六章 食い違う思惑 (1)
「お疲れですね」
顔を見るなりそう言われると、さらに疲労感が増してしまう。リーファは部署の戸口でよろけ、とっとっ、とふらつきながら自分の机にすがりついた。うなだれた彼女を見て、挨拶代わりの一撃をくれたヘレナは小さく首を傾げて問う。
「……侯爵様の件で、何かありましたか」
声はささやきに近い。リーファは顔を上げ、不審げにヘレナを見つめてから、ああと納得した。
「もしかして、葬儀の段取りやったのって、ヘレナん家? そっか。いや、大丈夫だよ。別に不審なところがあったとか、揉めてるとかってわけじゃないから」
「そうですか」
ヘレナは表情を変えずにうなずいたが、安堵した気配がわずかに感じられた。貴族の葬儀を請け負うと、何かと気を遣うのだろう。儀式を執り行う神官とは違い、葬儀屋は社会的身分が低い。しかも納棺作業で直接遺体に触れもするし、会場の設営など弔問客の目に入る部分をも受け持つので、文句をつけられることもあるのだ。
リーファは目をしばたき、そばに寄った。
「っていうか、そんな質問してくるってことは、ヘレナは何か見聞きしたのかい?」
「いいえ、特別には何も。私もその場におりましたが、ご遺体もお式も問題はなかったように思います。ただ貴族の方の葬儀をお手伝いするのは、滅多にないことですから……不手際があったのなら大変だ、と」
そこまで言い、彼女は少しためらってから付け足した。
「身分のある方々には特別な配慮が必要ですから」
つまり、見苦しくないよう、他家から侮られることのないように。死してなお取り繕い、不都合なことを隠すよう、葬儀屋も要求されるということだ。
リーファは言葉にされなかった部分をなんとなく感じ取り、疲れの原因を思い出してげんなりした。
「そうだよなー。お貴族様って隠し事が多いっていうか、オレら庶民とは世界が違うっていうか……特別、なんだよなぁ」
王城に住み、国王陛下その人と軽口を叩いたりしていても、外の世界には身分階級が厳然と存在する。警備隊員として街で過ごしていると、それが肌身に感じられた。今回もそうだ。
昨日、夕暮れにやっと帰ってきたシンハを捕まえて確認したところ、
(手は打ってある、か。やれやれだよ全く)
ザフィールが通って来た街道沿いにある領地の主に分かるよう、それとなく国王の意向を伝えたという。ちょうど園遊会の後で主立った貴族はまだ王都に滞在中だから手間はかからなかった、そのうち夜中に誰かが城の門前にこっそり鞄を置きに来るかもな、と彼は辛辣に微笑したが、リーファは笑えなかった。
「あーあ……結局、警備隊って何なんだろうな。汗水たらして歩き回って、ケチな盗人とか、喧嘩してる酔っ払いとか捕まえても、雲の上ではお偉いさんが自分達だけで片付けちまうんだもんなぁ」
珍しく愚痴をこぼし、深いため息をつく。司祭様の鞄ひとつ、自力で見つけ出して返してあげることが出来ないなんて。
すると、さっきから無言で机に屈みこんでいたジェイムが、その体勢のまま素っ気なく言葉を投げつけてきた。
「役に立たないことぼやいてる暇があったら、そのお偉いさんが頭を下げて助けてくれって頼み込んでくるぐらいの実績を、ひとつでも作れば」
同情も容赦もない正論に直撃され、リーファはごつんと額を机にぶつけた。
「……そりゃそーなんだけどさ……」
そう上手くは、と嘆きかけて、ふと思いが逸れる。机の天板に額を押し付けつつ、彼女は園遊会の出来事を思い返していた。
「うん。そう……だよな」
辺境伯と王弟殿下という、いわば身内に過ぎない二人ではあったが、その彼らがリーファに揃って“力を貸してくれ”と言ってきた。あれは、未来につながる一歩ではなかったか。
(今はまだ、たまたまオレのこと知ってる二人だけ、だけど。でも、もっと頑張ればいつかは他の貴族にも、警備隊の力を認めさせられるかもしれない)
現在のところ警備隊にいるのは、多少裕福な層ではあるものの一般市民が大半だ。権限も各都市内の平民相手に限られていて、貴族には手を出せない。
領地や事業を継げず他にどうしようもない貴族の子弟が司法学院に入ることはあるが、彼らはまず警備隊などには来ない。実家ないし親戚の法律顧問か、縁故のある土地での裁判官になるのが殆どで、つまり警備隊は一段下に見られているのだ。
――だがもし、そんな認識を覆すことが出来たなら。
リーファは背を伸ばし、うんと大きくうなずいて笑顔になった。
「本当、その通りだよ。ここでうだうだ言ってても何にもならねーや」
よし、と気合を入れると、彼女はぐるりと机を回りこんでジェイムの首に抱きついた。
「ありがとな、ジェイム!」
「やめろ鬱陶しい、どこかおかしいんじゃないの」
なんで礼なんか、と迷惑そうに邪険な声を出し、ジェイムはリーファを振り払う。それから彼は、すっかり上機嫌になったリーファを見上げてうんざりした顔になり、聞こえよがしのため息をついた。それでもリーファはまるで堪えていない。
そんな二人を見て、ヘレナは不思議そうに瞬きしていた。
と、リーファが気合を入れ直すのを待っていたかのように、階下で扉が開閉する音がした。何やら応対する声に続き、靴音が階段を上がってくる。慣れた足取りは隊員のものだ。ということは、つまり。
「リー! お呼びだぞ」
自ら会いに来るのではなく、呼び出すのが当然の身分にあるお客、ということらしい。リーファが出端を挫かれてがっかりするのを見もせずに、呼びに来た隊員は手招きだけ残してばたばた下りて行く。
「何だよ、もう。人が折角やる気を出したのに」
ぼやいたリーファに、再びジェイムが冷たく言う。
「さっさと行けば。お偉いさんが頼ってきたんだろ」
「頼るって言うよりこれは、顎で呼びつけるって奴じゃないのかね。まぁしょうがねーや、行ってくる。ヘレナのこと宜しくな」
二人に軽く謝罪の仕草をしてから、リーファはやれやれと部屋を出た。
呼び出しの主は、なんと東方辺境伯だった。正確には、そのご令嬢ミナである。問答無用で屋敷へ連れて来られたリーファは、複雑な気分で応接室に立っていた。
(いったい何の用だろう? まさか、つい一昨日レウスさんの葬式だったのに、遊びましょう、はないだろうし。オレに構うより、マリーシェラの見舞いに行きそうなもんだけど)
何かあったのかな、と嫌な予感に顔を曇らせる。
案の定、現れたミナはいつもの快活な笑顔ではなかった。目は興奮気味にきらめいていたが、その光さえ怒った蜂のように危険な気配がする。しかもなぜか、使用人に借りでもしたのか、男の子のようなズボン姿。リーファは用心して身構えた。
彼女の警戒に気付いてか否か、ミナはわざとらしい慇懃さでお辞儀をした。
「突然呼び立ててごめんなさい、来て下さってありがとう。ねえリーファ、前に会ったとき私が言ったこと、覚えている?」
「……どの事でしょう?」
流石にそれだけでは分からず、リーファは困惑に瞬きする。と、ミナは悪戯っぽい表情を作って答えた。
「今度はうちに来てね、一緒に屋根に登りましょう、って。言ったわよね?」
「登るんですか? これから?」
「そうよ。だからほら、動きやすい服でしょう?」
ミナはとぼけて肩を竦め、ズボンをちょいとつまんで見せる。リーファが眉を上げて説明を求めても、ミナはそれを無視し、ぐいぐい腕を引っ張って歩き出した。
「こっちよ。梯子をかけてあるの。お父様に見付かったら大変だから、急がないと」
「連座させられるのは御免ですよ。何をするつもりにせよ、伯爵の許しを得てからにして下さい」
「あなたまでそんな事、言わないで! 一人になりたい気分の時に、いちいち許しを求める人なんている? ほら早く!」
私がついて行ったら一人にはなれないでしょう――とは思ったものの、さすがに口に出すほど鈍くはない。リーファは諦め顔で、引かれるままに歩き続けた。
梯子がかけられていたのは、ミナの部屋ではなかった。普段は使われていない客室のようだ。ミナは周囲を見回してから、危ういほど急いた仕草で屋根に出る。リーファが続いて登ると、ミナは厳しい顔つきでどこかを睨みつけていた。
その視線を追い、リーファは、あ、と声を漏らす。ミナの目は、モルフィス侯爵家の屋根に注がれていた。どうやら侯爵家が見えそうな場所を選んで梯子をかけたらしい。
「いったい、何を企んでいるんです?」
リーファがひそっと小声で問うと、ミナは用心深く屋根を移動しながら、こちらもささやくような声で答えた。
「あの屋敷の様子が知りたいのよ」
「普通に訪問するのではなく、ですか。……もしかして、追い返されましたか」
シンハだけでなく、未亡人の身内までが面会謝絶されたというのだろうか。まさか、と思ったが、ミナは眉間に険しい皺を刻み、ぎゅっと顎を引くようにうなずいた。
「お葬式の次の日……つまり昨日だけど、リー姉様にお会いしたくて使いをやったの。そうしたら、今は誰にも会いたくない、って。ほかの人なら分かるわ、でも私よ? ありえないわ」
「確かに、おかしいですね」
マリーシェラの再婚相手になり得る男の訪問を断るのは、外聞やらあれこれを考えれば納得がいく。お節介焼きの親類や、善意という鈍感さを武器に踏み込んでくる“友人”も、迷惑なだけだろう。だが、ミナを?
むろん家族とて、否、家族だからこそ、他人よりも深く傷つけ合うという面はある。仲が良さそうに見えるからと言って、心の奥底で何を感じているかまでは分からない。
(だとしても、会わない、ってのはないだろうに。それも『ありえない』なんて言えるぐらいの仲なんだから)
天真爛漫に振舞ってはいるが、今のような厳しい横顔を見ると、ミナが他人の感情に鋭いというのが分かる。歳の離れた大人たちに囲まれ、可愛がられつつも伯爵家の跡取りとして期待されて育てば、否応なく敏感になるものだ。
そのミナがきっぱり『ありえない』と言うのだから、やはりこれは不自然な事態なのだろう。
侯爵家の様子が少しでも見える場所を探して、ミナは慎重にあちらこちらへ動き回る。リーファも立ったりしゃがんだりしつつ、人影のひとつも見えないかと探していたが、ややあってカーテンの引かれた窓に目を留め、嫌な可能性に気付いた。
「……会わせられない状態、なのかも」
ぽつりとつぶやいたリーファに、ミナが振り向いて「なあに?」と聞き返す。リーファは気が進まないながらも、思いついてしまった推測を告げた。
「ご本人が会いたくないと言ったのではなく、訪問のお伺いを立てることさえ出来ないぐらい取り乱しているということも、考えられるかと……すみません、失礼な憶測を」
言い終えるよりも早くミナが眦をキッと吊り上げたので、リーファは素早く頭を下げた。
しばらくミナは無言だったが、ややあって押し殺したため息をついて暗い声を漏らした。
「分かってるわ。リー姉様が昔どんなだったか、私だって少しは覚えているもの。ものすごく怖かった。何をどうしても、泣き叫んだり暴れたりするのをやめて貰えなかったし、落ち着いている時でも、何のきっかけで“怖い姉様”になるか分からなくて、びくびくしていたわ。だから、……だからこそ、こんな時には私が傍にいる必要があると思うの」
「そこまで考えられてましたか」
思わずリーファが驚きを口にすると、ミナは鼻を鳴らして見下す顔つきになる。
「子供じゃないのよ。どんな時でも『明るく元気なミナお嬢様』でいられるわけじゃないわ」
「でしょうね」
リーファはうなずき、苦笑をこぼした。やはり、快活さの幾分かは演技だったらしい。見破られていたと気付いたミナは、わずかに赤面しつつ唇を尖らせた。
「やめてよ。『ええもちろん知ってましたよ』っていうその態度、すっごく苛々する」
「これは失礼。そんなつもりじゃありませんが……あなたが思った以上に勇敢なので驚きました。打ちひしがれて取り乱す人の傍に留まるのは、なかなか難しいですからね。マリーシェラ様の義理の息子達に、それは期待出来ないでしょう」
リーファが話を元の軌道に戻すと、ミナも膨れっ面をやめて、侯爵家の屋根に目を戻した。
「リー姉様を閉じ込めるだけでしょうね。お姉様が落ち着いていれば私に会いたくないなんて言うはずがないし、取り乱していれば尚更、あの人達にはどうしようもなくてこっちを頼ってくるはずだわ。でしょう? なのに、実際には違う」
理路整然と述べられて、リーファは内心舌を巻いた。むろんすべて憶測の域を出ないし、強引な決め付けかも知れないが、それでもミナは状況をただぽかんと見ているだけではないのだ。
リーファは少し考えてから、慎重に応じた。
「何かを隠そうとしている、というのはほぼ間違いないでしょうね。ただそれが、マリーシェラ様のひどい落ち込みようなのか、それを何とも出来ない自分達の無力なのか、それとも実はレウス様が亡くなったことで起きた親族の内輪もめなのか……それはまだ、判断できませんが」
第三者的な意見にミナは不服げな顔をする。リーファは侯爵の屋敷を眺めやって、やはりここからでは覗き見るにも限界があると結論づけると、諦めて見晴らしの良い方を向いて腰を下ろした。