3―2
「陛下ー、今平気ですかー?」
伺いを立てるシギルの声に、すぐに扉は開かれた。
「どうした?」
扉を開けたのは皇希で、リピリスは奥の机で書類の山と格闘している。
「皇希ここだったんだ。あ、ちなみに用があるのは僕じゃなくて透子ね」
「透子?」
名前に反応しリピリスは顔を上げた。そこに透子がいるのと見ると軽く首をかしげた。
「どうかしたかい? 取り敢えず中に入りなよ」
「……聞きたい事があって」
皇希にソファを勧められるがそんな気にはなれず、透子は手のジェスチャーのみで断るとリピリスの前で立ったまま切り出した。
「さっき、黒帝と会ったわ」
「そう、透子が無事だって事はシギルはちゃんと役目を果たしてくれたんだね」
「……っ」
何でもない事の様にそう言われ、透子は言うつもりだった言葉に詰まった。
その言い方は透子が聞こうとしていた内容そのものを、肯定する意味を持っている。
「シギルと黒帝の事を知ってるなら……判ってたはずじゃない! シギルは、黒帝には勝てないって! なのに、何で!」
「紀上」
激昂する透子を遮って皇希は静かに口を挟む。
「シギルだけじゃない。陛下でも俺でも、黒帝には敵わないんだよ」
「……え……」
皇希に言われた台詞にさっと透子の頭に昇った血が冷めた。
言われて初めて、透子はその可能性を考えてすらいなかったことに気が付いた。
――それはリピリスや皇希やシギルが、透子に何も言わなかったからだ。
普通に神と戦えるような態度で、透子と接していたからだ。
「少なくとも俺達の知る魔物達の中で、シギルは五指の中に入る能力者だ。けれど七柱神には敵わない。奴等は『神』なんだよ、紀上」
「……っ」
「俺に至っては神の劣化品だ。神本人に敵うはずが無い」
そうだ。神の力を受けて『特別』になっただけの人間が、力を与えた神本人に、敵うはずがない。当たり前の事だ。
「透子。それでも皇希は俺よりも強いんだよ」
「……」
長い指を組んで、リピリスは眼を伏せ、そう言った。
「皇希は俺の近くにいる者の中で、一番強い」
神の劣化品であるはずの皇希が、魔物の国では一番、強い。
「……じゃあ……どうして……」
急に目の前が暗くなった気さえした。かろうじて紡いだ言葉の先は、続かない。
「シギルと皇希が二人でいれば、君を逃がす時間は稼げるだろうと、そういう事だよ」
「……なら……なら、何で私を助けたりなんか……」
確かに皇希に助けられなければ今透子は生きてはいないだろう。シギルに助けられた時にしても同様だ。けれど。
「勝てない相手から、護りきれるわけ無いじゃない……」
「……そうだね」
力なく零れた透子の言葉にリピリスは反論すらせず同意した。ややあってから覚悟を決めたようにリピリスは真っ直ぐに透子を見る。
「バレてしまったなら全部を話しておこうか。何故俺が君を探したのか。何故至天七柱神に勝てないと承知の上で、君を迎え入れたのか」
「立ったまま聞く話でもないだろう。座るといい」
立ち尽くしていた透子に、やんわりと皇希は再びソファを示した。今度は断らずに透子が腰を降ろすと、その隣にシギルも腰掛ける。
「最終的な理由から言うと……俺達と至天七柱神は敵対していなかったから。君を迎えてどうなるとは思っていなかった。それが君を迎えた最大の理由だよ」
「魔物と神様なのに?」
「至天七柱神というのは世界の守護者だ。この世界というものを維持するためだけに存在している。彼等が敵視するのは、世界にとっての悪だけだ。俺達魔物とて大地に身を置く者。七柱神の敵ではない」
「ならどうして」
黒帝は確かに透子を狙ってきていた。透子が『紀上』であるから透子を狙ってきたのだ。
それは本人が明言している。リピリス達の思惑は絡まない。
「判らない。元々黒帝は戦を担う役目にあるから好戦的なのは確かだが、それでも意味無く争いを仕掛けたりはしない、はずだ」
今現在の状況がその認識を覆しているために、リピリスの言葉には強さが無い。
「黒帝が透子を狙う理由は本当の所判らない。少なくとも魔界にまで追ってくるとは思っていなかった」
透子を招く事に踏み切った理由は、それで判る。けれどリピリスは肝心な所を話していない。
「……襲ってこないと思ってた黒帝を理由に使ってまで、何で私にシギルをつけたの」
「念のために。黒帝が君にちょっかいを掛けているのを聞いたからね。……護るためだよ」
「嘘」
何から護るためだというのか。そんな、護られるような理由なんか、なかったはずなのに。
透子が魔界に関わって尚、黒帝が透子を襲うなどと、考えていなかったくせに。
初めて会った時には動転していて気が付かなかった。リピリスは全然、笑ってなんかいない。リピリスの言葉に、本当の事など……本当は、無かったのだ。
「……君が魔器だからだよ」
「だから?」
自分の声が震えている事に透子は気が付いた。そんな事は判っている。魔器だから透子は招かれた。肝心なのは、何故、魔器である透子を招いたのか。
シギルと同じなのか。本能だからとでもいうつもりなのか。
だが、透子に向けられたのはもっと辛辣な一言だった。
「側に居れば少しはなびくと思って。魔器としての力を最大限に使うには交わる必要がある」
「ッ!」
かっと透子の頭に血が上る。皇希やシギルが止める間もなく立ち上がり、気が付いた時にはリピリスを殴っていた。
「……っ」
はぁ、と透子の口から荒い息が零れる。生まれて始めて、人を殴った。リピリスの頬とぶつかった手の平がヒリヒリする。
魔器である自分を使って何をしたかったのか。そんな大元の疑問すら、リピリスの言葉を聞いたその瞬間の透子には、どうでもいいものになっていた。
「残念だったわねリピリス。あんたが私を利用して何をしたかったかなんて知らないし、知りたくもないけど黒帝は本気で私を殺そうとしてる。私を利用する前に、私に付けている護衛役の人が……」
感情のままに言葉を投げつけていた透子ははっとして口を噤む。
護衛役の、人。
(シギル……)
リピリスの意思を、知っていたのだろうか。いや、どちらにしてもシギルは本気で透子を護ってくれた。本当に、命を懸けて。
すぐ側にあった『死』という現象を思い出し、それ以上は言葉に出来なくて、強く拳を握りしめる。
「……っ」
そうして何も言えないまま――くるりとリピリスに背を向けると、透子は執務室から逃げ出した。
「透子!」
慌てて立ち上がり、駆け去っていく透子の後をシギルは追う。
乱暴に開け放たれたままの扉を閉めて、呆れたように皇希は取り残されたリピリスに尋ねた。
「冷やしますか」
「いらない」
「話ベタなんだから。もう少し言い方と順番があるでしょうに」
「嘘は、もうつきたくなかったんだよ」
「別に嘘をつけと言ってる訳じゃないんですよ、陛下。ただ説明の途中で席を立たれてしまったらどうしようもないでしょう。自分にだって関わりある事と知れば、話も聞かずに席を立つ事はなかったと思いますよ」」
「……お前は口、巧いからな」
下から恨めしげに睨み付けられ、皇希は苦笑した。
「話してきますか、俺から」
「…………自分で行く」
「そうですね。それがいいと思いますよ」