新監督・武藤の型破りな指導に部内が動揺する中、シンと京子は彼の凄絶な過去を知る。複雑な家庭事情から心を閉ざすシンだったが、京子の想いに触れつつ、部員の大半がボイコットした道場に一人残る。
湘東学園剣道部は、総勢三十四人。
中等部男子が九人。女子が八人。高等部男子が八人。女子が九人。
高等部三年生は既に引退しているため、主将は高等部二年の清水先輩。
そして、女子主将が音羽京子、キョウちゃんである。
俺が、中等部二年まで、湘東学園高等部剣道部は、新人戦、関東大会、インターハイの予選で、ベストエイトに名を連ねていた、いわば準強豪校と認識されていた。
その高等部に触発されて、中等部も、地域大会を突破し、関東大会への出場常連校だった。
それが、俺が中等部三年になったとたんに、弱小校となったのである。
原因ははっきりしている。
湘東学園剣道部を指導してきた、熱血監督が、突然、福岡の剣道強豪校の監督にスカウトされて、湘東学園を去っていった為だ。
学園側でも、その熱血監督に代わる顧問を、手をつくして探したらしい。けれど、それが、いつのまにかずるずると長引き、挙げ句の果てに、全く剣道経験の無い、女性教師を顧問に仕立て上げた。
それは、それで良かったのだが、その顧問。練習に立ち会うでもなく、ただ、試合や練習試合なんかのスケジュール調整と引率だけという、見事に事務的な業務のみに徹することを心情としていた。
その為、日々の練習メニューは、主将を中心とする上級生らで組まれた。
その練習メニューたるや、一種悲壮感が漂っていた。
面を付けずに基本の素振り二十本。左右面二十本。早素振り二十本。
その間、中等部員に、高等部員が、手取り足取り、基本を教える。
それが終わると、面を付け、中等部、高等部、それぞれが、元立ちを変えながら切り返し、面、小手、胴打ちをそれぞれ十本。
そこで、面を一度取り、一息入れる。
長い休憩の後、それぞれ相手を選んで、地稽古に入る。たまに、試合稽古をやるが、それは、それぞれの部員のきまま勝手に許されている。
それで、あっというまに二時間半が過ぎて、ハイおしまい。
これで強くなれるんだったら申し分ないが、それって、絶対ありえない。
なんとも、ユル〜イ、なれ合い練習。
剣道に限ったことではないのだろうが、以前から経験してきた者と、これから始める者との間には圧倒的な差が露呈される。
道場に通っていたのならいざ知らず、全く初学で、中学から剣道を始めた子は、初歩の初歩から学ばなければならない。
その本人はともかく、教える方が大変である。初心者に教えることは難しく、また、かなり時間をかけなければならない。その為、高等部員は、中等部新入生が入ってくると、自分の練習以上に、その子らに教える時間が長くなる。
これは、男子も女子も同じで、今年から女子主将となったキョウちゃんでさへ、自分の練習時間を割いて、初級者の指導につきっきりになることがあり、現状をなんとかしなければならないとがんばってはいるものの、練習メニューを強化するとか、そういう、余裕自体が無くなっている。
俺はと言えば、キョウちゃん曰く、流れに身をまかせるだけの枯れ葉のごとく、現状打破なんて、考えてもいないし、考えようともしていない。
ただ、惰性で部活動出席の任務を果たしているだけの存在に徹している。
そんなヌルイ空気を、一気に打ち破る、ある出来事が、突如として勃発した。
夏休みに入った初日。ある新任教師が、突如剣道部練習場に現れ、何の前触れもなく、こうの賜ったのである。
「校長先生から、剣道部顧問を仰せつかった、武藤鉄心です」
突然現れて、そう挨拶した先生を、全員がポカンと見つめている中で、その先生は、続けてこう言った。
「いやぁ〜 その、剣道部顧問や監督の経験はないんだけどね・・」
・・・また、事務屋やか・・・
誰もがそう思った。
琢成館に通い始めてから、既に二年の歳月が流れていた頃。
俺は、小学校五年生になり、キョウちゃんは六年生になっていた。
自分でもよく続いていると感心している。
と言っても、俺は、何回も辞める決意をし、道場に通うことを拒否したこともあった。
その度に、キョウちゃんが、何とか俺を説得して、道場に連れて行き、その繰り返しの中で、気づけば二年の歳月が流れていた。
琢成館では、面を付ける前の基本練習はしない。
いきなり、早素振りを百本、数分の休みを入れて百本、合計三百本を行い、それが準備運動の代わりとなる。
その後、初級者を除いて、全員面付けとなり、元立ちの先輩のところに、我先にと並ぶ。
はじめ!の太鼓の音と同時に、切り返しが開始される。
前後九本の基本の切り返しを十本行い、それに続いて、道場の端から端までの連続切り返しを延々と続ける。
止めの太鼓の音と同時に、一度整列する。この段階で、ほとんどの者は息があがっている。
お師範が、その日の元立ちとなる者を指名して、それぞれが、その元立ちの前に並ぶ。
はじめ!の太鼓と共に、地獄のかかり稽古が始まる。
通常、二分程度で一度止めの太鼓がなるが、だれか気を抜いている者がいると、それが延々と続き、止めの太鼓がならない。
それが長く続くと、腕さへも上がらなくなり、足も前に出なくなる。
それにもまして厳しいのは、一度面を付けると、稽古が終わるまで中断なく、面が脱げないことだった。慣れた先輩などは、竹刀の切れっ端の先を面がねに入れて、かゆくなったところをかいている。
それが終わると、十分間の休憩を入れて、って言っても面は付けたままだが、地稽古に入る。
この地稽古には、お師範自らが元立ちとなることから、一回はお師範と合い対いさなくてはならないものだから、一番きっっついお師範との稽古を先に済ませようと、我先にとお師範の前に殺到する。
お師範と、相対した時、異様な空気を感じる。そして、まるで隙だらけのお師範に、どこから打ち込んでいいのか分からない状態になる。
我慢できなくなり、一気に攻懸ると、その瞬間、竹刀ではなく、足が飛んでくる。こちらの出ばなに、胴をねらったお師範のけりが見事にヒットして、俺は、後に吹っ飛ぶ。
剣道に足蹴りはないだろうと、ムキになって、また突っ込むと、今度は、突きが飛んでくる。
小学生に突きはないだろう〜って考えていたら甘い。
ここでは、それが常識なのだ。
キョウちゃんは、小学校六年になってから、道場にあまり通わなくなり、夏休みからは、全く顔を見せなくなった。
それを母さんに言うと、
「あら、知らなかったの、京子ちゃん、中学受験するのよ」
「中学、、受験・・・?」
「そう、だから塾に通ってて、道場には行けないのよ」
知らなかった。って、当のキョウちゃんからは何も聞いてない。
一人で通う道場。俺は、初めてキョウちゃんのいない空間の寂しさを知った。
その翌年、俺は、当然だが小学校六年生となった。
桜も散り始めたある日、いつもの様に、道場へ行き、そそくさと防具を付けていると、後からいきなり声をかけられた。
「桐生くん! やっちょるかね!」
ヘェ?とぼんやりと後を振り向くと、そこには、全身白尽くめの女子が立っていた。
「え、え〜と、おはよございます」
キャハキャハキャハ。いきなり笑い出す、その白女。
「やだ!シンちゃん、あたしだよ、あ た し 」
げ、キョウちゃん。
胴衣は、上も下も白。防具も、小手、垂れが白、胴だけが、白の淵の赤。んで、全体的に白女の胴衣の袖には、湘東学園と刺繍されている。
下から順に、目を上に上げていくと、長い黒髪が見えてきて、そんで、キョウちゃんの顔。
「どうよ、これ、どうなのよ」
キョウちゃんは、久しぶりに会ったにかかわらず、そんなことにかまわず、その衣装を見せびらかしている。
「キョウちゃん!」
俺は、思わず叫んでしまった。
キョウちゃんは、見事に受験に成功し、湘東学園中等部に入学し、同時に、剣道部に入部したと言う。
しかし、半年見ない間に、なんか、おねーさんぽくなっていることに驚いている俺に、
「あたしが通えないあいだ、よくぞ留守をまもった」
と、訳のわからんことをの賜った。
とある日、学校帰りにいつも通るファミレスの前で、俺は、ある人を見つけた。
キョウちゃんのお父さん。
その人は、ファミレスの窓際に座って、向かいに座っている人と何やら楽しそうに話をしていた。
向かいに座っている人・・・・
歩きつつ、向かいの人の顔がだんだんとはっきり見えてくる。
えっ
母さん!
家に帰った俺は、なんだか、苛ついていた。
晩ご飯の時も、ブスっとしたまま、食い続け、なるべく母さんを無視するようにしていた。
「どうしたのよシンちゃん。今日は機嫌が悪いわね」
「俺、今日みた」
「見たって、何を」
「キョウちゃんのお父さんと、ファミレスにいただろ」
一瞬。ドキッとしたように見えた母さんは、間を置いて言った。
「シンちゃん。京子ちゃんと同じ学校行きたい?」
へぇ?
「実はね、今日、音羽さんに、中学受験について、いろいろご相談にのってもらってたのよ」
「中学受験っって、、塾行かなきゃなんないんだろ」
「普通はそうね」
「そうねって、うちは、父さんいないし、、、その・・・お金だってかかるんだろ」
「そう、その為に音羽さんに相談したのよ」
「そのためって、なによ」
「塾に行かなくても、経験者に家庭教師に来てもらえばいいのよ」
か、家庭教師・・・・・
その翌々日だった。
夜七時ころ、キョウちゃんが、俺の家に突入してきた。
大きな段ボールを抱えたキョウちゃんは、いきなり俺の部屋は入ってきて、その重そうな段ボール箱を床に降ろした。
「はぁ、重かった」
「なんだよ、いきなり!」
「あら?おばさんから聞いてなかった」
「・・・・・聞いてないよ」
「今日から、あたしは、シンちゃんの家庭教師、先生とおよびなさい」
なぁ、なんだよそれ。
「目指すは、一つ、あたしと同じ、湘東学園合格よ」
そ、そうなのか・・・・
キョウちゃんは、段ボール箱から、自分が塾で使っていた参考書、問題集を次々に出して、俺の机の上に積み上げていく。
「いい、今日から、これを使って勉強してもらいます」
「こ こんなに、、」
「毎日は来れないけど、その日にやることは、全部あたしが指定するから、シンちゃんは、それを真面目にやってちょうだい」
「そんなんで、いいのかよ」
「大丈夫、あたしが先生なんだから」
いや、だから心配なんだろ。
さてと、と言いながら、キョウちゃんは、早速、今日やる科目と範囲をテキパキと決めて、それをやるように俺に指示をした。
俺は、うんもすんもなく、なんだか知らないが、その指示に従わざるを得ない状況に追い込まれた。
その日は、よくないけど、よかったのである。
数日後、家にきたキョウちゃんは、竹刀を持ってきた。
そして、いつも通り、問題集の指定範囲を指示すると、いきなり部屋の中で素振りをはじめた。
ブン、ブン、ブン
「キョウちゃん、うるさいよ」
「しょがないでしょ、時間もったいないんだから」
いっこうに素振りを止めないキョウちゃん。
「そんなこと言ったって、気になって集中できないよ」
「むっ おぬし、甘い。どのような状況でも集中できなければ武士とは言えまい」
武士っって・・・
これが、ほぼ一年続いた。
俺が湘東学園に合格したのは、ほとんど奇跡に近いものだった。
湘東学園に晴れて入学を果たした俺は、剣道部に入った。
放課後、顧問の先生に入部届けを出しにいく。
いかにもゴッツそうな強面の顧問が、俺をじろりと睨んだ。
「お前、経験者か」
「一応、小学校から道場に通ってますが、、」
「ふむ。入部を許す。今日中に床屋いけ」
「と、床屋ですか?」
「スキンヘッドはいかんぞ、三分がりだ」
「はぁ、、」
湘東学園剣道部では、男子の新入部員は、全員、頭を三分がりしなければならない掟があるらしい。
まじか?
次の日、俺たち新入剣道部員は、男子も女子も先輩達が来る前に、道場の掃除をして、それが終えると、先輩達の到着を待つべく、壁際に一列に整列させられ、先輩達が道場に入ってくるごとに、
「ちわっっっす!!」
とどでかい声で挨拶させられる。
先輩達は、それに応えて、
「ちわっっっす!」
「ちょっっっす!」
などと、返事を返して、じろりと俺たちを見渡して、更衣室に消えていく。
新入部員女子は、真新しい白の胴衣で、極めて初々しい。
それに比べて、俺たち男子部員は、全員ボウズ頭にさせられ、中には新品の胴衣を着ている者もいるが、俺なんかは、あっちこちすり切れて、色も何色なのか判別できないほど使い古した胴衣で、そこにただ立たされている。
なんか、俺だけ、非常にむさい。って、いうか汚い。
気づくと、いつの間にか、道場の端で、五、六人の先輩女子部員が、固まって、何かヒソヒソとやっている。よく見ると、その固まりの中心に音羽京子、キョウちゃんがいて、ちょっと、こっち、こっちって感じで、おれを手招きしている。
おれは、列を離れて、そこへ小走りで歩み寄った。
「桐生君、ご挨拶は?」
キョウちゃんは、偉そうに俺に命令する。
「は、はい。桐生心です! よろしくお願いしますっっす!」
「桐生君、、す が一つ多い!」
キャハキャハキャハ!!!
突然、そこにたむろしていた先輩女子部員が、はしゃぎだす。
「カッワイイ! ボウズ頭、一休さんみたいね」
「ていうか、絵に描いたような チューボー ね」
キャハキャハ、キャピキャピ
勝手に言ってろ、バカたれが・・・
「この子、あたしの弟子みたいなもんだから、みんなよろしくね」
で、弟子・・・
「はぁぁい。みんなで、鍛えちゃいます〜〜〜!」
語尾をのばすんじゃねえよ。アホ丸だしじゃんか!
キョウちゃんは、用が済んだから、シッシッて感じで、列に戻れと手で指図する。
んなぁろ、、、と思いつつも新入部員は、ただ耐えるのみと自分を納得させて、壁際の新入生の列に戻る。
俺の隣に突っ立っている男、よく見ると、サザエさんのカツオをそのまま立体化したような、それこそ、絵に描いたチューボーみたいなやつが、俺に話かけてくる。
「今、呼ばれたのって、もしかして噂の音羽先輩か?」
「ああ、音羽京子だよ」
「お前、知り合い?」
「べっつに、あんなやつしらね〜よ」
「あんなやつって、それはいかんぞ、、。あの、チョウまぶい、チョウピカリッてる先輩に対して」
林一男。後に、俺の悪友となるその男は、チョウ チューボー の自分の姿に似合わない言動をする男だった。
当時、全国中学校剣道大会は、年に一度、それも、六月開催だから、新入部員にとっては、過酷な大会であった。
俺は、その中体連以後、女子の先輩達から、チューボー とは呼ばせない結果を出した。
一年生だから、当然、団体戦のメンバーには入れてもらえなかったが、一年生から三年生までの混成の個人戦で、地区大会優勝。続く、地域大会で優勝。
関東大会で、三回戦まで勝ち進んだものの、優勝した相手と当たってしまい、惜しくも全国大会出場を逃した。
関東大会の三回戦。
相手は、筑波学院・高梨。
俺は、高梨に本当の負けを教えられることになる。
地区大会、地域大会では、中には手こずった相手もいたが、琢成館で、痛めつけられ続けた俺にとっては、先をとること以外、何も考えなくても、俺の旗が上がった。
しかし、高梨だけは違っていた。
はじめ!の声とともに、俺たちは、すっっと立って、気合いの一声を放つ。
高梨の声は、異常に低く、腹の底をえぐるような声だった。
互いに、す、すっと、間合いを詰めていく。
高梨の剣先は、小刻みに上下運動をしている。
ふむ、、自分から開けてくれる相手か?
と思いつつ、もう半歩間合いを詰める。
ん?
そこまで来て、俺はやっと気づいた。
剣先こそ小刻みに上下、左右の運動をしているが、左拳が微動だにせず、常に中心、俺の正中線に付けられている。
これは、今までの相手と違う。
直感した俺は、す、す、と間合いから素早く遠ざかる。
ずんっ!
下がったと思わせて、いきなり、右足だけを前に出して、床音を響かせる。
む、む反応。
高梨の構えは、何事もなかった様に、微動だにしない。
通常の場合、攻めて、打ち間に入ると、相手は無意識に腕の一部分を挙動させる、そして、その挙動が隙を生み、そのまま攻めて、その空くであろう打突部に迷いなく一撃を与える。
攻めの気概を隠しながらも常に先を取る俺の剣道に、相手は無意識のうちに何らかの反応をするものだ。
高梨の剣風は、何事にも動揺しない、言わば、静の剣風に見えた。
互いに中断の構えのまま、小刻みに足を使って間合いの取り合いが続く。
高梨は、決して自分からしかけてこない。
互いの間合いが悟られていない今、俺は、俺自身の間合いを信じ、剣先がふれ会わないかなりの遠間から予兆を見せずに面を狙った。
高梨はそれを首を傾けることによって避けたが、動揺の色はみじんも見せなかった。
うかつに深く入り込むことができない。
刻々と時間だけが経過して行く。
延長戦には持ち込みたくない。
そう心のどこかで感じた一瞬。俺の右足が、無意識に半歩でた。
「コッッテェーーイ!!!」
その瞬間だった。
高梨の鋭い振りが、俺の小手を痛打した。
・・出ばなを狙いなさい・・・
琢成館、お師範、藤森先生からいつもお教え頂いていたその技。
高梨は、見事にそれを実践して見せてくれた。
「コテありっ!」
そのまま、時間切れで、俺は高梨に一本負けした。
翌年、中学二年になった俺は、団体戦大将として、地区大会、地域大会を順調に勝ち進み、関東大会までは進んだが、トーナメント二回戦負けの結果に終わった。
個人線では、やはり関東大会まで進んだ。しかし、またしても三回戦で高梨と相対することとなった。
お互いに背丈が伸びて、中学生なりの重圧感を醸し出している。
だが、しかし、高梨の剣風は、明らかに変貌していた。静の剣風は影を潜め、攻めだけのパワー剣道に一変している。
間断のない攻め、打突、体当たり、反則ぎりぎりの技。どれもこれも去年の高梨の剣風ではなかった。
一種、狂気を帯びた高梨の気概に、俺はなすすべがなく、結果は昨年と同じく高梨の小手の一本勝ちに終わった。
高梨から見て、俺はライバルとは言えないほど弱い。
けれど、俺にとって、高梨は目標であり、倒さなければならない相手として、強く意識せざるを得ない存在となっていった。
しかし、剣道部員全員の情熱と、俺自身の情熱は、剣道部監督自身の突然のスカウト劇によって、いみじくも木っ端みじんに吹き飛ぶこととなった。
夏休みに入って、突然現れ、剣道部顧問となったことを唐突に表明した、武藤鉄心なる教師は、やはり、予測通り、事務屋に徹していた。
夏休みも中盤にさしかかり、部員たちは、いいかげん、その暑さにだれ、ただ、淡々と流れる時間に身を任せ、時間が来るとさっさと帰宅のとにつく。
夏休み初日に、自ら顧問となったことを宣言した武藤鉄心先生は、毎回りちぎに稽古に現れるが、ただ、じっとそれを見つめ、稽古が終わったら、さっさと帰るという、基本的事務をそつなくこなしていた。
お盆休みに入ろうとしていたその日、稽古前に、武藤顧問から、部員にお達しがあった。
本日は、平服で、三年E組の教室に全員こられたし。ミーティングを行う。
部員達は、何事か、、と言うよりも、今日は稽古なしだっていう喜びで、半分ルンルン気分で、教室へ向かった。
教室に入ると、そこには、既に武藤先生と、それから、鳩山という化学の専任の先生が教室で待ち構えていた。
みんなは、その様子を怪訝な目でみながら、バラバラに席に着いた。
「みなさん、ご苦労さまです」
「ちわっっす・・・」
「今日から、僕は、剣道部監督となりました。そして新たに、顧問の先生として、鳩山先生がご就任なされます」
「どうも・・」
立っているが、影が薄くてその存在さへも気づかない、鳩山先生が、神妙に挨拶する。
「???」
みんなは、挨拶も忘れて、二人の先生をポカンと見つめる。
「鳩山先生は、剣道四段、大学まで剣道をお続けになっていた方です」
へぇ! この影がチョウ薄い、気弱そうな先生が・・・
みんなは、驚いたように、互いを見合い、なにそれ!的にガヤガヤと騒ぎだす。
「鳩山先生には、主に中等部の諸君のご指導をお願いします」
な、なんでっ! みんなの、、ガヤガヤがいっそう大きくなる。
だったら、はじめから、鳩山先生が顧問になってくれればよかったんじゃんかよ! 誰もが、そう思ったはずだ。
そのガヤガヤを完全に無視して、武藤監督は話を進める。
「さて、みなさんの稽古の様子をこの数週間見させていただいて、今後の僕の方針を表明します」
今後の方針?
みんなが、半分あきれ顔で、武藤・・監督を見返す。
「まず、試合のオーダーを発表します」
はぁん? 試合って、いつあったっけ、秋以降までないじゃん。
みんなは、武藤監督が何を言っているのか意味がわからず、互いを見合った。
「あの、先生!」
いきなりという感じで、我賀先輩が席を立った。
「なんでしょう?」
「いや、その、失礼かもしんないですけど、先生は剣道の経験ないからわかってないと思うっすけど、試合のオーダーって、普通、試合直前に、その時の調子いいやつから選ぶのが普通っすけど」
「普通、、常識ってやつですか」
「そっす。常識ってやつっす」
「それでは、今から、その常識を変えましょう」
な、なんと。常識を変える。
我賀先輩は、あきれ顔でドスンと座る。
「試合のメンバーは、それぞれのポジションによって、役割が異なります。また、それぞれのポジションの人は、そのポジションに責任を持たなければなりません」
「・・・・」
「それぞれのポジションに選ばれた人は、試合直前になって、その役割を理解しても遅いんです。だから、以前から、自分のポジション、そのポジションの役割、責任を果たせる心を整え、磨き、そのポジションにあった自分自身を形成するのです」
ふむ、なんかわからんが、なんか納得できる。
教室は静まりかえっている。
「それでは、ポジションを発表します」
むむ、、。いきなりかよ。
「先鋒 二年、我賀君」
あったりまえだろと、うなずいている我賀先輩。
「次鋒 一年、林君」
げっ! なんで、なんで、って感じで、林は自分自身を俺か、って指差している。
それを聞いて、部員達がガヤガヤはじめる。
「中堅 二年、清水君」
「副将 二年、沖君」
「そして、大将 一年、桐生君」
武藤先生が、それを言い終わると、教室中がざわめいた。
なんだそれ? おっかしいじゃん。
そのざわつきを無視して、武藤先生は、続いて、女子のメンバーを発表した。
結果として、大将がキョウちゃん、先鋒がキョウちゃんと同級で、その他の三人は一年生という布陣だった。
教室のざわつきが収まらない。
これはまずいと、さすがに感じたのか、主将の清水先輩が席を立った。
「監督、それはおかしいと思います」
「何がですか?」
「だって、俺たち最上級生は、五人以上います。メンバーに一年生が二人居るということは、最後の年の試合に出られない最上級生が何人も出ることになります。まして、女子は、最上級生が二人しかメンバーに選ばれていません」
そうだ、そうだよ。ザワザワ
「僕は、あなた達の中等部からの戦績を全て精査し、頭に入っています」
「ということは、過去の戦績からメンバーを選んだということですか?」
「いえ、過去の戦績は全く関係ありません」
何言ってんのこの人ってな空気が教室中に漂った。
「さきほど、僕は、ポジションを与えられた人は、その責任を果たすべく、自分を磨きなさいと言いました」
「・・・」
「その為に、現時点で、それぞれのポジションに一番適性のある人を選んだつもりです」
「て、適性・・・っって」
なんか、言いくるめられている感じがしたが、みんなはそれ以上反論できないまま武藤監督を睨むしかなかった。
「ポジションのローテンションは行いません。ですが、補欠、補欠以外の人と、メンバーの入れ替えは、僕の判断で随時行います。ですから、メンバー、非メンバーに、序列はなく、全て同列です」
男子の場合は、一番小煩い我賀先輩がメンバーに入ったため、それ以上反発する声が上がらなかった。
けれど、女子の場合、最上級生が多く、しかもキョウちゃんを入れて二人しかメンバーに入っていない為、キョウちゃんは、この先、女子達を統制していくのに苦労することは目に見えている。
それまで、黙っていたキョウちゃんは、おもむろに武藤監督に質問した。
「先生のお考えになる、各ポジションの役割、責任とは、なんでしょうか?」
「それは、みなさんが、それぞれ考え、ご自分で答えを見つけていくことです」
まったく、取りつく島もない。
続いて、鳩山先生が中等部のオーダーを発表する。
俺たち高等部員は、それさへ耳に入らない様子で、自分たちが置かれた状況を冷静に判断できず、困惑していた。
それを無視するように、武藤監督は続ける。
「これから、九月の中頃まで、中等部、高等部共に、同じ練習メニューを行い、それ以後、別メニューの練習に入ります」
「基本方針は、中等部は、徹底した基本打に徹し、そして勝つ」
「・・・・」
「高等部は、正剣を徹底的に磨き、そして勝つ」
「・・・・」
「目標は、中等部は、中体連全国出場」
「・・・・」
「高等部は、インターハイ優勝です」
ここまでくると、冗談の何者でもないものになる。
何夢みてんの、以上に、笑いさへも出てくる。
「練習メニューの詳細は、明日以降、発表します。みなさんは、胴衣ではなく体操着で練習にのぞんでください」
た、体操着・・・・
「それと、九月の中頃まで、高等部のみなさんは竹刀を持たない様に。家に帰っても素振りはしないようにお願いします。中等部のみなさんは、家に帰ったら、腕が上がらなくなるまで素振りをしてください」
「・・・・・」
みんなは、その全てに疑問を感じつつ、質問することさへ面倒になっている。
重い空気が教室を包む。
「それでは、みなさん。明日からがんばりましょう。今日はこれで解散」
なにが、がんばりましょうだ。みんなは、そう宣言する武藤監督を無視するように教室を出た。
その日、家に帰って机に座った俺は、何もする気がおきず、武藤監督の言葉を、考えるともなく頭の中で反芻していた。
たぶん、部を辞めるやつが続出するんじゃないかってことは、容易に予想がつく。
俺自身にしたってそうだ。上級生を差し置いて、別に大将のポジションに入ることなんて、考えたことも、望んだこともない。
考えても、考えても、何も答えが浮かんでこない・・・
ん?
そういえば、武藤監督が最初に、挨拶した時なんて言った?
「剣道部の顧問の経験はない・・・」
確かに、そう言った。
剣道の経験は無い、とは言っていないじゃないか?
それに気づいた俺は、パソコンを立ち上げ、ググってみる。
キーワード、武藤鉄心
・・何もヒットしない。
剣道 空白 武藤 げげ、ありすぎる。
剣道 空白 武藤 空白 鉄心 おっ一件ヒット。
クリックすると、なんと、東京武道大学のページに飛んだ。
そして、武藤 鉄心 の名は、かなり古い年代のOB一覧にあった。
しかし、それ以上の情報はなし。
東京武道大学OB。まさか。
今度は、東京武道大学 武藤 で検索したが、やはり先ほどのサイト以外出てこない。
ふ〜む。あっ!
武藤だから、Mか?
剣道 東京武道大学 M と入れて検索してみる。
一件ヒット。
えっと、、、。ふむ。
雑誌、剣道東日本 平成○年○号 悲劇を乗り越えて・・・東京武道大学 M氏。琢成館・・・文章の断片が羅列される。
えっっ!
俺は、急いでそのペーシをクリックする。
・・・このサイトは、既に削除され・・・・
キャッシュページをクリックしても投稿の内容が削除されている。
武藤鉄心。いそうで、なかなか無い名前のはずだ。
だとしたら、武藤鉄心は、東京武道大学のOBであり、雑誌の対談インタビューを受けるほどの名の知れた人物。
でも、悲劇を乗り越えてって、、しかも、琢成館っって、どう結びつくんだ。
剣道東日本。剣道家にとっては一種愛読書の月刊誌だ。
俺は、思い切って、剣道東日本にメールし、平成○年度○月号のストックがあるかどうか訪ねてみた。
翌日から、武藤顧問の言う練習メニューが開始された。
全員が、胴衣ではなく、体操着。ださいジャージ姿となっている。
「今日から、体力トレーニングと神経系トレーニングを平行して行ないます」
なんですか、それ???
「体力トレーニングは、サーキットウエイトトレーニング、神経系トレーニングは、予測の感性をみがきます」
・・全く、意味わかんないし・・・
言われるままに、練習というか、トレーニングが開始される。
はじめに、敷かれたマットに向かって、立ち幅跳び。
続いて、走り幅跳び。
それが終わると、道場をたてに使って、端から端まで、大きく腕をふって、スキップ。
次に、反復横跳び、それが終わると、反復横跳びの歩幅で、一歩づつ大きく斜め前に飛び、一度そこでためて、逆方向斜めに飛び、次第に前進していく。
そのワンステップが終わる毎に、腹筋、背筋、腕立て伏せをそれぞれ百回行う。
これって、面を付けた稽古よりも、もしかしてきつい。足がカクカクしはじめる。
休憩を挟んで、今度は、お互いが相手を選び、エア剣道の様に、互いに間合いをとって、構えのポーズをとる。
あらかじめ渡された紙に、一回目から五回目と横列に書いている下の行に、それぞれがこれから打突する部分、面なら面と書く。そして、その下の行には、空欄がある。
元立ちが、それを記入し、相対した相手と、竹刀を構えた格好で、実際に最初から決めている打突部を打つ真似を行う。一打一打、行う毎に、元立ちは相手に、今の打突部位はどこだったか訪ねる。それが、表にあらかじめ書いておいた打突部と同じであれば、相手に打突部を見破られたことになる。その場合は、表の下に×を付けていく。
これは、けっこう、面白かった。
やって見て、気づいたが、意外と相手の打突部を見破る、予測するということは難しいことが分かった。
待ちに待った、剣道東日本からの返信メールがきたのは、一週間も過ぎたあたりだった。
「ご期待に添えず申し訳ありませんが、ご希望の年月の雑誌は、なにぶん、かなり古いものとなりますので、既にバックナンバーとしてストックしておりません。なお、国会図書館には寄贈しておりますので、記事内容がご入用でしたら、そちらへお尋ねくだい」
む、な い・・・・国会図書館って・・・
夏休みもそろそろ終わろうとしていた。
学校の部活は、あれ以後、同じ事を繰り返し、繰り返し行い、部員達は、ただ単に、防具を付けるよりも楽って感じで、武藤監督の指示に、不承不承従っていた。
竹刀を握ることを禁じられていたが、俺は、久しぶりに琢成館に足を向けた。
道場は、通常、中学を卒業するまでが一区切りで、高校生以上は一般として自由に稽古参加が認められている。
久しぶりに握る竹刀は、意外と軽く感じられた。子供達を相手にする稽古は無償に楽しい。
剣道って、こんなに楽しいものだったんだ。
道場に来て、改めて俺はそう感じた。
稽古を終え、お師範・藤森先生にご挨拶にあがる。
「ごぶさたしております」
「元気でお過ごしでしたか?」
「はい。なんとか・・・」
「ん? いまひとつ桐生君らしくない様ですが?」
俺は、意を決して訪ねて見ることにした。
「あっはい・・・・・ ぶしつけで申し訳ないのですが、ちょっとお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ふむ。なんでしょ」
「お師範は、武藤鉄心という方をご存知でしょうか」
その名を聞いた藤森先生は、一瞬、驚いたような顔になる。
しばらくの沈黙の後、
「ご存知も何も、武藤君は、当道場のご門弟のお一人です」
「えっ、、」
「そうですね。桐生君とはかなり年齢が離れていますから、ご存知ないかもしれませんが」
「ご、門弟、、、ということは、僕の大先輩ということですか」
「その通りです。その武藤君がなにか?」
「実は、僕の学校の剣道部監督にご就任なされました」
一瞬、間があく。
「そうですか、それは良いことです」
急に笑顔になった藤森先生は、ニコニコと俺を見返す。
「それで、あの〜 武藤先生という方はどのような方なのでしょうか」
怪訝そうに俺を見つめる藤森先生。
「おや、君の剣道部の監督に就任したのなら、君自身が知らないはずはないでしょ」
「それが、武藤先生自身、ご自分の事は何もお話にならないものですから」
それを聞いた藤森先生は、腕組みをして、なにやら思案顔になる。
しばし、沈黙が続く。
「そうですね・・・武藤君は、ご門弟の中でも、私が一番に信頼できる人物のお一人です」
門弟の中で、、、一番信頼できる・・・人物
藤森先生は、それ以上。武藤鉄心については語ろうとしなかった。
俺も、それ以上の事を聞く事ができなかった。
ただ、あの記事の断片に出てきた、Mという人物は、琢成館の門弟にして、俺の大先輩に当たる方であることははっきりした。また、東京武道大学の出身であることも間違いない。
そして、お師範・藤森先生からも信頼されるに足る人物であることも分かった。
依然として謎なのは、『悲劇を乗り越えて』の一文。
武藤先生とこれがどう結びつくのか・・・・・・。
「ところで、今日は、音羽さんはお見えではないのですね」
「えっ?」
「八月の中頃から、毎週いらしてましたよ」
あっあいつ・・・・・・・・。
九月。
二期制を採る湘東学園は、一学期の期末を迎える。
九月の第一週、武藤監督は、それまでのメニューに加え、各種のウェイトトレーニングを加え、さながら剣道・・以外のスポーツ選手養成の為としか思えない練習というか、トレーニングを続けさせた。
武藤先生が何者であるのか、少なくともその一端を知った俺は、この武藤先生の指導を信じてもいいと感じていた。
しかし、他の部員は違う。
単なる思い込みだが、剣道経験が無い人物に、何時まで剣道と関係なさそうなトレーニングを続けさせられるのか、そして、それに何故従わなければならないのか、疑問から怒りに変わってきている部員も多くなってきている。
キョウちゃんでさへ、竹刀を握ることを禁じられているにも関わらず、俺にもだまって、琢成館に通っていた。
九月の第二週、前期期末試験に入り、部活動は中止となった。
日頃勉強していない俺にとって、地獄の徹夜ざんまいが続く。
赤点だけは逃れたいところだ。
試験最終日、全ての科目の試験が終わって、俺は、開放感に満ちた気持ちで学食へ向かった。
その途中、一年C組の前を通りかかり、入り口から何気に中を見ると、林が机に座って、なにやらニタニタと、机に置かれている物体を見つめている姿が見えた。
ん?
俺は、気づかれない様に、ソオ〜と、林の背後から近づき、隙ありっって感じで、林の頭に鉄拳を入れた。
「んぎゃ! いてっ なにすんだよ!」
といいながら、後を振り向いた林は、げげ、やべ!!!てな感じで、机に置かれていたその物体を手で覆って隠した。
「お前、何やってんのよ」
「べ、べっっつに〜〜」
林は、机に置かれている物体をけっして俺に見せようとしない。
「何かくしてんの?」
「な、なんでもね〜よ!」
俺は、強引に、林の手をどけ、その机に置かれた物体の正体が何なのかを確かめた。
「やっ、やめれって!! あっ!」
林は、悲鳴をあげる。
「・・・・・・・」
あっけにとられる俺。みっかっちまったと気まずそうな顔をする林。
机に置かれた物体。それは弁当だった。
しかも、一目見て分かる。
弁当を構成するおかずの種類、その配置。そして、その容積の大部分を占めている卵焼き。
これって・・・・・
明らかに、葵美香が制作した弁当そのものだ。
「なんで、これ、ここにあんの?」
「ん、いや、その、なんだ・・・」
俺は、いきなり林の胸ぐらをつかんだ。
「林! お前が犯人だったのか!!」
「はっ、犯人ぅって、人聞きのわるい・・・」
「俺が、見事に美香にフラレた。その噂流したのお前だろって聞いてんだよ!」
おどおどしていた林が、急に開きなおった感じで、俺の手を突き放した。
「お前の為にやったことさ!」
「俺の為、だってっ。ふざけんな!」
「いんや、ほんとは、お前の為っていうより、京子先輩の為さ」
「なんで、そこにキョウちゃんが、入ってくんのよ!」
「・・・・・」
「なんとか言えよ! てっめえ!」
林は、開き直ったのか、悪びれもなく、俺を冷静な顔で見つめる。
「お前、知っててそうなの、それとも単に鈍いだけのやつ?」
ん?
どっかで、聞いた様な言葉。
「抱えた問題から目をそらし、自分からは何も解決しない」
「何よそれ」
「俺は、知ってる。てか、感じざるを得なかった」
「な、何をよ」
「お前、中三の時から、急に変わった。京子先般に対する態度」
「・・・・」
「京子先輩はいつも通りなのに、お前だけが、一方的によそよそしい態度をとり始めた」
「そんなこと」
「ない!とは言わせんぞ。いくら部内だとは言え、なんで、あんなに他人行儀な態度に変貌したわけ?」
「・・・・」
「それだけじゃない。お前、部活以外でも京子先輩を無視するような態度とりづづけてきただろ」
「そんなことねぇよ・・・」
「幼なじみなんだから、いいじゃんかよ。部活のみんなだって、それ以外のやつだって、お前ら二人の仲は公認済みだし、変な噂なんて流れたことだってないじゃんかよ」
「・・・・」
「お前に何があったのか、そんなことはどうでもいい」
どうでも・・いい・・
「二人の仲が、ほんとはどうなのか、それも俺には関係ない」
「・・・・」
「けどよ、京子先輩、お前のそのなんだか知んない変化に、最初は戸惑ってたみたいだけど、その内、なんか寂しそうにお前を見るようになって、そんで、それがだんだん、悲しそうな顔になってきて・・・・」
「・・・・」
「俺、分かったような気がしたんだよ。京子先輩の気持ち」
「気持ちって・・・」
「お前だったらどうするよ。自分の一番大事に思ってるやつから無視するような態度とられたら」
「一番大事って、俺たち、そんなんじゃねぇよ」
「そうか、でも、そう言い切れんのかよ」
「・・・・」
いつもの林らしからぬ、真剣なまなざしで俺を見る林。
「そこにもってきて、後輩からお前との仲をとりもってくれって、相談受けた京子先輩の気持ち・・・悲しすぎるじゃんかよ!」
「なんだ・・よ・・それ・・」
「ああ、そうさ、お前が美香にフラレたって、噂流してやったのは俺さ」
「・・・・はいたな」
林は、全く悪びれていない。
「京子先輩が、あまりにも哀れに感じたんだよ! それに、何もはっきりさせようとしないお前の態度にも頭にきたんだよ!」
俺は、林の逆切れ攻撃に・・・なぜか反論できなかった。
中学三年の時、熱血剣道部顧問は、福岡崇徳学園、強豪中の強豪校へスカウトされて行った。
俺たちは置き去りにされ、見事に裏切られたのは確かだ。
世の中ってそんなもんだよな。なんて、とても割り切れる問題ではなかったし、絶対にそうは思いたくなかった。
けれど、現実はどうだ。熱血顧問に指導を受け、その顧問を信じ、部員の全てが同じベクトルの中で、高い目標に向けて努力を重ねてきた。
その根本が崩壊した瞬間から、張りつめていた糸が一瞬にして切れた。
裏切られたことへの怒り、それ以上に、目標を失ってしまった失望感。
それ以後、俺は、剣道への情熱が急速に冷めていった。
けして良くはないが、それだけならよかった。
剣道部顧問の裏切り事件の直後から、俺は、ある出来事を何度も目撃してしまったのだ。
俺の母さんと、キョウちゃんの父さんが、ファミレスや喫茶店で何度も会っている。
俺は父さんの存在を知らない。と言うより覚えていない。俺が三歳の時に病死したからだ。幼い俺を抱えた母さんは、以後、女手一つで俺を育ててくれた。
キョウちゃんは、小学二年生の時に近所に引っ越してきた。
けれど、父さんと二人きりでだった。後から判ったことだが、どうやら、キョウちゃんの父さんと母さんは離婚したらしい。幼いキョウちゃんを引き取ったキョウちゃんの父さんは、北海道の田舎から、この茅ヶ崎市に引っ越してきたのだ。
桐生家と音羽家は、その後、同じ年齢層の子を持つ家同士ということで、自然な形で交流を深めていった。
ほとんど、姉弟のように育てられた俺たちは、互いの家を行き来し、遊び相手となり、気づけば同じ中高一貫校に進学していた。
その俺たちにとって、当たり前の関係が、当たり前ではなくなった。
剣道に情熱を無くし、部活に魅力を感じなくなっていた俺に、ある日の晩飯の時、母さんは突然提案してきたのだ。
「シンちゃん、お父さんの事覚えてる?」
「なんだよ、いきなり」
「うぅん、そうだよね、シンちゃん小さかったから、記憶ないよね」
俺は、なんか変な予感を感じた。
母さんは、どうしようかって感じで、何かを言いよどんでいる。
「なにさ・・・?」
「・・・・」
「へんなの・・・はっきり言いなよ」
「あのね、、シンちゃん、京子ちゃんのお父さんどう思う?」
「ん? どう思うって、キョウちゃんの父さんは、キョウちゃんの・・・? へぇ? どう思うって? どういう意味さ」
俺は、母さんとキョウちゃんの父さんが何度もファミレスや喫茶店で会っていることを思い出した。
「母さんね、再婚しようかなって・・考えてるの」
「さ、再婚って、誰と?・・・・・あっっ!!」
母さんは、照れたように、なんかもじもじしている。
「ちょっと、まてよ・・・・再婚って、もしかして、キョウちゃんの父さんとか」
「うん。キョウちゃんのお父さんなら、シンちゃんも小さい時から知ってるわけだし、可愛がってもらってるし」
「・・・・・・・・」
「あぁ、今すぐってわけじゃないのよ。シンちゃんにとっても大事なことだし、何より、シンちゃんの了解がなければ、話は決められないし」
「そ、それって、キョウちゃん、知ってんのかよ」
「うん。多分、お父さんがキョウちゃんにお話してると思う」
「・・・・・・・・」
長い沈黙。時計のカチカチって音だけが聞こえる。
「あっ、うん。突然だものね、ごめんね。でも、考えるだけ、考えてみてね」
悪い予感は的中した。
母さんは、照れくさそうに、そそくさと夕ご飯の食器を片付け始めた。
俺は自分の部屋に戻りベッドに身をなげ、今のは夢か的にポカンと天井を見つめた。
突然・・・過ぎる。
っていうか、剣道部が崩壊寸前の、このタイミングで、それか。
ん?
キョウちゃんの父さんが俺の父さんになる。
それって、キョウちゃんが、俺のアネキになるってことじゃん!
冗談でしょ?
いや、冗談じゃない。
冷静になって考えてみれば見るほど、みごとに自然ななり行きだが、俺にとっては、全然自然なことじゃない。
今まで、あまりにもそれが普通のことだったから、キョウちゃんとの関係を考えたことなんてなかった。
一緒に遊んで、
一緒に学校行って、
一緒にプール行って、
そんで、一緒に風呂入って、、、、
て、げっっっ!
俺は、初めて気づかされた。キョウちゃんの存在。俺との関係。いやそれ以前に、キョウちゃんは、一人の女の子。
ありえん!!!
俺は、なんか分からないが、無性にイライラした。
キョウちゃんの存在の意味、いやそれ以上に俺自身の存在意味、キョウちゃんにとっての俺。
ただ、確かに言えることは、今までの様に、キョウちゃんをキョウちゃんとして認識できなくなったことだ。
なんなんだよ、それって!!!
それ以来、俺は、母さんとあまり口を聞かなくなった。
母さんから投げかけられた課題には、けして回答しようとしなかった。
そして、キョウちゃんに対しても、以前の様に接することができなくなった。
キョウちゃんは、幼なじみっていう関係以前に、一人の女の子で、それに気づいてしまった俺は、その接し方自体が分からなくなってしまったのだ。
前期期末試験が終わって、二日ある試験休み。
その一日目に、我賀先輩と清水主将の連名で、メールが配信されてきた。
これ以上、監督の独断に従うことはできない。
諸君は、剣道部員として、あるべき方向に向かう。
試験休み開けの稽古には、一切出るべからず。
これ、まずい。
確かに、みんなは武藤先生が、剣道未経験者で、単に校長から頼まれて監督に就かされ、剣道の事は何もわからないまま、ただ、体力作り的なトレーニングを繰り返しているだけだ・・・・と思い込んでいても仕方が無い。
武藤先生自身、ご自分の経歴を一切披瀝していないからだ。
しかし、武藤先生は、剣道東日本の記事となったMであり、東京武道大学出身で、しかも琢成館の高弟でらっしゃる方であることは間違いない。
だとすれば、剣道未経験者という思い込みは間違いで、それどころか、かなり経験豊で、人並み以上の修練を積んできた方に違いない。
その人が、剣道部監督に就任した以上、今までやってきた無意味に見えるトレーニングは、剣道にとって、俺たちにとって重要な意味があるとしか考えられない。
おそらく、このメールは、強情な我賀先輩がひ弱な清水主将を巻き込んで、連名として通達したものだろう。
やばいなぁ。これ。なんとか思いとどませる方法・・・・
やはり、武藤先生の経歴を何かの形で披瀝し、みんなを納得させるしか手はなさそうだ。そうじゃないと、剣道部そのものが崩壊してしまう。
いや、まて。武藤先生自身がご自分の事を語ろうとしていないのに、俺が勝手に、そんな事をして良いはずがない。
それに、疑問はまだ残っている。
悲劇を乗り越えて・・・の一文。
その意味が分かっていない以上、断片的な武藤先生の過去をみんなに知らせるのはまずい。
思案を重ねた俺は、キョウちゃんに相談してみるしかない・・・という結論に達した。
いや、まて、これもまずいよ。
だって、そうじゃん。
中三のあれ以来、俺は、キョウちゃんを部活以外では無視し続けてきた。
電話だって、あれ以来一度もかけていない。
それまで、しょっちゅう、お互いの家を行き来していたのに、それも無くなっている。
要するに、俺は、キョウちゃんを、キョウちゃんとの関係を、無意識に避け、キョウちゃんも、そんな俺の態度を黙って見ているだけの存在となった。
とうてい、電話なんかできない。
それって、なんか、自分勝手すぎないか。
キョウちゃん、電話に出てくれないんじゃないか。
いろんな思いが、俺の頭の中を駆け巡る。
いや、どう言われようと、キョウちゃんがどう思おうと、この問題を解決するには、剣道部女子主将であるキョウちゃんに話すべきだ。
そう割り切った俺は、携帯電話を手にとった。
・・ピィピィ・・・プルプルプル・・プルプルプル
な、なんで俺、こんなに緊張してんだろ。
ドキン、ドキンって、心臓の鼓動が手に伝わってくる。
「はい、京子です」
で、でた・・・・・
「・・・おれ」
「・・・・・・・・・・・・?」
「あぁ、その・・・・・おれ」
「キャハハハハ めずらしいっていうか、ひさしぶりね。そっちから電話してくるなんて、 お れ 君」
キョウちゃんは、やたらにおもしろがっている。
「あのさぁ」
「なに?」
「ううん・・なんつうか・・・相談つうか・・・あるんだけど」
「あれ、もしかして、テスト全然できなかったとか?」
「ちがうよ。それだったらいいんだけどさ・・・」
「おやおや、それだったらいいって、それも十分まずいと思うんだけど」
「と、とにかく、ちょっとめんどっちい話だから、会って話したいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・」
な、なんだ、この沈黙。
「もしもし???」
「うん いいよ。久しぶりに私の家おいでよ。あっ 手みやげだったら、アイスね。ホームランバー」
なんで、ホームランバー・・・なんだよ。
キョウちゃんの家に行くのは、あの件があった以来、中三以来だ。
キョウちゃんの部屋に入った俺は、いかにも女の子〜的な色彩に当てられて、一瞬異次元空間に迷い込んだ錯覚を覚えた。俺の部屋のむさ苦しさとはあまりにも別次元だ。
キョウちゃんは、中三以来、なるべくその接点となる事象を拒み続けてきた俺とは違い、以前と同様に、何の違和感も感じさせず、俺を部屋へいざなってくれた。
手みやげのホームランバーを渡すと、キョウちゃんは、はしゃぎまくった。
「ほんとに、持ってきてくれたんだ!」
冗談だったのかよ??
二人で、ホームランバーを無心にかじる。
以前は、これが二人の習慣だった。
二人で食べると、なんか、すっごくおいしかった。
そんな感慨に浸っている場合ではないことに気づいた俺は、キョウちゃんに、俺が知り得た武藤先生に関わる情報、藤森先生の言葉、そして、我賀先輩からきた、剣道部部員にエスケープを促すメールの一件を話した。
「そう、それは、ちょっとまずいわね」
キョウちゃんは、武藤先生の経歴の断片を聞いて驚き、そして、進行しようとしている事のまずさが深刻であることを悟ったようだ。
「実は、女子もそういう動きになりつつあるの」
「そうだろうな」
「あたしも、どうしよかって、悩んでたとこ」
「うん」
なんか、解決策はないか。二人の認識は共通であることは確認できたが、肝心の解決策が見いだせない。
沈黙の中、突然、キョウちゃんが言った。
「シンちゃん、明日、あたしと行こう! 善は急げよ!」
「行くって、どこにさ」
「国会図書館。武藤先生の過去を知るために」
翌朝、フッと気づいて、時計を見ると、既に八時半をまわっていた。
いけねっ!
キョウちゃんとの駅での待ち合わせは、八時半って、もうその時間じゃん。
俺は、慌ててジーパンとそのへんに転がっていた着古したテイーシャツを着て、家を飛び出した。
ハァハァ言いながら、駅に着いてみると、キョウちゃんもまだ着いていないようだった。
一息ついて、周りを見渡すと、やたらにサラリーマンが多い。そか、今日は平日、しかも今の時間帯って、チョウ通勤ラッシュの時間。
そのサラリーマンの極めて機械的な急ぎ足を見るともなく見ていると、向かい側に、なんか、白いものが見えた。
よく見てみると、キャミソールと一体となった白いニットのワンピースが見えた。しかも裾が短く、裾にさりげないフリルが付いている。
短いワンピースからのびた足は、スラ〜としていて、白く透き通っているように見えた。小麦色のサンダルは、ひもが足首で巻かれている。
それに見とれていると、そのワンピースが俺に近づいてきて、いきなり言った。
「遅いぞ、武蔵! おくしたか!」
そのワンピースの正体は、なんと、キョウちゃんだった。
「キョウちゃん!」
「久しぶりのデートに遅刻はないだろ」
「で、デートって、な、何言ってんだよ・・・」
キョウちゃんは、そんな俺を無視して、切符を購入している。
「シンちゃん、渋谷までの切符買ってね」
「う うん」
って、国会図書館って、渋谷にあったか?
電車は、予想通り混んでいて、しかも都心に近づくにつれて、その混み具合が激しくなって行く。
以前は、どちらかというと、清楚な感じの洋服を好むキョウちゃんだったのに、なんで今日に限って、こんなキャピ系の服を着てきたんだろうと疑問に思いつつ、俺と言えば、半分寝ぼけたまま汚いジーパンと、着古して汗臭いティーシャツをそのまま着てきてしまったことに初めて気づいた。
電車内は、次第に込み合ってくる。俺とキョウちゃんは、向かいあったまま、その混雑に押されて、密着せざるを得ず、だんだんとその密着度合いが激しくならざるを得なくなった。
なんか、ヤバイ。って思いつつどうしようもできない。
キョウちゃんも、さすがに恥ずかしそうで、俺の顔を見ないようにしている。
約一時間ほど、その状態が続き、俺たちは、渋谷駅で電車から吐き出されるようにしてホームに飛び出した。
キョウちゃんは、渋谷駅から出ると、俺の腕をつかんで、ある方向に強引にひきずって行く。
いったい、どこ行くんだと思いつつ、だまって身を任せていると、あるビルの前で、ぱたっとキョウちゃんの足が停まった。
一○九
なんで? って思う暇もなく、キョウちゃんは、俺の腕を掴んで、そのビルの中に入っていった。
ビルの中は、もう死語になったであろう、ギャルっていうか、キャピ系の巣窟というか、とにかく、むさい男どもを寄せ付けない別空間が広がっていた。
ビルの中に入ったキョウちゃんは、なんか、目が輝いている。
そして、さまざまなブランド店を次々に移動し、めぼしいものを見つけては、試着し、いちいち、これどう?ってな感じで俺に意見を求めてくる。
なんだろう、これって。
そこには、確かに、俺の知らないキョウちゃんの姿があった。
いや、俺が知ろうとしなかっただけの事で、当たり前の話だが、キョウちゃんは、どこにでも居る、普通の女の子だったんだ。
それに気づかされた俺は、なんか、無性に意固地になって、自分かってに思い込んで、キョウちゃんを、本当のキョウちゃんとして見ていなかった愚かさにも気づかされた。
無心に、洋服を物色しているキョウちゃんの横顔は、幼い頃から知っているキョウちゃんそのものだ。
「キョウちゃん、腹へったよ」
「ん? あ ごめん、もうこんな時間」
時刻は、昼の十二時を過ぎていた。
「どこで、たべよっか」
「うん、そうね、まだ、ちょっと寄りたいところあるし、原宿いこ」
原宿って・・・・・
結局、キョウちゃんのたっての望みで、渋谷から原宿へ向かい、そこでハンバーグを食べてから、再び、なんとかモールに連れていかれて、試着ざんまいにつき合わされ、結局、目的だった国会図書館に到着したのは、閉館一時間前だった。
国会図書館で、図書を検索し、例の目的のものを発見することができた。
それをコピーし、カウンターに戻して、二人で、じっくり、その記事を読んでみた。
それは、やはり、悲劇を乗り越えてと題した、剣道東日本のインタビュー記事だった。
「Mさん、あなたは、インターハイで個人優勝した後、東京武道大学へ進学なされたんですよね」
「はい」
「東京武道大学でも、剣道部の主将としてご活躍なされ、全日本学生選手権で、団体優勝に貢献された」
「貢献というよりも、チームのそれぞれが同じ目標を持ち得た結果だと思います」
「全日本学生剣道選手権の個人決勝戦。あなたは二連覇がかかっていましたね」
「はい」
「その最後の決勝戦で、あの悲劇がおこった」
「はい」
「あなたの放った、渾身の突きの一撃が、お相手を卒倒させ、気を失わせた」
「はい」
「しかし、その後、お相手は意識を回復しましたが、そのまま病院に運ばれ、その後、下半身不随に陥ってしまった」
「その通りです」
「それが原因で、剣道会での将来を嘱望されていたあなたは、東京武道大学の剣道部を退部し、一切の試合から遠ざかったんですね」
「いえ、それは少し違います」
「と言うと」
「私は、お相手の病状が気になり、ほとんど毎日のように、入院している病院にお見舞いにいきました」
「なるほど」
「そして、彼が、下半身不随となり、それが治癒する可能性の無いことをしらされました」
「それで」
「それを知った私は、一切、竹刀を握らないことを心に決め、彼にお詫びにもならない、お詫びを繰り返しました」
「ふむ」
「しかし、彼は、こう言ったんです。自分は、せめて六段をとって、剣道の楽しさを子供達に教えるのが夢だった。だから、君も、こんな事で自分の夢を捨てることだけはしないで欲しい」
「なるほど」
「それでも、私は、剣道を続けていくべきか否か迷いました」
「ふむ」
「そこで、子供の頃から通っていた琢成館の藤森先生をたずねました」
「ふむふむ」
「藤森先生は、あの事件の事には一切ふれず、私にこうおっしゃいました。
剣道を続ける意味、それは、人それぞれで、千差万別であって良いのです。私自身の事で言いますと、私は、剣道を通して、自分自身に対して責任の持てる強い心を養いたい、と思っております。いや、ですが、この年になっても、いまだ流浪の民のままです」
「なるほど。自分自身に対して責任の持てる強い心を養う・・ですか」
「そのお言葉を聞き、私は、せめて、彼の夢であった六段になるまでは、剣道を続けようと決意し、試合には一切出ず、ただ、自己修練を重ねることに徹したのです」
「ところが、その目標であった六段試験の当日、またもや悲劇が重なったのですね」
「それが悲劇と言えるのかどうかはわかりませんが、私が念願の六段審査の時、私と最も信頼のおける友人となっていた彼が、私の六段審査を見に会場に向かっている途中、不慮の交通事故で、他界なされました」
「ふうむ。それで、あなたは、以後竹刀を手にとることを辞めた」
「そうですね。ただ、その時、私は、彼の他界によって、自分自身に対する責任を果たした。そう思わなければ、私自身が、その先、生きていける自信が持てなかったからです」
「あの時のあなたの一撃が、悲劇の発端となった」
「その通りです」
「あの時の一撃を後悔したことはありますか」
「それを探し求める為にも、私は剣を置いたのです」
それを読み終えた時、俺は、なんとも言えない寂しさを覚えた。
そして、キョウちゃんの目からは、涙が止めどなく流れていた。
帰りの電車は比較的空いており、俺たちは、並んで座ることができた。
さっき見た記事の事は、お互いにそれを避けるように何も触れなかった。
だまって、俯いたままのキョウちゃんが、独り言の様に沈黙を破った。
「嬉しかったよ。シンちゃんから電話してくれたこと」
「・・・・・・・・」
「わたし・・・変わらないよ・・この先もずっと・・何があっても」
「・・・うん・・」
「シンちゃんは・・・・・・」
「・・・・何?」
「・・・うぅん、なんでもない」
「・・・・・・・・」
電車は動いているのに、キョウちゃんと俺だけが、その場で立ち止まった様に、二人だけの空間の中で佇んでいる様に感じた。
「でも、楽しかった。だって、シンちゃんと二人きりで居られるの久しぶりだったでしょ」
「うん・・・・」
「わたし・・・シンちゃんに嫌われてもいいよ・・・・」
「えっ・・・」
「でも、それでもわたし、シンちゃんと・・・・・・・・・・・・」
プー!ププー! ゴーーーーーーー
上り線で電車が通過していく。
キョウちゃんの最後の言葉は、まるで言葉が心になることを拒む様に、その通過音と共に虚空にかき消された。
俺の左肩が重くなった。
キョウちゃんは、疲れたのか、話しながら眠ってしまったらしく、頭を俺の肩に乗せてきた。
中三のあの時から、俺の周りは変わってしまった。
母さんから言われたこと。
それは、同時にキョウちゃんのお父さんを通して、キョウちゃんへ伝えられている。
キョウちゃんは、それに正面から向き合い、そして、自分の心に一つの回答を得たはずだ。
キョウちゃんのお母さんは、違う世界で生きている? というか、キョウちゃんの口から、自分のお母さんの話しを聞いた記憶は無い。
俺なんかより、ずっと深く悩み、それでも自分の力で自分の心を解決しようと懸命にがんばったはずだ。
俺は、いったい・・・なんなんだ。
自分で何も解決しようとせず、それから逃げることしか考えていなかったじゃないか。
母さんを、キョウちゃんのお父さんを、そして、キョウちゃん自身を苦しませ、傷つけてきただけの存在だったんじゃないのか。
変わったのは、周りじゃない。
俺自身じゃなかったのか。
キョウちゃんの黒髪の感触。
甘く香る、シャンプーの香り。
俺は、いつまでも、こうしていたいと思った。
試験休み明けの稽古。
予想通りだった。
中等部の部員達は、鳩山先生の直接の指導であったこから、全員が練習に参加している。
問題は高等部だ。
キョウちゃんは、女子に圧倒的に信頼されている為か、なんとか説得したのだろう、団体戦メンバー五人だけだが、いつも通り練習に出てきていた。
最悪なのは男子だ。
この日、練習に出たのは、俺と林だけだった。
「林 なんで、お前ここにいんの?」
「ひっでぇーな、俺、ここに来ちゃだめなわけって、なんでみんな来てないのよ?」
「おまえ、メールみてないだろ」
「んがっ?メールって?」
やっぱり。
林の場合、我賀先輩からのメールを、恐ろしさのあまりに未開封のまま空とぼけるつもりであった為、事情自体を知らず、いつも通り練習に来ただけの話だった。
俺は、我賀先輩からの一斉メールの内容を林に説明してやった。
「んげっっ! それ、やっばいじゃん。何で早く知らせてくんなかったのよ」
「メール見ないから悪いんだよ」
慌てた林は、そそくさと帰り支度をして、道場を出ようとする。
俺は、林の首根っこを掴んだ。
「ちょい、まて」
「まてって、部に出るなって命令されてんのに、来たらまずいんべよ!」
「だいじょぶだって。そのうち、絶対、全員部活に出るようになるって」
「何いっちゃんてんのよお前。我賀先輩が出るなって言ってる以上、どう考えたって、それ、覆せるわけないじゃんかよ」
「俺を信じろ」
「信じねぇ!」
「ラーメンでどうよ」
「ラーメンごときにツラレて、危険に身を投じる俺ではない」
林は、ガンとして、俺の言葉をはねつけ、道場から出ようとする。
「プラス、ハンバーガー!」
唐突に立ち止まる林。
「三日間だ」
「三日間?」
「三日間、ラーメン、プラスハンバーガーで、俺は、あえて危険に身を投じよう!」
かくして、この先、三日間、高等部剣道部男子は、俺と林のみが通常とおり、部活に参加した。
武藤先生は、他の部員達が練習に出てこないことにつていは、何も言わなかった。
ただ、黙々と日々予定されている練習メニューをこなして行く。
四日目、ついに林も練習に出なくなった。
高等部女子部は、どういう方法を採ったのか分からないが、ほとんどの部員が復帰し、元通り練習メニューをこなす様になっていた。




