一章 園遊会 (4)
会が終わって客が帰った後も、主催側の仕事は終わらない。
使用人が忙しく片付けに奔走するかたわら、国王と秘書官は執務室で一日の総括をしていた。誰と誰が出席し、貴族たちの間にある関係がどのように変化していたか、いなかったか。気がかりな会話や取り合わせはなかったか。リーファの観察した結果は。
そうした諸々の情報を整理した後、「それで」とロトが切り出した。
「結局あの後、リーと二人してどこまで脱走していたんですか」
「聞いて驚け、畑だ。菜園まで逃げていたぞ。だが偶然そこで、面白いことがあった」
「……?」
「モルフィス侯爵夫人がいた。辺境伯の、上の娘だ」
「と言うと……今まで一度も貴族の集まりには顔を出したことがない、あの方ですか。なぜ急に?」
ロトは眉をひそめ、人の耳に入らぬよう、声を低くする。シンハもやや抑えた調子で応じた。
「一応、カスミの菜園がまだ残っていると聞いて是非一度見たいと思った、という理由は用意してあった。実際にも本人はその方面に詳しいようだな。おかげで、あの人が隠したきりになっていた俺の“王”を見つけたよ」
言って彼は小さく笑いをこぼし、きれいに拭いて机上に置いていた駒を取り上げる。ロトは興味深げな目をしたが、それについては言及せず、別の事を訊いた。
「一応、ということは、別の目的があるとお考えですか」
「……あまり嬉しくない目的だがな。レウス殿が俺に直接、後の事は頼むとおっしゃった」
「えっ」
思わずロトは頓狂な声を上げ、シンハに苦笑されて赤面した。
「失礼、予想外だったもので。でもレウス殿が、ですか? 私はお会い出来ませんでしたが、まさか何か病を?」
「そういう様子ではなかったが、冗談まじりに、そろそろ寿命だというような事を何度か口にされた。外にあらわれない変調を感じておいでなのかもな。あの凶悪なしごきにやられた身としては、正直とても信じられんが」
シンハは面白そうに昔のことを持ち出したが、「しかしまぁ」と急に日が落ちたような声になって、つぶやいた。――歳は歳だからな、と。ロトも目を伏せ、しんみりとする。
ややあってロトが咳払いし、気を取り直した。
「そういう事でしたら、私の方でも心構えをしておきます。必要な手をすぐに打てるように」
「ああ。頼む」
「ですが本当にそれで良いのでしょうか? 辺境伯とモルフィス侯の間で取り決めが交わされたのは、もうかなり昔でしょう。ご令嬢……今は夫人ですが、本人の意志も変わっているかもしれませんよ」
「その辺はリーが聞き出せるだろう。気になって仕方ない様子だったから、俺の口から説明は出来んが色々訳ありなんだ、知りたければ本人にそれとなく尋ねてみろ、と言っておいた。侯爵夫人の方には、いつでも菜園を見に来て良いと言っておいたから、そのうち顔を合わせるだろうさ」
シンハは肩を竦め、ロトの複雑な顔を見て言い足した。
「俺やおまえが夫人に尋ねたら、要らん気を回させるだろう? リーなら女同士だし、身分も関係ない。幸い夫人はリーに対して好意的だしな」
「……楽しい会話が弾んだようですね」
「初対面なりに、だがな」
「いえ、そうではなく」
暗い声で遮られ、シンハは戸惑いに目をしばたいた。次いで、彼の表情から察しをつけ、困ったように無言で頭を掻く。
気詰まりな沈黙の末に、ロトがため息をついた。
「やはり、彼女にとってはあなたといる方が良いのでしょうか」
「…………」
シンハは即答せず、さらにしばし沈黙してから、静かに切り出した。
「ロト、おまえが秘書官の任を受けると決めた時、俺に何と言ったか覚えているか?」
「は?……ぁ、それは、もちろん。覚えています、若気の至りですから今更聞かせないでください」
一瞬きょとんとしたものの、自分の台詞を思い出したロトは大慌てで止めにかかった。だがシンハは意地悪く笑って、
「覚えているなら、俺の記憶が正しいかどうか確認してくれ」
などと前置きし、赤面するロトの前でゆっくり言った。
「一番の臣下である秘書官として、常にそばにあって支える、そう言ったな?」
「ええ、ええ、言いましたよ! あなたが隠し事や単独行動をしないと約束するのが条件だ、と言いました! 私としてはそっちの方をしっかり覚えておいて頂きたかったのですが!」
照れ隠しで怒ったロトに、シンハはおどけて首を竦める。
「約束は守っているつもりだがな。そう、その理由だよ。あの時におまえは、俺が予想もしなかったことを言ったんだ。俺を支えるだけでなく、『必要な時にはためらわず犠牲にすることが出来る、そんな存在になる』、だから守ろうだとか、身の為だとか勝手に決めて隠し事をするな、と」
「……若気の至りですって……」
勘弁して下さい、とロトはうなだれ、片手で顔を覆う。シンハも苦笑し、
「まあ、確かに少々大仰ではあるな」
一言からかってから、真顔になって続けた。
「リーの奴も同じだよ。しばらく前にあいつと話した時、やっと分かった。あいつはおまえほど上手く言葉には出来なかったが、しかし……もしも俺があいつを助ける為に、俺自身や王としての務めを犠牲にしたなら、激怒して、それからどん底まで落ち込むだろう。そういうことだ」
「…………」
「それはまぁ、あいつは女だから、お互い全く意識しないというわけにはいかないが。だがもし、ただの男女の感情が勝っていれば、何の見返りもなく全てを差し出すとまでは言えまいよ。恋愛というやつは打算的だからな。だから、あいつの想いは別物だ」
しばしロトは複雑な顔で黙りこんだ。恋愛感情ではないと言われて安心するには、色々とあまりにもややこしすぎる。最終的に彼は渋面になって、深いため息をついた。
「普通なら、想いを寄せる女性が別の男に全てを捧げるつもりでいるだなんて、我慢ならないところなんでしょうけどね。正直なところ、今、自分の地位がリーに脅かされていることに慄きました」
「心配するな、誰も犠牲にしたりしないさ」
「その『誰も』に、ちゃんとご自身も入っているのなら安心出来るんですが。やれやれ……。話を戻しますが、もしリーが夫人から聞き出さなかった場合には、私の方から探りを入れても構いませんね?」
「ああ。何か分かったら、俺だけでなく辺境伯にも知らせてくれ。向こうも色々と思惑があるだろうからな」
「承知しました」
ロトは一礼すると、何か言いたそうな目でじっとシンハを見つめた。が、結局そのまま、ではこれで、といつも通りの態度で部屋を辞する。不可解な気分を置き土産にされたシンハは、ベッドに入るまでずっと、あの顔つきは何だったんだろう、と悩み続けるはめになったのだった。