二章 西方より来る (1)
「よう、園遊会はどうだった、お姫様! 豪勢なメシ食って、遊び疲れたか」
本部に出勤した途端、休みの理由を知っている仲間にからかわれた。リーファは苦笑いで名札を表返しつつ応じる。
「踵の高い靴を履いて、それでもひきずるぐらい裾が長い、しかも胴回りはぴっちり締め付けるドレスを着て、愛想笑いで一日過ごしてみやがれってんだ。世の貴婦人に対する認識が変わるぞ。なんであんな格好で毎日過ごせるのか、考えると怖くなっちまわぁ」
「ははは、そう言われてみりゃ確かにな。同じ女のおまえでも解らん世界、か。そうそう、女といえば、今日から新入りが来てるぞ。上で待ってる」
「えっ……それって、葬儀屋の? 女なのか」
「正規の隊員じゃないからな。ディナル隊長は兄貴か弟が来るもんだと思ってたらしくて、机を投げ飛ばしそうになってた」
「うぇ」
「大丈夫さ、今は各隊長との会議で奥にこもってる。出てくる頃にはおさまってるだろう。早く上に行ってやれよ」
言われて、おっとそうだ、とリーファも気を取り直す。初めての職場で、しかも来るなり責任者の激怒を浴びせられたとなったら、心細さのあまり逃げ出すかもしれない。検死の手伝いをしようなどという奇特な人材を、あたら失うわけにはいかないのだ。
リーファはせいぜい愛想よく見えるよう、無害そうな笑みを作りながら階段を上った。
「ぅはよーございまーす」
いつもの挨拶をしながら戸口をくぐると、室内の人物が二人揃って顔を向けた。一人はジェイム=ツァーデ、似顔絵描きから検死報告書の作図までこなす隊員だ。そしてもう一人、地味な灰色の服に身を包み、くすんだ茶色の髪を一本の乱れもなくきっちりひとつに結った、いかにも真面目で謹厳そうな娘。
ジェイムが娘を羽ペンで示し、「新入り」と素っ気なく紹介する。娘の方も、にこりともせず頭を下げた。リーファはどう反応したものか分からなくなり、その場に固まってしまう。怯えているだろうから優しく、などと予想していたのが、完全に外れた。
「えーっと……」
曖昧にもにょもにょ言いながら、リーファは娘に歩み寄って手を差し出した。
「初めまして、ようこそ警備隊へ。もう誰かから聞いたかも知れないけど、オレはリーファ=イーラ、週の半分ぐらい本部で、残り半分は四番隊で詰めてるんだ。よろしく」
下手に敬語を使うのはやめておいた。どうせここで一緒に仕事をするとなったら、いちいち遠慮してはいられまい。娘はぞんざいな口調にも眉ひとすじ動かさず、静かに会釈したのち握手を返した。
「ヘレナ=モーラです。ご存じの通り葬儀屋ですので、ご遺体の扱いには慣れております。何でもお申し付け下さい」
抑揚のない口調にも、伏目がちで動きの乏しい顔にも、いっさい感情が表れていない。リーファは目をぱちくりさせ、困惑に首を傾げた。どうやらこれは、愛想笑いも気遣いも、はなから無用だったらしい。
「……んじゃまず、その口調はやめて貰えないかな。オレ、あんたんとこの客じゃないんだし」
「すみません。長年の習慣ですので」
「…………そっか。とりあえず、そっちの机を使ってくれたらいいから、座って」
鼻白みつつ予備の机を指し、椅子をすすめる。ヘレナは黙ってちょこんと行儀良く座り、人形のようにじっと動かなくなった。
リーファは助けを求めてジェイムを見たが、彼は自分の仕事に集中しており、顔を上げもしない。寄るな触るな声をかけるな、と背中から声ならぬ声が立ち昇っている。リーファはため息を堪え、ヘレナの傍に自分の椅子を引き寄せて座った。
「大体どういうことをするかは、聞いてるかい」
「はい。ご遺体を整えて、傷の有無や付着物を調べて記録するのですね」
ヘレナが応じ、リーファも「そう」とうなずいた。検死と言っても大方の場合、行うのは普通の葬儀の手順と大差ない。外側を一通り調べて終わりだ。それ以上の事――たとえば胃の内容物だとか、臓器の状態だとか――を調べるのは、よほどの理由があり、かつ遺族の承諾が得られた場合に限られる。もっとも、そこまでしても、過去の事例が少ないので明確な判断が下せなかったりするのだが。
「あんたは遺体を見慣れているから、もし“普通”じゃない点があったらすぐ気付くと思うし、そういう場合は遠慮しないで教えてくれ。逆に、よくある“普通”の事でも、記録を省略したりしないようにな」
「はい」
「そうだ、建物の中はもう案内してもらったかい? どこに何があるか」
「いいえ」
「……んじゃ、ちょっと一回りしようか」
会話の間が持たない。リーファはやりにくさを感じながらも、ヘレナを連れて本部の中をぐるっと回った。予備の制服やインクなど備品を収めた部屋、出来れば入りたくない隊長室、各隊長が集まって情報交換や打ち合わせを行う会議室。夜勤隊員のための仮眠室に、地下の氷室。裏口から出ると、洗い場や留置所がある。
「正面から大っぴらに出入りしたくなければ、この裏口から出て、この路地からあっちへ抜けたら、広場に出るから」
「はい」
何をどう言っても、ヘレナは相変わらずの無表情。あまりにも反応が無いもので、リーファは困って頭を掻いた。ちょうど屋外にいることだし、他の隊員に邪魔されないうちに聞いておこうと決めて、小声でささやく。
「……あのさ。もしかして、本当はこんな仕事、したくないのかい?」
「いいえ」
ヘレナはやはり無感情に答えたが、さすがに説明の必要を感じたらしい。少し考えてから、ぼそぼそと言葉を続けた。
「家業は兄が仕切っておりまして、人手も足りております。私はご遺族のお相手をするのが不得手で、以前から、ご遺体のお清めだけしていられる方が良いと希望しておりました。どのみち、葬儀屋の娘では嫁の貰い手もありませんし、これまでの経験を生かして収入を得られるこの仕事は、大変ありがたく存じております」
「……でも、来るなりディナルのおっさんにめちゃくちゃ怒られたんだろ?」
「ご不満の様子でしたが、きちんとお話ししてご理解いただきました」
「そ、そう……か……」
何をどう“お話し”したらあの熊男を納得させられるのか、いつも怒鳴られる一方のリーファには見当もつかない。
話の接ぎ穂がなくなって、リーファは目をしばたたきながら無意味に辺りを見回した。と、ヘレナが独り言のようにつぶやいた。
「お気遣いなく」
「へ?」
「これが私の“普通”です。不機嫌でも、不安や不満なのでもありません」
「そうなのか?」
思わずリーファはぽかんと聞き返し、相手がこくりとうなずいたのを見て、一気に力を抜いた。
「なんだ、そっか。んじゃあ、ここまでで何か訊きたい事とか分からない事とか、ないかい」
けろっとしてリーファが問うと、ヘレナは数回瞬きしてから、ちょっと考えるそぶりを見せた。そして、ふるふる、と小さく首を振る。だよな、とリーファは苦笑いした。
「分からない事があるかどうか、分かるぐらいなら苦労しないよなー。まぁまたおいおい、色々と出てくると思うけどさ。そん時は何でも訊いてくれよな。オレも葬儀屋の仕事はあんまり知らないから、あれこれ質問すると思うけど、面倒がらずに教えてくれると助かるよ。よろしくな」
「……はい」
こく、とうなずいたヘレナの表情が微妙に今までと違ったのは、リーファの切り替えの早さに呆れたのだろうか。その変化に気付いたリーファは、なんだ、よく見ればちゃんと分かるじゃん、と一人上機嫌になった。
「よし、外に出たついでに、広場まで行こう。屋台が何か出てるといいんだけどな。そうだ、あんた昼飯はどうするつもりだい? だいたい皆、屋台で食ってるけど」
「そう……ですね。家から何か、持ってきても構わないのでしょうか」
「弁当? ああ、もちろん。奥さんの手作りとか、家の近所の店のとか、用意してくる奴もいるよ」
話しながら細い路地を抜けて、二人は中央広場に出た。王都で一番大きな広場だけあって、大勢の人が行き交っているにもかかわらず、視界が一気に開ける。リーファは目蔭をさして、行きつけの屋台がいつもの場所に出ていないか探した。
「うーん、このぐらいの時間には大体、出てるんだけどな。今日は遅いのかな」
また昼時に出直すか、と諦めて視線を手前に戻す――その途中で、妙なものが目に入った。
何だあれは。
リーファは動きを止め、眉を寄せてそれを睨む。広場の中央、噴水の縁に引っかかった、黒っぽいボロ布のような何か。この距離であの大きさということは、ただのゴミということはあるまい。
もしかして、とリーファは嫌な予感に顔をしかめた。
「行き倒れか?」
つぶやいた声につられるように、隣のヘレナもリーファの視線を追う。
この王都でも、路地裏で冷たくなっている不運な遺体を見つける事はあるが、ごく稀だ。貧しく治安の悪い地区、あるいは日暮れてから賑わう類の繁華街で、たまに出る程度。それも大抵は何か揉め事の結果で、単純に飢えだけで行き倒れたものはまずない。神殿に行けば最低限の保護は受けられるし、貧者の間には互助のつながりがあるからだ。
あそこにへばりついているのが、それらから完全に漏れた、きわめて運の悪い人間だとしても、
「よりによって広場のど真ん中ってのはないだろ……」
誰かせめて本部まで知らせに来いよ、と頭を振りつつ、リーファは噴水へと歩き出した。死んでいるのか生きているのか、はたまた人騒がせな悪戯か。何にせよ、これも仕事だ。
近付くにつれ、ボロ布の塊は人間らしい形に見えてきた。通りがかった人々は、それに気付いていないか、気付いても横目に見るだけで、近寄ろうとしない。
いかに面倒事を嫌う都会の住人とは言え、親切あるいはお節介な誰かが手を差し伸べても良さそうなものだ。それが今日に限って一人も居合わせなかったというのなら、この行き倒れは一体どれほど不運なのか。
心中同情しつつリーファはそばまで歩み寄り、
「……え?」
誰も関ろうとしなかった、その理由を知った。
倒れているのは、旅行用の外套に身を包んだ、恐らく成人の男。外套はすっかり汚れて元の色が分からないほど黒ずんでおり、そして、男の髪はそれと同じ色をしていたのだ。
(黒髪……な、わけ、ないよな)
東方では、生命神か太陽神の加護を特別強く受けていない限り、漆黒の髪をした人間はいない。もしこの男がそうなら、こんな所で行き倒れているはずがない。ということは、
(まさか、西方人なのか?)
中部地方と行き来する交易商人の中には、西方の血がまじっていて濃い色の髪を持つ者も少なくない。それが塵埃に汚れてこうなったのだろうか。
「……、…………」
微かな声が耳に届き、リーファはハッとなって男の傍らに膝をついた。生きている。さっきからずっと、彼は何か独り言をつぶやき続けていた。知らない者にとっては意味不明の音の連なりを、何度も繰り返して。
狂人だと思われても仕方のない有様だった。髪の色に加えてこれでは、誰一人、助けようとしなかったのも責められない。リーファは自分が何を前にしているのかが信じられず、震えながら手を伸ばした。
ゆっくり肩を抱き起こし、外套の襟元を緩める。下から覗いた服に、記憶と同じ刺繍が確かにあるのを認めた瞬間、リーファの意識は遠い過去へと一気に引き戻されていた。
『司祭様?』
長い間使っていなかった母国の言葉が、雨滴のように零れ落ちる。それに打たれた男は、ぱちりと目を開け、彼女を見上げた。痩せこけた顔に、驚きが、次いで歓喜が広がる。
『感謝します、アシェラフィー様』
かつて預言者カリーアを導いた天使の名をつぶやき、男はふっと意識を失った。リーファは彼の肩を抱いて、放心したように座り込んでいた。