6 無鉄砲王女
焦ったわたしは、ルキウスやマルゼラ様にろくに断りもせず、会場の外へと急いだ。
廊下に出ると、数人の貴族たちが行き交い、立ち止まって談笑している人たちも見えた。でもその中に、ラザロ様はいない。
通りかかる人全員にラザロ様を見なかったか問い質したいところだけど、そんなことをしたら逆に怪しまれてしまう。
――ここは、慎重を期すべきよ。
わたしは急ぎ足で個室のほうへと向かい、そこで何やら怪しい人影を見つけた。
身なりはきちんとしているけれどどこか場違いなその男は、個室の並ぶ廊下を監視するようにうろうろと歩き回っている。
あれってもしかして、邪魔が入らないようデキムス侯爵が用意した見張りなのでは……?
そう思ったわたしは、鎌をかけることにした。
「ねえ、あなた」
話しかけられた男は、少し緊張した面持ちでわたしのほうに向き直る。
「な、なんでしょう?」
「あなた、デキムス侯爵家の従者よね?」
「え?」
ズバリ言い当てられたせいなのか、男は驚いておろおろと落ち着きを失う。
「侯爵から、伝言を預かっているのだけれど」
「は、はい?」
「侯爵家の馬車に、不具合が見つかったらしいの。ちょっと確認してきてくれ、と侯爵が仰っていたわよ」
「え……?」
「早く行ってみたほうがいいのではなくて? 夜会が終わっても王城から帰れないとなったら、激昂したあの方が何をしでかすか……」
訳知り顔でそう言うと、男の表情がさーっと蒼ざめる。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
男はわたしに頭を下げ、そそくさとその場から立ち去っていく。
あんな見張りを用意するなんて、これはもう、侯爵とラザロ様がこの個室のどこかにいると言ってるようなものじゃないの……!
しかも、恐らく、決行のときは着々と近づいている。あの忌まわしい未来が、すぐそこまで来ているのだ。
もう悠長に構えている場合じゃない。
慎重を期すべき、なんて言っていたけど、下手をしたら間に合わないかもしれない。
――前言撤回。当たって砕けろ、に作戦変更。
あとでなんだかんだと言われたら、「嫁いできたばかりで何も知らなかった」とでも言い訳するしかない。通用するかどうかは知らんけど。
意を決したわたしは、思い切って順番に個室を開けていくことにした。
個室は、全部で十二。
深呼吸をして、まず最初の扉をノックする。
返事がないからゆっくりドアを開けてみると、そこには案の定誰もいなかった。
扉を閉めて、次の部屋に移る。ノックをしたけど、やっぱり返事がない。
でも、耳を澄ますと中から物音が聞こえる気がする。何やら人の声もする。
もしやこの部屋では、と思ったわたしが勢いよくドアを開けると、そこにはなんと、乱れた衣服のままソファの上で睦み合う二人の男女が――!
「ご、ごめんなさい!」
慌ててドアを閉める。
あー、びっくりした……!!
そういう理由で個室を使う人がいると聞いたことはあるけど、本当にいるとは!!
乙女には、ちょっと刺激が強すぎだわよ!!
あと、そういうことをいたすなら鍵くらい閉めて!!
どんどこ暴れ回る心臓をなんとか落ち着かせ、わたしは次の部屋へと移る。
三つ目と四つ目の部屋には、誰もいなかった。
五つ目の部屋の前には、「商談中」の札がかかっていた。そーっとドアを開けて中を覗くと、本当に商談中と思われる三人の男性がいたからまたそーっとドアを閉める。
六つ目の部屋では、泥酔してしまったらしい男性がソファの上で大いびきをかきながら眠っていた。酒は飲むもの、飲まれるな、ですよ。
七つ目の部屋では、ノックをしたら「はーい」という声が聞こえて、扉を開けると年若い令嬢たちが何人か集まって談笑していた。煌びやかな夜会の雰囲気に、少し疲れてしまったとのこと。もちろん「お邪魔してごめんなさいね」と言いながら、にこやかにフェイドアウトする。
八つ目の部屋にも誰もいなくて、九つ目の部屋のドアをノックすると――。
「……どちら様ですか?」
困惑したようなラザロ様の声が、ドア越しに聞こえた。
はい、ビンゴ!!
わたしはすかさず、「アリシアです。ラザロ様は、そちらにいらっしゃいますか?」と尋ねる。
その途端、すぐにドアが開いて、目の前にラザロ様、その向こうに驚くデキムス侯爵の顔が見えた。
部屋の中央にあるテーブルに目を遣ると、ワインの瓶と、空のグラスが二つ置かれている。つまり、ラザロ様はまだワインを飲んでいないということ。
心の中でガッツポーズをするわたしを前に、ラザロ様が怪訝な顔をした。
「あの、夫人、どうかなさいましたか……?」
いつもはフレンドリーなラザロ様も、いきなり現れたわたしに眉をひそめている。
わたしは何食わぬ顔をして、必殺の王族仕様スマイルを繰り出した。
「突然申し訳ございません。夫がラザロ様に急用があるとかで、血眼になって探しておりましたもので……」
「え、ルキウスがですか?」
「ええ」
嘘である。血眼になってラザロ様を探していたのは、わたしである。
「あ、じゃあ、行ったほうがいいですか、ね……?」
ラザロ様は、ソファに腰かけたままのデキムス侯爵のほうを振り返って確認する。
侯爵は、思いもよらない展開にただただ唖然としていた。誰にも邪魔されないよう見張りを用意したはずなのに、なぜ部外者が入り込んでいるのか不思議でならないのだろう。
そして、今更ながらこの状況をわたしに見られたことに気づいて、顔面蒼白となっている。
そう。
デキムス侯爵にとって、ラザロ様と二人で会っていた場面を目撃されるのは、不都合極まりないことなのだ。なぜ会っていたのかと聞かれたら、国庫横領の罪が露見するかもしれない事態に発展するんだもの。これはまずいと焦りまくっているのが、手に取るようにわかる。
そこでわたしは、にやりとほくそ笑んだ。
「あら、もしかしてそのワイン、入手困難なトゥルカス地方産のものではなくて?」
唐突すぎるわたしの言葉に、二人とも呆気に取られている。
侯爵が辛うじて「そ、そうですが……」と答えたところで、わたしはつかつかと部屋の中に入ってワインの瓶に手を伸ばし、ラザロ様の前に置かれていたであろうグラスに並々と注いだ。
「わたくし、ワインには目がないの。飲んでもよろしいかしら?」
そう言って、ゆっくりとグラスを口元に運ぶ。
その瞬間、侯爵が慌てたように立ち上がり、大声で叫んだ。
「の、飲むな!!」
「……え?」
侯爵のただならぬ叫び声に、今度はラザロ様が唖然としている。
「『飲むな』? 飲んではいけないの? なぜ?」
「そ、それは……」
「あら、おかしいわね。毒でも仕込まれているのかしら?」
「いや、まさか! でも、その……」
侯爵があたふたと取り乱し、言葉に詰まったその瞬間、廊下のほうからバタバタと複数の人の足音が聞こえてきた。
「アリシア!」
血相を変えて飛び込んできたのは、意外や意外、我が夫ルキウスである。
「どうした? 何があった?」
ルキウスの問いに、デキムス侯爵とラザロ様は何をどう答えていいかわからず、顔を見合わせることしかできない。
だからわたしが、手にしたグラスを掲げて一歩前に出た。
「このワインを少しいただこうとしましたら、デキムス侯爵が『飲むな!』と大声で叫ばれたのです」
「…………は?」
ルキウスは、まったく話が見えない、とばかりにわたしの顔を凝視する。
「ですから、このトゥルカス産のワインをほんの少しいただこうと思ったのです。そうしたら、デキムス侯爵が――」
「いや、そもそも、あなたはなぜここにいるのですか?」
「あら、なんでかしら」
堂々とすっ呆けると、侯爵とラザロ様が「え?」という顔をする。
ルキウスが探していた、なんてのは嘘だから、ここで披露するわけにはいかないのよね。
「そんなことより、どうしてこのワインを飲んではいけないのかしら? おかしいと思わない?」
「え?」
「だって、侯爵とラザロ様は、このワインを飲もうとしていたのですよ? それなのに、なぜわたしが飲んではいけないの? わたしが飲んだら、何かまずいことにでもなるのかしら」
わざとらしいその指摘に、ルキウスはデキムス侯爵とラザロ様とを交互に見比べ、それから難しい顔をしてワインとグラスに目を遣った。
そして、どうやら一つの仮説を導き出したらしい。
「このワインを用意したのは、侯爵ですか?」
「そ、そうだが……」
「申し訳ないが、調べさせてもらってもよろしいでしょうか?」
「いや、それは……!」
「ワインとグラスを調べてくれ。早急にな」
居合わせた部下たちにルキウスが命じると、みんなてきぱきと動き始めてテーブルの上にあったワインとグラスを撤収する。
――――あれよあれよという間に、なんとか危機は脱したらしい。
◇・◇・◇
無事に屋敷に帰ってきた瞬間、わたしは自室のベッドへとダイブした。
「あー、疲れたー」
言いながら、その声に密かな達成感が滲み出ていることを自覚する。
ひとまず、危機は脱した。
あの忌まわしい未来を回避することができた。
これから先、グラスに仕込まれた毒の存在が明らかになり、デキムス侯爵の罪が白日の下にさらされることになるだろう。
その辺りのことはルキウスに任せておけば、多分問題ない。必要なことはすべて詳らかにしたうえで、適切な処断を下してくれるだろう。
でも、事件の調査でまた帰ってこれない日が続くかもしれない。ちょっとお気の毒なことをしちゃったかも、なんて思いながらあくびをしたら、不意にドアをノックする音がした。
「アリシア。ちょっといいですか?」




