表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
16/66

九章 (2)

 新しい部屋を整えるのに一日費やし、リーファは城に帰ると急ぎ足にいつもの部屋へ向かった。体はくたくたに疲れているのだが、気分が高揚して休む気になれない。

 ところが、残念なことに執務室の扉は閉まっていた。どうやら取り込み中のようだ。落胆したリーファは、途端に疲労に襲われて、その場に座り込んでしまった。

 壁にもたれて、はーっ、と大きなため息をひとつ。と、まるでそれが魔法の呪文だったかのように、扉がそっと開いた。

 おやと見上げると、ロトである。彼は訝しげに廊下を見渡し、それから妙な位置にあるリーファの頭に気付くと、慌てて一人分の隙間から滑り出た。

「お帰り、そろそろ来る頃だと思った。疲れているところ悪いんだけど、ここで行き倒れないでくれるかい」

 小声で話し、苦笑しながら手を差し出す。リーファは無意識にその手を取ろうとして、指先が触れる寸前、わずかに怯んだ。今まで感じたことのない気恥ずかしさが、動きをためらわせる。

 ロトはそんな彼女の反応に気付くと、申し訳なさそうな目をして、やや強引に手を掴んだ。そのままリーファを支えて立たせ、背後の閉じた扉をちらと振り返る。大事な話の途中なのだろう。流石にリーファも察して、なんとか自力できちんと立った。

「ごめん、後で出直すよ」

「いや、今日は多分無理だから。こっちで話を聞こう」

 おいで、と促され、リーファはしゅんと萎れてついて行く。ロトが気の毒そうに問うた。

「何か直接言いたい事があったみたいだね」

「んー……うん。でも、まあ、いいや。あいつならもう知ってるだろうし」

 ディナルに分析室設置を急がせたのがシンハなら、リーファの知らせを聞かなくても状況は把握しているだろう。案の定、ロトがああとうなずいた。

「新しい部署が出来たって話かい。早かったね」

「なんだ、あんたも知ってたのか」

 ちぇっ、とリーファは唇を尖らせる。ロトは苦笑して、自室の扉を開けた。

「僕もその場に居合わせたからね。どうぞ、そっちに掛けて」

 リーファにソファをすすめておいて、自分は水差しの盆を取ってくる。ふたつのコップに注いでから、彼は続けた。

「元々ディナル隊長も考えていたらしくて、思ったよりすんなり話がついたよ。今後は君も、おおっぴらに手腕を発揮できるだろうね」

「うーん、どの程度のことが出来るか、まだ分かんねーけど」

 リーファはありがたく水を頂戴し、少し飲んでから小首を傾げて考える。

「全部の事件について現場を見に行ったり、遺体を調べたりするのは、手が足りないから無理だし。今はまだ、上手いやり方をあれこれ模索したり、いろんな事例の記録を集めるっていう、土台作りの段階かな。でもまぁとにかく、ここまで漕ぎ着けたのは、あんたやシンハのおかげだよ。ありがとな」

 にこりとしたリーファに、ロトも微笑を返し、どう致しまして、と首を振った。

「君が諦めずに、ずっと努力してきたからこそだよ」

「そりゃ、もちろんそれもあるけどさ。でもやっぱり、オレが一人で頑張るだけじゃ、こうはいかなかったよ。何かある度に、あんたやシンハに力を貸してもらったし。今回のことだって、シンハが早くしろってせっついてくれなきゃ、もっと後になってたかもしれない。だから、出来れば直接、言いたかったんだけど……今日は会えないんだったら、とりあえず礼だけ伝えといてくれるかな」

 リーファはロトの了承を取り付けると、残りの水を一息に飲み干し、立ち上がった。

 ご馳走さん、とコップを置こうとしたリーファの手が、受け取ろうとしたロトの手とぶつかる。途端にリーファはびくっと竦み、コップを取り落とした。

「っ、ごめん!」

 幸いロトが受け止めてくれたので、大事には至らなかったが、その場の空気は非常に気まずくなってしまった。ややあって、ロトがつぶやくように詫びた。

「こっちこそ、ごめん」

 手の中でコップを右に左に動かしながら、うつむきがちに言葉を紡ぐ。

「まだ気にしているんだね。悪かったよ。いくら君の様子がただ事でなかったとは言え、あんな方法で……」

「い、いいいいや、その、あんたは悪くないよ! あれはそのっ、ほら、理由があったんだし!」

 思わずリーファはごまかすように大声を上げ、次の瞬間、自分の言葉に衝撃を受けて立ち竦んだ。脳裏でシンハの声が木霊する。

 理由があったら、同じ事をされても構わなかったのか――と。

「うわ……っっ!」

 全身の血が沸騰したように感じた。ロトに触れられた唇の感触がまざまざとよみがえり、足から溶融してしまいそうになる。

 あれと同じ事を、シンハに、されるとしたら。

「わっ、あ、うあああああどうしようオレとんでもない事言った……っ!!」

 道理でシンハがうなだれるはずだ。両手で頭を抱えてうろたえる。目の前のロトの不審顔さえ見えていない。

(っていうかそもそも、ロトのあれだって必要やむなくって感じじゃな……ってあわわわわいや待て、待てオレ!!)

 頭の中で奇声を発して悶えころげまわる。現実にそれをする前にと、リーファは耳まで赤くなって叫んだ。

「ご、ごめん! 頭冷やしてくる!!」

 あとはもう、呼び止めるロトの声も聞かず、一目散に自分の部屋まで遁走した。

 驚いているアラクセスにただいまの一言もなく、洗面器に駆け寄って水を張り、顔を突っ込む。……豪快にもほどがある。

 本人としては、水に触れた瞬間、蒸気が立つのではないかとさえ思ったのだが、さすがにそこまで熱くなってはいなかった。じきに息が苦しくなり、顔を上げる。まだ火照りは残っていたが、少しは正気が戻ってきた。目を丸くしている父親に、言い訳しなければと思い出す程度には。

「た、ただいま……」

 顔を拭きながら挨拶したリーファに、アラクセスは当惑したまま、しかし小さく苦笑した。

「お帰り。なにかよっぽど恥ずかしい思いをしたのかい」

「う、うん、ちょっとね」

 到底『ちょっと』では済まないのだが、そう言ってごまかす。手拭に半分顔を埋めて、前髪からポタポタ雫が垂れるに任せて。

 そんな娘を、養父は小首を傾げて面白そうに眺めた。そして、

「どうやら、誰かに恋をしたかな」

「――っっ!!」

 必殺の一撃をお見舞いしてくれた。リーファは怯み、よろけて後ずさり、壁にぶつかる。そのまま膝が抜けて、ずるずる座り込んでしまった。

 幸い、アラクセスはそれ以上のことは突っ込んで来なかった。ただ微笑んで、小さく数回うなずいただけ。リーファはその優しい横顔を見上げ、情けない顔でつぶやいた。

「……よく分からないんだ。何がどうなってるのか、どうしたらいいのか……」

 恋をした、と言われて動転したからには、多分、そういうことなのだろう。自分のことなのに、だろう、という辺りが怪しいのだが、判断力の低下が特徴なのだとしたらその通りだ。

 しかし、誰に、だろうか。シンハに憧れを抱いていたのは確かだし、今も間違いなく彼は、何よりも誰よりも大切で大好きな存在だ。しかし恋だろうか? 同じ船に乗りたくない、と自ら言って、差し出された手を退けた相手なのに。

 ではロトにかと言うと、確信は持てない。ここ数日で急に相手を意識したとは言え、それが恋かと言われると……。

「焦って答えを出さなくてもいい、と思うがね」

 悩んでいるリーファの頭上から、アラクセスの穏やかな声が降ってきた。彼はおどけた気配を目元に浮かべ、ゆっくりと諭すように続けた。

「夢中で、熱に浮かされたように振舞うのも、恋する者の特権だ。しかしね、時間をかけて想いを大切に醸成してゆくのも、愛情のひとつの形だと思うよ。その過程を楽しみながら、じっくり見極めをつけるのもいいだろう」

「見極め……」

「恋人たちが皆、確信を持っていると思うかい?」アラクセスは小さく笑った。「自分の気持ちも、相手の気持ちも分からないまま、お互い手探りで求め合っている男女も多いよ。人と人との関係は、そう簡単に答えが出せるものではないんだろうね」

「……そっか」

 リーファはつぶやき、うつむいた。

 過程を楽しめばいい、と言われて、すとんと肩から力が抜けた。日常接する人々の姿が胸をよぎり、温かな気持ちになる。思えば確かに、誰一人として、単純に好き嫌いの二語だけで片付けられる相手ではない。その中の一人二人が、ちょっと今までより複雑さを増したというだけのこと。

 ふう、と息を吐いて、リーファはやっと気を取り直し、立ち上がった。

「ありがと、父さん。お陰ですっきりした」

 アラクセスは相変わらず穏やかに、そうかい、と微笑むだけ。リーファはふと不思議になって、訊いてみた。

「父さんは、その……色々、経験があるのかい?」

 結局今も独身のままだが、過去には恋愛遍歴もあったのだろうか。若い頃は密かに想いを寄せる貴婦人も多かったとか、噂には聞いたが。

 アラクセスは答えなかった。含みのある目をして、わずかに首を傾げただけ。だからリーファもそれ以上は訊けず、黙って肩を竦め、着替えるために寝室へ入った。

「簡単に答えは出せない、か」

 無意識に言葉がこぼれる。

(白黒付けようとしないで、ありのまま受け止められる余裕があれば)

 あんな事件も起こらなかっただろうに。

 拘置所にいる二人の罪人を思い浮かべ、リーファはため息をついた。こればかりは、一人一人の心の問題だ。自分にはどうすることも出来ない。

(オレはオレで、何とかやって行くだけだな)

 諦めと共に自戒する。身勝手な理屈に惑わされないよう、外からの様々な力に翻弄されないよう、自身の水平を見失わないように。

「――よし、大丈夫!」

 上着の裾をぴんと引っ張り、リーファは小さくうなずいた。

 己の目指す未来も、為すべき事も、変わりはない。道は動かずそこにある。これからは多少、景色が変わって見えるかも知れないが。

(一歩ずつ、歩いていくだけだよな)

 意志を確かめると、リーファはその考えをなぞるように踏み出した。口元に、微かながらも晴れやかな笑みを浮かべて。



(終)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ