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時の黎明  作者: 長月遥
3/22

 1―2

 それでも日常は何事もなく過ぎていき、午後を回ると透子も深く考えるような事はなくなった。

他にやることは色々あるのだし、ただの不審者かもしれない。別に自分を待ち伏せていたわけでも無いだろうと、薄れてきた恐怖心がそう自分を守ろうとする。

 今朝の事は忘れてしまおうと、勤めて何でもない事を考えながら校門を出たところで、ぽんと肩を叩かれた。


「え?」


 知り合いの誰かの悪戯かと足を止め、隣を振り向いて透子は絶句する。


「よ」


 ひらり、と手を振って今朝の男が薄い唇に皮肉な笑みを浮かべ、気安く声を掛けて来た。


「っ!」

「本当はそっちから見つけてリアクション欲しかったんだけどよ。ほっとくと気付かれそうになかったんで」


 饒舌に話す彼の声は聴きやすく甘いバリトンだった。

喋っている言葉も、姿かたちも、叩かれた時に肩に感じた熱も、確かに生きている人間のもの。

なのに彼が、人だと思えないのは何故なのか。


「……っ……」


 だがそんな理屈は後回しだ。とにかく男が怖かった。

どうやって振り切るべきかと、透子がちらりと校舎へと視線を走らせると、先手を取られ男に腕を掴まれてしまう。


「離……っ!」


 声を上げようとした透子の口をもう片方の掌を押し付け、塞ぐ。


「声出しても構わねぇけど、誰か来たらそいつ殺すから」

「っ……!」


 物騒な台詞に透子は息を呑み、思わず男の顔に視線を戻した。


(本気、だ……)


 この男ならやりそうな気がする。残虐性を含んだ好戦的な瞳が、透子に確信のようなものを与えてくれた。


「リピリス・リア・クロート」

「!」


 誰も知るはずのないその名前を不意に口にされ、透子は目を見開く。透子の表情の変化を見て彼はにぃ、と唇の端を歪めて嗤った。


「お前、始まりの姫……紀上だな」

「……ッ……」


(何……っ?)


 背筋に冷たい汗が伝う。恐怖が思考を乱し、パニックのように目の前が白くなる。


(何で……っ?)


 誰にも言っていない夢の登場人物の名前。

 誰にも言っていない、両親すら知らない紀上の名前。

祖母が怖れとともに囁いた『紀上』の名前。


(何で知って……誰……っ!?)


 金の瞳。

 獣の瞳。


(怖いっ……)


「ぅぁう!」


 頭が状況を理解しないうちに男の手が透子の首を掴み、軽々と身体を宙に浮かせた。

恐ろしい力で喉を圧迫され、透子は喘ぎ、力の無い息が口から零れる。


「ぅ、あッ……」


(やっ……)


 無我夢中で透子は手足をばたつかせた。何の抵抗にもならないことは判っていたが、とにかくこの苦しみから逃れたい一心で手足を動かす。

しかしそれも呼吸が妨げられている現状では長くは続かない。徐々に透子の体から力が抜けていく。


(死……)


 ――死ぬ。殺される。本気でそう思った。

だらりと四肢が落ち、目が霞んでぼやける景色の中で――不意に一条鮮烈な光が視界いっぱいを走り抜ける。

それを頭が認識すると同時に透子の体は地面に落ち、呼吸を開放された。

何が起こっているのかが判らない。何度も咳き込み、地面に膝を着いたまま透子は息を求めた。


雄流(ゆうる)のガキか」


 頭上から降ってきた獣の瞳の男の、苛立たしげに呻く声に、やっと呼吸が落ち着いてきた透子はふらふらと顔を上げる。男と透子の間に立つようにして、見覚えの無い青年が割り込んでいた。


(軍服……?)


 朦朧とした思考で透子はそんな事を考える。

今この日本の日常で目にするにはとても場違いだし、黒を基調とした色彩は不吉だけれど、スタイルのいい長身に似合っていて格好いい。


「魔王の片腕がわざわざ出張ってくるとはな」

「そっちこそ。狂神黒帝雷翼(こくていらいよく)が出てくるとは。至天七柱神(してんしちちゅうしん)は余程俺達と戦いたいらしいな」

「はん……」


 目を細め、面倒そうに黒帝は髪をかき上げた。


「俺個人としては悪くないと思ってるが……至天七柱神としては、そうじゃねェな」

「どうする?」

「……聞くなよ、()りたくなるだろうが」


 言い捨てて、くるりと黒帝は身を翻す。その瞬間、透子の視界は黒く染まった。

ばさりという大きな鳥の羽ばたきの音と共に、漆黒の翼を背中に生やした黒帝が、その翼が飾りではない証拠を見せて大地から飛び去って行く。


(こくていらいよく……)


 それはきっと彼の名前というよりも、存在としての名前なのだと、そう思った。

ぼんやりと空へと消えて遠くなる黒帝の影を見送っていると、ぱん、と後ろから手を叩く音がしてびくっとする。


「さて」


 呆然と黒帝の去っていく姿を見送っていた透子に、雄流と呼ばれた青年が声を掛ける。

まだ地面に座り込んだままの透子が振り向いて彼を見上げると、恭しく手を差し伸べてきた。


「やっと見つけた。紀上の姫」

「ひ……姫っ?」


 現代日本に相応しくない単語に、透子はぎょっとして目の前の青年を凝視する。

そういえば黒帝もそんな台詞を言っていた気がするのだが。


 改めて透子は青年をまじまじと見つめた。髪は柔らかそうなプラチナブロンド。瞳は蒼天の空を思わせる澄んだ蒼と、人工的な程に鮮やかな真紅の瞳と左右で色が違っていた。そしてその赤い方の右目には眼球だけを避けたとは思えない、深い傷跡が上下に走っていた。

 年の頃は二十三、四頃だろうか。

彫りの深い顔立ちで、造りはややきついのだが、柔らかい表情と物腰のおかげで印象は悪くない。

所作が優雅で洗練されている。きっと育ちがいいんだろうなと関係ない事が頭を掠めた。


「姫って……」

「やっぱり時代がかった所作でも流してもらえないか」


 くす、と笑って雄流は差し出したまま取られなかった手を更に伸ばして、まったままの透子の手を取り、立ち上がらせた。


「まぁ取り敢えず、話だけは聞いてもらう。さあ」


 空いている方の手で雄流は何もないただの空間を軽く凪ぐ。

途端にぱりん、というガラスが割れる様な音がして空間にひびが入り、人三人分ぐらいの幅が砕けて違う風景をその場に映した。


「何ッ?」


 何事ッ? というように透子は仰け反る。しかし雄流の手はしっかりと透子の腕を掴んでおり、逃げる事を許さない。


「還ろう」


(還……っ?)


 何処に、何に。

混乱した視線を雄流に向ける。しかし、答えが返ってくる前に透子は空間の割れ目に飲み込まれた。


「……っ」


 眼が眩むほどの白い光。瞼の外側で光が収まったのを感じると、恐る恐る透子は目を開く。


「うわ……っ!」


 目の前にあったのは割れた空間に映っていたそのままの風景だ。

時代背景はわからないが、レンガ造りで馬車が横行する道路は、その奥にそびえ立つ巨大な城がとてもしっくりと景色に馴染んだ。


「なっ、何ここっ?」

「魔界。の、王都」

「はっ?」


 すぐ隣から穏やかな声で即答され、透子は奇声を上げて今度はゆっくりと辺りを見回した。

日本ではない。それは間違いが無い。道行く人のカラーリングが異様にカラフル。

中にはどう頑張ってどの角度から見ても、もはや人には見えないフォルムの者も平然と洋服を身にまとって道を闊歩していた。


「魔界って……。あの、魔物とか魔族とか、そーゆーのが住んでたりする、魔界?」

「そうだよ。残念ながら『魔族』という括りはないから皆『魔物』だけれど」


 認識上の文字変換は間違っていない。事も無げに肯定され、透子は言葉を失う。古風な趣のある上品な造りの城下町。町全体をきちんと計画に基づいて作り上げられた丁寧な印象。

……雑多な日本とは随分な差だ。


「……貴方は?」

「俺は人間だよ。多少違う血が混ざってるけどね」


 言われて透子は成程、と思った。

雄流には一見して異形といえるような人外の特徴は無いし、プラチナブロンドも碧眼も、彼の色合いは鮮やか過ぎる気がするが、ない色ではない。それでもどことなく、違う気はした。

人にしては完成され過ぎているその容姿が、多少の違和感を透子に与えていたのだろう。

 改めて彼の顔を見ると、その造りの綺麗さよりも先に傷跡に目が行ってしまう。痛々しい傷跡だ。透子の視線に気が付いたのだろう、雄流はその傷跡を指でなぞった。


「ああ、うん。これは義眼。――そんな顔しなくていい。見えてるから」

「そう、なんですか?」


 見える、という言葉に心なしか透子の声にはほっとした響きが滲む。そのニュアンスを敏感に感じ取り、雄流は懐かしい何かを見る様に微かに微笑んだ。


「そう。もう十年以上前の事だし」


 言いながらはたと気が付いたように言葉を切る。


「そうそう、自己紹介が遅れたね。俺は雄流皇希(こうき)。一応、ここ―まあ、魔界だね。で、魔王の秘書みたいなものをしてる」

「秘書って」

「正式に主席枢機卿、と言った方が判りやすかったかな?」

「何となくどっちでもニュアンスは判りますけど」


 しかしそうと聞いた時、秘書みたいな事をやっているんだ、と思ってしまったから皇希の説明の仕方も、間違っていたとは言い難い。


「でも主席って、結構な地位ですよね?」


(つまり、魔王を除けば一番上なんじゃ……?)


 そんな人が何故わざわざ一高生の自分を迎えに来たのか。


「そうとも言う。けど君を連れて来るなら、むしろ俺は役者不なんだが……他に適当な人材がいなかったって事で勘弁してくれ。人間の常識を知っているのが何しろ俺だけだったもんでね」

「雄流、さんは……。えっと、人間、なんですよね?」

「ほぼね。暮らしてたのも日本だよ。少し特殊な一族だけど。――ま、俺の事はいいから。紀上の姫を連れてきたのにはもう気が付いてると思うし、そろそろ向かわないと」

「どこに?」


 これ以上どこに行くというのだろう。躊躇いがちに問いかけた透子に皇希はあっさりと王城を指差した。


「我等が魔王陛下がおわす、処現城(かげんじょう)へ」

「城……って、何で?」

「勿論、陛下に会ってもらう為だよ」

「陛下って……ええっ!?」


 言われた言葉をゆっくりと反芻して、飲み込めた途端ぎょっとして透子は仰け反る。


「王様に会えとっ!?」

「直接会うのは初めてだろうけど、初めての気はしないと思うよ。さぁ、行こうか」

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