2―3
「シギル様」
まもなく城門、という所で女官らしき制服を着た女性に呼び止められ、シギルと透子は足を止めて振り返った。
「あ、紀上様もご一緒でしたか……。ご無礼お許しください」
シギルと一緒に振り向いた透子を見て初めて気が付いたらしく、女官は慌てて頭を下げた。だが、そんな事をされても困るのは透子の方だ。
「あ、いえ。お気遣いなく」
その場に相応しいとは思えないまま、透子は思わずそう言っていた。その透子にシギルは噴き出してから女官と視線を戻して話を促す。
「それで、何?」
「陛下が探していらっしゃいましたよ」
「えぇー……」
とても部下が上司の呼び出しに対するものとは思えない声で、シギルは不満の声を上げる。
「お時間はそう掛からないとの事でしたので」
「うぅー……判ったよ。行って来る。透子、ちょっとここで待ってて。絶対処現城から出ないでね」
「うん」
勿論一人でふらふら出歩くつもりなど無かった。女官の後に付いていくシギルに手を振って見送ると、、所在なさ気に壁に体重を預けて息をつく。
(何、してるんだろ。私)
一人になってぼうっとしていると色々な考えが過ぎる。
自分では全然自覚がないのに、自分は魔物の始祖の魂を持っていて、姫とか呼ばれて、神に命を狙われている。
再び透子は溜め息をつくが、一体何に対しての溜め息なのか、もう判らなくなってしまった。
「一体何を考えてる!」
「!」
聞き覚えのある声が耳を打ち、透子は咄嗟に植木の中にしゃがみこんで身を隠した。相手に見つかりたくなかったのだ。会って悪い人物、という訳はないが透子にとっては会いたくない人物―ギウリウムだ。
ただでさえ苦手意識があるというのに、どう聞いても機嫌がいいとは思えない声。
断じて、関わり合いたくない。
「声が高い。感情的になるな、らしくない」
諌めるようにそう言った声の主にも透子は覚えがある。ついさっき別れたばかりだから当たり前だが、間違いなく皇希の声だ。
「これが黙っていられるか? お前も陛下も何を考えている!」
「陛下の心を疑ったら終わりだぞ、ギウリウム。陛下は常に国の事を考えていらっしゃる」
いきり立つギウリウムを宥めるように、皇希は意識的に押さえた声音でそう言った。だが、それで納得できるぐらいならばそもそもこんな話を皇希にぶつけたりはしないのだろう。
「なら、何故紀上を放っておく。さっさと協力を仰ぐか、そうでなければ無理矢理にでも」
「ギウリウム!」
「っ」
厳しい叱責の声にギウリウムは息を呑む。
「陛下のご意思だ」
「その意思は……既にあの女の所にあるんじゃないのか。陛下が守るべきは国だろう」
一瞬怯んだものの、ギウリウムはそれでも皇希に頷いたりはしなかった。なおも言い募るギウリウムに皇希はやや眉を寄せる。
「国のためでもある。お前も既に同意したはずだ」
「陛下やお前の思惑を見抜けなかった私が愚かだったのだ」
「俺に思惑などない」
吐き捨てるように言い放ったギウリウムの言葉を、やんわりと皇希は否定する。だが、その瞳の中には険が含まれつつあった。
「俺は陛下の意思を実行するだけだ」
「どうだか」
「……何?」
確信を持ったかのようなギウリウムの態度に、皇希は始めて微かな動揺を見せた。ギウリウムを怒鳴りつけた時でさえどこか造られた印象が消えなかったというのに。
「陛下の意思を隠れ蓑にしているだけだろう、お前は」
「……どういう意味だ」
「お前が陛下をそうさせたんじゃないのか」
「言って許される事と、許されない事があるぞ、ギウリウム。俺が陛下を傀儡にしているとでも言いたいのか」
言い淀んでいたその単語を相手からはっきりと口に出され、ギウリウムの方が怯んだ。だが、そこで話を打ち切ろうとはしない。
「……傀儡とは言ってない。お前が陛下をどう思っているかぐらい、判っているつもりだ。お前がここをどう思っているかも、私は信頼に足るものだと思っている。だが、あの女は……」
「……何だ」
一度言葉を切ったギウリウムを皇希は促す。先の言葉の察しは付いているのだろう、噛み締めた皇希の歯がきり、と音を立てた。
「お前の妹と似てる」
「邪推だ」
躊躇いがちに指摘したギウリウムの言葉を、皇希はすぐさま否定する。しかし、『妹』との言葉が出た瞬間、何かを自制するように皇希の拳は硬く握り締められていた。判っていたはずの言葉にすら動揺する、それが皇希にとって特別である事の確かな証拠だった。
「違うものに感傷を持つ程、俺はもう幼くない」
「そうは見えない」
ギウリウムの声に責めるような響きはなかった。あるのはただ、同僚への気遣いと、同等の嫌疑。
「……」
「自覚はあるんだろう」
「……それは……俺の、意思だろう。陛下は関わりない」
皇希にしてはらしくなかった。いつも隙の無い物言いをする皇希だけに、それだけ動揺したという事なのだろう。
「……それにまだ、時間はある。もう紀上は見つかったんだ」
「いつまでも時間に逃げられると思うなよ、皇希」
最後に一度だけ皇希を睨みつけ、ギウリウムは身を翻す。
……いや、睨みつけるというのは正確ではない。それに近しい真剣さがギウリウムにはあったが、皇希を追い詰めようとはしていなかった。
皇希は目を閉じ、ゆっくりと眼の傷跡をなぞった。何かの思い出に浸るように。
だが次に眼を開けた時にはその感傷は見事に消え失せ、いつも通りに颯爽と歩き去っていく。
(何……?)
ギウリウムと皇希が見えなくなってから、透子は茂みの中で今さっき聞いた話を反芻してみた。どう考えてもリピリスの話と食い違う。
彼等は透子を紀上として欲していた。そういう会話だった。
(協力を仰ぐって、何……?)
一見平和に見えるこの場所にも、何かあるのだろうか。
(でも……それだとリピリスが嘘をついたってことになる……)
リピリスは好意で助けたいのだと言ってくれた。もし透子の紀上としての力を欲しての事ならば、それは嘘をついたと言うことになる。
それは少し考えたくなかった。
何故そう思ったのか、その時の透子には判らなかったけれど。
「透子ー」
「シギル」
城の奥から手を振って駆け寄ってきたシギルを迎えて、透子は考えを打ち切った。
これ以上考えてしまうと、嫌な答えに辿り着いてしまう気がして。