおさえつけたリーファに、がばっと身を起こしたシンハが反撃する。子供の喧嘩になだれ込みそうになったところで、コホン、と咳払いひとつ。途端に二人は揃ってぴたりと動きを止める。ロトがしかつめらしい顔でこちらを見据えたまま、眉を片方ちょいと上げた。
「面白い見世物ですが、またの機会にして貰えませんか、陛下。話が進みませんので」
「……すまん」
自分の台詞を取られ、シンハはむっつり唸って座り直す。リーファもそそくさと机から離れた。去り際にこっそり、横からシンハの足を蹴ってやるのは忘れなかったが。
ロトはそれに気付きつつも無視して、真顔のまま話を軌道修正した。
「では明日、神官長がこちらに到着したらすぐに、侯爵家に向かいます。護衛の近衛兵は……」
「不要だ。いかにも捕らえに来たと分かる一団が押しかけたら、向こうが自棄を起こして暴走しかねん。正面から行くのは俺とおまえだけでいい」
シンハは冷ややかに応じる。ロトも抗議はせず、先刻承知であったかのようにうなずいた。
「では側面は? セレムさんに頼みますか」
「いや、伯爵の兵を出してもらおう。敷地内には入れず、街路にこっそり配置して逃亡を阻止する。万一に備えての背面は、リー、おまえに頼む」
言ってシンハが振り向く。真剣なまなざしに射られ、リーファは表情を改めて背筋を伸ばした。
「先に忍び込むのか?」
「ああ。万が一にも、アリオが人質を盾に脅しをかけてきたら厄介だ。明日の朝、学院でフィアナかセレムに隠密の術をかけてもらえ。完全に姿を消すわけじゃないが、人の目に留まりにくくなる。その上で、先行して屋敷に潜入し、俺達が着くまでマリーシェラを守るか、アリオを見張ってくれ。どちらか、先に見つけられた方でいい」
「了解。ってことは、制服は脱いでった方がいいよな」
「そうだな……今回は警備隊に協力を要請したことにしてもいいんだが、権限の問題はこの際抜きにして、あの制服は人の注意を引く。術をかけていても気付かれる可能性が上がるから、やめた方がいいだろう」
「じゃ、なるべく目立たない地味な格好で、と」
「頼む。……久しぶりだろうが、出来るか?」
そこでふとシンハは、かすかに不安げな表情を見せた。いくら元盗人とは言え、小柄で身軽だった頃に比べ体格は良くなっているし、日頃の生活でこそこそする事もなくなっている。
彼の気遣いに、リーファは嬉しいのと照れ臭いのとで、ついにやにやしてしまった。
「まーかせとけ、って! そりゃま、昔ほどチビじゃないし、不安はあるけどさ、そこは魔術で補えるだろ。逃げ足は速いしな!」
「逃げ出す羽目にならないようにしてくれよ」
シンハが苦笑する。リーファはおどけて首を竦め、ふと真面目な顔になってつぶやいた。
「努力はするけど、間取りを下調べ出来てないのはちょっと厳しいな」
「屋敷の? それなら平面図があるよ」
いともあっさり予想外の返事をくれたのは、ロトである。ぎょっとなってリーファが凝視すると、彼は視線でシンハに許可を求め、首肯を確認してから続けた。
「例の戸棚に、城下の貴族屋敷の間取りは全て揃ってるから。内緒だけどね」
「ええー……助かるけど、いいのかよ、それ……」
「そもそも一番最初は、王都の建設時に国王が屋敷を用意して各貴族に払い下げたわけだから。以後も増改築の際は、防火対策などの基準を守れているか検査に入るし、まぁそんなわけでね。後で見せるよ」
「おぅ」
リーファは曖昧な顔でうなずいてから、ふと苦笑をこぼす。怪訝な顔をした二人に、リーファは冗談めかして、しかし半ばは本気で一言いわく。
「そんなもん見て、昔の血が騒いじまったら困るなぁ」