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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
35/66

六章 食い違う思惑 (2)


「折角屋根に登ったんだから、座って気晴らししませんか。お菓子を持ってこなかったのは残念でしたね」

「…………」

 おどけたリーファの誘いに、ミナはむっつりと不機嫌な沈黙を返した。が、もっと真剣に探れと金切り声で喚きたてたりはせず、ぶすっとしたまま隣に並んで座る。

 リーファは眼下に広がる町並みを眺めながら、ミナを落ち着かせるため、静かに言った。

「心配なのは私もです。放っておくつもりはありませんから」

「でも、どうするの?」

「レウス様がシンハに手紙を残していたんです。遺言状の開封に立ち会って欲しい、という内容でね。亡くなった朝すぐに神殿から使いがモラーファに向けて発ったそうですから、今頃は遺言状を持った神官長がこっちに向かっているでしょう。流石にそれを追い返すわけにはいかないし、レウス様直々の頼みなんだからシンハが同席するのも拒めない。大丈夫ですよ」

 説明しながらふと、レウスはこんな事態も予想していたのだろうか、と不可解な気分になる。

 もし己の死後すぐにマリーシェラに何らかの危険が迫ると感じていたのなら、もう少し警戒したのではないだろうか。息子二人と一緒に屋敷に滞在したりせず、マリーシェラだけでも伯爵家に帰らせるとか……。

「もしかしたら、ただの取り越し苦労に終わるかも知れませんしね」

 リーファは敢えて楽観的にそう締めくくり、ミナの横顔を見つめた。思いつめた気配は薄れているが、表情は晴れないままだ。リーファはふと微笑した。

「そんなに心配されて、本当に姉君が好きなんですね」

 返事はなかった。ミナはわずかに唇を開いたものの、言葉は出さず、ただ遥かに続く大地のそきえにまなざしを注いでいる。

 リーファは強いて話を続けず、自分も同じ方へ目をやった。街の屋根が途切れ、城壁とシャーディン河を越えた向こうに広がっているのは、色合いも様々な紅と黄金。枯れ草と紅葉した木々の織り成す絨毯が、うっすらと絹雲のたなびく青空の下、照り輝いている。

 我知らず深呼吸し、リーファはうんと伸びをした。

「屋根に登るのは、いい気分転換になりますね。ここなら他人の目もないし」

「……ええ。ここでなら、元気に笑っていなくても、誰にも何も言われない」

 つぶやくようにミナが答えた。リーファが気遣いと同情の相半ばする顔をすると、彼女は肩を竦めて唇を尖らせた。

「誤解しないで、全部が嘘だってわけじゃないわ。私だって、明るく笑っている方が気分がいいもの。ただ、いついかなる時もそうではいられない、ってだけ。たまには『陰気で憂鬱なミナお嬢様』の日もあるっていう事よ」

「それはまぁ、そういうものでしょうね。どんな時でも同じ態度の人間がいたら、どう考えても胡散臭いですよ」

 苦笑気味にリーファが応じると、ミナはこくんと小さくうなずいた。一呼吸置いて、ためらいがちに口を開く。こぼれた声は、風に紛れそうなささやきだった。

「姉様のこともそう。大好きで、大嫌い」

「…………」

 リーファは何とも答えられなかった。その視線の先で、ミナは相変わらずどことも知れない彼方を見つめたまま、耐えられなくなったように、矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出した。

「酷い時の姉様を知っているから、侯爵様に嫁いで幸せそうに笑えるようになって、本当に良かったと思うわ。優しくて、私の事も気にかけてくれるし、よその姉君みたいに図々しかったり、妹だからって馬鹿にしたりしない。だから好きよ、本当に。でも時々、あんな人いなければいいのに、と思うの。あの人のせいで私が跡取りになってしまって、どこにも行けなくなったし、お父様も館の皆も、今度こそ失うまいと必死になってる。時々、本当にものすごく、腹が立って、何もかも……あの人達もあの土地も、心の底から、……大っ嫌い!」

 押し殺した声で激しく言って、それ以上は駄目だと自ら禁じるように唇を噛む。それからミナは、膝を抱えて顔を埋め、あらゆるものを拒んで閉じこもろうとするように沈黙した。

 慰めも共感も要らない、そう言われているのがはっきり分かり、リーファは助けを求めるように空を仰ぐ。しばし迷ってから彼女は手を伸ばし、ごく軽く、うつむいたままの頭を撫でた。

 ミナは大人しくされるがままになっていたが、ややあって拗ねた顔を上げ、怒ったように言った。

「女同士の秘密よ?」

 もう何年も前、恋愛成就のお守りを探してくれと頼んだ時と同じ台詞だ。リーファは失笑し、慌てて言い繕った。

「失礼、ちょっと昔を思い出して。ええもちろん、誰にも言いませんよ。でも、少しはマリーシェラ様も気付いておいでのようですが」

「やめて」

 不意に唸られて、リーファは目をしばたき、まだ頭に置いていた手を急いで引っ込める。と、ミナは余計にしかめっ面になった。

「そうじゃなくて、その言葉遣いをやめて、って言ったの。昔を思い出したのなら、あなたが最初に私の家に来た時、頭を撫でて何て言ったかも覚えているでしょう?」

「あ。……えーと、その節はどうも失礼を……」

 つい勢いで、子供扱いした言葉をかけてしまったのだった。しっかり覚えられていたらしい。リーファが頭を掻くと、ミナはやれやれと背筋を伸ばした。

「いいのよ。私はこれであなたに、誰にも言えない秘密を二回も打ち明けたんだから、あなたも本当の自分を隠さないで。他に人がいない時は、よそ行きの顔はやめてくれなきゃ不公平だわ」

「不公平、って」

 リーファは困惑顔で繰り返し、どうしたものかと思案する。マリーシェラにしたのと同じ言い訳は、通じそうにない。ミナが要求しているのは、単に“もっと親しく振る舞ってくれ”ということではないのだ。

(困ったな。上っ面だけの、当たり障りのない対応なんかうんざりだ、ってことか)

 本音で話せ、と彼女は迫っているのだ。無難な答えなど欲しくない、と。

 むろん、そうは言っても、本音で話せば何でも満足される答えになるわけではない。リーファはしばらく沈黙し、お互いの頭が冷えるのに充分な間を置いてから、改めてミナに向き直った。

「そこまで言うなら、お望みの通りに。後で“やめときゃ良かった”って思っても、オレは知らないよ」

「そっちこそ、“やっぱり止めた”は無しよ?」

 ミナは悪戯っぽく目をきらめかせ、笑みを広げた。やっといつもの快活さが戻ってきたようだ。リーファは少しホッとしつつ、おどけて首を竦めた。

「まったく、敵わないなぁ。それじゃ、オレもひとつ打ち明け話をしようかな。さっきの、大好きで大嫌い、ってことだけど。正直に言って、オレにはそういう気持ちは、よく分からないんだ」

 すっ、とミナの顔から感情が消える。リーファは小首を傾げて、どうする、やっぱりやめるか、と問うようにじっと彼女を見つめた。が、ミナがそのまま何も言わないので、話を続けた。

「どうしてかって言うと、オレはそこまで誰かと……密接、っていうか……そういう関係になった事がないから。オレが盗人だったのは知ってるよな。その頃はまともな家族ってものがいなかった。一応、親兄弟らしい奴らはいたし、ねぐらも一緒だったけど。好きとか嫌いとか、そんなこと感じる余裕もなかったんだ」

 ただ生き延びることに必死だった。盗みを覚え、命令に従い、怒鳴られないよう先回りして、逃げて、隠れて、隙あらば食べ物を手に入れようと目を光らせていた。それだけの毎日。

「初めて誰かのことを好きだと思ったのは、その町にいた司祭様だったけど……短い付き合いだったしね。シンハに拾われた後は、まぁ……色々、人付き合いも勉強したけど」

 そこまで言い、リーファはちょっと空を仰いだ。爽やかな薄青色の中に、答えが見えないかと探すような目で。

 ややあって彼女は顔を下ろし、ミナを振り向いて微苦笑した。

「だから、ミナの話を聞いて、あぁこういうのが家族なんだなぁ、って思った。単に一緒に暮らしてるってだけじゃなく、すごく身近で、好きとか嫌いとかいう感情も複雑で深くて、損得の駆け引きもあって……茨の藪みたいに絡まりあってる。そういうものなんだな、ってね」

 語り終えたリーファに、ミナはしばらく何とも答えなかった。

 的外れか、全く予想外のことを言ってしまったかな、とリーファは内心首を竦めたが、それを表には出さず、平気なふりでのんびり町並みを眺め渡す。その視線がシエナを端から端まで渡ったところで、ミナがぽつりとつぶやいた。

「……私、贅沢だったかしら」

 らしからぬ気弱な声に、リーファはふきだしてしまった。

「違う違う。そうじゃないよ。それ言ったら、じゃあオレは恵まれない可哀想な子か、ってことになるだろ。いや実際恵まれてはいなかったけどさ。でもオレは別に、世の中もっと酷い境遇の奴がいるんだから我がまま言うな、とかお説教するつもりで話したんじゃないから」

「でも」

「あれ、説教して欲しいのかい? だったら、そうだな、城にいるカリーアの司祭様んとこに行ったらいいよ。きっとオレなんか相手にするより、ずっと“為になるお話”をしてくれるからさ」

 リーファは意地悪く勧め、ミナの渋面を見てにんまりしてから続けた。

「ミナは偉いよ。褒められても嬉しくないかも知れないけど、そうやって大好きと大嫌いの両方を抱えてるのって、結構しんどいだろ。それでもミナは、ちゃんとやってる」

 えらいえらい、とまた頭を撫でる。ミナは照れ臭いのか不満なのか、複雑な顔で唇を尖らせていたが、ややあって気分を切り替えたらしく、ちらりとリーファを上目遣いに見て問いかけた。

「あなたはどうなの。陛下のこと、嫌いになったりしない? そもそもどうしてあなたがお妃様にならないのか、分からないわ。すごく素敵じゃない、平民の娘が国王陛下に見出されて結ばれるなんて、国中の憧れの的になるわよ」

「身分違いの恋物語なら、王弟殿下が既にやらかしちゃってるじゃないか」

 リーファは苦笑で応じた。詳しい経緯は知らないが、お相手は平民でこそないものの、かなり爵位の低い弱小貴族の娘だったらしい。シンハが立太子する前から相思相愛だったらしく、降って湧いた“兄”にこれ幸いと玉座を押し付けて、駆け落ち同然に挙式した――と、これは、少々恨みのまじったシンハからの説明だが。

(……あいつんとこも、複雑なんだよなぁ)

 それこそ伯爵家よりもさらに深刻で、互いの存在が人生を極端に左右する、そんな関係。

 過去には色々あった、と言うだけで多くを語らないシンハを思い出し、リーファはふと遠い目をする。ミナも同じ事を思ったのか、さらに乙女の夢を語ろうとはせず、口をつぐんでじっと風に吹かれていた。


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