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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
29/66

四章 存在の不適当 (1)



 司祭の鞄は行方不明のままだった。

 昨日の今日なのでリーファも期待していなかったが、この手の単純な盗難の捜査には慣れている六番隊が一日で何の手がかりも得られなかったとなると、少し不安になった。乗合馬車の発着場周辺については城壁外担当の八番隊に協力を頼んであるが、こちらも今のところ収穫無し。

 自分が盗む側だった時もそうだが、獲物は大抵すぐにばらしてしまい、再利用できるものは懐に入れ、不要なものは路傍に投げ捨てて、次の狩場へ移動するのがならいである。手に入れたものをそのままの状態で後生大事に抱えているのは、捕まりたい奴だけだ。

 早く見つけないと、聖典や覚書などは下手をしたら暖を取るために燃されてしまいかねない。

(探しに行こうかな)

 名札を返してから、ちらりと隊長室を見やる。シンハから「優先的に」と言われたからには、ディナルも文句は言えまい。ただし、今はリーファも身軽な立場ではないのだが……。

(上の様子を確かめてからにするか)

 新入りの指導もあるし、検死の必要な遺体が運び込まれていたら、そちらを片付けねばなるまい。そう考えて、リーファは階段を上がった。

「ぅはよー。ヘレナ、調子はどうだい?」

「お早うございます。今はジェイムさんに調書の記入方法を教わっております」

 相変わらずヘレナの返事は平坦で無感情だ。リーファは「そっか」と頭を掻いた。

「どうすっかなぁ……」

「何か問題が?」

 小首を傾げてヘレナが問う。物言いは淡白だが、こうしてちゃんと反応してくれる辺りは、ジェイムよりよほど気遣いがあるかも知れない。

「ん、いや、昨日の司祭様のことだけど。盗まれた鞄を探すの、六番隊に任せっきりじゃなくてオレも行こうかなと思ってさ。聖典の実物を見たことあるの、オレだけだろうし。入ったばっかのあんたを放ったらかすのは悪いと思うんだけど」

「お気遣いなく。今日はまだ、ご遺体が運ばれてきていませんし、時間が空けば先輩の手引書を読み込んでおきますので」

「うっ? そ、そうかい?」

 思いがけず先輩などと呼ばれ、リーファは照れ臭くなってもじもじする。ジェイムがぼそっと「気色悪い」と毒づいたので、手近にあった紙屑を頭にぶつけてやった。

「んじゃ、悪いけどジェイム、ヘレナのこと頼むよ」

 リーファが言うのを待っていたように、階下で扉の開閉する音と話し声がした。誰か事件を持ち込んだのかな、とリーファは身構え、下の様子を窺う。呼ばれるかも知れないので、道具類を用意しながら耳を澄ませていると、じきに足音が階段を上がってきた。

「出番かい?」

 廊下に向かってリーファが問いかける。返事は予想外のものだった。

「ああ、でも検死じゃないよ」

「っ!?」

 戸口に現れたのは警備隊員ではなく、国王付秘書官であった。リーファは棒立ちになり、口をぱくぱくさせる。ロトは眉を上げ、仕事中だろう、と思い出させるように咳払いした。

「陛下から、司祭様の鞄を探すように言われてね。ディナル隊長にその旨を伝えて、君と二人で怪しい場所を徹底的に洗う許可を貰ってきた。窃盗に関して君は鼻が利くだろうけど、一人で嗅ぎ回るのは危ないから、私が護衛につくよ」

「って、で、でも」

「この件は警備隊だけでなく、近衛隊の管轄でもあるからね。さあ、行こうか」

 早く、と急かされて、リーファは辛うじて最低限の平静を取り戻した。ヘレナの肩をぽんと叩き、あとよろしく、と適当な言葉を残して外へ出る。

 ロトと並んで歩きながら、リーファはそわそわと言った。

「シンハと馬車屋に行ったんじゃなかったのか」

「途中まではね。でも陛下が気を変えて、俺の護衛は要らんからリーの方へ行け、ってさ。君なら盗まれた物がどこへ行き着くか勘が働くだろうし、それでうっかり危険地帯のど真ん中に飛び込む事もあり得るから」

「信用されてんのか、されてないのか、微妙だなぁ。そんな都合よく犯人とか黒幕とか見付けられるんなら、苦労しねーよ」

 ぼやいたリーファに、ロトが苦笑をこぼす。一緒に温かい感情まで出てしまったのをごまかすように、彼は白々しく言った。

「とりあえず、城門の方へ向かえばいいかな」

「あ……うん」

 リーファは歯切れ悪く答え、目をそらす。気詰まりな沈黙を道連れに歩くことしばし。

「あのさ」

「そういえば」

 二人は同時に口を開き、同じように凝固する。先を譲り合うにも目を合わせて様子を窺うことすら出来ず、はたから見ていると挙動不審もきわまりない。身動きが取れなくなったところを救ってくれたのは、往来を行く辻馬車だった。

「っと、危ない」

 ロトが素早くリーファを歩道の端へ庇い、泥はねを飛ばして走る馬車をやりすごす。

「あ、ありがと……ってか、そっちこそ汚れちゃまずいだろ!?」

 もごもご礼を言ってから、リーファは気付いて慌てた。警備隊の制服が汚れるのはいつものことだし、それで文句を言われることは滅多にないが、近衛兵の制服は上等の品である。

 庇って逆に気遣われたロトは、複雑な顔をした。

「僕は君を泥はねから守る程度のことも出来ないのかな」

「え?」

 服の裾を気にしていたリーファは、相手の言わんとするところが分からず、目をしばたたく。ロトは小さく咳払いして、言い直した。

「少しは僕の事も頼って欲しい。君を軽んじているわけじゃないけど、僕は」

「うわぁ!」

 言葉半ばでリーファが悲鳴を上げる。直後、ロトの背中にドカッと重い何かが突き当たった。

 ロトは息を詰まらせてつんのめったが、すぐに体勢を立て直して振り返る。幸い、彼を狙った襲撃者などではなかった。そこにいたのは、歩道の段差につまずいて転んだ子供が一人。そばには藁で編んだ買い物籠が落ち、南瓜や芋などが散乱していた。

「うっ……ああぁぁぁー!! うわぁぁん、ああーん!!」

 子供が倒れたまま泣き始めてしまう。ロトはやるせなく天を仰ぐと、背中を一撃してくれた南瓜を拾い、子供を助け起こしにかかった。リーファも苦笑しながら、散らばった野菜を拾い集める。

「大丈夫かい、どれ、見せてごらん」

 ロトはしゃがんで子供の服をはたき、血が出ていないか、歯が折れたりしていないか点検する。幸い、膝と手を擦り剥いたぐらいで、大事無いようだ。

 しばらくかかって子供をなだめ、どうにかお遣いの続きに戻らせると、ロトは思わず盛大なため息をついてしまった。

「ロトは優しいなぁ」

 リーファが子供の後姿を見守りながら、ぽつりとそんな言葉を漏らした。ロトは返事に困って鼻の頭を掻き、ふと彼女の横顔を見やって、そこに浮かぶものを察した。

 迷ったのはほんの束の間。彼はごく自然に手を伸ばし、細い背中に軽く触れながら、静かにささやいた。

「ここにはもう、君を殴ったり怒鳴ったりする人はいないよ」

「うん」

 リーファは振り向かずにうなずく。ロトが背中に置いた手を下ろすと、リーファの指がそれをとらえた。

 びくっ、とロトの手が緊張にこわばる。一呼吸の後、指がほどけ、しっかりとリーファの手を握り直した。

「好きだよ」

 小さくつぶやかれたのがどちらの言葉なのか、お互いに分からなかった。

 そのまましばらく、二人は無言で佇んでいた――が、ややあってロトがぎこちなく咳払いした。

「行こうか。でないとそろそろ、また別の横槍が入りそうだし」

「ぶふっっ」

 冗談の不意打ちがツボに入ってしまい、リーファは体を折って盛大に笑い出す。ロトは少しばかり傷ついた顔をして、頭を振った。

「僕が南瓜に体当たりされたのが、そんなに可笑しかったかい」

「ご……ごめ、だってさ、なんかロトって時々、妙に不運で。別に、間抜けでも不注意でもないのにさ、だから……っ、あはは! ごめん、行こう、うん、行かないと、今度は鳥の糞でも落ちてきたら、困るもんな!」

 合間に笑いを挟みつつ、切れ切れにリーファは言って、ばしばしロトの背中を叩く。

「いいけどね……」

 諦めの吐息ひとつの後、ロトはゆっくり歩き出した。大笑いしているのは、彼女なりの照れ隠しだ。きっと。多分。

 自分に言い聞かせているロトの内心を分かっているのかいないのか、リーファはまだ笑いながら、軽い足取りで彼の横に並んだのだった。


 日が傾き、色づいた木々の葉が黄金にきらめく時刻。

 城に戻ってきたリーファとロトを執務室で迎えたシンハは、どう声をかけたものか困って、無言のまま目をしばたいた。

 つい今朝まで二人の間に漂っていたぎこちなさは、消えている。それは結構なのだが、では良好な雰囲気かというとそうでもなく、目に見えそうなほど暗くて重い何かをどんより引きずっているのだ。

「なんだ、どうした。二人して下水に落ちでもしたのか」

 堪りかねて言ったシンハの前で、リーファがソファに倒れこんだ。

「見つかんねえぇぇ~なんでだぁ~」

 嘆いた声はほとんど泣き出しそうである。シンハがロトを見ると、こちらも疲れ切った様子で、珍しく失礼とも言わずリーファの隣に座り込んだ。

「一日歩き回りましたが、全く手がかりがつかめませんでした。リーの勘が外れるとは思えないんですが……実際、別口の窃盗犯を何人か捕まえるはめになりましたからね。ですが、肝心のアデン司祭の持ち物は見つからずじまいで」

「盗まれてまだ二日だ。価値の判断をつけかねて、盗んだ奴が持ったままかも知れんぞ」

「だったらいいけど」リーファがうめく。「でなきゃ、もう暖炉の焚き付けにされちまってんじゃねえかなぁ。ううぅぅぅ」

「陛下の方は、どうでしたか?」

 ロトがすがるような目で問いかける。シンハは慰めになる答えを返せなくて面目なさそうに、肩を竦めた。

「王都で認可を受けた業者は、まあ当然だが、何の問題もなかった。だが最近、ラウロ方面へ往復する馬車に、怪しいものがまじっているようだと気付いてはいたらしい」

「モルフィス侯の次男はそのような事実は知らないと言っていましたが……」

 ロトが難しい顔で唸る。リーファは顔を上げ、気合を入れてよいせと座り直した。

「そうだった、二人して侯爵の話を聞いてたんだよな。シンハは『可もなく不可もなく』ってったけど、具体的にどうだったんだい?」

「具体的も何も、言った通りだ。当たり障りのない表向きの優等生的回答、という奴で、中身はないに等しい」

「そうですね」ロトも同意し、リーファに説明した。「認可を出した業者に問題があったとは考えられません、無認可の馬車が闇で営業しているのかも知れないがこちらでは把握していません、だが念のためにモラーファの警備隊に調査を命じておきます、――とまあ、具体的にはそんな感じだったよ」

「うへぇ。紙に書いたのを読み上げたみたいだな」

「実際には、そつなく、てきぱきと答えてくれたけどね。本当に何も把握していないとしたら無能だけど、それはないだろうという印象かな。薄々気付いていて目を瞑っていたか、最悪の場合は、追い剥ぎ業者から賄賂を受け取っていることも考えられる」

「うーん、そこまで酷いかなぁ。乗合馬車のことは次男が仕切ってるって話だけど、普段は侯爵と一緒に領地の館にいるんだろ。親父さんの目が光ってるのに、無理じゃないか?」

 リーファが首を捻ると、シンハが苦笑をこぼした。

「同居と言っても館は広いぞ。それに息子もいい歳だ。事業の報告は受けるにしても、親が私生活に踏み込む事はないだろう。隠し事はいくらでも出来る……いずれにせよ、モラーファでの調査は侯爵自身の名で警備隊に命令を出してくれるそうだから、次男が一枚噛んでいるとしても問題ない。少しばかり日数はかかるだろうがな」

 そこまで言って、彼はふと表情を消した。冷たい鋼のような気配がその身を覆う。

「案外、探すまでもなく出てくるかも知れん」

 独白のようにつぶやかれた言葉には、感情らしきものの欠片もなかった。

 滅多にないシンハの態度に、リーファは言葉に詰まって目をしばたたいた。こういう時の彼は、貴族や豪商を中心とした欲望渦巻く世界を、玉座の高みから冷ややかに見下ろしているのだと感じられる。

 その胸中は本人にしか分かりはしないのだが、それでもリーファは、彼の足元に広がる不毛の荒野が見える気がして、言いようのない怒りを覚えるのだった。

「それってつまり、鞄を奪ったのが、ただの食い詰めた盗人じゃないかも、ってことか」

 リーファが不機嫌に確かめると、シンハはうそ寒い気配を消して、いつものように軽く肩を竦めた。

「まだ分からんがな。だがもし俺の読みが当たっていれば、近いうちに解決するはずだ。単純な金目当ての追い剥ぎなら、おまえや六番隊が探しても手がかりさえ得られないのは、どう考えてもおかしい。ともかく、今日はもう休め。そんな疲れきった様子では頭も働かんだろう」

「……分かったよ。今日のところは大人しく引き下がってやらぁ」

 渋々ながらもリーファはうなずいた。実際、足は棒のようだし、ちょっと気を抜くとこのまま倒れこんで寝てしまいそうなぐらい疲れているのだ。もう少し考えれば、シンハの『読み』の内容を推測するぐらいは出来そうな気がするのだが。

「くっそ、今に見てろよ……」

 漠然と見えない敵に対して唸りつつ、足を引きずるようにして部屋を出かけたところで、

「リー」

 温かい声で呼びかけられて、思わずぴょんと飛び上がった。振り返ると、ロトがまだソファに沈み込んだまま、苦笑まじりに手を挙げた。

「お疲れ様、また明日」

「っ……お、ぉう!」

 無理に答えた声は、調子外れの笛よろしく裏返っていた。シンハがふきだし、リーファは真っ赤になる。それでも彼女はなんとか笑顔を作って見せるのに成功すると、ぎくしゃくと妙な足取りで、それ以上の奇態をさらす前に退散したのだった。


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