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時の黎明  作者: 長月遥
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第二章 魂のある場所

 古めかしい木造建築を背景にして、目の前に息をしない体があった。入り口脇の壁に寄りかかり、その時を覚悟していたかの様に静かに目を閉じて生の活動を止めている。

遺体を見下ろす彼女は驚いていなかった。何となく予感をしていたからかもしれない。


「本当に……なぜ貴方達は弱いのかしらね」


 ひっそりと、誰も聞くものがいないその言葉を呟いた彼女の声に、透子(とうこ)は妙に心当たりがある気がした。


(ああ、これ夢なんだ)


 意識がはっきりしすぎていて、周りの景色が現実と遜色がなかったためそうと気が付かなかったが、ふとそう思い到ってしまえば理解できた。

無理矢理身体を固定され、見たくもない映画を見せられている様な感覚は気持が悪かったが、夢であり、目覚めれば終わる事だと思えば我慢できる。

そもそもここから目覚める方法が判らない以上、黙って時が過ぎるのを待つしかない。


「いえ、全てはタイミングが悪かったのかもしれないわ」


 どうやらこの夢の主人公だろうか。しっとりとした艶のあるストレートの黒髪と、薄く灰がかった、同じく黒の瞳。

身長は百六十前後だろうか。女性らしい、柔らかな丸みを理想的な形で体現した、二十歳前後の女性だった。


(え……)


 そこに至って初めて、透子は彼女の声が誰に似ているかに気が付いた。

いや、声だけではなかった。

髪の色も瞳の色も、――シギル達と同じ妖突の耳さえ除けば、彼女の姿は透子と瓜二つだったのだ。

年齢的な差はもちろんある。

しかし後数年後の透子だと言われれば、皆が納得してうなずくだろう、そんな容姿。


「死に逃げる事こそ、今の貴方達にとって罪だというのにね」


 彼女は遺体の傍らに膝を着く。そうして、吹きさらしの風に乱れた白髪を丁寧に整えてやった。


(―っ!)


 その遺体の顔を見た瞬間、透子は息を飲んだ。

実際の体は眠っているはずなので、本当に息を飲んだ訳ではなかっただろうが、少なくともそれぐらいの衝撃を受けていた。

 白髪の下の顔は何かの疫病にでもやられたかの様に毒々しい赤紫の斑紋に支配されていた。

しかし、透子が驚いたのはそれではない。瞳の色さえ判らず、髪の色だって違っていたけれど、遺体となって横たわっている男は鈴宮一摩(すずみやかずま)と瓜二つだったからだ。その美しすぎる顔かたちを見間違うはずがない。

 透子が衝撃を受けている間にも、夢はゆっくりと進行していく。


「けれどやはり……仕方がないのかもしれないわね……。わざわざこんな物まで持ち出して……」


 晒された彼の胸には、鮮やかな桃色の花弁で構成された小さな花があった。

その可愛らしい花を見た瞬間、彼女の表情はまるで汚い汚物でも見た様にしかめられる。


「ここに来たという事は、私にどうにかしろという事かしら? 全く……つくづく面倒を掛けてくれるのね。私は貴方達の親でもなんでもないのよ」


 そう冷たい悪態を付いて……それでも彼を見るその表情には、死者を悼む悲しみしか表れていなかった。

一度だけ溜め息を付くと、彼女は懐に手を入れ小ぶりのナイフを取り出した。そして浅く自分の肌に傷をつける。じんわりと滲んだ彼女の血が周囲の空気に触れたその途端、まるでその場がまったく別の外界になったかの様に変質し、ざわりと無音の振動が髪をなぶった。

腕から滲む血を掬い掌を赤く染めると、彼女は男の胸にめり込んでいる小さな桃色の花をズルリ、と引きずり出す。


地掟封呪(ちていふうじゅ)水掟封呪(すいていふうじゅ)火掟封呪(かていふうじゅ)風掟封呪(ふうていふうじゅ)(かい)。我が血と力を代価に四掟封印呪(していふういんじゅ)よ、具現せよ」


 腕から滴り落ちた血液が、まるで生き物のように桃色の花にまとわりつき、赤く丸い塊になる。液体で出来ているはずのそれを、彼女は事もなげに手で掴んだ。

しっかりと球体として定着して、血のボールは崩れもしない。

その塊を更に凝縮させ、消滅させようとして……彼女は眉をしかめて息を吐いた。


「駄目ね……。今の私の魔気では封印が限界だわ」


 連日の連戦がたたっているのね、と苦笑する。諦めて彼女が立ち上がると、タイミングを見計らったかのように声が掛けられた。


紀上(きじょう)様!」


(紀上……っ)


 呼びかけられたその言葉に彼女は視線だけを動かした。声を掛け、現れた男の姿にも透子は三度の驚愕に息を飲む。

薄い青銀の混ざるプラチナブロンドと、両目を裂き後天的な盲目となっているその姿。


雄流(ゆうる)さん……?)


 一瞬透子はその姿を重ねたが、すぐに否定した。確かに身体的特徴は皇希(こうき)と酷似ていたが、紀上に膝を着いた男は皇希とは明らかに別人だ。


「紀上様、白雅(はくが)様が」

「知っているわ」


 たった今、その遺体を確認したばかりだ。紀上の視線を追って男は白雅の姿を確認する。

変色した肌の色にぎょっとして男は身を仰け反らせたが、そんな男の反応など無いものの様に紀上は淡々と彼に声を掛けた。


「長殿はいらっしゃるかしら? これの封印に付いて少し話したい事があるの」


 赤い血の塊の中身が何であるか、男はすぐに悟ったようだった。


「は。蒼の間にて状勢を視ておりますゆえ」

「ありがとう。……あぁ」


 思い出したように足を止め、紀上は男を振り向いた。


「その遺体、明朝までに魔気で焼き払いなさい。何人かを向かわせるわ。それまでこの一帯は結界で覆って、誰も近づかせないように」

「は……はっ……? しかし……」


 尊い相手の遺体を焼き払う、という行為に抵抗があったのか、男は躊躇う様に言葉を濁す。


「欠片も残さず、全てを焼き払いなさい。彼と同じになりたかったら止めないけれど」

「はっ、承知いたしましたっ!」


 冷淡な紀上の物言いに慌てて男は頷いた。


「しかし……自分は驚いております。まさか、神である白雅様がお亡くなりに……」


 さも予想外だといわんばかりの男の言葉に、紀上は不愉快そうに眉を寄せる。


至天七柱神(してんしちちゅうしん)が死なないとでも思っていたの? そんな事はないわ。彼等は、生き物だから」

「も、申し訳ありませんっ」


 自分より上位の相手の気分を害してしまった事を悟り、男は慌てて平伏した。だが、紀上はすでに彼を見てはいない。初めから何も期待していないかのような印象すら受ける。


「でも、愚かだわ……。貴方は生きなくてはならなかったのに。貴方は……癒し手だったのに」


 それを望まれていたのに、と、声には出さずに唇だけを動かしてそう付け加える。


「前々から思っておりましたが……紀上様、貴女方魔物は何故協力してくださるのですか?」


 はたから見ればまるで感情が無いかのような紀上に、男は恐る恐る問いかけた。男のほうを見ないままでぽつりと紀上は問いに応える。


「……友のために」

「は……?」


 予想外の紀上の言葉に男は間の抜けた声を上げる。だが、紀上の視線は男には向いていない。

彼女が発する言葉は男に向けてというよりも、自分自身の思いを確認する作業のようだった。


「友だと思っているから、私は……彼の間違いを一つでも少なくしたい。いつか彼が気が付いた時に引き返せるように。……傷つかないように」


(彼……? 彼って、誰……?)


 自分の身体が意識の支配下に戻っていくのを感じた。紀上の声も、姿も遠ざかって行く。


「彼って……?」


 声に出したつもりはないのに、声が出てしまっていた。数度瞬きをして、透子は自分が起きたのだという事に気が付いた。

異様に体が疲れている。一度開いた目を再び閉じ、透子は胸に溜まっている澱んだ空気を深い呼吸で吐き出した。


(変な夢、見ちゃったし……いろいろ、聞かされたからだ)


 影響されたから、あんな夢を見たのだ。

 透子が処現城(かげんじょう)に初めて招かれてから数日。幸いな事に黒帝(こくてい)からの音沙汰もなく、ごく普通に過ごしている。

護衛という形で側に居るらしい皇希とシギルは滅多に透子の前に姿を見せなかった。

どこでどうして過ごしているのかは不明だが、親しくもない他人と四六時中顔をつき合わせているよりはずっといい。


(至天七柱神、白雅白将(はくがはくしょう)……)


 ぼんやりとした口調で呟いて、一呼吸置いてから次の名前を口にした。


鈴御夜(すずみや)……か」


 嫌な寝汗で額に張り付いた前髪をかき上げると、額に新しい空気が触れて少し現実感が戻ってきた。

この数日、ずっと気になっているその単語を呟いたのは何度目になるだろうか。

夢を見たのはそのせいもあったのだろう。登場人物の全てが知り合いに酷似している内容なんて、笑うに笑えない。


(まさか……だってそんなわけないじゃない。鈴宮(すずみや)は人間だし)


 何度も否定する。そう、ただ名前の音が同じだけ。鈴宮一摩は人間だ。……人間、のはずだ。

確かに一摩には人らしくない、清廉としか言えない空気を常に纏っている。だが黒帝ほどはっきりと異質だというわけではない。

黒帝のまとう空気は透子にとって恐ろしいものだった。まるで身を潰されるように、抗いようもない圧迫感を感じてしまった。彼が人ではないと言われれば素直に頷ける。


(でも、鈴宮は黒帝とは違うもの……)


 しかしどうしても透子がそこから離れられないのは、黒帝と会った朝の事があるからだ。

一摩が透子に声を掛けて、黒帝が退いた事。始めは他人が関わって来たから退いただけだと思っていた。だが、違う。黒帝ならば無関係の人間はきっと無視するか、殺してしまうだろう。本人もそう言っていたし、透子もそれは本気だったと思っている。

それでも黒帝が退いたのは、一摩が……白雅だったから、仲間だったからではないだろうか?


(……)


 ぐ、と透子は震える手を握り締める。神が自分を殺そうとしている事を知ったときよりも、もっと怖い感じがした。心臓を掴まれているような息苦しさ。


(だって……もし鈴宮が白雅白将なら……鈴宮は、敵……?)


 それは嫌だ。一摩に敵意を向けられるなど、ぞっとする。

だがもし本当に一摩が白雅であるのなら、それは確かめておく必要がある。そうは思っているのだが、この数日結局透子は何もしていない。


(それにシギルや雄流さんだって私に付いて学校に来てるんだろうし、二人が何も言わないし、それに……何も起こってないんだから、鈴宮が神様な訳ないじゃない)


 一摩が白雅で、至天七柱神ならばとっくに透子はここに居ないはずだ。

今でこそ透子は皇希やシギルに護られているが、そうではない一年間を一摩と顔を合わせて過ごしているのだから。


(けど……本当に白雅白将って今どこにいるんだろう。……まさか、だよね。そんなはず、ない……よね?)


 夢は夢だ。繋げて考えているほうがどうかしている。

そんな仮定の事に気を揉むよりも、気になるならリピリスにでもシギルにでも聞けばいいのだ。元々はその理由を聞いていたはずなのだが、鈴御夜の音を聴いた瞬間、何故だか自分でも判らない程に動揺してしまってそのままだ。

シギルは至天七柱神に然程の興味がないらしく、透子から話を振らない限り七柱神に付いて口にする事はなかった。皇希にしても同様だ。

 ……やはり透子が神に狙われるように魔物に狙われ、どこかに身を隠してしまったのだろうか。

しかし、魔物の皆とそう深く付き合ったわけではないが、あまりそういう事に頓着するようには見えなかったのだが――


コン、コンッ。

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