4 その人の名は
茶髪の男性は夢で見たあの人懐っこい笑顔を浮かべて、運んできたティーセットをテーブルの上に並べた。
「夫人、はじめまして。宰相補佐官のラザロ・ウェスペルと申します」
よっしゃー! 名前と正確な役職名ゲット!!
などと心の中で叫びつつ、わたしはいつもの王族仕様スマイルを浮かべる。
「はじめまして、ラザロ様。このたびオディウム王国から嫁いで参りました、アリシア・ザヴィアンです。夫がいつもお世話になっております」
わたしが挨拶すると、ラザロ様はぱっと顔を輝かせた。
「夫人がこんなにお美しい方とは知りませんでしたよ。ルキウスのやつ、夫人のことは全然教えてくれなくて」
「ラザロ、うるさい」
ルキウスがぎろりと睨んでも、ラザロ様はまったく臆する様子がない。
「あと二、三日したら、この忙しさも一段落すると思いますのでご安心ください。なんせ、陛下の無茶ぶりがひどくてですね」
「陛下の……?」
「まあ、もとはといえば、ルキウスがようやく結婚するというのに式は挙げないなどとふざけたことを言い出したことが発端なのですよ。せっかくオディウムの王女が輿入れされるというのに、それはないだろうとみんなで寄ってたかって説教したんですけどね。忙しさを理由に、こいつも頑として譲らなくて。見かねた陛下が、せめて夫人を紹介する場を設けたいと仰って、急遽夜会の開催を決定されたのです」
「夜会……」
初耳である。
「日程の調整やら貴族家への通達やらでちょっと手間取っていたのですが、ようやく終わりが見えてきたので、ルキウスも今日明日中には屋敷のほうへ帰れると思いますよ」
そう言って、ラザロ様は屈託のない笑顔を見せる。
宰相と宰相の補佐官にしてはなんだか距離が近いような、と訝しむわたしの気持ちを察したのか、ルキウスが面倒くさそうに口を開いた。
「ラザロとは同い年で、学園時代からの腐れ縁なのです」
「腐れ縁って言うなよ。親友だろう?」
「俺はお前のことを親友だと思ったことなんてないけどな」
「嘘つくなよ。俺がいないと困るくせに」
「なんだそれ」
なるほど。仲がいいらしい。
というか、多分ラザロ様が言うように、親友といっていい間柄なのだろう。だって、冷酷宰相がこんなにも砕けた口調になるとは。しかも、親しい人の前では自分のことを「俺」と言うわけね。なるほど。
ルキウスにとって、人懐っこく社交的なラザロ様は、存外大事な存在なのではないかしら。
そんな人をもしも亡くしてしまったら、ルキウスはいったいどうなるのだろう。
そう思ったら、母を失ったときの圧倒的な絶望が頭をよぎって、俄かに呼吸が苦しくなった。
あんな思いは、もう誰にもしてほしくない。
ラザロ様がわたしにとって大事な存在になるのかどうかは別にしても、夢で見た忌まわしい未来は絶対に阻止しなくては……!
そう決意も新たに立ち上がり、「お仕事の邪魔になるといけませんので、わたくしはこれで」と退席しようとしたときだった。
「アリシア」
……び、びっくりした……!
名前で呼べと言ったのは自分だから別にいいんだけど、不意打ちがすぎる……!
ゆっくり目を向けると、ルキウスはなぜか顔を強張らせていた。
「な、なんでしょう?」
「夜会のことは、帰ったら話すつもりだったのです。伝えるのが遅くなってしまい、申し訳ありません」
その言葉に、わたしはちょっと面食らってしまう。
はっきり言って、そんなことはさほど気にしていなかった。ルキウスが忙しすぎてまったく会えていなかったのだから、夜会の話を聞く機会なんて当然なかったわけだし。
それに、母国では大抵のことはわたしの耳に入ることなどなく、入っても事後報告だけだったのだ。そして、それについて謝罪されたことは一度もない。
わたしの扱いなんてそんなものだったから、謝ってくれるとは思わなかった。
なんだか不思議な気持ちになって、わたしは首を横に振る。
「大丈夫ですよ。気にしておりませんので」
「ドレスや装飾品に関してはこちらで手配しておりますから、心配は無用です。帰ったら、詳しいことをきちんとお話しします」
「……ありがとうございます」
夫婦とはいえ他人行儀な私たちのやり取りを、ラザロ様がどういうわけかニヤニヤしながら眺めている。
でもわたしは、一気に現実味を帯びてきた夜会のことを考えると、どんどん気が滅入っていくのだった。
◇・◇・◇
夜会というものに、出席したことがないわけではない。
ただ、母国では、新年を祝う夜会とか建国記念のパーティーとか、ほとんどの貴族家が集まるような大規模な夜会にしか出席したことがなかった。
王族とはいえ、わたしは夜会の出席を制限されていたのだ。
さすがに、礼儀作法やマナーといったものに関してはそれなりの教育を受けさせられたから、問題はないのだけれど。正直言って、夜会そのものにいい思い出がない。
ドレスの類いは満足に用意してもらえた試しがないし、たまに新しいドレスが送られてきたとしても、いつの時代のドレスだ? 的なものが多かったし。
仕方なく出席すればしたで、貴族たちには冷ややかな視線を向けられる。口さがない者たちは、わたしの一挙手一投足を見て嘲笑し、あげつらう。
その急先鋒が、言うまでもなく二人の姉、ドロテアとコルネリアだった。
あの人たちは、わたしを見つけるとわざと同年代の令息令嬢たちの前に引っ張り出して、やれドレスが古くさいだの、見た目がみすぼらしいだの、王族としての矜持がないだのと、悪しざまに責め立てるのだ。
特に標的にされたのは、わたしの髪だった。
オディウムに黒髪の人間はいない。わたしの黒髪は禍々しさの象徴とされ、忌み嫌われた。魔女のようだと言われたこともある。
まあ、それに関しては、あながち間違いではないというか。魔女の末裔といわれる一族の血を引いていますから。言わなかったけど。
とにかく、そんなろくでもないことばかりだったから、「夜会」と聞くともう条件反射のようにいやーな気分になってしまう。
「はあ……」
思わずため息をついた途端、サラが飛んできた。
「気が進まないのですか?」
さすがはサラ。私の心の中を完全に見透かしている。
「まあ、楽しみではないわね」
「でも、オディウムの夜会とはだいぶ様子が違うような気がしますけど? 旦那様もドレスや装飾品はちゃんと用意してくれると仰っていましたし」
「夫としては当然のことですけどね」なんて、サラは相変わらずルキウスに手厳しい。使用人たちがいくらわたしに対して心を砕いてくれても、夫であるルキウスに放置されていることにはやっぱり我慢ならないらしい。
「それにほら、ラザロ様でしたっけ? 姫様のことをお美しいと褒めてくださったじゃないですか」
「あんなの、お世辞に決まってるでしょ」
「そんなことないです。あれが一般的な、正しい評価ですよ。姫様は誰よりもお美しく、聡明で、肝が据わっていて、時折とんでもないことを言い出しますが、心根のお優しいお方です」
「不吉な黒髪なのに?」
「いつも言ってますでしょう? 黒髪は不吉でもなんでもありません。姫様の黒髪は、艶があって絹のようになめらかで、見ているだけでうっとりしますよ。離宮のみんなだって、そう言っていたでしょう?」
「……みんな、どうしているかしら」
サラの言葉には答えず独り言ちると、サラはなんでもないことのようにさらりと言った。
「姫様の輿入れに合わせて、全員王宮勤めを辞めると言っていましたからね。退職金をたんまりもらって、そのうちこの国に来るんじゃないですか?」
「え? わざわざ? 海を渡って?」
「当たり前です。わたしたちにとって、姫様とはそういう存在なのですよ」
裏表のないサラの真っすぐな言葉が、やけに心に響く夜だった。




