六章 食い違う思惑 (4)
悔しさと恥ずかしさを紛らすように、休憩もせず仕事に打ち込んでいると、やがて外出していた二人が戻って来た。
「どうだった!?」
リーファは席を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、急いで駆け寄る。ジェイムは鬱陶しそうに一歩退いてから、ヘレナに視線を向けた。
あっちに聞けとの意図を察してリーファがヘレナを見ると、彼女はいつもの無表情にわずかながら興奮と緊張の残滓を漂わせてうなずいた。
「頼まれたことは、果たせたと思います」
――そう前置きして、ヘレナは時折ジェイムと交代しながら、経緯を報告した。
モルフィス侯爵家の衛兵は、何の約束もなしに訪れた警備隊員に嫌な顔をした。が、簡単に門前払いを食わせて良い相手でもないので、渋々取り次ぐ。
案内に出た執事も露骨に帰って欲しそうだったが、薄気味悪いほど無表情な警備隊員が、同じく陰気な葬儀屋の娘を連れて、「侯爵家の名誉の問題」だとか言うのでは、不吉すぎて追い返せない。
そんなわけで、ジェイムとヘレナは無事に応接間に通され、当主ディノス直々の応対を受けることになった。
「当家の名誉にかかわる問題と聞いたが、何の知らせだ」
前当主逝去以来の多忙と心痛で、ディノスはかなり棘々しい雰囲気を醸していたが、当然それに遠慮するジェイムではなかった。
「捜査段階ですので詳しくはお話しできませんが、実は葬儀を行ったこちらの者から話を聞き、先代当主レウス様の死因に些細ながらも不審な点が浮かびました」
「何だと……?」
「あくまで現時点では、何らかの容疑があるというものではありません。ただ確認を取らないことには判断出来ませんので、最期に居合わせた夫人の口から、詳細なお話を伺いたいのです」
「馬鹿な! 何を言っているのか、分かっているのか!? ただでさえ悲嘆に暮れている義母上に根掘り葉掘り質問して、傷口をえぐり広げ塩を擦り込もうというのか! 帰れ!!」
ディノスが声を荒らげ、激昂した仕草で扉を指す。だがその目に迷いがあることを、ジェイムは見逃さなかった。何を考えての揺らぎかまでは読めずとも、付け入る隙があることは分かる。彼は冷ややかに応じた。
「しかしご協力頂けないとなると、最悪の場合、墓を掘り返すことになりますが」
「な……、そ、そこまでっ……貴様らには敬意も配慮もないのか!」
「真実のためなら死の国の門とて蹴破るのが我々の仕事です」
あくまでもジェイムは平静である。ディノスは怯み、目を狼狽にさまよわせつつ逡巡した。そこへさらにジェイムが畳み掛ける。
「臥せっておいでだというのであれば、こちらの者だけ夫人のお部屋に伺わせて、内密かつ簡潔に済ませることも出来ますが」
言いつつヘレナを視線で示す。それを受けて目礼した葬儀屋の娘を、ディノスは苦々しげに睨みつけた。
むろん本音を言えばジェイムとしては、マリーシェラをここへ連れて来られるよりも部屋に入れる方がありがたい。だが貴族の私室に警備隊員などがたやすく入れるとは期待していなかった。
予想通り、ディノスは忌々しげに首を振って応じた。
「義母上をここへお呼びしよう。ただし、貴様らと話すか話さないかは彼女が決めることだ。本人に拒まれてなお無理強いするようであれば、問答無用でつまみ出すからな」
「お聞き入れ下さり感謝します」
頭を下げたジェイムを見もせずに、ディノスは荒々しい足取りで部屋を出て行く。アリオ、と大声で呼ばわるのが、残された二人の耳にも届いた。
ややあって、二人の息子と共にマリーシェラが現れた。召使に任せず自ら案内してきたディノスが懸念のまなざしを向ける先で、黒い喪服に身を包んだマリーシェラがアリオに支えられている――と見て取りかけ、ジェイムは微かに眉を寄せた。
違う。アリオは義母の腕を取り、支えるように寄り添っているが、むしろ束縛が目的のように見えた。彼女はしゃんと背筋を伸ばしており、充分一人で立っていられることが窺えたのだ。
流石にマリーシェラも顔色は悪く、表情には悲嘆の色が濃い。だが二人を見ると、何かを言おうとして唇を震わせた。
「警備隊の権限はいつの間にこれほど肥大したんだ?」
声を発したのはアリオの方が早かった。彼は非難の目を二人に向け、憤然と言い放った。
「このような無礼を放置はしないぞ。後日必ず、正式に抗議してやるからな!……義母上、お気を確かに。私がついていますからね」
優しい声音で言いながら、アリオはマリーシェラを促してソファに座らせる。ジェイムは内心の警戒を無表情の下に隠し、淡々と話を進めた。
「出来れば、お二方には外して頂きたいのですが」
「馬鹿を言うな!」
即座に兄弟が異口同音に拒否する。ジェイムは動じず、用意していた方便のひとつを持ち出した。
「レウス様が亡くなられたのは未明、寝室でのことと聞いております。話の内容がご夫婦の間のことにも関りますので、お二人が同席されていては話しづらいでしょう」
「はッ」
ディノスが嘲笑をこぼした。次いですぐ、本音を漏らしたと自覚してばつが悪くなったように、適当な壁に視線を向けて取り繕う。
「夫婦関係などなかったことは誰もが承知だ、何を今更。我々に聞かれては困るような、無礼な質問をするつもりだろうが、そうはさせん」
無造作に言い放たれた内容に、びくっとマリーシェラの肩が震える。明らかに何か抗議しかけたようだが、しかしそれが強いまなざし以上のものとなって表されることはなかった。
ジェイムは彼らの間で交わされる言外の感情には一切反応を見せず、無関心なそぶりで続けた。
「立ち入った質問をするつもりはありませんが、そうまでおっしゃるのであれば同席して頂いて結構です。さて……前侯爵夫人マリーシェラ様で間違いありませんね?」
立ったままジェイムが質問すると、マリーシェラは小声ながらも落ち着いた声で「はい」と応じた。ジェイムはゆっくり静かにひとつ息をつき、覚悟をかためる時間を与えると、慎重に切り出した。
「では、申し訳ありませんが、前侯爵レウス様が亡くなられた時の状況を、順を追って教えて下さい。お二人の会話などは、省いて下さって構いません」
「分かりました。でも……どうぞ、お掛け下さい。離れた場所に立っていられては、声が届かないかも知れません。ごめんなさい、あまり……しっかりとは、話せないでしょうから」
マリーシェラが言い、向かいのソファを示す。ディノスとアリオはあからさまに顔をしかめたが、ジェイムとヘレナは一礼して遠慮なく座った。帰った後できっと召使が特に念入りに掃除するに違いない。
二人が腰を下ろしてからマリーシェラが話し出すまで、また少し沈黙があった。動揺を鎮めるためか、それとも記憶を呼び覚ますためか。彼女はぎゅっと目を瞑ってから、うつむきがちに訥々と話し出した。
「夜明け前……でした。ふと目が覚めて、まだ暗いのにどうして起きてしまったのかと、不思議に思ったのですが……隣室から、物音が聞こえて。胸騒ぎがして、急いで入ってみたら、レウス様がベッドで……呻きながら、もがいてらっしゃいました。私が駆け寄ると、手首を……強く、本当に強く、握られて。あの時、先に人を呼んでいれば」
語尾がこみ上げる嗚咽に揺れる。だがマリーシェラは瞬きして涙を堪え、深呼吸してから続けた。
「とても、苦しそうなお顔でした。それなのに、人を呼ぶな、と……。無遠慮な神官や薬師の手で体をいじり回されるのはごめんだ、どうせ一時しのぎにしかならないのに、とおっしゃって。私は、死なないで欲しかったのに、一時しのぎでも構わない、一日一時でも長く、一緒に……っ」
今度は堪えきれず、唇がわななき、大粒の涙が頬を転がり落ちた。話を続けられず口元に手を当てたマリーシェラに、向かいからヘレナがそっとハンカチを渡す。
「ご心痛お察しします」
言葉とは裏腹に眉一筋動かしていないもので、マリーシェラの横からアリオが不快もあらわな視線をくれた。が、ヘレナはそれを無視し、じっとマリーシェラを見つめる。
ハンカチを受け取ったマリーシェラは束の間へレナを見つめ返し、それから小声で礼を言って涙を拭くと、そのまま手に握りしめて口元に当てた。肩がわななき、なかなか続きを語りだせそうにない。
しばし待っていたヘレナが、そっとささやくように問うた。
「レウス様が苦しそうにしていらしたのは、胸でしたか、それとも他の所でしたか」
「……胸、です。私の手首を掴んでいない方の手で、ぎゅっと……押さえるようにして。冷や汗を、かいていました」
「痛みを訴えられた?」
「いいえ。でも、歯を食いしばって、悪態をついてらしたから、きっと……ひどく、痛んだのだと思います」
か細い声で答え、マリーシェラはきゅっと唇を噛む。その目がわずかに柔らかくなったのは、レウスが生前よく悪態をついたことを思い出したゆえだろう。
ヘレナはじっと考え深げに耳を傾け、情報を反芻するように口の中で何かつぶやいてから、再びマリーシェラに目を戻した。
「ありがとうございました。そういう事でしたら、疑問に答えが出せます。棺を掘り返す必要も無いでしょう。お辛いところを堪えてお話し下さり、心から御礼申し上げます」
深々と一礼したヘレナの横で、ジェイムも膝につきそうなほど頭を下げる。マリーシェラは答えず、ハンカチを口元に当てたままわずかに目礼を返した。それが合図だったように、ディノスが剣呑な声で退出を命じる。
逆らわず屋敷を後にした二人を見送る者はいなかった。
「上出来じゃないか! やった、ありがとう!!」
ヘレナが話し終えた直後、リーファは歓声を上げて彼女に抱きついた。それからすぐに、続けてジェイムにも飛びつこうとして、素早く逃げられる。
「いいかげん、暑苦しいからやめて欲しいんだけど」
「えー、つれないなージェイムは。保証しないとか言っといてバッチリしっかり成果出してくれたんだから、感謝の気持ちぐらい受け取れよー」
「品物だけ貰っておくよ」
「え、品物?」
うっかり本気で失念していたリーファは、きょとんと聞き返してぎろりと睨まれ、そうだった、と思い出す。
「ああ、うん、アレね。任せとけって、気合入れて作れって言っとくよ。あいつも……」
言いかけて、おっと、と言葉を飲み込む。不審げになった二人に、リーファはごまかし笑いで続けた。
「堂々とサボれる口実が出来て、きっと喜ぶさ。楽しみにしててくれよな」
明るく言ったリーファに対し、ヘレナはほんのわずか嬉しそうにうなずき、ジェイムはそっけなく肩を竦めて自分の席に戻った。
――あいつも心配していたから、無事を伝えたら喜ぶと思う――
危うく口からこぼれかけた言葉が、リーファの耳元で声ならぬささやきを残して消える。それが空気に文字となってじんわり染み出しそうな気がして、彼女は慌てて無意味に辺りを手で扇ぎ、ことの顛末をディナルにも報告すべく、急いで階下へ下りていった。
それからの一日、リーファは落ち着きなくそわそわと仕事をこなし、夕の鐘が鳴ると即座に本部を飛び出した。城に向かう途中で道を違え、屋敷街の中へと入り込む。
モルフィス侯爵家の屋敷に近付くと、リーファは塀越しに建物が見える場所を探して歩きつつ、窓をひとつひとつ数えるように目で辿っていった。
ヘレナには、ハンカチにあらかじめ紙片を挟んで、マリーシェラに渡すよう頼んでおいたのだ。受け取った時の反応からして、何かが隠されていることに相手も気付いたと見て間違いないだろう。
紙片には、簡単な指示を書いておいた。
『助けが必要なら、外から見えそうな窓のどれかに合図を。カーテンを挟む、ハンカチをぶら下げる、何でも結構』
二人の息子に脅されて身動きが取れないのだとしても、そのぐらいは何とかなるだろうと思ったのだ。
しかし。
「……無い?」
リーファは眉を寄せてつぶやいた。館の窓はどれも同じように閉ざされ、ほかと違う状態にされているものはひとつも無い。
ぐるりと屋敷のまわりを二周してから、リーファは足を止めて腕組みした。
紙片がアリオかディノスに見付かったか。それとも、合図の細工をする隙がないのか。
あるいは……助けは必要ない、のか。
立ち止まったまま、リーファはふむと唸り、結局その場は諦めて帰ることにした。少なくとも無事でいることは確認出来たのだ。もし、たまたま今日は合図を出せなかったのだとしたら、明日以降、何か変化があるかも知れない。
黄昏の光を受けて飴色に染まる屋敷を最後にもう一度振り仰ぎ、リーファは城へと歩き出した。