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告発のログ


世の中には、「終わった」ことにしたい出来事がある。


証拠が残らなければ、終わったことにできる。

記録が残らなければ、忘れたことにできる。

忘れたことにできれば、また同じことができる。


だから人間は、都合の悪いものを消したがる。

声を。映像を。ログを。人間を。


だがログは、土に似ている。

踏まれても残る。濡れても残る。埋めても残る。

掘れば出る。


そして掘るのは、だいたい淡々とした人間だ。

淡々とした手は正確で、正確な手は必ず見つける。

見つかったログは、もう埋められない。


---


久遠洋、享年なし。戦死扱い。ただし生存中。職業、農業者。


今日の朝も、四つの音で始まる。


濾過層が、ぽた。

蒸留装置が、ぽた。

ムクの鼻息が、ふす。

ドローンの羽音が、ジィ。


もちろん四拍子。

狂わないなら、今日も生きている。


体を起こし、水を確かめる。透明。匂いなし。一口。喉が受け入れる。よろしい。


「水が先」


手順が起動する。恐怖が黙る。手が動く。土が応える。


畑を見る。根菜。葉物。実験区画。

干し根を裏返す。発酵壺の蓋を開ける。五日目の酸味。丸い。白い膜が厚い。菌糸は今日も真面目だ。閉じる。

貯蔵穴に手を入れる。冷たい。

水路の石を一つ直す。


土塁の外に干し根を一本、蒸留水を少し。

ムクが匂いを嗅ぎ、一・五秒で食う。外交は今日も履行された。


ムクの前足が、土塁の内側に爪先一つ分入っている。昨日と同じ。進まない日もある。根も同じだ。伸びない日は、太くなっている。


ムクの耳は横に開いている。警戒の耳だ。だが昨日の「まっすぐ上」ではない。

大きいものは去った。けれど何かは残っている。匂いか、音か、記録か。


ドローンの画面の端で文字が流れている。今日は速い。滝みたいに落ちていく。読む暇があるなら水路を直す。

だが一つだけ、拾ってしまった単語がある。


「口封じ」


昨夜の三人のうち、誰かが叫んだ言葉だ。

闇に向かって。依頼主に向かって。聞こえるはずのない相手に向けて叫んだ言葉が、ドローンに拾われた。


拾われたものは落ちない。

落ちないものは残る。

残ったものは、誰かの手に渡る。


土に手を当てる。温かい。温かいものは今日も味方だ。


堆肥の蓋の下で、昨日の冷たさがまだ分解されずにいる。人間の冷たさは菌糸が食いにくい。食いにくいが、時間をかければ食う。急がない。急ぐと蓋が開く。蓋が開くと手順が壊れる。


「……静かに」


自分に言って、作業に戻る。

戻れるうちは、まだ負けない。


---


## *


ここから先は、俺の知らない場所の話だ。


俺は畑にいた。畑にいたので、会議室の空席も、端末の消えたデスクも、知らない。

だが後に記録が残ったので、事実として並べる。事実は土に似ている。埋めても掘り返せる。


---


地上。トップ攻略ギルド「セイバーズ」本部。午前七時。


会議室に椅子が三つある。


高木玄真の椅子。

三門由良の椅子。

そして、空席。


八雲慎吾の椅子だ。


今朝から空だ。昨日の夜まではあった。

あったのは椅子だけではない。デスクの上のノートパソコン。引き出しの契約書控え。端末。充電器。

今朝、全部が消えていた。


椅子だけが残っている。椅子は何も語らない。語らない椅子は、語る人間より怖い。


由良は会議室に入って、空席を一秒だけ見た。

一秒で十分だった。八雲は去った。去った理由は聞かなくても分かる。聞かなくても分かることを聞くのは、由良の流儀ではない。


高木は空席を見なかった。

見ると認めることになるからだ。認めると言葉にしなければならない。言葉にすると記録になる。記録は消せない。


だから高木は正面の壁を見て、配信用の声で言った。


「始めろ」


由良は端末を開いた。数字が並んでいる。並んでいる数字は全部下向きだ。

登録者、前日比マイナス四万。

スポンサー契約残存、八社中ゼロ。

最後の五社が「保留」から「解除」に変わっていた。


由良が読み上げる。声はいつもと同じ温度だ。数字に感情はない。感情がない声で、死刑宣告に似た報告が続く。


「掲示板は“口封じ”が上位固定。切り抜きの再生は九百万。止まりません」


高木は黙っていた。黙り方が長い。配信なら三秒の沈黙が演出になる。だが会議室の沈黙は、詰みの音だ。


由良が続ける。


「“口封じ”が録られました」


高木の眉が動いた。計算ではない動きだった。


「消せ」


裏の声。低く短い命令。


由良が首を横に振る。小さい動き。確信の否定。


「消せません。運営が保全しています。アーカイブも切り抜きも。掲示板の書き起こしも」


「八雲は」


その一言で、高木の視線が初めて空席に落ちた。


「連絡がつきません。端末は消えています。契約書控えも持ち出されています」


高木の手が肘掛けを強く握る。白くなるほど。


「……あいつ、持ち出したのか」


由良は答えない。答えなくても分かる。自分を守る書類は、相手を刺す書類でもある。


由良が静かに言った。


「外からのログと、内からのログが揃います。揃ったら“炎上”では済みません」


高木が机を叩く。音だけが響く。響いたのは二人だけだ。昨日までは三人だった。


「……残ってる手は」


声が小さくなる。初めて、台詞じゃない問いになった。


由良は端末の数字を探して、ひとつだけ見つけた。


「現場です。深層に行って、“救出の画”で上書きする。行かなければ確実に終わります。行けば可能性は――低いですが、ゼロではない」


高木は天井を見た。何もない天井を。


「……行く」


一語だった。英雄の一語は重い。重い一語で人が動く。動いた先が地獄でも、一語の重さは変わらない。


由良は端末を操作する。速度は変わらない。


「名誉挽回救出宣言を打ちます。“人類のために”を入れます」


「入れろ」


指が動いた。

由良の手順が動いた。


---


## *


地上。配信プラットフォーム運営本部。危機対応室。


篠宮玲奈は、三つの画面を見ていた。


左。深層DASH村。男が干し根を裏返している。ムクが土塁の縁に座っている。視聴者数、14,800。

中央。音声ログのタイムスタンプ。“口封じ”の波形。切り抜き生成数。

右。通信ログ。入場記録。暗号通信の解析結果。


篠宮は確認ではなく照合をしている。並べると、ずれが見える。ずれは嘘の形をしている。


犬飼慧が入ってきた。足音が小さい。条文の上を歩く人間の足音だ。


「音声ログの照合、完了しました」


「結果は」


「複数媒体で一致。改ざんの可能性は排除できます。チェーンは保全されています」


「侵入者は」


「三名。入口側の封鎖班が確保済みです。陣内班とは別です。救援計画には影響ありません。入場記録と音声ログは保全。アカウントは規約第15条2項に基づき停止」


「内部通報は」


犬飼が端末を操作する。添付資料が開く。契約書控え。指示履歴。スケジュール。形式が内部文書と一致していた。


「精度が高い。内部の人間が書いた可能性が高いです。内容の真偽の確認に入ります」


篠宮は短く言った。


「事案分類を変えます。炎上対応ではなく、法的保全」


犬飼が頷く。


「当局照会に備えます」


スタッフが来る。


「セイバーズが救出宣言を打ちます。配信も予定」


犬飼が淡々と言った。


「発言が増えるほど照合対象が増えます。ログが増えるだけです」


篠宮は目を動かさない。


「止めません。止めれば私たちが消したことになります。保全を上げてください」


篠宮は一行入力した。


事案分類:変更

炎上対応 → 法的保全


---


## *


掲示板は仕事が早い。


【探索者掲示板】深層DASH村 Part.12


「口封じ」

「依頼主」

「証拠」

「ログ」

「内部資料」

「規制機関」


言葉が変わる。空気が変わる。


「かわいそう」が消える。

「救え」が消える。

「裁け」が残る。


演出は、ここで死ぬ。


---


深層。


俺は何も知らない。

会議室の空席も、端末の消えたデスクも、内部通報も。


知っているのは手順だけだ。


水が落ちている。

根が伸びている。

干し根が乾いている。

発酵壺が温かい。

貯蔵穴に未来がある。

ムクが闇を見ている。


ドローンの画面の隅に、短い文字が浮かんだ。


ログ:保全

救援:進行

接続:段階3

警戒:維持


短い。手順の言葉だ。


土に手を当てた。温かい。

今日は昨日より少しだけ温かい。堆肥の分解が進んでいる。沈んだ冷たさを、菌糸がゆっくり齧っている。


遅い。だが確実だ。確実なものは味方だ。


「……まあ、やる」


鍬を振った。土が裂けた。裂けた土の下から白い根が見えた。


根は下へ向かっていた。

下へ向かう根は強い。

強いものは静かだ。

静かなものは折れない。



久遠洋、享年なし。戦死扱い。ただし告発のログが回り始めた。

外からは音声。内からは資料。二つのログが揃った。

嘘は炎上ではなく事件に変わった。

畑、稼働中。堆肥、少し温かい。


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