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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
想いの証
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二章 西方より来る (3)


 そんなわけで、盗難届の作成は取り調べの気配を帯びることになった。

 一般市民の場合なら、盗られた物の外見や特徴と、中に何が入っていたか、本来の持ち主はどこの誰であるか、といった一連の事柄を、専用の帳面に記入すれば終わりだ。しかしザフィールの場合はそれだけでは済ませられなかった。

 鞄は革製、両肩にかけて背負える形のもの。中身は着替えなど身の回りのもの、小銭が少々。そして一番大事なのは聖典と、もうひとつ。

『覚え書き?』

『ええ、これまでに訪れた町や村で、様々な風物を書き留めたものです。サジク語なので、こちらの人には落書き同然かも知れませんね。取り戻せなかったら、記憶があやふやにならないうちに、急いで書き直さなければなりません』

『それは……何の為に、ですか。そもそも司祭様は、どうして東方への旅を、たった一人で始められたんです?』

 リーファが慎重に問うと、ザフィールはベッドに横たわったまま、穏やかに答えた。

『カリーアの教えを奉ずる我々でも、中には少数ながら様々な意見立場の者がいます。私もその一人で、主を信じる心に嘘偽りも疑いもないことは誓って本当ですが、教会のあり方には疑問を抱いていました。“竜の背骨”の向こうから交易商人がもたらす恩恵を受けていながら、東方世界をひとまとめにして、神を知らぬ蒙昧な蛮族の地とする、そんなあり方にね。だから、自分の目で確かめ、本当の姿を記録しようと決めたのです。……中部にいた頃は、書きためたものを商人に託して、故郷の仲間のもとへ届けてもらっていたのですが、東方に近付くにつれ、それも難しくなって……まあ、仲間に送ったものも、もしかしたら誰かに見付かって焼き捨てられているかも知れませんが』

 そこまで言って少し休み、彼はふと微笑んだ。

『教会の上層部にも、一人二人は変わり者がいて、東方との関り方を模索しておいでです。しかし残念ながら、彼らの力はとても弱い。私の旅立ちに資金援助だけはしてくれましたが、道中の安全や、得られた情報の行く末については、何の保証もされませんでした』

『国の命を受けた密偵ではない、とおっしゃるわけですね』

 疑惑を見破られたリーファが苦笑すると、ザフィールは小さくうなずいた。

『今までにも何回か、そのような疑いをかけられ、追及されましたからね。あなたの立場なら当然のことです、そんな顔をしないで下さい。あなたが納得できる理由をもうひとつ、お教えしましょう。……私が旅立ちを決意したのは、カフィラ司祭の影響です。あなたの“司祭様”と同じ人物かどうか、確証はありませんが』

『…………』

『かつてナヴァの町にいたその司祭は、神の家に幾度となく不浄の者を招き入れ、淫らな行為に及んだ、との告発により囚われました。最後には獄死されましたが、それまでに、審議で激烈な論駁を行い、獄中で力を振り絞って己が信念を書き記されたのです。本来そのような記録は抹消されるところですが、さきほど言ったような変わり者のお一人が、密かにそれを保護され、一部の者らが読めるようにはからって下さった……それが、私の心を固めたのですよ』

『どんな事が、書かれていたんですか』

『告発は事実無根であり、自分は迷える魂を光のもとへ導いただけだ、と。穢れを忌んですべての扉を閉ざしておいて、いったい何を救えるというのか。手を差し伸べさえすれば、素晴らしい可能性が芽吹くというのに……そんな内容です。教会に迷い込み、最初は聖典を金目のものとしか見なかった浮浪児が、ほんの少し道を示しただけで、どれほどの変化を見せたか……つぶさに記されていましたよ』

 ああ、とリーファの唇から嘆息がこぼれた。

 それは、自分だ。記されたのが実は似た境遇の別人だとしても、存在としては同じ。

 つかのま目を閉じると、古い記憶が次々によみがえった。

 まだほんの子供だった頃。日々お馴染みの親兄弟の暴力から逃げて、ただ、その日だけはたまたま、いつもは行かない場所に逃げ込んだ。教会の小窓が開いていたのだ。そこには絶対、自分達の同類は入り込まないと分かっていたから、細い体ですり抜けた。

 清潔で静かな屋内は、彼女の日常とは別世界だった。見付かったら害虫扱いで殺されかねないのだが、幼い彼女にはそこまで認識できていなかった。

 人気のない礼拝堂に置き去りにされた聖典は、表紙に金の箔押が施されていて、とてもきらびやかに見えた。持って帰れば売れるだろうか。そう思って手を伸ばし、何気なく中を開いた。

(きれいだった)

 目に飛び込んできた色彩の衝撃は、十数年を経た今でも鮮やかに思い出せる。彩色された美しい飾り模様、整然と並んだ文字、たまに入っている挿絵。生まれて初めて、芸術というものに触れたのだ。とてつもない宝物を手に入れた、そう思った。

 だが持ち出そうとしたところで、司祭に見付かった。聖典を置きっぱなしにしていたと思い出し、慌てて片付けるために戻って来たのだ。汚いなりの子供が、祭壇のそばで大事な聖典を抱えているのを見て、司祭は目を丸くした。その表情もやはり、リーファの記憶に焼きついている。

『……知らなかったんです。聖典を盗んだりしたら、たとえ子供だろうと磔にされるだなんてね。それを、司祭様は教えて下さったんです。それは売り物にはならないよ、ここから持ち出したのがばれたら君が殺されてしまうよ、と……』

 懐かしむ口調で、独り言のようにつぶやく。

 怒鳴り声や金切り声が当たり前だった盗人の子供にとって、司祭の穏やかな声は一種の衝撃だった。しかも司祭はそう言って諭しながら、しゃがんで目線を合わせ、辛抱強く待ったのだ。

 ようやくリーファが半信半疑ながら聖典を台に戻すと、司祭は彼女を褒めてくれた。それもまた、信じられない出来事だった。盗みを大成功させた時でさえ、ぞんざいな褒め言葉ひとつないまま全部取り上げられるのが常だったのに、ただ本を元の場所に戻しただけで、褒められた上に頭を撫でられた。そんな馬鹿な、なんだこれは。

 当時の驚きを思い出して、リーファは苦笑を噛み殺した。生まれて初めて本当に目が開いたのは、あの瞬間だったかも知れない。自分がどれほど不毛の荒野にいるのか、ようやく周囲を“見る”ことが出来たのだ。

『それからちょくちょく、隙を見つけて教会に忍び込みました。司祭様は聖典が何なのか、何が書いてあるのかを教えて下さって、自分でも読めるようにと手ほどきをして下さったんです。たまに、少しだけ食べ物もくれました。少しだったのは、いきなり血色が良くなったら親に怪しまれると分かってたんでしょうね。だからって、まさか引き取るなんて出来なかったし』

『……そうでしたか。やはり恐らく、その方はカフィラ司祭でしょう。あなたの今の姿をご覧になれたら、どれほど喜ばれたことか』

 しみじみとザフィールが言ったので、リーファはわざとらしく咳払いした。これ以上湿っぽくなったら、また泣けてしまう。仕事だ、仕事をせねば。

『すみません、横道にそれてしまいましたね。とにかく、司祭様が旅に出られたのがそういう理由なら、確かに納得出来ます。だから、それはいいとして……盗まれたのは、どういう状況だったんですか? 王都に着いてすぐに?』

『それが……』

 そこで初めて、司祭は言い淀んだ。リーファが首を傾げると、司祭は仰向いて天井を見上げ、そこに答えが隠れているかのように視線を走らせた。そして、ため息をひとつ。

『よく、覚えていないのですよ。乗合馬車で王都まで来た事は確かなのですが、町に着く辺りからなんだか朦朧としてきまして。空腹のせいかと思ったのですが、違ったのかも知れませんね。馬車が止まって、誰かに腕を掴まれて降ろされた……その時には、鞄はもう取り上げられていたと思います。しばらく辺りをふらふらしていて、ようやく頭がはっきりすると、今度は飢えと渇きに耐えがたくなりましてね。水音をたよりに広場まで辿り着いたものの……あとは、ご承知の通りです』

『ということは、王都に入ってから引ったくりや置き引きに遭ったわけではないんですね』

 リーファは難しい顔で唸った。厄介な問題が出て来た。

 乗合馬車は大都市間を定期的に往復しているが、国王や各地の領主から認可を得た業者だけとは限らない。監視の目を盗んで安い運賃で客を乗せ、目的地に着く前に身ぐるみ剥いで荒野に置き去りにする――場合によっては殺して埋める、そんな悪徳業者も暗躍している。

『分かりました、警備隊の力だけでは調査が難しいので、近衛兵の協力を頼むことになると思います。もちろん、この町で出来る捜査はこっちでやりますが。犯人逮捕はともかく、鞄は取り返したいですからね。王都に来る前、どの街から馬車に乗られたんですか?』

 帳面に要点を記録しながら質問する。モラーファ、との返事を書き留めると、リーファはよしとうなずいて立ち上がった。

『それじゃ、すぐに調査にかかります。司祭様はここで休んでいて下さい。勤務時間が終わったら、城へお連れします』

『お城へ、ですか?』

 ザフィールが困惑顔で聞き返したので、リーファは、ああそうかと気付いて説明した。

『オレ……じゃない、失礼、私は、王立図書館の司書の養子になったんです』

 母語だと、どうしても地金が出やすくなってしまう。まともな言葉遣いを学ぶ時間があまりなかったからとは言え、これでは司祭のエファーン語を怪しめた義理ではない。ごほんと咳払いして取り繕う。

『それで、城内に住まわせて貰ってるんですよ。隊長が知らせをやってくれるそうなので、司祭様の部屋も用意して貰えるはずです』

『それは、それは……勿体ないお話ですね』

『まぁ、城って言っても部屋は色々ですから。遠慮しないでください』

 リーファは苦笑し、それでは、と言い置いて部屋を出た。

 途端に興味津々の目が集まり、リーファはおどけて大袈裟に驚いて見せた。話を聞きたくてうずうずしている本部隊員達をあしらい、まずは隊長室へ報告に行く。

 ディナルはリーファの顔を見るなり、しかめっ面で低く唸った。

「どうだ、奴さんは」

「真っ白ですね。この仕事をやってるとなかなかお目にかかれない類の人間です。信じる神が違うだけで、こっちで神官やってても不思議じゃありません。乗合馬車で鞄を盗まれたようだという話ですが、モラーファってどこです?」

「シャーディン河の下流にある街だな。こことラウロの中間辺りだ。奴さんはそこから来たのか」

「とりあえず、馬車に乗ったのはそこからってことです。業者を調べたら、ついでに供述の裏も取れますね」

 リーファは白々しい口調で付け足し、どうせまだ疑ってるんでしょう、と匂わせる。ディナルはムッとなって頬に朱を加えたが、怒鳴るのは堪えた。忌々しげに歯噛みし、六番隊に行って故買屋を当たらせろ、とだけ命じる。リーファは慇懃に敬礼してから、素早く逃げ出した。隊長の怒りの限界を見極めるのも、隊員の重要な技能のひとつ、というわけなのだった。


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