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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
30/66

四章 存在の不適当 (2)



 進展のないままに数日が過ぎた。

 その間リーファは本部に入った検死を一件、ヘレナに手順を教えたり、逆に葬儀屋の手法を教わったりしつつ片付け、四番隊での通常勤務をもこなし、乗合馬車の件はうっかりすると念頭から消えそうな忙しさだった。

 早番のその日、いつものように勤勉に働いて昼過ぎに帰城したリーファは、城門から少し歩いたところで、おやと足を止めた。

 敷地内にある礼拝堂の前で、三人の意外な取り合わせが立ち話をしていたのだ。

 リーファは小走りになってそちらへ向かいつつ、声をかける。

「司祭様! もう歩き回って大丈夫なんですか?」

「おや、リーファさん。お帰りなサイ。おかげサマで、だいぶ元気なったデスよ」

 振り返ってにこりとしたのは、ザフィールだった。彼と話し込んでいた城付き神官のキュクスが、無表情に会釈する。珍しいこともあるものだ、とリーファは軽い驚きをおぼえた。

 城付き神官は王家の薬師でもあるため、一般の神官と違ってあまり人と接することがない。権力を巡る様々な思惑に左右されることのないよう、孤立に近い独立性を維持している為だ。

 もっとも、そんな立場でも平気でいられる人間しか務まらないわけだから、城付きでなくとも人付き合いの良い方ではないのだろうが。

 そのキュクスの横にいたのは、マリーシェラだった。リーファと目が合うと笑顔になり、お帰りなさい、と温かい言葉をかけてくれる。

「こんにちは、侯爵夫人。何かあったんですか? なんだか、こう……不思議な顔ぶれのように思えるんですが」

 リーファが漠然と三人に向かって言うと、マリーシェラとザフィールが顔を見合わせてちょっと笑った。

「私はたまたま、賢者様の菜園を見に来ていたのだけど、庭師さんが、薬草についてはキュクス神官に聞いた方が詳しい、と教えてくれて。こちらに来てみたら、アデン司祭がいらしたのよ」

「そうだったんですか。司祭様、顔色は確かに良くなってますけど、無理はしないで下さいね」

「ハイ、もう大丈夫ですね。少しは歩かないと、お城の食事はとても美味しいので、寝てばかりいたらゴロゴロ……コロコロ? なってしまいまス」

 ザフィールは笑って、棒のような胴回りに手で円を描いて見せた。つられてリーファも笑いをこぼす。

「本当にコロコロに太るぐらい元気になったのなら、安心ですよ。神官様とは、また難しい話をしてらしたんですか?」

「ああ、そうでシた。難しくはないデスが……すみまセン」

 話の途中でした、と詫びて、ザフィールは神官に向き直る。邪魔をしないように、リーファはちょっと離れてマリーシェラの横に並んだ。話が済んだら司祭を部屋まで送ろうと考えて、待つことにしたのだ。

 手持ち無沙汰を紛らすように、彼女はマリーシェラに話しかけた。

「薬草にも詳しいんですか?」

「いいえ、そっちは全然。ヨモギが血止めになるぐらいは知っているけれど、専ら、その……うちでは、食べる方が大事だったから」

 マリーシェラは、恥ずかしそうに首を竦めて告白する。リーファは危うくふきだしそうになり、辛うじて真顔を取り繕った。

「うち、って、実家の伯爵家ですよね?」

「ええ。でも、何しろ田舎だから。賢者様の菜園にも、もちろん食用になるものがあるけれど、やっぱり薬草の方が多くて。……ちょっと考えたのだけど、もし何か、上手に出来た野菜や果物を持ってきたら、陛下が使って下さるかしら?」

「それはまあ、大喜びするでしょうね」

 サボる理由が出来て――とまでは、口にしない。リーファは咳払いして曖昧にごまかし、次いでふと思い出した。

「そういえば、あなたは平気なんですか? 園遊会の時も、この前も、シンハと普通に目を合わせたりしてらしたように見えましたが」

「まさか、平気なわけがないわ」マリーシェラは笑って首を振った。「あれは……そう、『威勢、辺りを払う』というのかしら。唯人とは異なる力をお持ちだと、はっきり感じられたもの」

「でも怖くはなかったんですね」

 彼の力を感じ取ったなら、大抵は萎縮し、顔を伏せてしまうものなのに。リーファが不思議に思って確かめると、マリーシェラは頬を染めて目をそらした。

「他の場で出会っていたら、恐れはしないまでも、縮こまってしまったかも知れないわね。でも……最初にあんな声を、聞いてしまったから」

「…………」

 何とも言えずに固まったリーファに、マリーシェラは視線を戻して苦笑する。

「あなたを呼んだあの声に、どれほどの愛情が込められていたか。あなたにとっては当たり前になっているのかも知れないけれど、私は本当にびっくりしたのよ。あなたを呼ぶのが嬉しくて仕方ないみたいな、温かくて信頼に満ちた声だったから」

「ぅ……そ、そう、ですか?」

 初めて他人にそんな指摘をされ、リーファは見る見る真っ赤になった。火照った頬に手を当てて冷やし、そわそわと足踏みする。そんな彼女に、マリーシェラはそっとささやいた。

「あなたも、シンハ様を想っているのでしょう?」

「え、あ、いや、それは」

 途端にリーファは冷静さを取り戻し、姿勢を正した。司祭と神官がまだ話しこんでいるのを、ちらりと見やって確かめてから、静かに答える。

「おっしゃっているのが、恋とか愛とかいうことなら、それは違います」

 ひとまずきっぱりと否定し、それから説明を続けようとして、言葉を探す。視線が宙をさまよい、無意識に口調が崩れた。

「なんて言うか……あいつはオレにとって一番大事ですけど、愛されたいとか結婚したいとか、そういうことじゃないんです。そういうんじゃなくて、もっと……」

 内心をはっきり自覚した瞬間が、昨日のことのように鮮やかによみがえる。静かで深く、どこまでも透徹で、泣きたくなるほどの――

「上手く、言えませんけど」

 言葉にすることを諦め、リーファは小さく首を振った。だがその表情が、代わって雄弁に物語ってくれたらしい。マリーシェラは驚きのまなざしで彼女を見つめ、それからほっと息をついた。

「そう。……あなたは、凄いのね」

「え?」

「なかなか、そんな風に言える人はいないと思うわ。陛下はお幸せね」

 微笑みかけられて、リーファはまた赤面する。マリーシェラは、ふふ、と小さく声に出して笑った。

「色々噂は聞くし、実際にあれほど親しげな様子を目にしたから、そういう間柄なのだと思ったのだけれど。ミナにもきちんと説明しておかなければいけないわね。あの子ったら、あなたが陛下のお妃様になるものだと思い込んでいるもの」

「まぁ、誤解されるのも無理はないと思います。でも、男女だからって恋愛感情がなきゃいけない道理はありませんし。侯爵夫人だって、そうでしょう?」

「……私?」

 きょとんとしたマリーシェラに、リーファは遠慮がちに小首を傾げて、確かめるように問いかける。

「侯爵とは、その……本当の夫婦ではない、っておっしゃいましたけど。でも、だからって、お二人の心が寄り添っていないようには見えません」

 リーファが言うと、マリーシェラは虚を突かれたように絶句した。そのまま彼女が身じろぎもせず立ち尽くしているので、リーファは心配になって、目の前で手をひらひらさせた。

「あの、侯爵夫人……マリーシェラさん? 大丈夫ですか」

 恐る恐る呼びかける。と、マリーシェラは続けて数回瞬きし、「ああ」と震え声を漏らした。潤んだ目を隠すように少し顔を伏せて、片手で口元を覆う。ゆっくりと深く呼吸してから、彼女は顔を上げてにっこりした。

「ありがとう。あなたのおかげで、はっきり分かったわ」

「えっ、何が?」

「ずっと後ろめたかったの。私はレウス様の妻でいて良いのか、侯爵夫人の地位に厚かましく居座っているのが許されるのか。もちろんレウス様は、ご自身が望んで私を迎えたのだとおっしゃるけれど、私はずっと自信が持てなかったの。あの方をお慕いしているのは確かだけれど、でもそれは……立場にふさわしい気持ちではないだろう、と感じて」

 そこまで言い、マリーシェラは小さく鼻をくすんと鳴らした。瞬きして涙を堪え、きゅっと唇を引き結ぶ。一呼吸、二呼吸。静かに息を整え、彼女は続けた。

「……本当に、ありがとう。あなたと陛下を見た後で、他でもないあなたに言ってもらえて、……やっと、胸を張れる気がする」

 痛々しいながらも自信の宿る口調だった。

 リーファは自分の言葉がもたらした思いがけない結果にやや驚いたものの、マリーシェラの晴れやかな表情を見て、つられるように笑みを浮かべた。

「微力ながらお役に立てたのなら良かったです。出来れば他の、『色々噂』している人達も、理解してくれたら良いんですけどね」

 言葉尻でおどけたリーファに、マリーシェラも笑いをこぼした。

「それは難しいでしょうね。私達のような関係は特殊でしょうし、あまり一般化したら困る方も多いのではないかしら。実際、あなたと陛下がそういう関係だと、王妃様候補を探すのは大変でしょう?」

「難航してるみたいですね、確かに。でもオレ……あ、失礼、私のせいだけじゃないと思いますけど」

「前にも言ったけれど、言葉遣いは気にしないで。私は田舎育ちだから、荒っぽい物言いには慣れているわ」

「はあ。でもやっぱり、侯爵夫人ですから」

「国王陛下に殴りかかる人が言っても、説得力ないわよ?」

「うぐっ」

 すっぱり切り返されて、リーファは言葉に詰まる。面白そうなマリーシェラに、大袈裟なほどしかつめらしい顔を装って「いやいや」と首を振った。

「皆が寛大なわけじゃありませんから、一人が許してくれたからって甘えてしまうと、うっかり大事な場面でボロを出しかねません。シンハはもうしょうがないとしても、せめて他はちゃんとさせて下さい」

 大真面目に言ったつもりだったのだが、マリーシェラにはまた笑われてしまった。国王陛下を「もうしょうがない」扱いしたのだから、それも当然ではあるが。

 と、そこへ、耳に馴染んだ足音が聞こえ、リーファはおやと驚いて振り返った。

「よう、シンハ! なんだよ今日は皆して、ここで待ち合わせでもしてたのか?」

 途端にマリーシェラは笑いを飲み込み、不自然に姿勢を正して緊張する。館の方から歩いてきたシンハは、それに気付いているのかいないのか、いつも通りの態度で答えた。

「どうやら今日はそこに、見えない網がかかっているようだな」

 軽い口調で言ってから、彼はマリーシェラに向き直って会釈した。

「侯爵夫人、使い立てして申し訳ないが、レウス殿に届け物を頼んでも?」

「もちろん、何なりと」

 マリーシェラはすぐに了承し、彼が手にしているものに視線を移す。あまり長くまともに顔を見ていられないのをごまかそうとしたのが明らかな態度だったが、リーファもシンハも気付かないふりをした。

「ちょっとした見舞いの品ですが、そう言うとあの御仁には突っ返されそうなので。名目上、これはあなたに」

 小さな手提げ籠に入った布巾の包みから、ふんわり甘い香りがこぼれている。受け取ったマリーシェラは、思わずのように笑みを広げた。

「まあ、美味しそう」

「いい香りでスねー」

 ひょいと横から覗き込んだのは司祭である。うわ、釣れた、とリーファは笑ってしまった。シンハも苦笑をもらし、リーファに向かって目で合図する。

「食堂におまえの分を用意してある。司祭殿にも茶を淹れてくれ」

「ん、了解。司祭様、お話はもう済みましたか? それじゃ、館に戻ってお茶にしましょう」

「それは嬉しいでスね。では陛下、お先に失礼しまス」

 ザフィールがにこにこ言って頭を下げ、リーファは彼と連れ立って館に戻った。途中で振り返ると、キュクス神官が数歩離れて見守る前で、シンハとマリーシェラが立ったまま何か楽しそうに話しているのが見えた。

(……いいのかなぁ?)

 複雑な気分になりながらも、リーファはその疑問を胸にしまいこむ。シンハが穏やかな表情をしているのだから、それでもう良いではないか。互いにどんな感情を抱いているのにせよ、節度は弁えているだろう。それに、シンハが見せる親愛の情は、伯爵や侯爵とのかかわりを通じた父性的なものなのかも知れないし……

(ちぇっ。オレも大概、しつこいなぁ)

 きっぱり区切りをつけたつもりでいても、まだ少し、彼の優しさが他人に向けられるのを見ると、胸がざわつく。女としての嫉妬ではないが、甘ったれた子供の独占欲であるなら、なお始末が悪い。

 思わずため息をついたリーファの横で、ザフィールがことんと首を傾げた。

「どうしまシた?」

「いえ、なんでも。……人間、欲張るとキリがないなぁと思って」

「そうデスね。でも、無理して我慢するだけ良いではナイですよ」

 微妙に分かりづらいことを言いながら、ザフィールは悪戯っぽく笑った。

「欲と情熱はとても似ていまス。昔の人が欲張りなかったら、今の私達は、美味しいお菓子も食べられまセンね」

「ぶっ、あはは! そうですね、確かに」

 軽い話にすり替えられて、リーファは思わずふきだした。下手な慰めや説教よりも、今の自分にははるかに有効だ。

「ありがとうございます」

 つぶやくように感謝した彼女に、司祭はただ優しく微笑んでいた。


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