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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
17/66

後日談 (1)



「リーちゃん、ちょっとこっちおいで」

 女中頭のテアに厳しい顔で手招きされ、帰って来たばかりのリーファは制服のまま、使用人食堂に連行された。テーブルには水差しとビスケットが既に用意されている。立ち話では済まないというしるしだ。

 不吉な予感にリーファはたじろいだが、テアはお構いなしに強い口調で命じた。

「さ、そこに座って。……何の話か、もう分かってると思うけど」

「えっ。な、何の話かな?」

 恐る恐る腰かけながら、リーファはあらぬ方へ目をさまよわせてとぼける。テアが隣に座り、体を横に向けてリーファに向かい合った。

「あんたが陛下に連れられてこの城に来てから、もう五年になるかねぇ。早いもんだよ。最初は言葉も通じないし、まともな暮らしってものをなんにも知らなくて、一から十まで教えなきゃならなかったけど」

 しみじみと述懐されて、リーファは縮こまる。

「テアにはいっぱい世話になって、本当に感謝してるよ」

 言葉は養父が教えてくれたし、シンハやロトも時間が許す限り色々と付き合ってくれたが、流石に生活上の細々したことまでは手が回らない。特に、女に特有の問題だとかは。そういったことは、全部この女中頭が面倒を見てくれたのだ。

 テアは温かくも厳しいまなざしで、じっとリーファを見つめた。

「母親を気取るつもりはないけどね、感謝してるってんなら、困った事はあたしに相談してくれたっていいんじゃないかい」

「……そんなにオレ、困ってるように見えるかな」

「アラクセスさんから遠回しに頼まれたんだよ。娘らしい悩み事が出来たようだから、相談相手になってやって欲しい、ってね」

「うぐ」

 喉に石でも詰まらせたかのように、リーファは呻いて赤くなる。テアは水を注いでやりながら、なるたけ淡々とした声を保って続けた。

「今度の経緯(いきさつ)は知らないけど、前からあんたを見守ってきたからね。いずれ、困ったことになるだろうと予想はしてたよ」

 ほら、とテアはコップを渡し、リーファがごくごく飲むのを見届けてから質問した。

「それで、何があったんだい。具体的なことを話せないんなら、せめて、ここしばらく陛下やロト君から逃げ回っている理由を教えて欲しいね。陛下がすっかりしょげてらして、お気の毒だったらないよ」

「えっ。しょげてるって、あいつが?」

「口にはされないし、露骨な態度も見せられないけどね。長年お世話しているんだから、様子が違うことぐらい分かるよ。……もしかして、陛下に何かされたのかい?」

 ささやいたテアの表情は深刻だ。好奇心などではなく、真剣に心配しているらしい。女中の娘が近衛兵に尻を触られたとか、そんな話であったら詰所に乗り込んで一発ぶん殴ってやれば済むが、何しろ相手が相手だ。

 テアの懸念が分かり、慌ててリーファは首を振った。

「違う違う、んなわけないって!!」

「じゃあ、ロト君かい」

「ぐっっ」

 奇声を発して息を詰め、次の瞬間盛大にむせて咳き込む。おやまあ、とテアは呆れて目を剥いた。そして、何とも言えずにやれやれとため息をつく。長らく片恋で、見ているこっちがじれったいなどと思っていたのだが。

「普段が真面目で奥手な子ほど、いきなりすっ飛ばした事をしちゃうもんなのかねぇ」

「ちっ、ゴホッ、違っっ、何考えたのかはともかく、違っっ!! げほげほげほ! 大袈裟なことじゃないよ!!」

 叫ぶように否定して、リーファはまた水を飲んだ。ロトの名誉のためにも、ここはきっちり誤解のないよう説明しておかねば。しばらくかかって呼吸を整え、はあ、と一息。

「……本当に、大したことじゃないんだよ。ただその、ちょっと……ちょっとした事があってさ、それで、その……なんか、えーと、つまりその……今更だけど、」

 あいつら男なんだよなぁ、って。

 ほとんど聞き取れないほど小さな声でぽそりとつぶやき、リーファは真っ赤になって袖をいじりまわす。テアがぽかんとなった。

 リーファはいたたまれず、うつむいて早口に言い訳がましく続けた。

「今までそういうの、あんま、考えたことなかったからさ。気になっちまったら、その、落ち着かなくて、それで顔を合わせづらくってさ」

「……それだけ?」

 信じられないものを目にしているように、テアは疑惑に満ちた声で確認する。改めてそう訊かれると、リーファも我ながら自分が馬鹿のように思えて、別の意味で恥ずかしくなった。

「うん。それだけ」

 消え入りそうな風情で答えたリーファに、テアはお手上げの仕草をしつつ天を仰いだ。ロトも大概だと思っていたが、さらなる上手がいたとは。これはもう、どうして良いやら。

「だ、だだだだってさ!!」

 思わずリーファはむきになって弁解した。

「あいつらいっつも親切だし、格好いいし強いし頭良いし仕事出来るし、なんかもうほらっ、すげーじゃん!? オレずっと、追いつきたいとか役に立ちたいとか、助けになりたいとか思ってきたけどっ! でもそーゆーのとは違う目で見たら、こう、……うあ゛~~~!!」

 自分で言って羞恥の限界に達し、喚きながら頭を抱えて突っ伏す。テーブルの下で足がバタバタ暴れた。

 と、間の悪いことに、女中が一人そこへやってきた。戸口をくぐるなり絶叫に迎えられ、彼女はぎょっと立ち竦む。いつぞや小銭紛失の件で関り合いになった、フェイミアだ。

「何の騒ぎです?」

 こんな所で、と、相変わらず少しきつい物言いで訊いた彼女に、テアは何でもないよと応じた。

「こっちのこと。気にしないどくれ。休憩するのかい?」

「いいえ、ちょっとお水を飲みに来ただけですけど」

 答えながらも、フェイミアは不審げに、テーブルに突っ伏す謎の物体をじろじろ見ている。視線を感じたリーファは情けない顔を上げ、相手が誰だか認めて、あ、と声を漏らした。

「フェイミア……だっけ。久しぶり」

「どうも。ねえ、何やってるの? 今日のあなた変よ」

 ずばりと言われて再び沈没するリーファ。横でテアが咎めるまなざしを向けた。

「そっとしておいておやり。あんたも、恋してる自分がどんなに痛々しいかぐらい、身に覚えがあるだろ?」

 ごふ、と呻いたのは言われた当人ではなく、リーファだ。他人の口から恋だとか言われると、かなりの破壊力がある。

 意外な事情を聞かされて、フェイミアは目を丸くした。棚からコップを出して、水差しの所へ――二人のそばへと歩み寄り、興味津々と焦茶の頭を見下ろす。

「驚いた、あなたでも人並みに混乱しちゃうんだ? 気をつけなさいよ、舞い上がってると相手の欠点なんか見えやしないんだから、変な男にひっかかるわよ。経験者が言うんだから説得力あるでしょ」

「……助言ありがとう」

 もそりとリーファは顔を上げ、色恋沙汰の先輩に視線で縋りついた。

「っていうかさ、そもそもそういう話なのかどうかも……自分でわかんねーんだよ。その、す……好きなのかどうかが、さ」

「あらま。だったらそれこそ、こんな所で突っ伏してたって解決しないじゃないの。どんどん近付いてみたらいいのよ、それこそキスでもなんでもやっちゃえば、好きか嫌いかぐらい分かるって」

 けろりと言われて、リーファは動転のあまり椅子から転げ落ちた。本当に落ちるつもりはなかったが、意図したよりも派手にのけぞってしまったのだ。床に尻餅をついたまま、彼女は真っ赤になってぶんぶん首を振った。

「むむむむ無理無理無理!! 絶対、無理っっ!!」

「何も本当にひっくり返らなくてもいいじゃないの。まさかその歳で、経験ないわけじゃないでしょ」

 大袈裟ねぇ、と呆れながらフェイミアは水を注ぐ。リーファはまず椅子を立て直し、それに縋ってよろよろ起き上がった。

「……ないよ」

 ぽそりと告白の言葉が沈黙に落ちる。フェイミアとテアが揃って目をしばたたき、まじまじとリーファを見つめた。

「ないって、……まさか、本当に?」

 嘘でしょ、とフェイミアが訊く。リーファはむっつりと顔をしかめ、ぶつけた腰をさすりながら座りなおした。

「犯されたことは何回もあるけど。普通にキスとかそーゆーのは、……ない」

 不機嫌に唸って、自分のコップを抱え込む。頭越しに、テアとフェイミアが視線を交わすのが分かったが、言い繕う気になれなかった。

 気まずい沈黙に押し出されるように、フェイミアはそそくさとコップを片付けて出て行く。ややあって、テアが優しくリーファの背中をさすった。

「悪かったね。つらいこと思い出させて」

「…………」

 ふるふる、とリーファは小さく首を振った。そして、自分に対してため息をつく。

「こっちこそゴメン。テアにまで心配させちまって、駄目だよなぁ。ちゃんとしねーと」

「無理しなくていいよ。でも……そうだね。フェイミアの言うことも、一理あるかもしれないねぇ」

 しみじみと言ったテアに、リーファは胡乱な目を向ける。テアは苦笑を返した。

「照れて逃げ回っていても解決はしない、ってこと。手をつないだりキスしたり、そういうことをね、すぐにしろとは言わないけど、試してみるのもひとつの方法じゃないかしらね。考えてるのと実際は違うってのもあるんだし……これは経験から言うんだけど」

 そこで彼女は、恥ずかしそうに目をそらし、遠い記憶を探すように宙を見つめた。

「今はこんなおばちゃんだけどね、あたしもほんの小娘で、色気づき始めたばっかりの頃があったんだよ。友達とも、格好いい男の子の噂とか、誰と誰がキスしたとかしないとか、そんな話ばっかりしてて。あたしもそういうのに憧れて、のぼせ上がってた。で、その勢いで、一人の男の子とキスしてみたことがあるんだよ。結果はもう、ひどいもんだったね。その子のことなんか好きでもなんでもなかった、ってその瞬間に悟ったよ。気持ち悪かったし、その後かなり長いこと、相手にはつきまとわれるし、友達や近所の子にはからかわれるし、馬鹿やった自分が情けなくってねぇ」

 泣いてばっかりだった、とテアは首を振った。そして、手を伸ばしてリーファの頭を優しくぽんぽんと撫でる。昔の自分を慰めるかのように。

「だからね。あんたも、思い切って行動してみたら、自分の気持ちが見えてくるかもしれない。結果がどうなっても、あんたの場合は相手もちゃんとした大人だから――あの二人なんだろ? どっちかは知らないけど。だから、後々面倒なことにはならないと思うよ。何かあったとしても、あんたには味方が沢山いる。あたしもアラクセスさんも、あの山羊爺さんだって、あんたを贔屓にしてるんだからさ。ちゃぁんと、皆で受け止めてあげるよ」

「……ありがとう」

 思いがけず家族愛めいたものを注がれ、リーファは照れくさそうに礼を言った。瞼が熱くなっているのをごまかすように、へへ、と顔いっぱいに笑みを広げる。

「オレ、普通の母親ってのがどんなのか知らないけどさ。テアがオレの母さんだったらいいなって、今、思った。本当、ありがとう」

「何言ってるんだい、この子は」

 今さら水臭いね、と笑いながら、テアはぎゅっとリーファの肩を抱きしめてくれた。

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