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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
31/66

四章 存在の不適当 (3)



 状況が一変したのは、それからほんの数日後だった。

 夜明け、モルフィス侯爵の館がにわかに騒がしくなり、召使がバタバタ走り回る。まだ薄暗い中、下男が大神殿へと走り、治療師でもある神官を連れ出した。

 次第に空が明るくなり、神殿の鐘が朝を告げる頃、再び下男が出て行き、また別の者を連れて戻る。今度の数人は神官と違い、館の裏門から人目を憚るようにして通された。

 それから忙しなく何回も、大勢の人が出入りした。使いの者が王城に、近隣の貴族の館に向かい、知らせを受けた側でも慌しい動きが始まる。

 一昼夜の後、侯爵の館には大勢の貴人が集い、荘重に飾られた棺を先頭に長い列を作って大神殿へと歩むことになった。

 棺の前に立つのは葬儀を司る大神官と、喪主と親族だけである。暫定的に当主となったディノスのすぐ後ろに、泣き腫らした目をヴェールで隠したマリーシェラが、アリオに支えられて続いた。

 大神殿の一隅、死者の魂を導くユヌ神の聖堂に棺が安置されると、大神官が厳かに、モルフィス侯爵レウス=ヴェーゼの逝去を告げ、その魂が迷いなく安らかに神々の元へと導かれるよう、祈りを捧げた。

 楽神官がしめやかに鎮魂曲を奏でる中、死者に花が手向けられる。最初に親族、それから国王、あとは身分と親しさに従って順々に。園遊会後そのまま王都に滞在している先王とラウロス公も参列していた。

 棺の蓋が下ろされ、釘でしっかりと閉ざされる。静かながらも容赦の無い槌音に、マリーシェラがわななき、ディノスも歯を食いしばった。

 神殿の墓地には既に深い穴が用意されている。王家の墓所に近い一画だ。侯爵の遺体は一度ここに埋葬され、王族と同様に三年間弔われた後、掘り起こされ清められてから領地へ帰されることになっていた。

 これは異例のことだった。普通なら、貴族は己の領地や先祖ゆかりの地で葬儀を行うものだ。他所で埋葬されるのは、故郷がよほどの遠方であるか、遺体の損傷が激しく移送に堪えない場合、あるいは罪を犯して爵位を剥奪されたか、逆に、王都で荘厳な国葬を執り行うに相応しい偉業を成した場合、などである。

 レウス=ヴェーゼはそのどれにも当てはまらない。だが彼は数年前に、自分の葬儀は王都の大神殿で行うよう、早くも手配していたのだった。

 棺に土が被せられると、参列者は三々五々、解散していく。館に戻り、喪主からふるまわれる軽食の相伴に与るのだ。

 リーファが顔を出せたのは、ようやくその段階になってからだった。いかに国王陛下の友人と言っても、レウスとはほとんど接点のなかった平民が、葬儀に参列することは出来なかった。墓地から皆が去り、墓守が仕事を終えて碑を安置したのを見届けてから、そっと近付いて地面に膝をつく。

 この国の神々に祈る言葉は持たなかったが、彼女はただ、ザフィールが言うところの“本当に本物の神”を意識しながら、死者の安寧を願った。

(侯爵、あなたは覚悟も準備も出来ていたようですが、まわりの皆にはちょっと早すぎましたよ。……でもきっと、シンハもマリーシェラさんも、立ち直れるだろうから……安心して休んで下さい。頼むから化けて出ないで下さい、何か文句があったらシンハの奴に直接言って下さい、オレのとこには来ないで下さい、お願いします)

 なんだか途中から妙な雰囲気になってしまったが、自分なりに真剣に祈ると、彼女はふっと息をついて立ち上がった。

 うら寂しい墓地に、肌寒い風が吹く。リーファは身震いすると、秋晴れの空を仰いだ。

(おかしな事にならなきゃいいけどなぁ)

 レウスが急逝して、シンハもマリーシェラも、心中は複雑だろう。むろん死者を悼んで悲しみはするだろうが、それとはまた別の問題で、だ。

 あの二人が互いに惹かれているのは明らかだった。シンハの側には庇護者としての気持ちもあったかも知れないし、マリーシェラの側もまだ、畏敬と憧れだと言い訳できる程度だったかも知れない。だがもう少し時間があれば、彼らの胸中で芽吹いた想いはゆっくりと葉を広げ大きく育って、その姿を明らかにしていただろう。

 それなのに、こんな形で“障害”が取り除かれたのでは、罪悪感の石が芽を潰してしまいかねない。

(ようやくあいつが出会えた相手なのに。なんとか上手くまとまんねえもんかなぁ)

 二人が親密になっていくのを複雑な思いで眺めはしたものの、だからとて駄目になってしまえば良いと願ったわけではない。リーファは深いため息をつき、頭を振って仕事に戻った。


 国王陛下が侯爵家を辞して帰城したのは、日暮れ近くになってからだった。

 出迎える召使達も、常より気遣いを見せてあれこれと世話をする。シンハが喪の礼装から平服に着替え終わるのを待って、リーファは茶を運ぶ女中と一緒に部屋に入った。

「……よ。お疲れ」

 控えめに声をかけると、シンハは沈んだ表情のまま、ああ、と小さく答えただけだった。女中が一礼して下がるのを、見てもいない。ソファに座ってうつむき、片手で額を支えたまま、彼は身じろぎひとつしなかった。

 壁際の燭台で炎が揺れ、薄暗い室内に影が踊る。リーファは彼のそばに歩み寄ると、床に胡坐をかいて、ソファの脚にもたれた。

 しばらくして、シンハの片手が伸ばされ、リーファの肩に触れる。彼女がそれを取ると、ぎゅっと握り締められた。そのままお互い、何も言わない。

 沈黙の底に、ゆらゆらと悲しみが降り、横たわる。完全にそれが沈み切った頃、ようやっと、シンハの口からささやきが漏れた。

「明け方に、亡くなったらしい」

「……最期は夫人が?」

 聞き返したリーファに、彼は小さくうなずいた。握った手を開き、指を軽くもてあそぶようにしながらも、視線は相変わらず床に落ちたまま。

「胸を押さえて、苦しんでいたそうだ。すぐに人を呼ぼうとしたが、レウス殿が許さなかった。彼が意識を失った直後に、召使を呼んで神殿へ行かせたそうだが……」

 そこまで言って、彼はふうっと深いため息をついた。諸々の思いを一緒に吐き出し、胸の中を空っぽにしようとばかりに。

 次いで顔を上げた時には、いくらか翳りは残っていたものの、普段と同じような表情になっていた。軽く伸びをして、茶器の傍らに置いたままにされていた封書を取り上げる。

「見てくれ。レウス殿の手紙だ」

「遺書ってことか?」

 リーファは立ち上がり、遠慮がちにそれを受け取った。

「そうとも言えるが、いわゆる遺言状とは違う。大神官が数年前に預かったものだと言って、渡してくれた。大神殿に埋葬して欲しいという頼みは、その折に既に聞かされていたらしい」

「手回し良すぎだろ」

 何とも複雑な顔になって、リーファは疑惑の声を漏らす。シンハは冷めてしまった茶を飲みながら小首を傾げ、否定とも肯定ともつかない仕草をした。

「命の危険を感じていた、というわけではないようだがな」

 まあ読め、と手振りで促され、リーファは便箋を取り出して開いた。


 ――これが国王陛下の目に触れるのが十日後か一年後か、さらに後かは分からないが、十年より長くはないだろう。常日頃より、当家の領地財産については息子達ともよく話し合っており、継承に関する遺言状はモラーファの神殿神官長に預けてあるが、我が亡き後に妻マリーシェラがいささかの不利益を被ることも無きよう、国王陛下には特に厚い庇護をお願いしたい――


 そんな内容だった。くれぐれもマリーシェラが意に沿わぬ再婚を強いられぬよう守って欲しい、また息子によって屋敷から追い出されたりせぬよう、生活を保障してやって欲しい、等々の願いが切々と綴られている。

「よっぽど大事にしてたんだなぁ……」

 リーファはつくづく感嘆し、それからふむと改めて読み直し、うなずいた。

「これを見る限りでは、確かに、もうじき死にそうだからって感じじゃないね。いつかはともかく、自分が先に死ぬのは決まりきってるから後を頼む、って雰囲気だし、別に怪しい点はなさそうだけど。ただちょっと気になるのは……ここかな。出来る限り遺言状の開封に立ち会ってくれ、ってくだり」

「そうか」

 やはり、という風情でシンハもうなずく。リーファは彼の手に便箋を返しつつ、無意識に隣へ座ろうとしたが、場所がないため、ちょいと片膝に腰掛けた。シンハも全く気にせず、手紙の方をじっと睨んでいる。

「わざわざ俺に立会いを求めるということは、何か物騒なことが遺言状に書かれている可能性が高いな。息子二人がそれを読んだ途端に、生前の話し合いだの約束だのは無視して、マリーシェラを追い出しにかかる危険があると思えばこその指示だろう」

「それか、兄弟のどっちかが上辺だけでハイハイ言ってて、自分が死んだら手のひらを返すだろう、って疑ってたか。実際あの兄弟、仲が悪いみたいだったからなぁ。侯爵も、遺言がすんなりそのまま実行されないことは、考えておかざるを得なかったんだろうな。マリーシェラとは二人共、それなりに折り合いをつけてたみたいに見えたけど」

 うーん、とリーファは唸り、間近でシンハの顔を見上げた。

「で、そのモラーファの神官長さんには知らせが行ってるのか?」

「ああ、大神官が侯爵の臨終を告げたその場で、使いを遣ったらしい。六日もあればこっちに来るだろうと言っていた」

「その頃には、少しは落ち着いてるといいけどなぁ……」

 ぽつ、とリーファはつぶやく。遠目に見たマリーシェラの姿は、今にも倒れそうだった。心に痛撃を受けて、過去の傷から再度ひび割れ、折れてしまうかもしれない。昔の話を聞いた身としては、心配せざるを得ないほどだった。

 リーファのそんな気遣いを察し、シンハは同意するように彼女の頭を軽く撫でた。

 と、そこへ、やや控えめながらも、いつも通りの足音が近付いてきた。

「失礼します、陛下」

 声と同時に入室した途端、ロトはその場で立ち止まり、何とも言えない顔になった。凝視されたリーファは、ようやく自分の体勢に気が付いて瞬きし、それから果てしなく見当違いの解釈をした。

 慌てて降りるどころか、彼女は気遣わしげな表情になり、おずおずとロトに言葉をかけたのだ。

「大丈夫か? その……、座る?」

 顔色を窺いつつ、空いている方の膝を示す。ロトが床に沈みこみ、シンハがソファからずり落ちそうになったので、リーファは咄嗟にぴょんと飛びのいた。

「――ッッ、何を言い出すか、おまえは!!」

「え、で、でも、落ち込んでるみたいだから」

「ちょっとは想像力を働かせろ、ロトに何をさせる気だ!!」

 怒られてリーファは顔をしかめ、そこまで言うならとばかり、シンハをしげしげ眺める。それから絨毯に懐いているロトを見やり、もう一度シンハを見て。

「……あぁ、うん。無理だね。ごめん」

 至極真面目に謝った彼女に、シンハは頭を抱え、ロトは長々とため息を吐き出した。

「なんだかこう……悲しい気分が見事に吹っ飛んだのは、お礼を言うべき……なのかな」

「自分をごまかすなロト、気持ちは分かるがしっかりしろ」

「まぁ、不幸があると人間どこかしら取っ散らかるものですから、という事にしておきましょう、ええリーに悪気が無いのはよく分かってますしあなたが彼女を膝に乗せて当たり前の顔をしていたのもそのせいであるなら致し方ありませんきっとそうなんでしょう」

 ぶつぶつと呪文のようにロトがつぶやく。それでようやくシンハも己の落ち度に気付き、ばつが悪そうにちょっと頭を掻いた。

「すまん。何と言うか……つい、無意識に」

「大丈夫です、おおよそ見当はつきますから」

 ロトは床にごつんと額をぶつけてから、気を取り直して立ち上がった。そして、今更もじもじしているリーファを苦笑しつつ見やり、シンハに向き直って肩を竦める。

「リーの代わりにぬいぐるみでも抱いてくれ、とお願いするわけにもいきませんからね。ともかく少しは元気になられたようで、その点に関しては何よりです」

 ちくりと皮肉は混じったものの、声音は温かい。シンハが曖昧な顔になって目を逸らせると、ロトは一瞬にやりとしてから続けた。

「一人で悲しみに向き合うのも決して悪くはないと思いますが、あなたは常日頃から抱え込みすぎですからね。少し分かち合うべきかと考えたのですが……むしろお邪魔でしたか? たまには城下へ飲みに行きませんか、と誘いに来たんですけどね」

 ロトが軽くおどけた口調で言い終わるや否や、

「賛成!」

 勢い良く横からリーファが挙手した。返答を奪われたシンハが呆れ顔をし、次いでロトを見上げて微苦笑する。

「なるほど、それで私服なのか。そうだな、久しぶりにオートスの店に行くか。あの時の面々で今も王都に残っているのは、もう三人だけだしな」

「オレもまぜてくれよ、色々聞きたい!」

 はいはいはい、とリーファが手を挙げたままロトとシンハの間に割り込む。二人は彼女の肩越しに視線を交わし、同時に笑い出した。

「いいのかい、退屈するかもよ?」

「しない、しない! レウスの爺さんがどんだけえぐいしごき方したのかとか、シンハがどんな方法でいじめられたのかとか、オレも知りたい! 後学のために!」

「おい待て!」

「ああ、それなら傑作な話がいくつもあるし、僕が知らないこともオートスなら覚えてるんじゃないかな。よし決まりだ、すぐに出かけよう」

 ロトがにっこりし、リーファが「わーい」と万歳する。シンハは何か抗議しようとしたものの、結局諦め、苦笑まじりに頭を振った。文句など言えようはずがない。

 深い悲しみの影は薄くなり、いつもの穏やかな陽だまりが戻ってくる。無理やりにではなく、ごく自然に、そうなるのが当たり前のように。

 シンハは立ち上がると、外出用の上着をさっと羽織って、

「ああ幾らでも聞け、記憶が飛ぶまで飲ませてやる」

 笑いながらリーファの頭をくしゃくしゃにしたのだった。


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