表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時の黎明  作者: 長月遥
10/22

 2―5

「処現城か」


 逃げる透子の背中を、何をするでもなく黒帝は見送った。命を狙って来た標的が見えなくなろうというのに、気にしている様にすら見えない。


「処現城まで戻れば、もう手は出せないだろ」


 構えはあくまで自然体のまま、しかし油断無く黒帝の様子を伺いながら、シギルは挑発するようにそう言った。


「どうだかな」


 挑発に乗るでもなく、揶揄するでもなく黒帝は静かに呟いた。彼らしくないほど、空疎な表情を貼り付けて。


「……?」


 その違和感に何事かと、一瞬シギルは身体の力を僅かに抜いてしまう。

その時を狙っていたかのように、素早く黒帝はシギルの足を掬い、バランスを崩すとその肩を足で踏みつけ地面へと押し付けた。


「うっ……」


 自分自身の愚かしさにシギルは唇を噛み、小さく呻いて黒帝を睨み付けた。

あの一瞬前の表情はなんだったのかと思うほど、ふてぶてしい笑みを貼り付け、彼はシギルを見下している。


「なァ、起きようとしてんのか? それ」


 自分の足を掴み、何とか踏み付けられた状態から脱出しようとするシギルを余裕のまま見下ろして、そんな絶望的な台詞を事もなげに言い放つ。


「魔界でだってこの程度。お前等弱すぎんだよ」


 黒帝の整った美貌に凶悪な笑みはよく似合った。凶暴性を秘めた戦神の顔だ。


「折角紀上と一緒にいる、しかも魔界の土の上で戦ってやろうって言うのに、わざわざ逃がすかねェ、普通」


 肩が強く土に擦れてザリ、と屈辱的な音がシギルの耳元でした。睨みつけた黒帝の眼は強い金色に煌いている。


「紀上がいて、処現城の中なら……もう少しマシな戦いが出来るのか? それとも、魔王もお前と大して変わんなかったりすんのか?」

「くっう……」


 つまらなそうにそんな台詞を吐く黒帝に、シギルはぐ、と腹筋に力を入れる。

狂神の名前は伊達ではない。彼は戦闘行為を楽しんでいる。はやシギルに興味を失っているのがありありと判った。このまま何もしなければ開放されるかもしれない。


だが、このまま黒帝を行かせるわけには行かなかった。透子が処現城まで逃げきって、リピリスか皇希を捕まえられれば、きっと何とかなるだろう。その為に。


(一矢報いる!)


「らァっ!」


 気合の掛け声と共に、シギルは上半身を勢いよく起こした。驚いたように目を見張り、黒帝は軽く地面を蹴ってシギルから間合いを取る。


「ま、そっちのホームで戦うんだ。少しは楽しませてくれなきゃ嘘ってもんだろ、王弟陛下」

「黙れ!」


 叫び、シギルは黒帝へと向かって走り出す。


火掟封呪(かていふうじゅ)、解! 我が力を代価に魔炎よ、具現せよ!」


 叫んだシギルの声に応じ、世界はシギルに炎を与えた。握った拳に金の炎が纏わりつく。

魔力、神力で具現化した炎の威力は使い手の魔力に比例する。その火勢を見てどこか楽しそうに、黒帝は何もない空間へ向かって手を伸ばす。


「来い、揚羽(あげは)


 黒帝の声に応えるかのように、ゆらりと空間そのものが歪む。

それと同時に、まるでシルエットが立体になって浮かびだしたかの様な、漆黒の揚羽蝶が歪みから飛び出してきた。

黒帝の指先に触れると、揚羽蝶は両刃の大剣へと変化する。必要最低限の機能のみで、装飾類は一切存在しない。己の体の七割は在ろうかというその巨大な大剣を手に馴染ませる様に黒帝は軽々と片手で一振りしてみせた。


「至天七柱神が一柱、黒帝雷翼、参る!」


 一対一の戦いで、黒帝もシギルも小細工を好むタイプではない。己の力を頼りにシギルは黒帝へ向かって直進する。


「はっ!」


 鋭く息を吐き、振り下ろされた黒帝の揚羽の腹を炎を纏った拳で弾き、軌道を逸らす。

そのまま懐へと飛び込み、渾身の一撃を加えようとする。大きすぎる黒帝の大剣では懐に入ったシギルへの対抗は出来ない。


自ら後ろへと跳び直撃は避けるが、胸部の辺りの肌が一瞬にして焼け爛れた。

更に追撃を掛けようと踏み込もうとするシギルの足元を黒帝の揚羽が一閃し、その足を止めさせる。


「ま、魔界でならこんなもんだろ」


 胸の焼け跡を確認するように、黒帝は平然とした調子で撫でた。赤く肉の色に爛れていた肌が新しい組織を早くも形成しつつある。


「っ……この……化け物っ……!」

「まったくだ」


 驚異的な自己治癒力。自らの体に対する暴言にあっさりと黒帝は頷いた。


「でも、まぁしょうがないよな。それが力の差ってヤツだ」


言い終えたその瞬間黒帝の唇が勝利の笑みを刻む。

頭上から降り注ぐ幾つもの微かな翅のはばたきが、シギルの耳にもようやく聞こえた。

天を振り仰いだその先には、十分に帯電した黒い揚羽蝶の集団がシギルの頭上で主の命を待っている。


「舞い踊れ。紫雷の翅よ!」

「っ!」


 シギルの頭上で十数匹を数える黒い揚羽蝶が、溜めていた紫の雷を一斉に解き放つ。それは黒帝が先ほど透子に放った雷と同じものだ。


とっさに自らの操る炎を盾代わりに頭上に展開するが、それで止まった紫雷は一、二本だ。

轟音と共に降り注いだ雷の矢に貫かれ、シギルは諦めの笑みを浮かべる。


(駄目だ。やっぱり、勝てない)


 攻撃力が違いすぎる。そして、耐久力も。至天七柱神に挑むにはもっと強い力が必要なのだ。そう、紀上の姫の支援のような。


(でも、まぁ)


 透子はもう、十分逃げたはずだ。最低限の役目を果たしたのなら、それでもいい。


(……でも、やっぱサイアク。最後に、透子が僕に何を言いたかったのか……ちゃんと聞きたかったのに)


「……」


 最後の時を待つシギルに、黒帝は眼を揺らめかせた。どうするべきか、思案しているようにも見える。

しかし結局やる事は決まっていた。手に構えた揚羽をシギルの首に向かって振り下ろす。が。


じゃり。


「!」


 場違いに響いた第三者の砂を擦る音が静かな公園に響き渡る。思わず手を止め、黒帝は唖然とした表情でそちらを振り向いた。





 はぁ……っ。


城への道のりはもう半分ぐらいは来ただろうか。それほど暑くもないのに、顎にまで伝ってきた汗を透子はぐいと拳で拭った。


(これで、いい、の、かな)


 頭の中で自問する。確かに透子は足手まといだ。空手の達人でも合気道の選手でもない。

力だって運動神経だって、ごく平均的な女子高生レベル。誰かと戦うなんて出来るわけが無い。

けれど、シギルを見捨ててきたという思いが透子の中に罪悪感として残っている。


(護られるって、こういう事、なんだ)


 眉を寄せ、透子は苦しい思いでそう吐き出す。


(誰かを盾にして、生き延びる事、なんだ……)


 このまま処現城に逃げて。

皇希かリピリスか……誰でもいいから、黒帝とシギルの事を伝えて。


透子は助かるかもしれない。処現城は安全かも知れない。リピリスや皇希なら勝てるのかもしれない。だけど、シギルは。

一人で。不意打ちみたいに襲われて。


(嫌だ……)


 正しい選択はわかっている。助けを呼びに戻るのが絶対、正解だ。透子一人では何も出来ない。例え間に合わなくて、シギルが死んでいたとしても。

透子を逃がすための犠牲になってしまっていても。


(そんなの、嫌)


 判っていても、心がその選択肢を否定させた。


(正しくても、嫌だ)


 シギルの死を背負ってなんて生きられない。自分に屈託のない笑顔を向けていた、幼い子供の顔が脳裏から離れない。きっと一生、忘れられない。


透子はごくりと唾を飲み込むと、もと来た道を走り出す。シギルの元へと。


馬鹿な事をしていると冷静な部分が自分自身へと警告する。これはシギルの覚悟を無にする行為でもあるのだと。

黒帝に出会ったあの日、圧倒的な力で締め付けられる息の苦しさを忘れたわけではない。


けど、それでも。

他人を犠牲にして生き延びるなんて、きっと心が許してくれない。


息は上がり、緊張で心臓はうるさいぐらいに鳴っている。それでも透子は疲れを意識していなかった。

何故だろう。

遠い昔も、同じような悔しい思いをした気がする。


強い力が欲しかった。

護る力が欲しかった。

戦える力が欲しかった。


(……戦う?)


 今まで平穏の中で暮らしていた透子が望むには、突飛過ぎるものだったはずだ。透子自身もその違和感に気が付く。

それなのに、求める思いは消せない。


(力……)


 徐々に、公園の入り口が見えてきた。もうすぐに辿り着いてしまうだろう。

じゃり、と透子の足が公園の砂を擦る。微かな音だったにも拘らず、黒帝とシギルはほぼ同時に透子へと視線を向けた。

その視線に怯みながら、それでも透子は駆け出した。


「シギルっ!」

「……っ」


(どうして……っ)


 苦しそうに歪んだシギルの顔。けれど判っていてここまできたのだ。


「透、子……」


 何故戻ってきてしまったのか。いや、そんな事はもうどうでもいい。


(もう、駄目だ)


 黒帝には勝てない。足止めする体力すらない。逃がしてくれるはずも無い。


「……戻ってきたのか」


 透子に見せ付けるように黒帝はシギルの首に揚羽を押し当てる。近寄るな、という事だろうか。咄嗟に足を止めた透子に、黒帝の腕が微かに震える。揚羽を突きつけられているシギルにだけしか判らないような、微かな動揺。


あまりにも露骨な力関係に、透子は一瞬怯んだが、それでも黒帝を睨みつけ、頷いた。握った拳の中に汗が溜まる。


「そうよ」

「……そうか」


 何故、とは黒帝は問わなかった。ほんの一瞬、懐かしさと苦しさを混在させたような表情を浮かべただけだ。しかし、透子はそれに気が付かなかった。


それよりも、黒帝が手にしている見るからに凶悪な刃物の方に注意が向いている。だがそれが幸いした。透子に視線を向けながらも黒帝の腕に通常とは違う力が入ったのに気がつけたからだ。

黒帝の行動よりも早く、透子は地面を蹴って駆け出した。


「シギル!」

「透子駄目っ! 逃げてっ!」


 血を吐くような叫び。シギルは本当に初めから透子のために命をかけていたのだ。


(絶対嫌っ!)


「……」


 それでも黒帝の身体能力があれば、透子がシギルに到達する前に止めをさす事も、十分間に合うはずだった。だが彼は何をするでもなく、シギルに揚羽を突きつけたまま透子の眼を凝視している。


「シギルっ」


 どうするかは決めていた。シギルの体に手を触れると、透子は逆の手で上腕の腕輪へと触れる。


ギンッ!


「っ!」


 いきなり割れた空間に、ヘタに巻き込まれぬようにと黒帝はシギルから離れて距離を取る。だが動揺は一瞬で終わった。すぐに揚羽を空間の割れ目に突き刺す。


「逃がすか!」


 ただでさえ不安定な空間に別の力が干渉して、割れ目の周りがぐにゃりと歪む。流石にこれ以上の負荷は危険だと、舌打ちをして黒帝は揚羽を引いた。

不安定なまま空間は透子とシギルを飲み込み割れ目を消す。


「揚羽」


 己の力の化身である黒い揚羽蝶を呼び出す。姿を消した透子とシギルがどこへ行ったのか、黒帝にはすぐに見つける事が出来た。

すぐさま空間を捻じ曲げ、躊躇いなくそこへと足を踏み入れる。二人の後を追うつもりだった。





「うっ……」


 歪んだ空間から放り出され、気持ちの悪さに透子は呻く。移動で眼を閉じてしまっていた事に気が付き、そんな事をしている場合ではないと慌てて目を開く。目の前に広がったのは予想と違う光景だった。見覚えのある無人の校舎。文科系の部室のある第三棟だ。


おそらくは自宅に出るようになっていたはず。黒帝の干渉でやや到着地点がずれたのだろうが、この際それはどうでもいい。


「駄目だ透子……黒帝も空間を渡れる」

「判ってる。でも、これでもう一度発動させれば」


 出る場所は処現城の、透子の部屋のはずだ。手で触れているシギルの姿を確認しようと首を巡らせた途端、そこに第三者がいる事に初めて透子は気が付いた。


学校は休みのはずだが、部活ででも出てきていたのだろうか。この場に最もふさわしい制服姿で、彼はそこにいた。


「……鈴、宮……」

「……木城」


 ほんの一瞬、二人は互いを見つめ合う。だがその一瞬を逃したおかげで透子は腕輪を使う機会を逃してしまった。

紫雷が空間を駆け抜け、黒帝がひどく場違いな様相で校舎へと降り立った。


「……」


 一摩の姿を認め、黒帝は露骨に眉を寄せる。一方の一摩は透子と、そしてシギルに眼を走らせると二人を庇うように黒帝の前へと立つ。


「……お前がやったのか」

「あぁ」


 弁解も何もない。肯定しか返さないその態度に一摩は強く唇を噛む。


「どうしてだ」

「弱かったから」

「……黒帝」


 透子にしてみればそんなものは理由にすらなっていない。だが一摩はその言葉に、僅かに罪悪感のようなものを滲ませた。


「そんな顔、すんな」

「黒帝」

「どっちにしろ今日は退く。気ィ削がれた」


 言葉どおりに背の羽根を広げると、黒帝は飛び去った。おそらくは天上の住まいへと。


「……鈴宮……」

「ごめん」


 震える声で自分を見上げる透子に、一摩は一言、明確な言葉を紡いだ。


「取り敢えず、その子を癒そう。……来い、(にしき)


 空間を歪ませ、一摩はそこから一匹の真白の蛇を招いた。腕から首へと巨体をくねらせて巻きつくと、僅かに碧の虹彩の入ったその縦長い瞳孔の瞳をシギルへと向け、しゃあ、と小さく牙を見せてそれは啼く。


小さいはずのその啼き声は、静かな部室棟にひどくはっきりと響き渡った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ