3 宰相執務室に行ってみた
ひとまず冷静に、夢見の力で見た夢について考える。
年配の男性は、恐らく「デキムス侯爵」という名前だろう。毒か何かを飲まされたらしい年若い男性が何度か言っていたから、間違いない。財務担当だとも、自分で言っていた。
年若い男性のほうはルキウスの知り合いで、侯爵の言葉によれば「宰相補佐」ということになる。
話の流れから想像するに、財務担当のデキムス侯爵は長年国庫を横領し、私的に流用していたのだろう。偶然なのか必然なのか、あの年若い男性にその事実を知られてしまい、自首するよう強く求められていた。
しかしデキムス侯爵に罪を償うつもりはなく、逆に秘密を知った宰相補佐を亡き者にしようと毒を飲ませたに違いない。
ここまでは、なんとなく理解できる。想像できる。
よくわからないのは、夢の中で殺された男性が誰なのかということはもちろん、あの人がわたしにとって今後大事な存在になるのか? ということである。
全然、ピンとこないんだけど。
夢見の力で未来の出来事を知ることができるという特殊能力は、確かに便利ではある。でもこの力の弱点というか最大の欠点は、『知りたい未来を知りたいと思ったときに、都合よく知ることができるわけではない』ということ。
つまり、夢を見るタイミングもその内容も、自分でコントロールすることはできないのだ。残念ながら。
だからこんな、「いったいどこのどちら様でしょうか?」と困惑するしかない夢を見る羽目になる。
そういえば、サラの夢を見たときもこんな感じだった。夢に出てきて虐げられ続けた女性が誰なのか、はじめは知らなかったのだ。ただ、サラの場合はまわりの光景や着ていた衣服、夢に登場したほかの使用人たちを見て、王宮の使用人だろうということがすぐにわかった。だから対処ができたのだ。
……ひとまず、あれが誰なのか、特定しなきゃね。
のそりと起き上がり、わたしはベッドボードに背中を預ける。
放っておくつもりは、毛頭なかった。
これまで、わたしは夢見の力で何度となく未来予知の夢を見ることができた。そのほとんどは『わたしにとって大事な人たちの未来で起こる、回避すべき出来事』の夢であり、臨機応変に立ち回ることでなんとかその危機を未然に防いできた。
夢見の力で見る夢は、『警告』とか『警鐘』といった意味合いが強い。
ただ、ごくまれに、必ずしも危機とはいえない夢を見ることもある。例えば、ルキウスとの結婚の夢がそうだ。あれはむしろ、珍しく『朗報』というか『吉報』の類いだったと思う。だって、どさくさに紛れて逃げ出せるかも、という希望を持つことができたわけだから。
でも今回の夢は、言うまでもなく『回避すべき未来』である。なんたって、あの年若い茶髪の男性が死ぬかもしれないのだから。放っておくなんて、できるわけがない。
夢見の力で見た『回避すべき未来』を防げなかったのは、あとにも先にも母様の死だけ。
その事実は、今でも私の胸を容赦なくえぐる。
あのときのわたしはまだ幼く、何の力も持たず、無力だった。病魔に侵された母様を、命が尽きていく様を、ただじっと見ていることしかできなかった。
あんな悔しい思いは、もう絶対にしたくない。母を失った悲しみだけでなく、知っていながら何もできなかった自責感は、今でもわたしを苦しめ続ける。
だからこそ、放っておくことなんてできない。救える命は、全部救いたい。
それからわたしは、あの男性が誰なのかをそれとなく探ることにした。
本当はルキウスに聞くのが一番手っ取り早いのだけれど、なんせあの人は忙しすぎて、会うこともままならない。だから使用人たちから話を聞こうと思ったのだ。
ところが。
あの男性について探るということは、ルキウスの周辺、あるいはルキウスそのものについて探るということになる。
だって、わたしはあの男性のことはもちろん、ルキウスのことすら何も知らないのだから。
でも、その行為は結果として、使用人たちにあらぬ妄想を抱かせることとなった。例えば、「奥様が旦那様に興味を持ってくれている」とか「奥様が旦那様に歩み寄ろうとしているらしい」とか、挙句の果てには「奥様が旦那様に会いたがっている」とか。
そんな妄想が屋敷全体に蔓延するまで、そう時間はかからなかったのだ。
いや、なんでそうなる……!?
「公爵家の人たちはみんな、根が善良ですからね。姫様の邪な魂胆を見抜ける人なんていませんよ」
サラはしれっとそんなことを言う。
サラには夢のことを一切話していないから、あくまでも逃亡計画の一環として情報収集をしていると思っているらしい。まあ、そういう側面もあることは否定しないけど、今のところは逃亡よりも人命救助のほうが優先である。
そんな、ある日のこと。
侍女長のマイアがいそいそとやってきて、唐突にこう言った。
「奥様、王城の宰相執務室を覗いてみたいとは思いませんか?」
にこにこと邪気のない笑顔を見せるマイアは、いいことを思いついたとばかりにどこか得意げである。
「旦那様はここ三日ほど、お戻りになっていないそうなのです。一国の宰相が何日も同じ服を着ているというのは、いささか外聞が悪いのではと……」
「それは、そうね」
「ですから、奥様が旦那様のお着替えと、ちょっとした差し入れをお持ちになるというのは、どうでしょう?」
なんでわたしが? と思わずツッコみそうになって、慌てて口を噤んだ。
マイアは多分、こう思っている。旦那様に会いたがっている奥様の望みを叶えて差し上げるのに、これ以上の理由はないわ! でかした自分! さすがは侍女長!
明らかに自画自賛しているマイアのドヤ顔を眺めながら、わたしもちょっと思い直した。
……ひょっとしたら、これはいい機会かもしれない。
ルキウスに会いに行けば、恐らくあの男性が誰なのかわかるはず。運がよければ、実際に会うことだってできるかも。
早速わたしは、サラを連れて王城の宰相執務室へと向かった。
忙しいだろうからだいぶ待たされることを覚悟していたのに、ルキウスは思いの外すぐに現れた。
「何かあったのですか?」
ただし、これ以上ないほど仏頂面での登場である。
そりゃそうだろう。帰ってこれないほどの忙しさなのに、わたしなんかが来ちゃったら対応しないわけにはいかないのだから。仕事の邪魔をするなと言いたい気持ちはよくわかる。
ちょっとだけ申し訳ないと思う気持ちを隠しながら、わたしはゆったりと微笑んだ。
「ここ数日、屋敷にお戻りになっていないとうかがいました。差し出がましいとは思いましたが、お着替えと差し入れをお持ちした次第です」
私の言葉に、ルキウスは一瞬で決まり悪そうな顔をした。
「……それは、失礼いたしました。わざわざありがとうございます」
「いえ。お忙しそうですね」
別に皮肉でもなんでもなかった。だって仏頂面をよく見れば、くっきりと濃いクマが目の下に鎮座しているんだもの。ただし、クマがあっても超絶美形は超絶美形のままである。逆に凄みが増していて、なんとも近寄り難い。
無精ひげはないからその辺はちゃんと手入れをしているようだけど、シャツはどうにもくたびれているし、心なしかやつれた気さえする。
「あの、眠れているのですか?」
つい、尋ねてしまった。
ルキウスはますます決まり悪そうに、目を泳がせる。
「あー、まあ、多少は……」
「体を壊してしまったら元も子もないのですから、あまり無理しないでくださいね」
本心だった。
人間、健康が第一だもの。世のため人のため、国のためにと身を粉にして働いても、倒れたり死んでしまったりしたら本末転倒である。
まあ、そんなの、『稀代の天才』だって当然わかっていると思うけど。
ルキウスが少し項垂れて「そうですね……」とつぶやいたとき、不意にドアをノックする音がした。
「お茶をお持ちしました」
そう言って部屋に入ってきたのは、なんとあの、夢で見た茶髪の男性だったのだ……!




