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王都警備隊・4  作者: 風羽洸海
水準器
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六章 (2)

 仕方なくリーファは言われた通り本部に戻ったが、その日はもう、自分でも何をしているのか良くわからない状態だった。

 時間が経つに連れて、路地での不快な出来事に対する怒りが後退し、代わって罪悪感が前面に現れてくる。

 カナンには入隊試験でも世話になり、最初の配属先で一緒になって、現場検証の手順から報告書の書き方、昼食はどこの屋台が早くて安くて美味いか、などということまで、それこそ手取り足取り教えてもらったのだ。

 目をみはるほどの抜きん出た能力はないが、リーファの新しい考えにも積極的に協力する柔軟性があり、退屈な捜査にも手抜きはしない、警備隊員としては至極まっとうな青年。

 その先輩に、あんな顔をさせた。あんなことを言わせた。

(……オレ、やっぱり邪魔なのかな)

 女だから。その一点だけで。

(ここにいちゃ、いけなかったのかな)

 次第に落ち込んできたリーファは、城に帰る頃にはすっかりうつむいてしまっていた。

 悄然と跳ね橋を渡り、庭をとぼとぼ歩いて、城館に入る。廊下を進む内に、自分でもどうしようもなく、視界が揺らぎだす。

 いつものように執務室に入り、いつもの二人を目にした途端、とうとう涙がぽろりとこぼれた。

「リー!」

 驚いてロトが声を上げ、書類をそこらに放り出して駆け寄ると、リーファの肩に手をかけた。どうしたのかと訊かれるより先に、リーファの口から言葉がとめどなく溢れ出した。

「あんたに散々言われてたのに、分かってなかった。馬鹿だったよ、ちゃんと聞いとけば良かった」

「……? 何があったんだい、リー。とにかく、座って」

 ロトが心配し、ソファに座るように促す。だがリーファはその場に立ち尽くしたまま、自分を罰するようにきつく拳を握り締めていた。

「気安く体に触るな、って。前に、言われたのに。あんたの言う通りだったよ」

 前から彼女は、何の気なしに肩や腕に触れたり手を取ったり、親密な仕草をしては、ロトに注意されてきた。リーファにとっては特段深い意味はなく、ただ子供がじゃれる程度の感覚でしかなかったのだが、それが通用するのはシンハだけだということを、分かっていなかったのだ。

「なあロト、やっぱりオレが悪いのかな。何も考えずにべたべたして、それじゃ何をされても自業自得ってことなんだよな?」

 ほとんど掴みかかるようにして言い募る。説明なしでも事情が窺える言葉に、ロトとシンハが揃って顔色を変えた。

「リー、誰に何をされた」

 シンハが執務机の向こうで立ち上がる。だがリーファは答えず、食い入るように、何度も自分に忠告してくれていたロトを見つめる。

「オレのせいなのかな、全部オレが悪かったから、だからあんな……」

「落ち着いて。とにかく一度、ゆっくり息をするんだ」

 ロトはリーファの肩を軽く揺すり、混乱しているリーファの頬に両手を添えて言い聞かせる。でも、とまだ何か言おうとするリーファに、彼は断固とした口調で命じた。

「目を瞑って、ゆっくり数を数えて。ひとつ、……ふたつ」

 言われるままに、リーファはぎゅっと目を閉じる。ロトの声が静かに数を読むのにあわせて、呼吸が落ち着いてゆく。

「みっつ……よっつ」

 きつく寄せられた眉根が緩み、すう、と自然に息を吸い込む。肩の力が抜けていく。

 知らず、ほっと息をついた。それが合図だったかのように、ロトの声が止む。

「……?」

 代わりに何か、顔に迫るような感覚がした。目を開けようとしたが、その直前、正体が分かった。

 ふわり、と。優しく、しかしそれと分かる程度にしっかりと、唇が合わさる。

 驚きのあまり、リーファの頭の中は真っ白になった。

 どのぐらいそうしていたのか分からない。だが一瞬、軽く唇を吸われた途端、針で刺されたように正気を取り戻した。

「――っっ!!」

 反射的にロトを振り払い、しかし同時に右手をがっしと掴んで、小手を返しつつ肘に手刀を落とす。もちろん足払いも忘れない。

「うわっっ!!」

 見事に投げ倒され、ロトが叫んだ。そこにリーファの悲鳴が重なる。

「何すんだよ!?」

 真っ赤になって混乱しつつも、しっかり捕らえたロトの右手は離さない。いつもなら腕を回して体をうつぶせにさせ、膝で押さえつけて逮捕、となるところだ。流石は警備隊員、天晴れと言うべきか。

 ロトは絨毯に叩きつけられたまま、リーファを見上げて苦笑いした。

「蹴りか拳は予想したけど、まさか投げがくるとは……」

 あいて、と呻きながら、用心深く立ち上がる。呆れ顔のシンハを一瞥して肩を竦めてから、彼はリーファに向き直って真顔になった。

「さて今の場合、悪いのは君か、それとも僕かい? 何か嫌な目に遭ったばかりなんだろうに、無防備に、言われるままに目を瞑ったりした君の、自業自得かい? もしそう思うなら、どうして君は僕を投げ飛ばしたのかな」

「っ……で、でも、それは、その」

 リーファはまだ動揺がおさまらず、しどろもどろになって、視線をあちこちにさまよわせる。そんな彼女に代わって、ロトは自ら言った。

「そうだね、君は僕がこんなことをするなんて、まったく考えもしなかった。君の嫌がることを、僕がするわけがないと、完全に信頼してくれていたわけだ。だからこそ、裏切られた君は僕を打ち倒した」

「ご、ごめん」

「謝らなくていい」ロトは強く遮った。「悪いのは僕の方だ。君の信頼に付け込んだんだから。まあ、今のは理由があってわざとしたわけだけど……君に、何か同じようなことをした奴がいるなら、それは相手が全面的に悪い。そんな奴は、君の信頼には値しない、最低のクズだ」

 声はどんどん怒りの色を濃くし、表情は厳しく険しくなっていく。

 リーファはその迫力にたじろぎながらも、慌てて弁護に回った。

「いや、その、確かに嫌な目には遭ったけどさ、カナンにも事情があって」

「カナン? 二番隊にいた頃の先輩かい」

 凍てつく声音で確認され、リーファは失言に度を失って、思わず逃げ出した。どこへかというと、国王陛下の背後へ、である。盾にされたシンハは、複雑な顔でため息をついた。

「俺を当てにするな。事と次第によっては、俺がこの手でそいつを吊るしてやるぞ」

「ちょ、待て待て待て、おまえが言うと洒落になんねーよ! 情状酌量って言葉はないのか、おまえの辞書に!」

「最新版では削除されたようだな」

「うわー!! 残しとけぇぇ!!」

 馬鹿なやりとりのおかげで、場の空気も少しばかり和らいだ。ロトはまだ怒りのおさまらない様子だったが、それでも、ふっと苦笑まじりのため息をついた。

「さてと、少しはまともな判断力が戻ったかい、リー」

「う、うん、戻った。戻ったから勘弁してやってくれよ、な、二人とも」

 どうどう、となだめる仕草をしたリーファに、暴れ馬扱いされた二人は胡乱な目つきをした。やれやれ、とシンハが頭を振る。

「おまえがそこまで庇うんだ、それなりの事情はあったんだろうが……」

 だがしかし、と続く前に、リーファは「そうそう」と急いで口を挟んだ。

「それに実際、何もなかったんだよ。いやその、ちょっと気分悪くはなったけどさ、実害はなかったっていうか。詫びに昼メシ奢らせたし」

「それで気が済む程度のことだったのか?」

 本当だろうな、とシンハがじっと夏草色の瞳で見つめてくる。リーファは思わず明後日の方に目をそらしかけたが、なんとか堪えて受け止めた。

「うん。もう気が済んだ。ちゃんと話し合ったし、解決したと思う」

 しっかりと一語一語意識して言うと、自分の中でも気持ちが落ち着く。静かに深呼吸すると、のぼせていた頭が冷えた。リーファは目を伏せ、思いを整理する。

「相手が全面的に悪い、ってロトが言うのも分かるけど、やっぱりオレも悪かったんだ。自分の立場ってのを、ちゃんとわきまえてなきゃいけなかった。いつまでも、新入りの子分扱いして貰ってる気分のままでいたから、変な気を起こさせたんだ」

 女だから、という問題以上に、己の心構えがなっていなかった、と自覚する。実際まだまだ一人前には程遠いが、しかし、とうに新入隊員ではないのだ。後輩だからと己を甘やかし、自分がどう振る舞おうと先輩は大目に見てくれる、擁護してくれる、と無意識に決め付けていた。

「オレがもっと、しっかりしてりゃ良かったんだ」

「落ち度を認めて内省できるのは、君の美点だけどね。相手の非まで、自分のせいにしなくていいんだよ」

 ロトが渋面で諭し、シンハはリーファと向かい合って、くしゃりと頭を撫でた。

「大方、そいつに言われたんだろう。おまえのせいで魔が差したとかなんとか。そんなものはただの責任転嫁だ、まともに取り合うな」

「でもさ」

 リーファはちらっと遠慮がちな視線をロトに向けてから反論した。

「ロトがしょっちゅうオレを叱ったのは、そういうことがあるって分かってるからだろ? オレが自分で気をつけるべきだから、じゃないのかい」

「…………」

 シンハは沈痛と言って良いほどの表情で天を仰いだが、ため息ひとつの後でもう一度リーファの頭を撫でた時には、その表情は消えていた。

「確かにな、リー。人間が弱い生き物だってことは、おまえも知っての通りだ。出来心だとか、気の迷いだとか言って、ちょっとした誘惑に簡単に屈してしまう。だがその弱さは、責任転嫁を正当化する理由にはならん。誘惑するものが悪い、などとはな。つまずきやすい罠は片付けておくに越した事はないが、現実問題としてすべての“隙”をなくすことなど不可能だ」

 そこまで真面目に話してから、彼は不意に皮肉っぽい笑みを浮かべ、おどけた口調になった。

「まあ、おまえは稀に見る良い女だから、誘惑に負けたその男には、同情しなくもないがな」

「馬っ鹿、何言ってんだ」

 思わずリーファはふきだし、苦笑いになった。

「厭味ならもうちょっと上手いこと言えよ。けど……今の話で、なんとなく分かった。昼間、猫いらずのことが話題になったんだけどさ」

 急な方向転換に、シンハとロトは揃って目をしばたく。リーファはカナンとの会話をかいつまんで話し、ちょっと頭を掻いた。

「要するに、無用心にしてるのは良くないけど、それと悪事を働くこととは、まったく別の問題だってことだよな。オレも昔は色々盗んだし、出しっ放しの開けっ放しが悪いとか言ってたけど、でもだからって盗みは悪くないのかって言うと、そうじゃない。そりゃま、オレにとっちゃ当たり前のことだったし、ほかに生きてく方法がなかったから、別に反省はしてねーけど。でもそれが褒められたことじゃないってのは、ちゃんと分かってる」

「そうだね」ロトがうなずく。「やっといつもの君に戻ったみたいだね。良かった」

「う……」

 途端にリーファは赤くなった。恥ずかしくなってしまい、相手の微笑を正視できない。

「も、ももも戻ったかな、どうかな。よくわかんねーや、まだどっか抜けてるかも。いやでもその、二人とも、あり、ありがとな。オレもうちょっと、頭冷やしてくる。んじゃっ」

 支離滅裂なたわごとを口走りながら、そそくさと手を振って部屋から逃げ出す。珍しく階段でつまずく音がして、部屋に残された二人はひやっとして廊下を見やった。

 すぐに足音は正常に戻り、ぱたぱた遠ざかって行く。

「無事だったようだな」

 やれやれ、とシンハは息をつく。それから彼はロトに向かって、軽く揶揄する口調で言った。

「おまえにしては随分、思い切ったことをしたもんだな。驚いたぞ」

 悪気のないからかいと、わずかばかりの安堵と寂しさが入り混じった、複雑な表情だった。シンハの予想に反して、ロトは照れもせず真顔のままでじっと見つめ返し、小さく肩を竦めた。

「先を越されたくなかったんですよ。あなたが同じ手を使ったら、色々と大変なことになりますから」

「……??」

「分からないのなら結構。気にしないで下さい」

「おい」

 困惑する国王陛下を放って、ロトはさっさと仕事の後片付けにかかる。シンハは途方に暮れて瞬きしたが、ロトは結局そのまま最後まで相手にしてくれなかった。


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