5 緊急事態
夜会当日になった。
ひと目で上質とわかる煌びやかなシルバーのドレスに身を包むと、サラが納得したように何度も頷いた。
「おきれいですよ、姫様」
「いつもの安っぽいドレスと違い過ぎて、逆に緊張するんだけど」
「何を仰いますか。旦那様も、思いの外姫様の魅力に気づいておられるみたいで。ちょっとだけ見直しましたよ」
どこまでも上から目線のサラである。
あれから、ラザロ様とデキムス侯爵についての情報をあれこれ集めてみたものの、夢で見たあの場面がいったいどこなのか、そしていつ起こるのか、手がかりはまったくつかめなかった。
ひとまず、今のところは何事もないらしく、ラザロ様は無事である。
なんとかあの未来を回避しなければと焦るものの、この国に来たばかりで何の伝手もなく、右も左もわからない状況では打つ手がない。
こんなときに夜会だなんだと浮かれてる場合じゃないのよ、と思いながら玄関ホールに向かうと、すでに準備を終えたらしいルキウスが待っていた。
夜会仕様の夫は、いつもより何割か増しでキラキラしている。もはやあの人自体が発光しているんじゃないかしら。すごいの一言に尽きる。
「ルキウス」
近づいて声をかけると、ルキウスは振り返り、そして固まった。
「素敵なドレスをありがとうございます」
いつも通りの愛想笑いを浮かべると、ルキウスは「あ、いえ……」とか言いながら、視線を泳がせる。微妙に挙動不審である。
「ルキウスも素敵ですね」
「あ、ありがとうございます……」
褒められ慣れているだろうに、なぜかしどろもどろになる夫だった。
夜会は、王城の大ホールで開かれる。
この前わたしが訪れた宰相執務室とは反対側の位置にある大ホール周辺は、見るからに華やかな空気で彩られていた。
ちなみに、今日はほとんどの貴族家が招待されているようだけれど、ルキウスの両親であるザヴィアン公爵夫妻は欠席である。なんでも、国王夫妻に代わって世界各国を歴訪中らしい。王弟夫妻ということもあり、外交に駆り出されることも多いのだという。
輿入れしてきたというのに、一度も会う機会がないのはそのためである。
王城の大ホールに到着し、ルキウスにエスコートされながら足を踏み入れたわたしは、まるで雷に打たれたかのように強烈なデジャヴに襲われた。
いや、正確には、大ホールの雰囲気全体に既視感があるというか。
豪華な装飾といい、明らかに高価で品のよさそうな調度品といい、あの夢で見た部屋の雰囲気を彷彿とさせるのだ。
もしかして、あれは王城の一室だったってこと……?
確かに、デキムス侯爵はラザロ様に毒を飲ませようとしているわけだから、どちらかの私邸を使うというわけにはいかない。そんなことをしたら、すぐにバレてしまう。
夜会の際には、会場の周辺にいくつかの個室が用意されるものである。具合が悪くなった人や少し休みたい人の休憩所になったり、不測の事態――例えばドレスを汚してしまって着替えたいときとか――に利用したり、せっかくの機会だからと個別の商談なんかに使う人もいる。
もしもあれが、今日この場所だとしたら。
王城の、個室のどこかだとしたら――?
国中からたくさんの貴族が集まる今日だからこそ、何かが起こっても目撃者がいなければ、かえって容疑者を特定するのは難しくなる。ワインやグラスといった物的証拠があったとしても、デキムス侯爵がそこから足がつくような失態を演じるとは思えない。
むしろ、行き来するたくさんの人に紛れてラザロ様を個室に誘導し、犯行に及ぶことができたとしたら。
『木は森の中に隠せ』とばかりに、何食わぬ顔でまた人混みに紛れてしまえば、事件が発覚してもデキムス侯爵を疑う者は誰もいないはず。
だって、今この時点で、彼の国庫横領の罪について知っているのはラザロ様だけなのだから(いや、私も知っているけどね、今はカウントしません)。
「あの」
わたしは唐突に立ち止まり、隣を歩いていたルキウスの袖口を軽く引っ張った。
「どうかしましたか?」
「……一応、個室の場所を確認したいのだけれど」
「ああ、そうですね」
ルキウスは快く頷いて、大ホールの脇に並んだ個室のほうへと案内してくれた。ちょっとだけ中を覗かせてもらうと、やっぱり夢で見たのとほぼ同じ造りの部屋だった。
間違いない。犯行場所は、ここに並んだ個室のどれか。
ただし、どの個室なのかはわからないし、あれが今日だという確証もない。
でも、警戒は怠らないほうがよさそうである。
夜会が始まり、国王陛下と王妃殿下が入場し、恭しくわたしのことを紹介してくれても、はっきり言って上の空、気もそぞろだった。
そうこうしているうちに、次々と名だたる貴族がわたしたちのもとへと挨拶に訪れる。その中には当然デキムス侯爵もいたし、ラザロ様もいた。
初対面のデキムス侯爵は政界の重鎮といったオーラを纏いつつ、ガハハと笑ってこう言った。
「ルキウスは若いながらも、当代随一の宰相だと誇りに思っているのですよ。夫人には、そんなルキウスの支えになっていただきたいですな」
……けっ。偉そうに。
長年に渡って国庫を横領した挙句、秘密を知られたら毒を飲ませて躊躇なく排除しようとする人が、何を言っているんだか。
とは思ったものの、そんなことはおくびにも出さずに得意の薄笑いでやり過ごすわたし、本当に偉い。
ラザロ様はこの前同様、屈託のない笑顔で現れて「夫人、そのドレスお似合いですね」とか「今日はまた、一段とお美しい」とか、横にいる仏頂面の夫よりも余程わたしのことを絶賛してくれた。
社交辞令とわかってはいても、悪い気はしない。
さまざまな人の挨拶をひっきりなしに受けながらも、とにかくラザロ様をちらちらと盗み見ながら、できるだけ目を離さないよう警戒していたときだった。
「ルキウス!」
殊更明るい声が、夫の名を親しげに呼んだのだ。
顔を向けると、まばゆいばかりの金髪にエメラルドグリーンの瞳をした麗しい令嬢が、笑顔で駆け寄ってくる。
「結婚おめでとう!」
「ああ」
「結婚するならするで、もっと早く教えてよ。なんにも言ってくれないなんて、水くさいじゃないの」
少し不満げな口調ながらも、令嬢は歓迎ムードを前面に押し出した笑顔を見せる。
「アリシア。彼女はマルゼラ・ラプトール侯爵令嬢です。学園時代からの友人でして」
ルキウスがそう紹介すると、マルゼラ嬢はにっこりと微笑んだ。
「はじめまして、アリシア様。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
晴れやかな笑顔に、わたしも「こちらこそよろしくお願いいたします」と返したその一瞬、刺すような鋭い視線を向けられた。
……え、なに? どういうこと?
見間違いかと思ったけれど、そうでもないらしい。だって、マルゼラ様はルキウスと話しながらも、時折挑発するような目を向けてくるんだもの。
もしかしてこの人、ルキウスのことが好きとか、そういう……?
鋭い視線は、恐らく宣戦布告の意味もあるのだろう。ルキウスのほうは、まったく気づいていないようだけど。
でもそれなりに親しい関係なのは、本当らしい。マルゼラ様にあれこれと話を振られて、ルキウスのほうも言葉少なに返事をしている。
その間、マルゼラ様のわかりやすい敵意にさらされて、わたしはだいぶげんなりしてしまった。むき出しの悪意というものは、それだけで相手をとことん消耗させるものだ。わたしはそれを、嫌というほど知っている。
そりゃあ、好きな人をわたしなんかに奪われて、腹が立つのも仕方がないとは思うけど。
でもこれは、国家間のつながりを強めるための政略結婚である。自国の王の意向なんだから、文句があるなら陛下に言ってよ。言えないだろうけど。
それに、結婚したとはいえ、わたしたちの間に愛だの恋だのというものは一切存在しない。どうせわたしは近いうちにいなくなるつもりだし、そうしたら思う存分ルキウスの隣を独占すればいい。
わたしには、所詮どうでもいいことよ。
そう思いながらぐるりと会場の中を見渡して、わたしは愕然とした。
だって、いつのまにか、ラザロ様の姿が見えないんだもの……!




